朝鮮人陶工の歴史(2)―ハンギョレ新聞を読む2024/07/20

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/07/15/9701351  の続きです。 前回は12月12日付けの記事(日本語版)でしたが、今回は1週間後の12月19日付け記事を取り上げます。

 https://japan.hani.co.kr/arti/culture/48692.html 

 記事のタイトルは次のようです。

日本に拉致された朝鮮人陶工の歴史、両国の為政者たちの交錯した論理で利用

ノ・ヒョンソクの時事文化財_拉致された陶工の神話を探る(2)

 この記事の中で私が注目したのは、まずは朝鮮植民地時代に13代沈壽官(今の15代沈壽官さんの祖父に当たる)が、朝鮮総督府の意に沿って朝鮮人たちとの交流を行ない、「内鮮融和」政策に積極的に協力していたことです。

沈壽官家が朝鮮を訪問し交流を本格的に始めた時期は13代目の時代である1924年頃 ‥‥ 韓日併合後には、総督府の機関紙である京城日報社と毎日新報社の主導で派遣された九州視察団が、1918年に鹿児島の13代沈壽官を訪問し、朝鮮との人的交流が始まる。‥‥

関連記事はその年の4~5月の3回にわたり『毎日新報』に掲載されたが、1918年5月1日付の「鹿児島の朝鮮人の子孫」と題する写真で、13代沈壽官の姿を見ることができる。 1921年に斎藤実朝鮮総督が鹿児島の窯を訪問して13代沈壽官を励まし、その後、朝鮮の13道の郡守が内地視察団を作り、沈壽官窯を競って訪れた。 13代沈壽官も1924年から1937年まで定期的に朝鮮を訪問し、総督府の嘱託に任命され、朝鮮各地で講演会を開催した。 故国を訪問した対外的な目的は、朝鮮の陶磁器製造業を興して内鮮融和に努力しようということだと、メディアに明らかにしていた。 キム教授は、朝鮮を日本に完璧に統合しようとする「内鮮融和」政策の一つとして利用しようとする総督府の目的があったことは明らかだと分析した。

 ここでは「内鮮融和」とありますが、当時は「内鮮一体」「日鮮融和」という言葉でした。 いずれにしろ、後に〝朝鮮の民族性を否定して日本人化を図る同化政策″と批判されるものです。 これに協力したとあっては、今の韓国では〝親日反民族行為″と批判されかねないですが、幸いにも沈壽官さんはそういう批判を浴びていないですね。

 それから13代沈壽官は1920年代~30年代に朝鮮をたびたび訪問していますが、その時に本貫とされる青松沈氏を訪ねていません。 沈壽官家が両班の青松沈氏出身であるとしたのは司馬遼太郎の小説『故郷忘じがたく候』が最初で、発表は1968年です。 13代が朝鮮を訪問したのはそれより50年以上も前の植民地時代ですから、青松沈氏のことを知らなかったのは当然のことですね。

拉致された陶工の末裔として激しい努力を通じて生き残った歴史的な過程自体が、両国の為政者によってそれぞれまったく違う民族的な論理で利用され、司馬遼太郎の小説など虚構が添えられた様々なフィクション的叙述によって、そうした論理はよりいっそう増幅された。

 ここは「司馬遼太郎の小説など虚構が添えられた様々なフィクション的叙述」というところは、皆さまに是非知っておいてほしいものです。 『故郷忘じがたく候』という小説は今に至るも大きな影響力を及ぼしています。 「虚構」「フィクション」であることを十分に承知の上で読むのならいいのですが、そうでなく事実として受け入れている人が多いようで、困ったものです。

日本で1614~15年に白土の鉱山を佐賀県泉山で発見し、日本初の有田白磁の磁器生産の元祖となった功績によって崇拝されている李参平(イ・サンピョン)の場合も、本貫と故郷はどこなのか、今もなお実体は明らかではない。 「李参平」も記録で確認された正式の名前ではない。 そのため、九州陶磁文化館などの現地の展示館は、公式の説明文には、李参平の代わりに文献で確認される日本式帰化名「金ケ江三兵衛」で人名を表記している。 彼の子孫は100年以上陶磁業から離れて生活し、最近ふたたび有田町で家業を再開したが、窯の評判と規模はごく小さな水準だ。

 有田焼の「李参平」は本来の名前と思っていたのですが、そうではないのですねえ。 これは知らなかったです。 新たな知識を得ました。 第15代沈壽官さんが言っていたように、朝鮮人陶工は賤民身分でしたから元々姓がないのです。 ですから〝「李」という姓があったはずがない″が正解と思われます。 調べてみると、「李」という名前があったという話は明治になってから出てきたようで、明確な根拠はないのですねえ。 来日してから「金ヶ江」という名が付けられたのでした。 

 金ヶ江家に伝わる古文書には、初代の金ケ江三兵衛は自ら進んで鍋島軍に同行し日本に来たとされているようです。 1990年代の雑誌だったと思いますが、有田焼を訪ねてきた韓国人が李参平は強制連行されたのではなく自ら望んでやってきたという史料を知って、〝民族の裏切り者じゃないか″と叫んだ、という記事があったことを記憶しています。 朝鮮人陶工はあくまで日本からの被害者であり、その日本で逆境に苦しみながらも世界に名立たる陶磁器を製作し、日本の陶磁器文化をリードした、というストーリーが好まれるのでした。 〝日本に来たから成功した″とはならないのですねえ。

沈壽官家以外の連行された陶工たちの子孫は、ほとんどが日本人に同化したり陶磁業をやめたりした。 ‥‥ 17~18世紀に沈壽官一族に先立ち薩摩焼で名声を高めた朴平意(パク・ピョンウィ)の子孫は、19世紀初頭に家業から離れ、日本関連の方向に進んだ。 13代目の朴茂徳(パク・ムドク、東郷茂徳)は日帝の外相を務め、戦犯として獄中生活を送り死亡した。

 薩摩焼の朝鮮人陶工は18世紀の記録では「申、李、朴、沈‥‥」など17氏でしたが、今も窯を維持しているのは「沈」だけです。 沈壽官家は「大迫」に改名していますが、どのような経緯でいつ改名したのかが分かりませんでした。 しかし「朴」の子孫である「朴茂徳(幼時に東郷茂徳と改名)」は、日本近代史の重要人物でしたから改名の時期や経緯が判明しています。 薩摩焼の陶工たちの本名は明治以降にすべてが日本名となりましたが、ただ一つ「沈壽官」が窯元名として襲名するようになって、朝鮮人陶工の痕跡を残したのでした。

遅れた日本の陶磁器文化を全面的に朝鮮人陶工の主導のもとで引き上げたというような解釈は、民族主義的な観点にともなうまた別の偏向に過ぎないものであり、世界の学界でも普遍的に認められることは難しいことを直視しなければならない。 このような点が韓国の陶磁史の専門家たちの指摘だ。

 記事の最後の部分です。 韓国人が持ちやすい「遅れた日本の陶磁器文化を全面的に朝鮮人陶工の主導のもとで引き上げた」という観点は、「民族主義的な観点にともなうまた別の偏向に過ぎない‥‥世界の学界でも普遍的に認められることは難しい」と厳しく批判していますが、正論ですね。 (終わり)

朝鮮人陶工の歴史(1)―こうして歴史は作られる https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/07/15/9701351

【拙稿参照】

壬辰倭乱後、祖国に残った朝鮮陶工たち(1)https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/06/28/9696684

壬辰倭乱後、祖国に残った朝鮮陶工たち(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/07/05/9698602 

壬辰倭乱後、祖国に残った朝鮮陶工たち(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/07/10/9699962

『故郷忘じがたく候』の元となった逸話(1)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/02/9647749 

『故郷忘じがたく候』の元となった逸話(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/09/9649336

東郷茂徳が名前を変えた理由    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/21/1453694

コメント

_ 大森 ― 2024/07/20 03:50

論考に触発されて久し振りに「故郷忘じがたく候」を読んだ
これは小説というより長文のエッセイというべき作品で読者からするとほぼ100%真実と誤解するような内容ではある
ただ14代沈寿官から聞いた話を無批判に取り入れた内容で今にして思えば沈家の家系伝説を述べたに過ぎないのではないかと思った
司馬自身は朝鮮で技術者が軽視扱いされていたことは熟知しており、14代の人となりと当時まだまだ朝鮮人が蔑視されていた時代相を踏まえてある程度朝鮮を持ち上げて語る意図を持って書かれた作品ではなかったかと思う
でも面白かったわやっぱり

_ 海苔訓六 ― 2024/07/20 09:14

青山沈氏ではなくて青松沈氏だと思います。
日本でも活躍して映画「新聞記者」で日本アカデミー賞女優賞を獲ったシム・ウンギョンさんが本貫が青松沈氏だったと思います。
示現舎から出版されている「在日通名大全」にも在日朝鮮人の通名で「青松」は紹介されていて全員が全員朝鮮民族関係者というわけでは無いですが青松という氏の人は70%くらいは朝鮮民族関係者とのことでした。

_ 辻本 ― 2024/07/20 10:26

間違いのご指摘、ありがとうございました。
訂正しました。

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