「日本人としてふさわしい氏名」とは何か?(2)2025/02/20

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/02/14/9754509 の続きです。

 法務省のお役人さんは、〝日本人風の名前には基準がない”と言いながら、日本人風の名前とそうでない名前とを主観的に区別し、〝日本人風でなければ許さない”としました。 『民事月報』にはその理由についてもう少し詳しく、次のように説明をしたものがあります。

日本人としてふさわしい氏名とは、どのような基準で判断されるのかという問題は別として、明らかに朝鮮人的な氏名を帰化後の氏名として記載したとしても、それだけによって申請が受け付けられないということはあり得ない。 原局においては、そのような権限はないからである。 その意味では確かに法的規制ではなく、行政指導である。

しかしながら、帰化の許可は国家の絶対的な自由裁量であり、事実上どのような許可条件をも自由に設定できるのである。 帰化を希望する朝鮮人が「金」「朴」「李」などといった民族的な姓名をあくまで堅持しようとするのであれば、その者はまず許可されないであろう。 帰化の許可とは、所詮は「日本人として受け入れるべき者であるかどうか」という政治判断であり、肝心なところで日本への同化を拒否すれば、「その理由および指導結果を記載して進達」された調査書により、本省においてはねられることはうけあいである。 行政当局の本音は、結局次のようなところにあるからだ。

日本国家が単一民族国家であることから、日本国民間には日本国民を一つの血縁集団として観念する傾向が強い。 このように同族意識が強い反面として、排他的な国民感情もみられ、外観上外国人あるいは帰化人とみられることは同化上の妨げとなる。 また、民族意識の発露としてことさらに外国人的な呼称の氏に固執するということになると、帰化により日本国民とするのにふさわしい者とはいえないだろう。  (以上、稲葉威雄「帰化と戸籍上の処理」 『民事月報』1975年9月号所収)

 「朝鮮人的な氏名」は「受け付けられないということはあり得ない」と言いながら、それは「許可されない」「受け入れられない」と強調しています。 たとえ出先機関で受理しても、「本省においてはねられることはうけあい」だそうです。 つまり〝明確な根拠はないが朝鮮人風の名前は許さない”ということです。

 その理由は〝日本に同化するものでないから”ということです。 ここには〝日本人とは一体何か?”という民族を問う重要な問題が含まれていると思うのですが、当時は議論されなかったようです。

 そして日本人風の名前なのか否かの客観的な基準がないのですから、帰化を担当する公務員の主観・感情によって判断されることになりますから、出先と本庁で見解が違うこともあったでしょう。 法を執行する機関としては、ちょっと異例ですね。 しかし国は「帰化の許可は国家の絶対的な自由裁量であるから」と、押し切ってきたようです。 帰化申請者は日本という国にお願いするという弱い立場ですから、これを認めざるを得なかったみたいです。

 

 これに異議を申し立てたのは、ベトナム出身の帰化者でした。 1983年の雑誌『朝日ジャーナル』には次のような記事が出ています。

帰化したベトナム系日本人とは、神戸市灘区副住通に住むトラン・ディン・トンさん(29)。1977年に東京商船大学を卒業、ベトナム戦争のために帰国する機会を失って神戸市の外資系輸出入貨物検査会社に就職している。 トランさんは日本女性と結婚した後もベトナム国籍だったが、長女が誕生した後の昨年(1982年)夏、帰化申請した。 法務局にベトナム名のまま帰化したいと申し入れたが、日本風に変えなければ帰化を許さないと告げられ、やむなく夫人の旧姓を使って、「中井英雄」で申請、帰化していた。

トランさんが元の名前のまま日本人になりたいと神戸家裁に申し立てたのは、どうしても新しい名前になじまず、よそよそしかったため。 音信が復活した故国の両親も日本名に反対してきた。 申し立てを受理した神戸家裁は昨年(1982年)11月8日、トランさんの訴えを全面的に認め、改名させる決定を下した。 決定理由は、「国際社会化の現状からすれば戸籍法施行規則の片仮名による氏名の選択は許すべき」

家裁の決定の結果、妻と子の姓もトランに。 この決定は今年2月に試案の発表された国籍法改訂と、関連する戸籍法の各条項をめぐる論議に波紋を投げかけるものと注目されている。 (以上、『朝日ジャーナル』1983年7月1日号 97頁)

 この家裁判決の影響は大きく、3年後の1985年の国籍法改正を契機に、帰化申請書にあった「帰化後の氏名は、日本人としてふさわしいものにする」という注意事項は消えました。 ですから帰化の際に日本人風の名前でなくても、カタカナ姓の日本人が誕生できるようになったのです。 また日本人と外国人が結婚した場合、夫婦同姓の原則に基づいて日本人側の姓を相手方外国人の姓にすることも可能になりました。 この場合も、カタカナ姓の日本人が誕生することになります。

 このごろは外国人と結婚したとか両親の一方が外国人であるとかで、日本人がカタカナ姓を持つ例が多くなりましたね。 特にスポーツ選手は名前が公開されますので目立ちます。 このような日本人の出現は1982年の家裁判決以降のことになります。 今の日本では、このような明白な外国由来の姓が日本人の名前として受け入れられているように見えます。

 1982年は日本の民族観(単一民族意識や名前と民族性との同一視)が変化する契機となった年でした。 そして3年後の1985年に国籍法が改正されて、政府が民族観を変えた(帰化の際に同化を要求しなくなった等)のでした。 今は国民レベルでその民族観の変化が定着し、新たな民族観が形成されつつある過程と言っていいでしょう。 今後はこの新しい民族観で日本の国民統合が進んでいくものと考えます。     (終わり)

「日本人としてふさわしい氏名」とは何か?(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/02/14/9754509

朝鮮人の名前- 一文字姓     https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/09/19/9424856

第67題 単一民族国家と差別 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuunanadai

国籍を考える―ケンブリッジ飛鳥の場合 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/07/21/8624643

 

【追記】

 『朝日ジャーナル』のベトナム人帰化者の記事では、トランさんは1982年夏に帰化申請し、同年11月までに帰化が認められてから家裁に申し立てたとなっています。 普通、帰化申請が受理されてから許可されるまで1~2年、条件が緩和されている特別永住者でも6カ月はかかりますから、これは日程的にあり得ないものです。 ですから、おそらく「1982年夏」の数字を間違えたのか、あるいは何か言い間違えたのか等の錯誤があったものと思われます。

【追記】

 詩人の金時鐘さんは雑誌『抗路』で、次のように述べておられます。

帰化が認められても、次は窓口指導というものがあってね、日本人らしからぬ名前は訂正させられる、日本人が使わない漢字や発音しにくい漢字とかね。 市民運動やっている人たちのかなり長年の抗議活動で、窓口指導は86年、88年くらいになくなったけどね。 (『抗路6』2019年9月 19頁)

 金時鐘さんは在日活動家の長老格で影響力の大きい方ですが、帰化に関する知識はデタラメが多いですね。(下記参考) 「日本人らしからぬ名前は訂正させられる」ことがなくなったのは、市民運動と何の関係もないベトナム人帰化者のおかげです。 

青木理・金時鐘の対談―帰化(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524343 

青木理・金時鐘の対談―帰化(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/15/9526042

【追記】

 本稿は金英達『在日朝鮮人の帰化』(明石書店 1990年6月)を参考にしました。

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