青木理・金時鐘の対談―帰化(2)2022/09/15

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524343 の続きです。

金: そういう生活、そういう扱いを一貫して受けていると、日本国籍を取った者は、日本人以上に日本人ぶるんです。 同胞が多い集落から離れ、建売住宅みたいなものを手に入れ、日本人以上に日本人ぶって生活するようになる。 しかし、国籍選択の自由というのは人間の基本的な権利ですからね。 隠すことではさらさらないのに、植民地統治という歴史のしがらみがあって、日本人への帰化がうしろめたくなる。

 帰化者は在日社会から同胞として扱われずに軽蔑され、白眼視され、排除されたのでした。 ですから帰化者は在日社会から決別して出て行くか、帰化したことを同胞たちに黙って隠すしかなかったのでした。 金さん自身が言っておられるように、在日社会は帰化者を軽蔑・差別してきたのです。 

 帰化者は「隠すことはさらさらないのに」「日本人への帰化がうしろめたくなる」と金さんは言いますが、在日社会における帰化者への冷酷な扱いと差別を思い起こせば、そういうこともあり得るでしょう。 別の言葉で言えば、帰化者への差別は日本人からよりも、同じ在日からの差別の方がはるかに厳しかったのです。

 金さんは帰化者を「日本人よりも日本人ぶる」と侮蔑しますが、日本で生まれ育った在日は帰化しようがするまいが、日本人のように振る舞うのは自然なことなのですがねえ。 それの何が悪いのでしょうか。

 「帰化者は‥‥同胞が多い集落から離れ、建売住宅みたいなものを手に入れ」とありますが、帰化をしなくても在日コリアン集落から離れようとする在日は多いのですがねえ。 金さん自身も在日集落から離れて高級住宅地に住んでおられると聞いているのですがねえ。

――ええ。そのあたりの人権感覚も、同じ敗戦国のドイツと日本は雲泥の差です。 ドイツの場合、併合していたオーストリアの人びとに国籍選択権を付与しました。 ところが日本は戦後、法務府(現在の法務省)の局長通達1本で、台湾や朝鮮の人びとから日本国籍を一方的に剥奪してしまいました。 しかも、日本国籍取得には異様なハードルを課してきた。 そうした史実や実態も知らず、バカな連中は「日本が嫌なら朝鮮半島に帰れ」とか「日本にいたいなら帰化すればいい」などと言い放つ。 最近も僕の友人の在日コリアンが悩み抜いた末に日本国籍を申請したのですが、あっさりとはねつけられてしまったそうです。 どうやら父親が朝鮮総聯の元幹部で、北朝鮮に何度か渡航していることなどが理由のようですが……。

金: だから隠すんです。 朝鮮人として生きることが苦しく、辛いから帰化して日本人になろうとするわけですが、それはそのまま、朝鮮人として生きることを苦しく、辛くさせている側へひょいと鞍替えすることでもあるのです。 それが在日朝鮮人の帰化だった。 新日本人として市民生活のなかで息を潜め、周囲の日本人が朝鮮人を悪し様に語るときも黙って相槌を打たなくちゃならんような立場の人間になってしまう。

 青木さんの発言には、事実認識に間違いがあります。 「朝鮮の人びとから日本国籍を一方的に剥奪してしまいました」とありますが、1945年の敗戦時に朝鮮人たちは「解放」「独立」を叫んで「万歳」を繰り返し、もうこれで日本人でなくなったと喜んだという歴史事実が忘れられています。 朝鮮人が日本国籍を喪失したのは、祖国の韓国・北朝鮮だけでなく、在日自身の意思でした。 これが何故「日本国籍を一方的に剥奪」となるのでしょうかねえ。

 「日本国籍取得には異様なハードルを課してきた」とありますが、「異様なハードル」って何でしょうか? 日本の帰化制度は、世界各国、特に韓国のそれに比べて「異様なハードル」があるのでしょうか。 ちなみに韓国の国籍法第5条には、帰化の要件の一つとして日本のそれにはない下記が明記されています。

【国語能力と大韓民国の風習に対する理解など、大韓民国の国民としての基本素養を備えていること】

 韓国の帰化要件は、日本の帰化条件よりも厳しいですね。 韓国語と韓国の風習・素養を持っていなければなりません。 対して日本では帰化希望者に課す条件として、帰化の意思と日本の法律を守るという約束を示すことのできる日本語能力くらいです。 日本の風習への理解とか国民としての素養なんて、なくても構いません。 一番重要なのは、日本の法律を守ることです。 青木さんはこれを知って「日本の帰化には異様なハードルがある」と発言したのでしょうか。

 なお在日の帰化のハードルについて、前述したように、在日社会が帰化者に対して激しい差別感情を有していたために、これがハードルとなって在日は帰化を躊躇することが多かった、と言うことができます。 つまりハードルは日本の帰化制度にあるのではなく、在日社会における帰化者への差別だということです。

 「友人の在日コリアンが悩み抜いた末に日本国籍を申請したのですが、あっさりとはねつけられてしまった」。 その理由が「父親が朝鮮総聯の元幹部で、北朝鮮に何度か渡航していることなど」というのは、どうでしょうか。 同居している父親が非合法活動をしているのなら可能性はありますが、そうでなく法律に則って堂々と生きて来られたのであれば問題はありません。 ここは青木さんの伝聞情報のようですが、何故こんないい加減な情報を公開したのでしょうかねえ。

 「あっさりとはねつけられた」とありますが、おそらくはその友人が帰化の要件(6項目)に当てはまらなかったからでしょう。 こうなると確かに「あっさりとはねつけ」られます。 帰化担当窓口の職員が父親のことを知っているなんてまずあり得ませんから。  帰化を申請するにあたって、帰化の要件に自分が当てはまるか否か、事前に調べなかったのでしょうかねえ。 帰化を専門に扱う行政書士などに相談すればよかったのに、と思います。

 一方金さんは、在日社会において帰化者が差別されて生きにくいことを挙げて、だからこそ帰化をしてはいけないんだという方向に話を持って行きます。 帰化というのは、差別される朝鮮人から差別する日本人への「鞍替え」だと言うのです。 つまり帰化は被差別の正義の立場から、差別の不正義の立場に行くものだという主張です。

 そこには、在日自身が帰化者を差別してきたという事実が抜け落ちています。 金さんは帰化者に対して冷酷に差別的扱いをする在日側に立ってきたし、今も立っていると考えられます。 帰化者への差別は、金さん自ら実践しているということですね。

 以上のように青木さんは帰化について金時鐘さんとの対談をサイトに公表したのですが、その前に帰化の専門家にチェックしてもらわなかったのだろうかという疑問が湧きます。 また金時鐘さんは周囲の在日で帰化した人たちも多いと思われますが、そういう人たちから話を聞かなかったのだろうかという疑問も湧きます。 お二人とも、帰化について生半可な知識のまま対談された、という印象ですねえ。

 金時鐘さんに関しては拙ブログで下記の通りに論じたことがありますので、ご笑読いただければ幸甚。 (終り)

【拙稿参照】

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

金時鐘さんは結局語らず      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/13/9140433

金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110448  

毎日の余録に出た金時鐘さん http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/27/8950717

本名は「金時鐘」か「林大造」か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112

金時鐘さんの法的身分(続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951

金時鐘さんの出生地        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038

コメント

_ 海苔訓六 ― 2022/09/15 20:59

8/15は日本は敗戦記念日ですが韓国は光復記念日とのことです。
今回のブログ記事に書いてある通り、朝鮮人は敗戦記念日に『日本人ではなくなった』ことを喜んで光復記念日として祝っているみたいですから、在日朝鮮人が『日本国籍を一方的に剥奪された』と批判するのは違和感を覚えます。
ちなみに私は8/15は終戦記念日だと思っていたのですが、ポツダム宣言受諾しただけなので敗戦記念日らしいですね。
終戦記念日はサンフランシスコ講和条約に調印した9/8とのことです。これも知りませんでした。

_ 辻本 ― 2022/09/16 02:27

「終戦」とは、日本の第二次世界大戦(太平洋戦争と日中戦争)が終結した日を言います。終戦記念日は、考え方によっていくつか種類があります。

 1945年8月15日はポツダム宣言を受諾した日ですが、これによって日本は降伏の意思を示しました。 これによって、終戦の手続きが始まりました。
 同年9月2日はミズーリ号で降伏文書に調印した日です。
 1951年9月8日はサンフランシスコ講和条約の調印日です。
 1952年4月28日は講和条約の発効日です。

 どれを終戦記念日にするかは、それぞれの考え方ですね。日本では一般的には8月15日です。
 戦争の相手国では8月15日もあれば9月2日もあり、いろいろですね。

_ 虚無僧 ― 2022/09/16 08:26

ドイツとオーストリアの関係を日本と朝鮮の関係に対比するのは間違いです。ドイツ人とオーストリア人は同じゲルマン民族でありドイツ語を話します。中世には神聖ローマ帝国の一部であり歴史も共用しています。
二つの国にわかれているのはドイツはフォーフェンツオレルン家、オーストリアはハプスブルク家という王家があったためです。日本と朝鮮は違う民族で、言葉も別、歴史も別なのでドイツとオーストリアの関係とは違います。むしろチェコスロバキアの例を取り上げるべきです。チェコスロバキアは第二次世界大戦前にドイツに併合されましたが、戦後ドイツはチェコスロバキアの人々に国籍選択権を付与していません。日本は朝鮮の人々に対してドイツと同じ対応をしたということです。

_ (未記入) ― 2022/09/16 10:11

>ドイツとオーストリアの関係を日本と朝鮮の関係に対比するのは間違いです

 ??? 投稿先を間違えたのかな?

_ 竹並 ― 2022/09/17 08:09

些細なことですが、中華民国「汪兆銘」政権の首都=南京では、日本政府のポツダム宣言-受諾は、8月10日にラジオ放送されていますね。
     ----- ↓ -----
(蔣介石の命による、南京地方院検察処の「敵人罪行調査(1945年11月)」に対して…)日本軍の暴行を訴える者はほとんどいなかったのである。
それどころか、市民から事件(=大屠殺、datusha)を否定された。

理由として南京地方裁判所は、日本軍の激しい妨害をあげている。

その時から3か月ほどさかのぼる8月10日、国体護持を条件にポツダム宣言を受け入れると日本が回答するや、(南京では)ただちにラジオ放送が流れ、8月11日の南京は朝から爆竹が景気よく響き、街という街は群衆の洪水に埋めつくされた。

大通りの堅固な建物には支那派遣軍-総司令部が置かれ、日本軍はまったく揺るぐことがない。
正式受諾は、まだ決まっていない。
しかし南京市民は、何ら日本軍を恐れることなく喜びを態度に表した。
そんな南京市民である。
もし「虐殺」があったなら、市民は進んで証言しただろう。

(p.33,『【再検証】南京で本当は何が起こったのか』阿羅健一、2007年)


 ご参照…

三国宣言受諾ノ件(発信日時、8月10日 前9:00/発信者、東郷外務大臣/宛先者、在-瑞西(=スウェーデン)加瀬公使/電信番号、649)
[Note of the Japanese Government of August 10 regarding their Acceptance of the Provisions of the Potsdam Declaration]

[ポツダム宣言受諾に関し瑞西、瑞典を介し連合国側に申し入れ関係]
 https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/010/010tx.html

_ 大森 ― 2022/09/18 10:25

国籍選択権に対しては韓国政府が明確に否定してますね
原典を失念したので恐縮ですが、日本の一部で国籍選択権の議論があることを踏まえたうえで、
・韓国人にとって日本国籍は押し付けられたもの
・韓国人は潜在的に韓国籍を持っていた
・独立によってそれを回復した
・国籍選択権云々は日本の韓国統治を正当化する主張で受け入れられない
・日本国籍を希望するものは個別に帰化すればよろしい
といった論理でした
戦後早い時期の話です

辻本氏の指摘する通り大部分の韓国人は日本国籍を望んでいなかったですが公職についていた一部の韓国人は帰化したようです
また親日派の韓国人が戦後日本に逃げてきて帰化したケースもあるようです
後者は全く歴史の闇ですね。誰か調べて欲しいものですが

_ 辻本 ― 2022/09/18 14:13

>公職についていた一部の韓国人は帰化したようです

 これは国鉄ですね。
 昔は鉄道省といって、国家公務員でした。
 ここに何人もの朝鮮人が勤めていたのですが、外国人になるに当たって帰化するか辞めるかを迫られたと言います。

>親日派の韓国人が戦後日本に逃げてきて帰化したケースもあるようです

 これは知らないですね。
 国籍法では、直ぐには帰化できません。
 最低5年かかります。
 法をまげて処理するなんてことが、あり得たのでしょうかねえ。

_ 大森 ― 2022/09/20 02:14

親日派の帰化のケースとしては
旧日本軍人が戦後韓国でいづらくなり日本に密航

日本では日本人の戦友に頼って定住

その後帰化
という人もいたようで、それを知った時、あ、親日派で日本に逃げてきた人は案外多いのではないか、彼らはその後どうなったのだろうとちょっと気になるようになりました
彼らは一度は日本人として生きることを決意した人たちで戦後どのように社会に適応していったのか・・・

_ 辻本 ― 2022/09/20 04:57

>旧日本軍人が戦後韓国でいづらくなり日本に密航

 「旧日本軍人であったが故に韓国でいづらくなった」というのは、あり得ないでしょう。
 韓国では、軍隊を創設するに当たって、旧日本軍人を採用しています。 
 また南労党(南朝鮮労働党)が武力闘争を行なった時、日本軍出身者は重宝されました。
 武器の取り扱いに慣れており、戦闘の経験もあるからです。

 旧日本軍人が日本に密航してきた場合、他の密航者と同様の理由であったと考えるべきでしょう。

>日本では日本人の戦友に頼って定住

 これも考えられません。
 当時GHQは、韓国からの密航者の徹底した取り締まりを日本政府に命じています。
 密航者も、昔の日本人戦友を頼ることはなかったと思います。密告される可能性が高いからです。

_ 大森 ― 2022/09/29 01:17

現実的な御指摘ありがとうございます
ただ自分がこのことを知ったのはテレビのドキュメンタリーのような番組の一場面だったので何とも・・・
韓国で親日派のレッテル貼られて生きるのはつらいだろうなあ
という感想
他国の植民地においても宗主国側について行動し独立後宗主国に逃げた人は少なくありません
どこの植民地にも宗主国の正義を受け入れて生きる人たちがいたわけです
旧日本軍人に限らず日本に協力していた総督府の役人、警察官、有力者などが全て戦後それらの行為を不問に帰されたとも考えにくく、また180度転回した世の中の変化に耐えられず困窮も相まって日本に逃げて過去を消して日本で生きづづけた人々はやはり少なからずいたのではと思います
・・・あるいは親日の過去を消して在日として生きていった可能性もありますが

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