梁泰昊さんの思い出話―『むくげ通信』2025/02/28

 『むくげ通信』328号(2025年1月26日)に、飛田雄一さんの「<多文化共生の「共生」は、梁泰昊が初めて使った>説」という論稿が掲載されています。 https://ksyc.jp/mukuge/328/hida-yanteho.pdf 

 その中で次の一文に目が行きました。 

北海道に引っ越しして奥さんの実家の仕事を手伝っていた時代がある(93~95 年)

 私もかつて(1970年代後半~80年代前半)梁泰昊さんを知っていて、彼の奥さんにも何回かお会いしたことがあります。 拙ブログでも、取り上げたことがあります。 

梁泰昊さんの思い出― 活動家と一般人との結婚 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/06/01/9252979

 その時に奥さんは北海道出身とおっしゃっていましたから、梁さんは奥さんの実家に引っ越されたのでしょう。 離婚したなんて噂が飛んでいましたが、そうではなかったようです。 北海道では、彼女は朝鮮人だからと差別されたことがないというし、また京都にある大学を卒業しており、兄さんが医者をやっているということなので、実家はそこそこ裕福なんだろうと、私は勝手に想像していました。

 一方、梁さんのご両親は東大阪で鉄工所か何かを経営されていたはずですから、梁さんはその後を継がなかったのでしょう。 なおこの実家で幼い時に起きた事故で、手の指を一本なくしたという話を聞いた記憶があります。 また車に乗っていてガソリンスタンドに寄った時、そこの従業員が〝その手、どうしたのですか?”と聞いてきたので、〝クマに襲われて指をかじってちぎられた”と冗談で返事したら、真剣な顔で〝えー!そんなことがあるんですか!怖いですねー!”と言った、こんな話を面白おかしく聞かせてくれたことがありました。

 私にはこういう思い出がありますので、『むくげ通信』の飛田さんの論稿に思わず読み入った次第。 ただ飛田さんは、梁さんとは活動面だけでの交際に限られていたようです。 私が思うには、活動家は表面ではその活動の華々しいところを見せてくれますが、裏というか家族というか、そういう場所では違った面が多々あるということです。

 次に飛田さんの文に、次のような箇所があります。

そのなかに、「『太く短く』から『細く長く』へ」(『民闘連ニュース』32 号、1982.7)がある。そこに以下の一文がある。

「われわれは民族差別をなくすために日本人と共闘するということをやってきた。共闘といっても日本人の側ではそれによって具体的なメリットというものはない。国籍条項を撤廃したところで、日本人が利益をうけとることは何もない。にもかかわらず何故共闘するのかというのは今一度改めて考えてみる必要がある。共闘するということの前提には共に生きる『共生』ということがあったはずではないか。その意味するところを今後具体的にふくらませていくことが課題になるだろう」。

梁泰昊は、80 年代には、民闘連のイデオローグ的な存在となった

同書には、「梁泰昊と民闘連」の項目もある。「1975.05.09-10 尼 崎市児 童手 当徹夜 交渉 参加(個人として)/1977.10.8-10 第 3 回民闘連全国交流尼崎集会より兵庫民闘連会員として参加、その後全国代表者会議に兵庫の代表(役職なし)として参加/1977.10~1979.03 市報〝あまがさき〟に「民族差別をなくすため」連載に協力」などと兵庫民闘連とのかかわりについて書かれている。

 これを読んで、飛田さんはおそらくご存じないと思われる事実を思い出しました。 梁さんは尼崎地域で民闘連(民族差別と闘う連絡会議)の活動をやっておられましたが、1980年代初めに、それまで地元で協力し合い、時には共闘してきた保育園とケンカ別れというか、決別したことです。 私はその決別の経過を知っています。 詳しいことを言うのは控えますが、はっきり言って民闘連側の不誠実・不義理が原因です。

 この事件は民闘連側には余りに恥ずかしいことだったようで、民闘連のメンバーはそれについて誰も言わないですねえ。 民闘連は地域から民族差別と闘う運動を作るなんて言って活動していましたが、肝心のその地域で仲間だった人たちとケンカ別れした当事者の一人が梁さんだったのです。

 梁さんは手順を踏んで実践を進めるタイプではなく、弁が立って交際範囲が広いイデオローグ、悪い言葉でいえば〝口舌の徒”のタイプだったなあと思い出されます。 ただし1980年代前半までの話で、それ以降、彼と会うことはありませんでした。

 彼の名前を見て懐かしく思い、書いてみました。

 

【追記】

金義晴さんの思い出―本名について https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/04/17/9676429

在日活動家 李さんの思い出   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/09/09/9421529

黄光男さんの思い出      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/06/11/9256337

黄光男さんの思い出(2)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/06/25/9261345

第46題 民闘連からお呼び出し http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuurokudai

                  (2025年3月5日 記)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック