金時鐘さんの創氏改名は「金谷光原」―神戸新聞2025/06/03

神戸新聞2018年5月27日 朝刊 第7面

 4月11日の拙ブログで、金時鐘さんの創氏改名は「光原」なのか「金山」なのか、疑問を呈しました。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/11/9767588  その際に、神戸新聞の記事に「金谷光原」だとするインターネット情報を紹介しました。 ただしこの情報源は5chですから、信用性がいま一つです。 そこでこの神戸新聞の記事を探してみたところ、見つけましたので報告します。

 神戸新聞2018年5月27日 朝刊 第7面 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/koubeshinnbunn.pdf 。

 ↑は、その記事のうち、金時鐘さんが創氏改名について述べられた段落部分をスキャンしたものです。 赤の傍線を付けました。 「創氏改名で名前も金谷光原(かなやみつはら)に」と明確に言っておられますね。 ですから金さんの創氏改名は、姓が「金谷」、名が「光原」だったということです。

 金時鐘さんの日本名について、これまで公表されてきたものをまとめますと、次のようになります。

① 彼(級友の金容燮)は私の手を握って「光原(これが私の日本名でした)! それが詩なんだ! おまえの詩はそれなんだ」と諭してくれました。  (金時鐘『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 2015年2月 43頁)

② 「創氏改名で名前も金谷光原(かなやみつはら)に」   (神戸新聞2018年5月27日 朝刊 第7面 編集委員インタビュー 「平和への道 歴史直視から」 詩人 金時鐘さん(89)に聞く)

③ 「『済州北初等学校同窓会誌』所収の卒業生名簿 ‥‥ 『同窓会誌』に付された歴代の卒業生名簿の内、33期(1943年3月25日卒業)の欄では、総116名の卒業生の名前と、番地はないが町名までの住所は記載されており、その中で金時鐘らしい人物として目に付いたのが、姓名は「金山時鐘」、住所は「済州二徒」の卒業生である。」  (玄善允・在日・済州・人々・自転車・暮らしと物語  「連作エッセイ『金時鐘とは何者か』2(第一部 金時鐘の年譜)2022年9月14日) https://blog.goo.ne.jp/sunyoonhyun5867kamakiri/e/14b31cbf81eda5ac72f05dac66804bb5 

 以上のように金時鐘さんは、①2015年の著書では小学校時代に級友が自分を呼んだ時の日本名が「光原」、②2018年の新聞インタビューでは創氏改名が「金谷光原」、③玄善允という方が金さんの母校に残っていた卒業生名簿に「金山時鐘」を発見し2022年に公表。 このように資料上では三つの日本名がありました。

 それ以外に両親から名付けられた④「金時鐘」と、今の法律上(日本の外国人登録と韓国の戸籍)の氏名である⑤「林大造」の二つがありますから、全部で五つの名前(日本名は三つ、民族名は二つ)となります。 今、分かる範囲で解説します。

① 「光原」は級友が呼んだ名前です。 ただし次の②にあるように名字ではなく、下の名が「光原」であり、友人間ではこれを呼び合っていた可能性があります。

② 金さん自身は「金谷光原」と創氏改名したと言っておられます。 これが事実ならば、北朝鮮の元山にいる戸主の祖父が1940年に戸籍管轄の地元役場に行って「金谷」と創氏を届け出て受理された後、次に父親が法院(裁判所)に息子の下の名を「光原」にしたいと訴えて判決を受け、その判決謄本を役場に提出して受理される、これでやっと「金谷光原」になります。 ちょっと複雑な手続きですが、姓も名も変える創氏改名というのはこういうことでした。 金さんは子供でしたから創氏改名の手続きをすることはなく、祖父や父親がその手続きをしてくれて、自分は「金谷光原」という日本名になったことだけを覚えておられたようです。

③ 「金山時鐘」は金さんが卒業した小学校の卒業名簿にあった名前ですから、もし事実なら一番信頼性のあるものです。 ただし金さん自身は体験談に「金山」という名前を全く出しておられません。 また彼は下記の朝日新聞記事にありますように1998年にこの小学校を訪ねておられるのですが、ご自分の名前について語っておられません。 従って、「金山時鐘」が本人なのかどうか断定できないところです。  (2019年7月23日付『朝日新聞』 文化文芸欄 「金時鐘④ 語る―人生の贈り物―朝鮮が私の中でよみがえった」 http://shiminhafiles2.cocolog-nifty.com/blog/files/342e98791e69982e99098e38080e8aa9ee3828b.pdf )

④ 一番知られている「金時鐘」は父母に付けられた名前であり、金さんが20歳になるまで韓国で名乗っていたものです。 おそらく当時の朝鮮戸籍に登載されていたと思われます。 ただし金さんの父親は北朝鮮の元山出身ですから本籍は元山にあり、韓国には本籍がなかったでしょう。 従って、元山にある戸籍原本に「金時鐘」が登載されていたと考えられます。

⑤ 「林大造」は、金さんが1949年に日本に密航した際に不正に入手した外国人登録証にあった名前です。 金さんはこの名前を法律上の本名として、これまでの76年間使い続けました。 2023年に韓国戸籍に就籍した時も、この不正入手した「林大造」の名前で登載しました。 これにより「金時鐘」なる人物は、日本でも韓国でも正式に存在しないことになりました。

 名前はその人のアイデンティティの非常に重要な要素ですから、ほんの些細な間違いも許されないものです。 金時鐘さんには、ご自身が語った自分の名前の説明をしてほしいですね。 

【金時鐘氏の名前に関する拙稿】

玄善允ブログ(1)―金時鐘さんの日本名 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/03/31/9671877

本名は「金時鐘」か「林大造」か  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘氏への疑問(1)―在留資格  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/26/9763626

金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818 

金時鐘氏への疑問(4)―日本語・創氏改名   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/11/9767588

 

【追記】

 金時鐘さんは、創氏改名についてほとんど語ってきていませんねえ。  ご自分の創氏改名については、今回に紹介した神戸新聞インタビューが唯一ではないかと思われます。

 それ以外に検索してみると、金 泰 明さんという方の論文「共生の思想と言語の力―詩人金時鐘と母語の復権」によれば、金時鐘さんは次のように発言されたようです。(2021年8月9日付け『朝日新聞』)

「‥‥教育というものは本当に怖いものでね。 創始(ママ)改名についても、「日本名を持たない朝鮮人の子は廊下に立たされ、親たちはしぶしぶ日本名をつけた」と振り返った。 

https://keiho.repo.nii.ac.jp/records/1064 52頁

 これは、創氏改名の法的メカニズムや運用を知らないで、〝日本名を強制して民族性を奪った”という、後に広まった間違った知識で語ったものですね。 ですから金時鐘さんがその当時に実際に見たものではないと判断できます。   (6月4日記)

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