かつて日本人は朝鮮部落をどう見ていたか(1)2025/10/08

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/10/01/9806622 の続きです。

 まずは、〝在日朝鮮人はどのような暮らしをしていて、日本人からどのように見られていたか”のお話です。 いま世に出ている在日の歴史は「民族受難とそれに対する闘い」という視点での記述がほとんどですから、〝被差別と被害”が強調されています。 それは在日側から見た〝被差別と被害”であり、そして〝日本と闘う”ことが強調される歴史となります。 〝われわれは日本からこれほどの差別を受けてきたが、それに対してかくのごとく果敢に闘ってきたのだ”という歴史ですね。 

 それでは〝闘う”相手とされた日本側から見て在日はどうであったのか、こういう視点での叙述は在日の歴史の本では、朝鮮人は日本人からこれほどの差別を受けていたという証拠とするか、朝鮮人差別を正当化するものとされて無視するものでした。 しかし在日の歴史を研究するには、客観性を担保するためにこのような違う立場からの記録も十分に知っておかなくてはなりません。 そこで、かつての在日を直接観察した記者や行政などの記録を紹介します。

 

大阪毎日新聞記者 井上吉次郎 「大大阪と移入鮮人の問題」 『大大阪』第4巻11号 (1928年)

猛烈な人口の都市集中現象の背後には、必ず都市における失業者の群れと生活の低下減少が現れる。 特に大大阪に集まる集中群の如き、主たる目標を物質的生活の獲得に置いて居るものについて、過剰人口の流れる方向は決まって居る。 大都市にドン底生活は付き物だ。 大阪では特にそれが目につく。 ‥‥ 大大阪に押し寄せる集中群のうち、この法則にはずれないものは鮮人移入者である。 ‥‥男女鮮人の数の増加は街頭の瞥見でも分かる ‥‥ 鮮人人口が飽和度に達した都市では異民族の姿が判然と映る 

日鮮同祖論などは学者がいかに明快に証明しても、異民族観念が一般的に成立している事実は動かせない。 融和は必要だ。 けれども必要と感じて融和に努めることは意識的努力であって、異民族観念の明白に成立して居る確証である。 これが人口の消化を極めて不良ならしめる。 また中に散見する白衣の朝鮮婦人、雨に傘なく天気に傘持つような姿は生活の破綻を示す。 生活破綻者の行く道はただ一筋だ。 しかして、これは恐ろしい道である。  ‥‥ 生活の破綻は民族的色彩を生地に出し、かつその民俗群の増加はますます内地社会への同化を困難にして、大大阪市の懐の中に異殊社会を抱くことになって、社会的不安が永久に去らぬ。 

ドン底生活者は都市の生活水準を下げる。 ドン底生活は大都市に必ず伴う生活現象であるが、これがあるは都市の名誉でもなく幸福でもない。 これの除去は都市計画のプランに入れるべき重要問題だ。 都市計画というのは、決して街区の整理だけの言葉でない。 (以上、杉原達『越境する民』岩波現代文庫 207・208.210・211頁より再引)

 日本では明治期に資本主義が勃興して経済が発展したのですが、同時に資本家と労働者、地主と小作人などの階級格差が大きくなり、底辺層が形成されました。 朝鮮から出稼ぎにきた労働者はこの底辺層に組み入れられます。 当時の朝鮮人の多くは日本語が出来なかったので、低賃金の単純肉体労働者とならざるを得なかったからです。 さらに、ここに書かれているような「生活破綻者」が出てきたのですが、一方では安い賃金ながらも質素倹約に努めて故郷の家族に送金する朝鮮人も多くいました。

 記事は「移入鮮人の問題」とあるように、まじめに暮らしている朝鮮人よりも「生活破綻者」の方に注目します。 問題なくおとなしく過ごしている人よりも、問題を起こす人の方に目が行くのは仕方ないことかも知れません。 これは今日の外国人問題でも同じですね。

 「内地社会への同化を困難にして、大大阪市の懐の中に異殊社会を抱く」とあるように大日本帝国内に異民族コミュニティーが生じて、「社会的不安が永久に去らぬ」とまで記しています。 ここも現在の日本の外国人問題を彷彿とさせますね。 「底辺層」「低学歴」「言葉が出来ない」「単純肉体労働」「若い独身」「借金まみれ」と言われているように、〝昔の在日朝鮮人”と〝今の外国人”とには共通性を見ることができます。 現代の外国人問題の原点は、100年前に渡来した朝鮮人に遡ると言ってもいいのではないかと思います。

 

大阪市社会部調査課 酒井利男 「朝鮮人労働者問題上・中・下」 『社会事業研究』第19巻5~7号 (1931年)

生活の不潔、不衛生、乱雑、群衆性に基く団体的の暴行、騒擾、所有観念の欠乏、群居生活による喧騒と破倫的行為、粗暴怠惰なる性情 

朝鮮人労働者の好ましからざる特質も彼らの本性に基くものであると言わんよりも、むしろ教育の普及せざることによるものと見る方が至当である。 ゆえに朝鮮人労働者の欠点はこれを民族的欠陥に帰することなく、彼らの労働素質や一般生活標準の向上を期するためには、今後どうしても教育の普及に力を注ぐべきである。 (以上、杉原達『越境する民』岩波現代文庫 215・216頁より再引)

 「不潔、不衛生、乱雑、暴行‥‥」。 当時(100年前)の朝鮮人集住地区の様相を端的に表現する言葉がずらりと並べられています。 今の欧米にある移民・難民スラム街を実見した時に出てくる感想とほとんど同じですね。 そして今の日本内に形成され始めている外国人の民族コミュニティの一部はすでにそんな状況になりつつあるという話もあります。 それに対する周囲からの視線は、やはり厳しいようです。

 つまり、〝100年前の朝鮮人”と〝現代の外国人”とでは共通する問題点があると言えます。 周囲の日本人はまるで「好ましからざる特質も彼らの本性に基く」のように厳しい差別的な見方を露骨に表すこともあるようですが、朝鮮人の中にはまじめに働いて周囲の社会と摩擦を起こさないように努力している人も多くいました。

 記事では朝鮮人が「好ましからざる特質」を有するのは、「教育が普及していない」ことをその原因としています。 だからこそ、この記事では「朝鮮人労働者問題」の解決法について、100年前の大阪の行政担当者は「民族的欠陥に帰することなく‥‥教育の普及」が必要だという主張をしたのでした。

 一方、現代の日本の外国人問題の解決は「教育」だとして、これに熱心に取り組む人が多いと聞きます。 私もこの考え方が妥当だと考えています。     (続く)

戦前の朝鮮部落の状況    https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/10/01/9806622

 

【拙稿参照】 

入管闘争―善人だから闘うのか、善人でなくても闘うのか https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/25/9588921   ――当たり前ですが、在日にもいい人もいれば悪い人もいます。 「ピン」もおれば「キリ」もいるのです。

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