朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(3)2025/12/10

在日韓人歴史資料館 展示資料

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/12/03/9821132 の続きです。

↑は、東京にある「在日韓人歴史資料館」に展示されていた在日朝鮮人子弟の小学校卒業証書です。 名前は「山本文一」ですが、キャプションは次のようになっています。

1927年福岡県鞍手郡生まれの在日2世・文相洙氏の小学校卒業証書(1939年)。 炭鉱で働いていたが、解放後日本人が朝鮮人を襲撃しているとの噂が回り炭鉱を脱出、博多港から釜山に帰国しました。

 ここで注目すべきは、この卒業証書の発行日が「昭和14年3月22日」になっていることです。 1939年3月ですから、創氏改名令の公布(1939年11月)や施行(1940年2月)より前です。 つまり「山本文一」という日本名は創氏改名ではなく、それより以前に自ら名乗っていた通名ということになります。 しかも小学校という公的機関がその通名を認めて、卒業証書に記したのでした。 

 当時の小学校では、朝鮮人は本名(民族名)でも通名(日本名)でもどちらを使ってもよかったという話は金達寿の自叙伝『わがアリランの歌』に出てきます。

(1932年)源氏前小学校の職員室で会った赤ら顔の先生は、まだ夜学の一年生だった私がもう学期末となっている三年生に編入学して、実質的に四年生となることはだまって承知してくれたけれども、「金山忠太郎」という名については異議をとなえた。

「いや、名前は金達寿という本名そのままのほうがいいです」と先生は、横に立っていた私にもわかるように、はっきりとそう言った。 この赤ら顔の人が以後私を担任してくれた山内喬木先生で、私はこの先生のおかげで小学校は「金山忠太郎」などというものにならなくてすんだのだった。 (金達寿『わがアリランの歌』中公新書 昭和52年6月 66頁)

 つまり当時の小学校では本名か通名かどちらを使ってもいいとされていたのでした。 従って↑に掲げた「山本文一」という通名が記されていた小学校卒業証書は、これを裏付ける確かな歴史的資料となります。 金達寿は本名を使い、文相洙は通名を使ったのですが、それはどちらも認められていたのでした。

 在日の日本名は創氏改名という法的強制より以前に在日自身が任意に名乗っており、本名(民族名)を使うか通名(日本名)使うかは自由であったということです。 朝鮮史家の水野直樹さんは、「在日コリアンの多くが日本人風の名字を使うようになったのは、創氏が実施された時期からであったことは間違いない」 https://www.io-web.net/2025/08/sousikaimei-mizunonaoki/#google_vignette と論じておられますが、実際はそれより以前に日本名を使い始めているので、これは疑問と言わざるを得ないところです。 日本名を名乗るのは「創氏が実施された時期から」とあるのは、日本(内地)の大学に留学していた学生たちなど一部に限られるのではないかと思われます。 

 在日の通名(日本名)の歴史をたどっていけば、彼らは創氏改名以前から、来日すれば一部を除いて任意に日本名を名乗っていたという事実に行きつくのです。

 なお現在において学校に通学する時に使う名前ですが、小中高校では通名を使っても構わないとされていますね。 ここは今も昔も同じようです。 ところが大学は国公立では通名は使わず本名だけでしたが、今はどうなのでしょうか。 一部の私立では通名でも構わないとしているところがありましたが、R大学では本名でしかもハングル読みとしていたと聞きます。 私立は各大学によって扱いが違っているようです。      (終わり)

朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/11/26/9819692

朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/12/03/9821132

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