かつて「韓国に学べ」が叫ばれた時代があった ― 2025/01/26
二十年前の2000年代初め、日本では「韓国に学べ」が流行のように叫ばれたことがありました。 韓流ブームの契機となった「冬のソナタ」より前のことです。 これを覚えておられる人は少ないでしょうねえ。 例えば当時の雑誌などには「韓国をうらやむ日本人―エステから経済改革まで」とか「韓国人気で分かる日本の失ったもの」のような見出しをつけた記事があふれていたのです。
韓国では1997年にアジア通貨危機が襲来し、時の金泳三政権はIMF(国際通貨基金)に救済を要請して国家破産をかろうじて回避しましたが、経済は大不況となり、失業者があふれかえり、自殺者が急増する事態となりました。 金泳三政権を引き継いだ金大中大統領は規制の大幅な緩和などの各種政策を断行し、この危機を乗り越えて2年後の2000年頃には経済を回復させ、韓国は元気を取り戻しました。
その時の日本はバブルが崩壊して10年ほど低迷が続いていた時期で、「失われた10年(今は失われた30年)」と言われるくらいでした。 そういう日本で、「韓国に学べ」がまるで合唱するかのように叫ばれたのでした。
まず経済面ではIT革命です。 韓国はブロードバンド普及率が世界一で、「日本はITの分野で韓国に完全に追い抜かれた」などと言われたのです。 また韓国では政府が主導してクレジットカードを普及させ、それによって消費が増大し、好景気につなげました。 一方、現金での買い物が普通である日本は「遅れている」と決めつけられたものです。
政治面では、金大中大統領は2000年に北朝鮮の金正日総書記と首脳会談を持つなど、大胆に外交路線を変えました。 それに対して日本では、「韓国に比べてわが日本は‥‥」とか「日本とは余りにも志操が違い過ぎる」とか「韓国では希望に満ちた大変革が起きているのに、わが日本では何の変化の可能性も見えない」とか言われたものです。
また韓国では2000年に総選挙が行われましたが、その時に「落選運動」というのがありました。 これは市民団体が、選んではいけない立候補者を定めて落選させようと運動するもので、20人中19人を落選させるという大きな成果を収めました。 これを見た日本のマスコミや市民団体は「韓国は世界で最も先進的な民主社会になる」と絶賛し、「韓国の落選運動に学べ」と呼びかけました。
そして2001年に仁川国際空港が開港しました。 滑走路数など規模が日本の成田や関空よりも大きいハブ空港とされ、世界の航空業界は日本よりも韓国の方を重視するようになったと言われたものです。 韓国はアジアと世界を視野に入れた戦略思考を持っている、それに比べて日本はそんな思考が欠けていると評されていましたね。
そしてまた韓国では金大中大統領以降、死刑執行を行なっていません。 金大中自身が政治活動ゆえに死刑宣告を受けたことがあったことが関係したようで、死刑への拒否感があったものと考えられています。 このために死刑廃止論者たちは、日本は韓国に立ち遅れていると批判しました。 ちょっと前までは独裁国家とされていた韓国でしたが、今は死刑執行しておらず人権国家の仲間入りをした、日本は韓国に学ばねばならない、となったのです。
以上のように2000年代初め頃の日本では、ちょっと思い出しただけでこのような「韓国に学べ」という声が叫ばれたのでした。 そして2002年の日韓ワールドカップと2003年の「冬のソナタ」を契機とする韓流大ブームへとつながっていったのでした。
今の日本では信じられないでしょう。 つい数年前の文在寅政権時代、日本の雑誌には「韓国社会の『深刻過ぎる問題点』」とか「韓国の『最大危機』、いよいよ『アメリカから見捨てられる日』がやって来る」とか「平昌五輪と韓国危機」とか「サムスン共和国の崩壊が始まった」とかの見出しを付けていて、それが売れていたのですから。
「韓国に学べ」と仰ぎ見たかと思えば、20年経ったら見下す‥‥。 日本のマスコミさんは腰が据わっていないと言うべきでしょうが、それよりもそんなことに躍らされる日本人が情けないですね。
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