日本のかつての性風俗―夜這い2024/03/17

 前回で、昔の朝鮮の性風俗に少し触れました。

韓国語の雑学―客妾(객첩)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/03/10/9666292

 これに関連して、日本の夜這い風習を論じた赤松啓介についての拙稿を紹介しました。

赤松啓介の夜這い論 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/02/2596000    赤松啓介の思い出―差別と性 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/01/6831892

 今回は夜這い風習について、私が聞いたことを思い出しましたので、それを書いていきたいと思います。

 昔の日本に夜這い風習があったことは割と知られていますが、しかし具体的にどのようなものであったことは分からないものです。 赤松啓介さんによると、夜這い風習はそれぞれの村によって違いがあったそうです。

 ある村では、夜這いができる者はその村の男に限るとして、他の村から夜這いに侵入してくる男を排撃するために、村境に見張りを出していた。 そんな村があったということです。

 しかしそんな決まりがないというか、全くの自由な、今でいうとフリーセックス状態の村もあったそうです。 村で生まれた子供は父親が誰であれ問われることはなく、村の子供として村全体で育てていたという話もありました。

 夜這いのあり方は村それぞれで違いあるなんて、こんな話を聞き出すとは赤松民俗学のすごいところですね。

 赤松さんは自分の体験も含めて、夜這いの実態を話してくれました。 年頃の娘は家の中でも一番奥に寝かせるものですから、夜這いするには寝ている親の枕元を気付かれないように通り抜けて、その娘の部屋に行くことになります。 ですから男が夜這いに行こうと定めると、その家の中のどこに娘が寝て、どこに親が寝ているかをあらかじめ調べておかなくてはなりません。 そこで男は何か理由をつけて農作業などを手伝って、その家の構造をそっと調べることになるそうです。

 そしていざ夜這いを実行するのですが、その時に親に気付かれて怒鳴られて、あわてて逃げることになります。 昔の農家はみなさんご存じかと思いますが、トイレは屋外にあります。 夜にトイレに行こうとすると、暗闇の中を歩いて行かねばならないのですが、それが邪魔くさくて縁側のすぐ下に桶を置いておいて、そこに用を足すようになります。 夜這いが見つかって親から怒鳴られた男はあわてて逃げる時、この桶に足を引っ掛けることがあったそうです。 家の人が朝にそれを片付けるのですが、それを周囲から見つかって、あの家は昨晩夜這いに入られたんだなあと噂し合った、しかし夜這いはどの家でもやっていることだから、それで済んでいた、という話でした。

 ところがそんな村でも、謹厳実直というか、夜這いを許さない家があったそうです。 そんな家では夜にはしっかり鍵をかけているのでした。 こんな家には冬の夜に玄関や雨戸の下に外から水をぶっかけたと言います。 こうすると凍ってしまって、朝に開けられなくなります。 こんな悪戯をしたものだ、という思い出話もありました。  

 このような夜這い風習の村でも、戦争が進む時代になると、村から男が徴兵などでいなくなります。 残ったのは女ばかりで、それまで男がやっていた力仕事を女がしなければなりません。 そんな時代に、若い男が村に入ってきます。 そう、朝鮮人です。 朝鮮人は徴兵されませんでしたから、貴重な労働力として残っていたのです。 夜這い風習の盛んだった村では男日照り状態でしたから、この若い朝鮮人男は特に中年女性たちから目をつけられます。 男は昼は力仕事をして疲れているのに、夜はこういう女性たちが今日は私、明日はあんたと、夜這いに来るのです。 男は最初のうちは日本とはこんなところかと驚いて楽しんだが、ほとんど毎晩なのですぐに嫌になった、と言います。 

 この最後の話は赤松さんではなく、ある朝鮮研究者(佐藤勝巳さんだったかな?)から又聞きのそのまた又聞きで聞いたものでした。 強制連行なんていうが、こんなこともあるという話でした。 赤松さんの話と整合する部分があったので、私は本当のことだろうと印象に残っています。