関東大震災「倉賀野事件」-被害者は日本人では‥2024/04/10

 朝日新聞の4月9日付に、「関東大震災、判決に朝鮮人殺害の記述 政府『記録見当たらない』」と題する記事が出ました。  https://www.asahi.com/articles/ASS492SHBS49UTIL00TM.html?iref=pc_ss_date_article   https://news.yahoo.co.jp/articles/b71f0c71f918ce617dea98feefda1a0c8fa7333b

参院内閣委で9日、1923年の関東大震災時に群馬県高崎市などで起きた朝鮮人虐殺をめぐる政府の認識を問うやり取りがあった。政府側は「政府内に記録が見当たらない」とする従来の答弁を繰り返した。

立憲民主党の石垣のりこ氏は、「倉賀野事件」の判決を示した。判決によると、震災発生後の9月4日、現在の高崎市倉賀野町で駐在所に保護されていた朝鮮人男性を連れ出して暴行し殺害したとして、自警団を組織した被告ら4人に有罪が宣告されている。

法務省の担当者は、判決原本が前橋地検高崎支部に保管されていることを認めたが、内容については「裁判所の事実認定が正しいかどうか評価する立場にはない」と答弁した。林芳正官房長官も同様に答えた。

 これを読んで、あれ!? 倉賀野事件の被害者は朝鮮人ではなく、日本人(当時の言葉では「内地人」)だったのでは‥‥と思い、姜徳相・琴秉洞編『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』(みすず書房 1963年10月)を取り出して調べてみました。

 この資料集の437頁に、倉賀野事件があります。 これは「第五章 鮮人と誤認して内地人を殺傷したる事犯」の中の「第四 犯罪事実個別的調査表」で列挙された事件の一つです。

 内容は、「日時:9月4日午後9時」 「場所:群馬郡倉賀野町巡査駐在所付近」 「犯人氏名:島田政吉 外三名」 「被害者氏名:氏名不詳男一名」 「罪名:殺人」 「犯罪事実:巡査が被害者を保護中、駐在所より連れ出して殺害す」と記載されています。

 この資料によれば、事件は上述したように“内地人殺傷事例”に入っていますので、被害者「氏名不詳男」は朝鮮人ではなく日本人です。 ところが朝日新聞の記事では被害者は「朝鮮人男性」としており、その元となった資料は立憲民主党の石垣のり子さんが示した事件判決としています。

 ということは、事件は日本人が殺されたという資料と、朝鮮人が殺されたという資料との二つの相矛盾するものがあるということです。 みすず書房『現代史資料』が間違いなのか、石垣のり子・朝日新聞が間違いなのか、どっちなのでしょうかねえ。

 ただ『現代史資料』は60年以上も前に出版されていて、関東大震災朝鮮人虐殺事件を研究する上では必須のものです。 これまで間違いとされていなかったと思うのですが‥‥。

【関連する拙稿】

関東大震災―自警団は警察も襲撃した https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/10/9616540

関東大震災の日本人虐殺     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/15/8189607

【その他の拙稿】

関東大震災―自警団を擁護した政治家の発言 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/15/9617769

朝鮮人虐殺事件―自警団の言い分  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/05/9615245

関東大震災朝鮮人虐殺事件の犠牲者数の検証(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/31/9613843

関東大震災朝鮮人虐殺事件の犠牲者数の検証(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/26/9612591

関東大震災―朝鮮人虐殺 寄居事件 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/21/9611387

水野・文『在日朝鮮人』(19)―関東大震災・吉野作造 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/04/8169265

水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282

関東大震災時の「在日朝鮮人虐殺者」の数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/09/398058

関東大震災の朝鮮人虐殺  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163009

関東大震災「朝鮮人虐殺事件」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/01/8663629

「十五円五十銭」の練習―こんな在日がいるとは!? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/15/9347314

コメント

_ 辻本 ― 2024/04/10 16:42

 「倉賀野事件」で検索してみると、どの記事も被害者は朝鮮人と断定しているようです。
 しかし、みすず書房の『現代史資料』に触れているものは全くありません。
 関東大震災の朝鮮虐殺事件の研究に極めて重要な資料集なのに、なぜ触れなかったのかが理解できませんねえ。
 記事の中で、地元の人は〝被害者は朝鮮人ではなく青森の人のようだ"と伝えられているのが注目されます。

_ 竹並 ― 2024/04/10 22:50

コメント欄 >【辻本さま:… 記事の中で、地元の人は “被害者は朝鮮人ではなく青森の人のようだ” と伝えられているのが注目されます。】

以下の、これですかね?

>「殺されたのは朝鮮の人ではなく、青森県人らしい」/群馬の虐殺現場を歩いて
(BY K-CHOL 2023年8月2日、更新済み 2023年9月11日)

月刊イオでは、4月号から「関東大震災100年 虐殺現場を歩く」と題して、これまで実際に編集部が関東各地の虐殺現場に足を運び、紹介をしてきた。

筆者は、群馬県での虐殺(8月号掲載)を調べるため、6月某日群馬へ向かった。
     ・・・・・
「藤岡事件を語り継ぐ移民の会」の秋山博さん(71)の案内で、藤岡事件に関連する現場を歩いたのちに、現在判明しているもうひとつの虐殺現場へと足を運ぶ。

たどりついたのは、高崎市倉賀野町にある九品寺。 この墓地では自警団によって朝鮮人青年一人が虐殺された。 それらの事実は、『上毛新聞』の記事、1924年3月10日付前橋地裁高崎支部判決書によって明らかにされている(山田昭次編『関東大震災虐殺裁判資料2 群馬県関係』より)。

1925年、倉賀野町民によって九品寺に建てられた碑の前についたところ、一人の老人が声をかけてきた。 実際に現場を歩くことで、いわゆる「生の声」を聞くことができると少し前のめりになったが、次に発せられた言葉が、現場を歩いてきた体に重くのしかかってきた。
「この人はねぇ、朝鮮の人じゃねぇ。 青森の人らしいよ」

話を聞き進めてみると、「関東大震災が起きた当時は、倉賀野に外国人すらいなかった」という。 かれは「殺されたのは朝鮮の人ではなく、青森県人らしいんよ。 言葉に訛りが強いから間違われたのではないかな。 中には日本人や中国人でも殺された人が多くいるんよな。(中略) 元々倉賀野には外国人はいなかったと子どもの時からそれを言われているんよ」と話すのだった。

前述した山田昭次さんの本に示されているように、倉賀野町で起きた事件は判決書が残っており(最高で「懲役1年6月」と非常に軽いが)、「朝鮮人ではなかった」と結論づけるには、相当の根拠がいる。
     ・・・・・
https://www.io-web.net/ioblog/2023/08/02/91447/

_ 辻本 ― 2024/04/11 01:09

>「朝鮮人ではなかった」と結論づけるには、相当の根拠がいる

 『現代史資料』は根拠になると考えます。
 月刊イオの記者はこの資料集を読まなかったのでしょうが、その理由が分からないところです。

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