玄善允ブログ(2)―在日の錦衣還鄕がトラブルに2024/04/04

 玄善允さんのブログ「連作エッセイ『金時鐘とは何者か』2」  https://blog.goo.ne.jp/sunyoonhyun5867kamakiri/e/14b31cbf81eda5ac72f05dac66804bb5 のなかで、次の体験談に目が行きました。  

その一方で、両親が日本で懸命に働いて得たお金を済州に持ちこみ、親戚にばらまくと同時に、いつかはそこに帰って余生を過ごすために確保した不動産などを巡って、親戚や地元の多様な人々との間で深刻な争いが生じ、それを父の生前に解決しない限り、将来に亘って解決不能な問題を抱えかねない状況に追い込まれ、母からその解決のために、済州に同行するようにしきりに頼まれるようにもなっていた。

 玄さんは「両親が日本で懸命に働いて得たお金を済州に持ちこみ、親戚にばらまくと同時に」と書いておられますが、在日の間ではこれはよく聞く話でした。 1960~70年代、在日一世は日本の高度経済成長の波に乗って必死に働き、錦衣還鄕(錦を飾る)で懐かしの故郷を訪問します。 その時にお土産をたくさん持って村中に配り、またお金も親族らにバラ撒くことになります。 当時の日本と韓国とではかなりの経済格差があり、在日が持ってくるお土産やお金は日本での感覚では大した費用でなくても、韓国人には目もくらむようなものだったようです。 ですから韓国人には“在日はお金持ち”というイメージでした。 在日一世たちは、韓国の故郷でそのイメージ通りの振る舞いをしたのでした。

 ですから故郷の韓国人は在日親族に金品をたかるのは当然という気持ちになって更に近付こうとし、逆にたかられる在日、特に子や孫の二世以降はもう付き合っていられないとなって遠ざかろうとしますので、そこに感情の行き違いが生じます。 在日二世が親に連れられて韓国の故郷に行ったときの話を聞いてみると、親戚連中の悪口をよく言っていましたが、それはこんな事情でした。 一方、故郷の親戚たちはおそらく、“日本でお金持ちになっているのに구두쇠(けちん坊)だ”と悪口を言っていることでしょう。

 また在日一世と故郷の親族・親戚との間で財産トラブルがあったこともよく聞く話です。 一世はいずれ故郷に帰ろうと考えていた人が多く、日本で一生懸命働いてお金をため、故郷の朝鮮で生活できるように田畑を買い、時には自分が入る墓地を確保したりするのでした。 そういった不動産は故郷で両親の墓を守ってくれている兄弟などに管理を任せるのですが、問題が起きるのはこの時です。

 一番よく聞くのは、そういった土地を所有者の自分に断りもなしに勝手に処分された、という話です。 相手方の言い分は、一族で経済的に困っている家があれば助けるのが当然だ、日本では金持ちになったのだからその土地を売って一族のために使うのがなぜ悪い、とかになるようです。 もうちょっと詳しく聞くと、一族の中で頭のいい子がソウルの大学に行くことになり、その費用のために売った、というような話だったですねえ。

 玄さんのご両親も、詳しくは書いておられませんが、おそらくこれと同じようなトラブルが生じたようです。 私がなぜこれに目が行ったかというと、世に在日を論じる本はたくさんあっても、このような生々しいことに言及するような本は全くと言っていいほどにないからです。

 在日といえば“強制・剥奪・差別され続けてきた”という被害話が定番です。 そして、この定番イメージに合わない話は無視されるのでした。 在日は作り上げられた定番ではなくリアリティのある話をすべきであるということが私の考えで、今回は玄さんのブログを契機に書いてみました。

【拙稿参照】

在日韓国人と本国韓国人間の障壁 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/12/9641974