小松川事件は北朝鮮帰国運動に拍車をかけた2023/12/02

 1958年8月に発生した小松川事件の李珍宇について、以前に拙コラムで考察しました。(下記参照)

 その後、中公新書『北朝鮮帰国事業―「壮大な拉致」か「追放」か』(菊池嘉晃著 2009年11月)に、この事件について書かれているのを見つけましたので、紹介します。

折しも帰国運動が大規模化した1958年8月、東京都江戸川区で起きた都立小松川高校生殺害事件で、16歳の女子高校生殺害の容疑者として18歳の在日少年・李珍宇が逮捕(一・二審で死刑判決、62年に執行)されたことは、在日社会に一層暗い影を投げかけた。

61年に北朝鮮へ帰国しようとした李洋秀も、当時をこう振り返る。 「日本では未成年の犯罪者は死刑にならないのに、李珍宇は朝鮮人というだけで死刑宣告を受けた。(略)この事件は在日に、日本社会のあまりに冷酷な仕打ちをまざまざと見せつけた。 在日が日本での将来を見限って北朝鮮へ帰国する勢いに、ますます拍車をかける大きな要因となった」 (以上151~152頁)

 強姦致死と強姦殺人の二件の事件が四ヶ月の間に連続して起きたのですが、その犯人が当時18歳の李珍宇でした。 李は後者の同級生女子高生強姦殺人事件を犯した直後に、被害者宅に遺品の櫛や手鏡を送りつけたり、マスコミや警察に犯行声明の電話をかけるなどの挑発行動をしました。

 ですから非常に悪質な犯罪で、極刑はやむを得ないところですが、問題は李が未成年だったことです。 犯罪時未成年の死刑執行は果たして正当なものなのかどうか、これはその後も、そして今でも議論になっています。 

 それはともかく、当時の在日社会では〝李は朝鮮人だったから死刑になった″という話となって、日本社会における在日への厳しい差別の例として挙げられていたというのは初めて知りました。

 李が死刑判決を受け執行されたことは、単に極悪事件だったからだけでなく朝鮮人だったからというのは、そういう意見もあるだろうなあ、と思います。 しかし未成年死刑囚は戦後の混乱期にもかなりの数があり、執行された例もあります。 果たして、〝朝鮮人だから死刑を宣告された"と言えるのか、疑問を感じます。

 当時は北朝鮮帰国運動が盛んになっている時期でした。 この時に起きたのが小松川事件ですが、運動する側は李の死刑宣告を日本における朝鮮人差別の例として取り上げ、だから日本にいてはいけないのだと帰国運動をさらに広める材料にしていたことに〝へ―!そうだったのか!″と新鮮な驚きを感じました。

【小松川事件に関する拙稿】

小松川事件(1)―李珍宇救援を呼びかけた人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/04/9574532

小松川事件(2)―李珍宇と書簡を交わした朴壽南 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/08/9575512

小松川事件(3)―李珍宇が育った環境 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/12/9576502

水野・文『在日朝鮮人』(17)―小松川事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/15/8152243

コメント

_ 海苔訓六 ― 2023/12/02 23:11

例が適切か分かりませんが今回の小松川事件のブログ記事読んでいて「狭山事件」を思い出しました。
石川一雄さんは李珍宇と同じく普段の素行が悪くて狭山事件以前に色々問題を起こしていた札付きだったらしいです。
それが狭山事件が起きて、石川一雄さんが被差別部落民だったので、よく分からない胡散臭い人権団体などがしゃしゃり出てきて日本の社会的な構造問題などを持ち出して難癖つけて事態をややこしくしている。
石川一雄さんが事件に関わっているかどうかはこの際どうでも良いですが、
李珍宇と石川一雄さんも胡散臭い政治活動や人権運動に利用されている点では似ていると思いました。

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