水野・文『在日朝鮮人』(17)―小松川事件2016/08/15

1958年8月、都立小松川高校で女子生徒の遺体が発見され、翌月、18歳の李珍宇がこの女子生徒を殺害した容疑で逮捕された。 いわゆる「小松川事件」である。 李は、日雇労働者の父と半聾唖者の母との間に、貧しい亀戸の朝鮮人部落で生まれ育ち、日本名を名乗り、日本語しか話せぬ朝鮮人二世であった。 中学卒業後は、日立製作所と第二精工舎に国籍を理由に就職を拒否され、都立小松川高校の定時制に入学していた。 帰国運動というある種の民族運動が一大高揚期を迎え、民族という価値規範がその重みを決定的に増した時代にあって、李珍宇は、女子生徒ともう一人の女性の殺人の罪を問われて最高裁で死刑を言い渡された(62年11月執行)。 李自身は、自らが犯した罪と、朝鮮人としての出自や境遇を必ずしも結びつけて考えていたわけではない。 だが、多くの在日朝鮮人が李の境遇に我が子や自分自身のそれを重ね合わせて、行末の不安や絶望を抱いて、“社会主義の祖国”に一筋の希望を見出した(147頁)

 ここでは重大な事実が書かれていません。 李珍宇は二人の女性を殺害したのですが、二件とも強姦殺人事件です。 しかもそのうちの一人は高校の同級生でした。 更に李は、これは完全犯罪だとマスコミに電話して挑発したのです。 この事実を書かなかった理由は何なのでしょうかねえ。

 またこの本はこの事件について「多くの在日朝鮮人が李の境遇に我が子や自分自身のそれを重ね合わせて、行末の不安や絶望を抱いて、“社会主義の祖国”に一筋の希望を見出した」と記して在日朝鮮人問題と関連付けようとしていますが、いかがなものでしょうか。 李は自らの民族性とは全く関係なしに事件を犯したのです。

 李珍宇は極貧の在日朝鮮人家庭にたまたま生まれたサイコパスであって、事件は在日朝鮮人問題とは関係ないと考えるべきです。 一部の左翼・革新系知識人が在日問題にからめて救援活動を行ないましたし、今でも在日問題を扱うこの本のように必ずと言っていいほどに取り上げられていますが、これはやはり疑問と言わざるを得ないでしょう。 もしこの小松川事件を問題にするのなら、犯行時に未成年だった者に死刑を執行していいのかどうか、という点でしょう。

【関連拙稿】

在日の今後の見通し(犯罪率)について http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/25/6642370

「在日の犯罪と生活保護」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuurokudai

コメント

_ aiglon ― 2016/08/16 09:34

辻本様
「水野・文『在日朝鮮人』シリーズ」も17回になりましたね。全272ページ中、現在147ページの部分が扱われています。この分では恐らくシリーズは30回ほどになるのではないかと予測します。これほど問題点の多い本が、岩波新書の去年の出版物であると言うことに驚きと憤りを覚えずにはいられません。その問題点のほとんどすべてが、歴史学的検証を無視し、既存の俗説を盲信して追随し、好き放題にファンタジーを膨らませた虚構なのですから、なおさら暗澹とせざるを得ません。こうした悪意あるフィクションが歴史を僭称して、戦後長い間我々日本人の「良心」を匕首で刺してキリキリ揉むような効果を持ってきたのです。逆に問えば、こうしたフィクションを歴史学にして恥じない学者たちには、日本人・朝鮮人を問わず、学問的良心がないのかという強い疑念を抱かざるを得ません。特に日本人著者の水野氏に対しては学者として、恥じるところはないのかと詰問したい思いに駆られます。この本のアマゾンにおける批評コメントを見ると、称賛派も否定派も辻本さんがここで地道に指摘されている問題点などは、おそらくほとんど気づいていないだろうと想像されます。辻本さんのブログが貴重な由縁です。これまで拝見してきた辻本さんの論説を総合的に編んだ本が今一度出版されることを心から期待したいと思います。

_ (未記入) ― 2016/08/17 15:25

これまでの在日朝鮮人史の本では、大体似たり寄ったりのものばかりだね。   このブログで紹介されている水野直樹らの『在日朝鮮人』も、その流れのなかにある。 

論者はHPで、民団が出した『在日コリアンの歴史』についても、同じように細かく批判している。

『在日コリアンの歴史』の間違い  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuyondai

(続)『在日コリアンの歴史』の間違い http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuugodai

しかし、このような批判は、いくら客観的検証に基づいても、左翼・革新が優勢の歴史界には何の影響も与えていないことが問題だ。 

だから、同じ内容の在日朝鮮人史の本が繰り返し出版される。

_ 辻本 ― 2016/08/18 11:49

>岩波新書の去年の出版物であると言うことに驚きと憤りを覚えずにはいられません。その問題点のほとんどすべてが、歴史学的検証を無視し、既存の俗説を盲信して追随し、好き放題にファンタジーを膨らませた虚構なのですから、なおさら暗澹とせざるを得ません。

 先行研究をバカにしては、いけませんよ。 彼らの研究蓄積を十分に認めた上で、批判すべきものです。

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