日本人に伝わった朝鮮の「叩き洗い」洗濯文化2023/11/07

 伊東順子さんの『病としての韓国ナショナリズム』(洋泉社 2001年10月)を読んでいたら、次のような記述があり、驚きました。

愛知県には、戦前に三信鉄道という鉄道があり、その敷設工事に多くの朝鮮人が動員された。 そこで当時、賃金の未払いを理由に大規模な争議があったのだが‥‥ この争議が画期的だったのは、村人が争議団の支援に回るなど、当時としては朝鮮人と日本人との関係が破格によかったことだ。 そのせいか、朝鮮人が去ったあとも、村人は朝鮮式の「叩く洗濯」を真似し、戦後、洗濯機が普及するまで、どこの家庭にも洗濯棒が残っていた。 (117頁)

 三信鉄道というのは今のJR東海の飯田線のことで、敷設工事は昭和4年(1929)に始まり、同12年(1937)に開通したものです。 争議は工事に従事した朝鮮人たちが賃金の支払いを求めて1930年から断続的に起こしたもので、日本の全協(戦前の労働組合ナショナルセンターである「日本労働組合全国協議会」の略)からの支援もあったとされます。 この争議に日本人も協力したのです。 戦前における朝鮮人と日本人との連帯として、かつて取り上げられていましたねえ。 この争議の際に、朝鮮式の「叩き洗い」洗濯文化が日本人に伝わったというところにビックリしたのです。

 日本における洗濯の歴史は、戦国時代までは足踏み洗い、戦国時代になってタライの横にしゃがんで手もみ洗いへと変化して江戸時代に続き、明治時代に西洋から洗濯板が入ってきてタライに洗濯板を使って洗うようになり、これが戦後の洗濯機の普及まで続く、というものです。 ですから日本にはもともと「叩き洗い」がありませんでした。

 一方、朝鮮の叩き洗いは時おり韓国ドラマに出てくるし、また中国から鴨緑江越しに撮影される北朝鮮の映像にも出てくることがありますので、ご存知の方も多いのではないかと思います。 朝鮮での古来からの洗濯方法は「叩き洗い」でした。 ですから愛知県での叩き洗いは、三信鉄道争議の際に朝鮮人から日本人へと伝わった文化と見て間違いないでしょう。

 ところで朝鮮では男性が洗濯するという文化がありませんので、おそらく「叩き洗い」をしていたのは朝鮮人女性と思われます。 とすると洗濯をしていたのは、三信鉄道敷設工事に動員された朝鮮人男性たちの身の回りの世話をしに来た朝鮮人女性ということになるでしょう。 こういう女性が周囲の日本人に「叩き洗い」を伝授したのではないか、という推測が成り立ちます。

 なお日本でも洗濯は女性が担うとされていましたが、実は日本では明治時代以来の兵役義務により男性が徴兵されるのですが、軍服や下着などは自分で洗濯することを厳しく躾けられました。 ですから兵役経験のある男性は、除隊後も自分で洗濯する人が結構いたようです。 愛知県で朝鮮から伝わった「叩き洗い」文化も、日本人男性が担ったかも知れません。

 日本の「叩き洗い」は愛知県のごく一部にワンポイントで伝わったのみで、全国に広がりませんでした。 日本における洗濯の歴史の中の、ほんの小さなエピソード的な話でしかないでしょう。 たまにはこういう役に立たないお話もいいじゃないかと書いてみました。

【「叩き洗い」と「砧打ち」の違い】

 朝鮮の「叩き洗い」を「砧打ち」と間違える人が多いですね。 「叩き洗い」は洗濯物を川に持って行って、水に浸けながら川原の平べったい石の上に置き、木槌で叩いて汚れを落とす作業です。

 「砧打ち」は、汚れを落とした洗濯物を家に持ち帰って干し、生乾きの段階で「砧」の台に畳んで載せて叩く、あるいは棒に巻きつけて叩く作業で、これによってしわを取りつやを出します。 今でいうと、アイロン掛けに相当します。

 「叩き洗い」と「砧打ち」は作業工程が違うし、道具も違います。 しかし日本では砧打ちの風習が明治時代に消え去ったために「砧」がどういうものか分からなくなったためか、朝鮮の「叩き洗い」を「砧打ち」と間違って言うのですねえ。 

【朝鮮の洗濯と砧―拙稿参照】

砧(きぬた)―日本の砧・朝鮮の砧― http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku18dai.pdf

第107題「砧」講演 (続) ―日本の砧・朝鮮の砧― http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakunanadai

第66題 砧(きぬた)    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai

韓国の足踏み洗い         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/18/1733824

韓国ドラマにおける洗濯場面       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/11/23/2453257 

【朝鮮の砧に関する拙稿】

砧を頂いた在日女性の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618

砧を頂いた在日女性の思い出(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008

砧を頂いた在日女性の思い出(3)―先行研究 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/12/9304894

砧を頂いた在日女性の思い出(4)―宮城道雄 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/22/9308333

砧を頂いた在日女性の思い出(5)―宮城道雄(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/11/02/9312276

朝鮮で活躍した宮城道雄      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/05/6435151

「演歌の源流は韓国」論の復活   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/10/6285379

第66題 砧(きぬた) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai

第90題 朝鮮の砧  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuudai

第106題 砧 講演  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakurokudai

第107題 砧 講(続)  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakunanadai

第108題 「砧」に触れた論文批評  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuhachidai

第109題 ネットに見る「砧」の間違い  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakukyuudai

第114題 韓国における砧の解説  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/hyaku14dai

第115題 다듬이  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku15dai.htm

第118題 砧―日本の砧・朝鮮の砧 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku18dai.pdf

北朝鮮の砧               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/22/2523671

砧という道具              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/05/2545952

韓国ロッテワールドの砧          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/11/5080220

韓国ロッテワールドの砧のキャプション  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/12/5082741

砧ー日本の砧・朝鮮の砧         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/05/6888511

角川『平安時代史事典』にある盗用事例  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/07/1377485

「砧」と渡来人とは無関係        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/14/1403192

「砧」の新資料(1)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/09/6655266

「砧」の新資料(2)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/10/6656721

「砧」の新資料(3)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/11/6657527

「砧」の新資料(4)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/13/6659222

「砧」の新資料(5)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/14/6659970

「砧」の新資料(6)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/16/6661166

佐藤春夫の「砧」            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/05/8008944

韓国語の雑学―남부여대(男負女戴)2023/11/14

 韓国の雑誌を読んでいたら「남부여대」という言葉が出てきました。 初めて見る単語で、何だろうと思って調べてみると、漢字で「男負女戴」と書きます。 日本語にはなく、中国語にもないようなので、韓国語だけで使われる四字熟語(사자성어)と思われます。

 http://www.jejupress.co.kr/news/articleView.html?idxno=84557 に少し詳しく説明されているので、訳してみました。

男は背に負い、女は頭に荷物を載せる。 貧しい人や災難に遭った人たちが生きる場所を求めて、あちこちを流浪することを指す漢字熟語。

ここで「負」は荷物を背中に負うという意味で、「載」は荷物を頭に載せるという意味である。 十分に暮らすことのできる所がなくで、あらゆる苦労をなめながら居場所をあちこちに探して痛ましいくらいに流浪する姿を、背に負い頭に載せると比喩して表現した言葉である。 「男負女戴の避難民の行列が果てしなく続いていた」「虐政に耐えられなかった百姓たちが男負女戴しながら慣れ親しんだ故郷を離れた」などが使用例である。

男負女戴より意味が弱いが、〝朝には北方の秦国で、夕方には南方の楚国で暮らす"という意味の「朝秦暮楚」も似た言葉だ。 その他に〝風に吹かれながら食べ、露に濡れながら寝る"という意味で、流浪して苦労するということを比喩した「風餐露宿」も、貧しく苦しみながら暮らすという点で「男負女載」と通じる。

 70年前の朝鮮戦争の報道写真で多数の避難民が南に逃れる姿がありましたが、まさに「男負女載」ですねえ。 男負女載はこれをイメージすればいいのでしょう。 なおこの時の写真には若い男性はおらず、年寄りが荷物や子供(孫)を背負い女性が頭に荷物を載せて避難する姿です。 男は戦争に駆りだされて、残された父母と嫁が子供を連れて避難しているものと思われます。

 なお上述したように「男負女載」に相当する日本語はありません。 強いて言うなら昔の演歌にある村田秀雄の「夫婦春秋」ですかねえ。 ただし「夫婦春秋」は平時における家族の苦労がテーマですから、有事に避難する「男負女載」とはちょっと違いますねえ。

【拙稿参照】

韓国語の雑学―전산이기(電算移記) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/06/17/9594956

韓国語の雑学―賻儀  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/11/26/9543701

韓国語の雑学―将棋倒し http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/15/9235466

韓国語の雑学―下剋上  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/22/9237987

韓国語の雑学―「クジラを捕る」は包茎手術の意 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/10/9325273

韓国語の雑学―내로남불(ネロナムブル) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/04/9334079

韓国語の雑学―東方礼儀の国    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/17/9388692

韓国語の雑学―동족방뇨(凍足放尿) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/09/02/9418323

朝鮮民主主義人民共和国の正統性は何か?2023/11/21

 1970年代に、朝鮮総連の方と話をしていた頃のことです。 当時の在日朝鮮人は日韓条約に基づく協定永住権を得るために朝鮮籍から韓国籍へと替える人が多かった時で、朝鮮総連はこれに危機意識を持ち、韓国籍への切り替え阻止の運動をかなり激しくやっていました。 ですからその総連の方も、なぜ韓国籍を取るのが間違いであるかを一生懸命に説明してくれました。

 それは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)にこそ国家正統性があるのであって、南朝鮮(大韓民国)には国家正統性がないということでした。 もう少し詳しく言うと、1948年に朝鮮全体で選挙を行なって代議員を選出し「朝鮮民主主義人民共和国」の樹立を決定した、それに対しアメリカ軍が支配する朝鮮南部では最初から北を無視して南だけの単独選挙を強行させて「大韓民国」という傀儡政権をつくったもので国家正統性はないという説明でしたね。 

 その時私は、朝鮮民主主義人民共和国は朝鮮全体で選挙した結果樹立された国家であるのに対し、大韓民国は南半分だけの選挙で樹立したのであるから韓国より北朝鮮の方に正統性があるし、北朝鮮が統一を目指すのは当然のことだと思いました。 ですから韓国を表示する時、総連の主張するように必ず「韓国」と括弧を付けていたのでした。

 それから今までこのこと(正統性)にさほど関心を持たなかったのですが最近になって、朝鮮民主主義人民共和国を正統であることの根拠として挙げられた全朝鮮での「選挙」について、米軍政下にあった南朝鮮ではどういう「選挙」をしたのかが気になり、ちょっと調べてみました。

 実は南朝鮮では「地下選挙」で選ばれた代表者が海州という所に集まって「人民代表者会議」を開いて最高人民会議に出席する代議員を決め、そして南北の代議員が集まった「最高人民会議」で「朝鮮民主主義人民共和国」の樹立が決定された、という経過でした。

 金石範・金時鐘『なぜ書き続けてきたか なぜ沈黙してきたか』(平凡社 2015年4月)という本の中に、文京洙さんが南での「地下選挙」とそれに続く人民代表者会議「海州会議」について、次のように解説しています。 なおこの本は済州4・3事件をテーマにするものですから、その事件に関連付けて解説されています。

海州会議: ‥‥北側は、南の単独選挙に対抗して、独自の議会と政府づくりを目指した南北両地域での統一選挙の方向を打ち出す。 北朝鮮地域では、直接、最高人民会議代議員(国会議員)を選出するものとされたが、それが難しい南では地下選挙で選ばれた代表者が北朝鮮の海州で「人民代表者会議」を開いて代議員を選出するという間接選挙の方式が取られた。 7月、済州島でもこの地下選挙が実施され、8月初めには、武装隊司令官・金達三など6人の南労党幹部が「人民代表」として密かに済州島を抜け出し、北に向かった。 海州の会議(8月21~26日)では金達三が演壇に立って済州島での「戦果」を報告したが、そのことは、済州島の蜂起勢力と北との結びつきを公然と示す結果となった。 4・3事件は、その出発点では警察や右翼の横暴に対する自衛的な反撃という性格を帯びていた。 しかし、いまやそれは、南北の分断政権の正統性をめぐる争いの文脈にはっきりと位置づけられ、国際冷戦の最前線に生まれた南北の分断政権が交えるかもしれない“熱戦”の前哨戦としての意味をもち始める。 (『なぜ書き続けてきたか なぜ沈黙してきたか』 263~264頁)

 「海州会議」で検索すると次のような論文で触れられており、この文さんの解説には根拠があるものと判断できます。

北朝鮮人民会議は、前述の第5次会議で最高人民会議選挙の実施を決定し、8月25日、選挙が実施され、212名の代議員が選出された。 これと時期を同じくして、8月21日から26日まで海州で南朝鮮人民代表者大会が開催された。 この大会の開催は、6月29日から7月5日まで開かれた南朝鮮諸政党・社会団体指導者協議会において、南朝鮮では最高人民会議選挙を公開で行なえないために、南朝鮮各市・郡の代表を海州に集め、最高人民会議代議員を選出することに決定したからであった。 この大会で南朝鮮の諸政党・社会団体の代表1080名が360名の代議員を選挙した。 9月2日から10日まで、南北の代議員を集めて、第1次最高人民会議が開催され、朝鮮民主主義人民共和国の樹立と政府要員が発表された。 南朝鮮の代表を形式的にせよ、参加させることによって、8月15日に樹立された大韓民国の正統性を公式に否定した。 したがって、大韓民国は完全に打倒されなければならなかったのである。 (「第2章 北朝鮮における党建設」  http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/S43kenkyu.htm 61~62頁)

やがて、南北朝鮮で単独政権樹立のやむなき情勢があきらかになると、北朝鮮においても、北朝鮮の政権が全国的基盤の上になりたつことを装わねばならなかったので、そのための準備に力がそそがれた。 ‥‥ 北朝鮮の発表にしたがえば、南朝鮮でも、8月上旬秘密裏に地下選挙がおこなわれ、その結果南朝鮮代表1080名が選出され、これらの代表者は8月21日から26日にかけて北朝鮮の海州で、「南朝鮮人民代表者大会」を開いて、そのなかから360名の最高人民会議代議員を選出した。‥‥ 9月9日‥ここに朝鮮民主主義人民共和国政府が成立した。 ‥‥ アメリカ帝国主義と売国奴たちが南朝鮮に単独カイライ政府を樹立し、わが民族を永遠に両断しようとして最後のあがきを見せている現在の条件のもとにおいて、南北朝鮮人民の総意によって樹立された中央政府‥‥ (尾上正男「朝鮮民主主義人民共和国の成立」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/asianstudies/10/2/10_13/_pdf/-char/ja 27~30頁)

 南では「地下選挙」によって代表者が選出され、その代表者が北の海州に集まり「南朝鮮人民代表者会議」を開いて代議員を選出して「最高人民会議」に送り、ここで「朝鮮民主主義人民共和国」の樹立が決定された、だから朝鮮民主主義人共和国は朝鮮全体を唯一正当に代表する国家であり、南の地にできた「大韓民国」なるものは正統性がない、というのが北朝鮮や朝鮮総連の主張なのです。 これまで薄ぼんやりした知識だったのですが、ようやくはっきり分かってきました。

 それでは「地下選挙」とは何か? 名前からすると、“公開されずに秘密裏に行われた選挙”という意味のようですが、一体どのような選挙だったのでしょうか? 「済州四・三平和財団」が2016年に出版した『済州4・3事件の理解』と題する本には、済州島における地下選挙について次のように触れられています。

1948年7月中旬に南半部全域で「地下選挙」が開かれた。それは北朝鮮の政権樹立に伴うものだった。 四・三の渦中にあった済州道での地下選挙は主に白紙に名前を書いたり、拇印を押したりする場合が多いものだったが、後にそれが仇となって甚大な人命被害が発生することになる。 「白紙捺印」したことが罪になって、銃殺の原因になったのだ。 (25頁)

 どうやら「地下選挙」とは南労党(南朝鮮労働者党)の支配地域だけで行なわれたようです。 中身は南労党の指名する者を代表者として選ぶ(ただし選択肢がない)もので、しかも記名投票(投票用紙には誰がこの投票をしたかが分かる)で、信任の白紙投票しかできなかったようです。 これを「民主主義」と呼べるかどうかは難しいところです。 だいたい共産主義政党・国家の選挙というのはこういうもので、彼らはこれを「民主的」だと言い張るからです。 我々の常識からすると、かけ離れています。

 中身はともかく、朝鮮では北も南も含めて全朝鮮で一応「選挙」なるものが実施され、「最高人民会議」が開かれて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が樹立されたのでした。 ですから北朝鮮は自分たちこそが朝鮮全体の唯一正当な国家であり、南に作られた「大韓民国」は傀儡であると否定することになります。 つまり北朝鮮は、南に攻め入って韓国を消滅させて朝鮮の統一を成し遂げるという大義名分を獲得したのでした。 この大義名分に基づき北朝鮮は2年後に朝鮮戦争を起こし、その後は韓国に工作員や戦闘員を潜入させたり、韓国を変革させる運動を支援・扇動するなどして現在に至っています。 朝鮮統一を成就せねばならないのは我が北朝鮮であるという大義名分は、今なお継続して生きています。 だから朝鮮の統一は、韓国と協議するものではないとなります。

 50年前に朝鮮総連の方から、北朝鮮は朝鮮全体で行なわれた選挙によってできた国家だから正統性がある、対して韓国は正統性がなく存在してはならない国だと説明してくれたことが今やっと理解した次第です。 ちょっと遅すぎですね。 

 周囲の人々は平和と和解を望んで、北朝鮮も韓国もお互い国家として認め合って統一に向けた話し合いをすればいいのではないかと思うでしょう。 また数年前に北朝鮮の金正恩総書記と韓国の文在寅大統領とが話し合ったのは互いに国家として認めたということではないのか、とも思うでしょう。 しかしこれは北朝鮮にとっては、南の政権がすり寄ってきたから相手にしてやった、となります。 別に言うと、朝鮮統一の協議はアメリカだけが相手であって、南はそのアメリカの橋渡しをやるというので付き合ってみただけで、韓国はいつまでも否定の対象である、ということに変わりはありません。

 まとめますと、「朝鮮民主主義人共和国」は全朝鮮を代表する国家であり、だから南朝鮮をも支配・統治することが当然であり、「祖国の統一」とはそれを意味する、というのが北朝鮮・朝鮮総連の考えで、その根拠はかつて南で実施された「地下選挙」である、というのが今回のお話です。

 なおもう一方の「大韓民国」の正統性については、拙論では下記で少し触れましたので、ご笑読いただければ幸い。 要は、韓国は国連決議195号(Ⅲ)に示される限りの正統性が国際的に認められている、ということです。 韓国は南だけでの選挙によって韓国政府が樹立されたのであって、全朝鮮を支配・統治することが認められたのではありません。 韓国が北朝鮮に攻め入って併合するような統一(いわゆる北進統一)は認められていないのです。  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuudai

人を試す質問―731部隊を知っていますか?2023/11/25

 11月20日付け毎日新聞に、「私が思う日本―外国特派員が見た 日韓の歴史認識ギャップ/核議論のタブー視 成好哲氏/デイビッド・マックニール氏」と題する記事がありました。  https://mainichi.jp/articles/20231120/ddm/007/070/104000c 有料記事ですので、関心のある方は図書館にでも行ってください。

 これによれば、朝鮮日報東京支局長の成好哲さんは、日本人に会うたびに「731部隊を知っていますか?」と尋ねるそうです。 主要部分を引用・紹介します。

昨年5月に東京支局長に就任して間もないころ、日本人の知人とのランチの席で、「戦後最悪の韓日関係」をテーマに語り合っていた時のことだ。 韓日は歴史にとらわれず、同じ価値観を共有する国家としてアジアの安全保障と経済に貢献すべきだという結論へ話は向かっていた。 従軍慰安婦、徴用工、BC級戦犯、731部隊など歴史問題が幅広く話題になる中で、知人は問い返してきた。「他は分かりますが、731部隊とは何のことでしょうか」

記者はそれ以降、機会があれば日本人に「731部隊を知っていますか」と質問することにしている。 「分かりません」という答えが大半だ。

2013年、韓国で1枚の写真に「反日」の国民感情が刺激され、物議を醸した。安倍晋三首相(当時)が宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪れ、練習機の操縦席で親指を立てた写真だ。 機体の側面には日の丸とともに、機体番号が「731」と記してあった。

日本人は731部隊を知らない。 しかし、韓国人は記憶している。

記者はいまも日本人に会うと尋ねる。「あなたは731部隊を知っていますか」

 「731部隊」はこれまで日韓間の外交問題に上がったことが全くなく、またこれからも外交問題化する可能性はほとんどありません。 かつて真相究明を求める裁判がありましたが十数年前までにすべて敗訴し、マスコミ報道もほとんどなくなりました。 ですから現在の日本にとってそれほど重要視されるものでもなく、また将来の問題でもありませんから、今の日本人では近代史に関心を持つ者でなければ知らないのが普通でしょう。 安倍さんが乗った自衛隊機の番号がたまたま「731」だったことで、これを昔の「731部隊」と連想する人がいなかったのは、それはそうだろうと思います。

 しかし朝鮮日報東京支局長さんは日本人に会うたびに「731部隊を知っていますか?」と質問します。 これは「731部隊」について、 〝自分はこの歴史をよく知っている、相手は歴史に無知のようだからこういう質問をしてやろう"という意図があるものです。 そしてどういう答えをするかによって相手を見極めようとする質問です。 要は、〝人を試す"ものなのです。

 このブログでも、かつてはこういう〝人を試す"質問がよく来たものです。 「強制連行とは何か?」「日韓併合は不法か?」「関東大震災で朝鮮人が虐殺されたことが事実だったか捏造だったか?」のような質問です。 自分は正解だと思う答えを持っていながら〝相手がどう答えるかを試してみよう、こちらに反する答えが返ってくればそれをネタに攻撃してやろう"と待ち構えているのです。 こういう〝人を試す"質問は答える方がただ消耗するだけで、意味がないです。 こういう質問者に〝もっと勉強してください"とか反問すると、逆切れされるのが常ですね。

 ただ大学などで教官が学生に、ちゃんと調べたのかどうかを確認するために〝試す"質問をすることがあります。 しかしこれは師弟間における指導・被指導で、信頼のうえに成り立つ上下関係があるから意味があるのです。

 朝鮮日報東京支局長さんの「731部隊を知っていますか?」は、〝自分たち韓国人は歴史の真実を知っている、しかしあなたたち日本人は歴史の真実を知らない"として見下しているようなので、私なんかはちょっと不愉快になりますね。