砧を頂いた在日女性の思い出(4)―宮城道雄2020/10/22

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/12/9304894 の続きです。

 前述したように、私は在日一世の女性から砧道具を頂いて、朝鮮と日本の砧に関する資料を集め、論稿を発表しました。

 ところで「朝鮮の砧」といえば、忘れてはならないのが宮城道雄です。 宮城道雄は明治40年(1907)9月から大正6年(1917)2月までの10年間朝鮮に居住し、その間に邦楽を極め、日本伝統音楽家として数多くの作曲をし、名声を得ました。 そのなかに「唐砧(からきぬた)」という砧打ちをテーマにした曲があります。 そして宮城は日本帰国後も「砧」「遠砧」を作曲します。 これらは今でも筝曲の演奏会などでよく聞く曲です。 お琴を習う人によると、練習曲にもよく使われているそうです。

 砧は日本では明治時代に廃れてしまい、砧を打つ音が聞こえなくなりました。 ですから明治27年(1894)生まれの宮城は、日本の砧打ちの音を聞いたことがおそらくありません。 しかし朝鮮では砧を打つ風習が盛んでした。 従って宮城が朝鮮滞在中に作曲した「唐砧」は、朝鮮女性が砧を打つ音を聞いて、それを音楽に取り入れた曲だということが分かります。 その後の「砧」「遠砧」も、宮城が朝鮮で聞いた砧の音をメロディー化したものなのです。

 これらの曲を聞いてみますと、砧を打つ場面でテンポが速くなります。 これを解説しますと、朝鮮の砧は二人の女性が砧の道具を間におき、それぞれが両手に砧槌を持って二人同時に交互に打ちます。 だから朝鮮の砧の音は元々テンポが速いのです。 一方日本の砧は、絵画資料しかありませんが、砧槌を片手に持って打ちます。 二人で打つこともありますが、一人で打つ資料も多いです。 従って砧の音のテンポは朝鮮のそれよりゆっくりとなります。 この点からも、宮城の「砧」等の曲のテンポの速さは、朝鮮女性の砧打ちをメロディー化したからだと言うことができます。

 ところで朝鮮の女性たちは砧打ちの際に、歌を歌ったりすることはなかったようです。在日一世のおばあさん何人かに砧の話を聞きましたが、歌なんか歌う余裕はなかったという話ばかりでした。 実際に朝鮮の民謡・俗謡などに、砧は出てきませんねえ。 従って宮城が朝鮮の砧の音をメロディー化した最初の人と言えるのではないか、と思います。

 しかし韓国・朝鮮人は在日でも本国でも、宮城にほとんどと言っていいほど関心がありませんねえ。 対象的なのは演歌の古賀政男です。 古賀の曲には朝鮮に関係するものは全くと言っていいほどにありません。 しかし何故か、古賀政男は朝鮮に住んでいたことがあるから演歌の源流は韓国だ、などと声高に言う韓国・朝鮮人が目立ちますね。

【拙稿参照(宮城道雄)】

朝鮮で活躍した宮城道雄      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/05/6435151

ネットに見る「砧」の間違い   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakukyuudai

「演歌の源流は韓国」論の復活      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/10/6285379

【これまでの拙稿】

砧を頂いた在日女性の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618

砧を頂いた在日女性の思い出(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008

砧を頂いた在日女性の思い出(3)―先行研究 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/12/9304894

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