小松川事件―民族問題を絡めてはならない(1) ― 2024/11/03
66年前の1958年に発生した小松川事件は在日朝鮮人が起こした凶悪事件ですが、これに民族問題を絡めて救援活動が行われたので、在日朝鮮人の歴史を語る本などでは必ずと言っていいほどに出てきます。 拙ブログでも取り上げたことがあります。
犯人の李珍宇は事件について民族問題と絡められることに困惑していたという証言がありましたので紹介します。 出典は加賀乙彦『ある死刑囚との対話』です。 加賀はバー・メッカ殺人事件の死刑囚である正田昭と手紙をやり取りしていて、その内容を本にしました。 このなかで正田は東京拘置所で同囚の李珍宇に出会い、話を交わしていたというのでした。
R(李珍宇)は生前私に、自分の犯罪が在日朝鮮人一般の問題として広く展開されてゆくことに戸惑い、困ってしまう‥‥と申しておりました。 (加賀乙彦『ある死刑囚との対話』弘文堂 1990年3月 78~79頁)
李珍宇は死刑囚として東京拘置所にいた際に、同じく死刑囚で同じ拘置所にいた正田昭にこのような話をしていたのでした。 この証言はそれが出てきた経過から、内容に間違いがないと思われます。 “自分の犯罪は民族問題ではない”ということです。
次に正田は李珍宇の事件について考察します。 正田は同じ死刑囚として李と話を交わしたというのですから、その発言内容には重みがあると思います。 それを紹介します。 正田はもともと学があり、囚人生活のなかで小説家にもなりましたから、文才があると言っていいでしょう。 紹介する文には当時のインテリらしい表現が出てきますが、今ではちょっと読みづらいかも知れません。
R(李珍宇)少年の場合、その行為から考え、大江健三郎氏にしろ、他の論者にしろ、何故最も根源的理由とごく普通に認められているものを見過ごしているのか、不思議でなりません。 それは性欲、それも異常に強い性欲です。 単に禁断的状況にあるが故ならず、明らかに一般より数倍する外部からうかがえる、かつ昼間においても自瀆しないでいられぬ程の人間が為した強姦殺人‥‥ (同上 66頁)
「自瀆」なんて、今は知る人がいないでしょう。 オナニー(自慰・手淫)のことです。 事件について大江健三郎などが民族問題を言っているが、「根源的理由」は「異常に強い性欲」である、というのが正田の考えです。
李少年の犯罪が単純に性欲のためだとする考え方の方に、私は賛成です。 (同上 69頁)
「女の人を自転車から引きずり下ろしたとたん、僕は夢を見ているようだったと。 これは夢なんだと思った」と。 すなわち、彼は女の人の体に触れたとたん ‥‥自分の行為は理性(精神)によって律しられておらず、肉体の支配に委ねられたことを感じ、だからこそ「夢を見ている」と覚えたのです。 ひとたび、肉体の論理が人間を支配すると、行為はとことんまで行く。 原始的で凶暴なものが噴出し、その最後まで行ってしまう。 李少年の殺人はかくして成就し‥‥ (同上 70頁)
李珍宇は自分の事件を「夢を見ている」と言っているんですねえ。 ここらあたりは私には理解できませんが、正田は同じく殺人事件を犯した体験から、李がその時の自分自身の精神状況を「夢」と語ったことが理解できるようです。 それは、後先も何も考えずに湧き上がる感情のまま行動したのが強姦殺人だった、それはまるで夢の中のようだった、ということなのでしょうか。
殺人という異常な行為は李のように「夢」と感じられる。 つまり非現実的な世界の出来事として感じられる。 なぜなら精神にとって肉体は常に非現実的なものなのですから。 このことはドストエフスキーが、おそらく世界で初めて発見したことではないでしょうか。 (同上 70~71頁)
李珍宇は凶悪犯罪行為を実際に行なっていながら、「非現実的な世界の出来事」すなわち「夢」と感じているということですね。 正田はドストエフスキーを引っ張り出してきて、李の「夢」が分かると言っているようです。 私はドストエフスキーをほとんど読んだことがないからでしょうか、ちょっと理解できませんねえ。
在日朝鮮人であること、圧迫された人間であることは、彼の犯罪とは無関係かどうか、 この点について私は無関係だとは言い切れない。 ただそれが第一義的なものではないといえる (同上 71頁)
民族問題は第一義ではないというのは、私もその通りと考えます。(続き)
【拙稿参照】
小松川事件(1)―李珍宇救援を呼びかけた人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/04/9574532
小松川事件(2)―李珍宇と書簡を交わした朴壽南 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/08/9575512
小松川事件(3)―李珍宇が育った環境 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/12/9576502
水野・文『在日朝鮮人』(17)―小松川事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/15/8152243
小松川事件は北朝鮮帰国運動に拍車をかけた https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/02/9639109
小松川事件―民族問題を絡めてはならない(2) ― 2024/11/08
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/03/9728638 の続きです。
彼の抑圧され続けた在日朝鮮人としての苦しみと怒りは、それとして十分に認められるとしても、それらはすべては殺人という行為の瞬間には、性欲という原始的衝動の前に著しく重みを失い、行為の後、おのが行為を自他に分析し、説明し、弁明するにあたって、初めて注目され、重みを回復し、必要以上に幅を利かせ始めるのです。 そのことはR(李珍宇)自身の、行為の理由についての発言の“どうもよく分からない‥‥自分でも‥‥”というところや、また特に被害者がその犯罪時に、果たして絶対に日本人であって同胞でないという確認などを一切していないこと、要するに性欲のはけ口としての<女>でありさえすれば、それで十分であったらしい事からも十分にうかがわれるところです。 (加賀乙彦『ある死刑囚との対話』弘文堂 1990年3月 74~75頁)
「彼の抑圧され続けた在日朝鮮人としての苦しみと怒りは、それとして十分に認められるとしても」は、李珍宇と何度も往復書簡を繰り返した朴壽南が李に民族意識を持たせようと説得したり、日本の知識人たちが「李少年をたすける会」という支援組織を作って世間に訴えた民族問題を指しているようです。 しかし正田は、そんな民族問題は「殺人という行為の瞬間、性欲という原始的衝動の前に著しく重みを失う」と主張します。 つまり李珍宇は民族とは関係なしに「性欲のはけ口としての女」でありさえすれば誰でも襲ったであろうと正田は言うのですが、その分析は正しいと考えます。
ところで李珍宇は第二審判決の6カ月後に、事件を起こした心境について、支援者で往復書簡を交わした朴壽南に次のような手紙を送っています。
私は二つの事件を起こしましたが、あのまま捕われなかったなら、機会あるごとに更に人を殺したことは確かです。 私が捕われてから、何の後悔も見せず、むしろ快活に振る舞ったことは、少なくとも故意ではなく、それは自然でした。 何故なら、私は自分の罪に対して何の後悔も感じていなかったからです。 私は人を殺したことについて何の後悔も感じませんでした。 私は捕われてからも、もしも自分が社会に出たら、また人を殺すかも知れない、ということを感じていました。
第一に、私は人を殺すということについて、何の感動もないのです。 この本性、これは今の、現在の私の心に相変わらずあるのです。 理性、心を考えに入れず、人を殺すという行為そのものを見る時、現在の私は、以前と同じように、それを容易に為し得るという本性を感じています。
‥‥親思いの私も、この本性には打ち勝てませんでした。 私が罪を犯さないのは、その機会がないからかも知れません。 あるいは親を悲しませたくないからかも知れません。 あるいは窮屈な刑務所に入りたくないからかも知れません。 とはいえ、私の本性はそれによって何にしても、無感動なこの本性にたいして堪らない憎しみを感じています。 私は被害者のこと、家の人たちのことを思って涙を流しました。 しかしそれは、ただの涙で、私の本性は無関心です。 (以上、朴壽南編『李珍宇全書簡集』 新人物往来社 昭和54年2月 192頁)
李珍宇は「本性」という言葉を使っていますが、“強姦殺人衝動”という意味のようです。 その“衝動”が一旦湧き上がると、そのまま実行するだけで、そこには「後悔」も「理性」も「心」もなく、「無感動」「無関心」であり、涙を流してもそれは「ただの涙」にしか過ぎない、ということです。 李が事件は「夢」のなかで行なわれたと語った中身は、これだったようです。 そしてそれは、今でも殺人が「容易に為し得る」「社会に出たらまた人を殺すかも知れない」という「本性」なのです。
極悪事件犯罪者の心境というのは、こういうものなのでしょうか。 ここは犯罪心理学などの専門家の意見を聞きたいところです。
しかし李珍宇の犯罪は民族問題(―朝鮮語を知らない)に起因するものだとする主張があります。 在日作家の高史明さんです。 彼は次のように言います。
李珍宇には大きな共感を持ちました。 彼は母親が聾唖者でコミュニケーションが成り立たない。 父親は日雇い労働者で家庭内教育などできない。 言葉を知らないで育った人間がアイデンティティ表明しようとすれば、他者を殺すしかなくなる。 彼は自分の殺人があったか否かを新聞社に電話して確認しましたね。 私なりに言うと、彼はそこまで自らを喪失した者だった。 ‥‥私の彼への共感は言葉を持たない者の次元です。 それに彼の犯罪は民族差別の歪みだけによるのではなく、歴史的、社会的な人間存在総体の奈落によるものと思います。 (『ルポ 思想としての朝鮮籍』中村一成著 岩波書店 2017年1月 11頁)
李珍宇は学校の成績上位者で短編小説を書いていたといいますから、日本語は自分の心情を文章化できるほどに十分にできたと思われます。 ですからここで「言葉を知らない」というのは、民族の言葉である朝鮮語を知らないという意味になります。 つまり李珍宇は朝鮮人なのに朝鮮語を知らないから「アイデンティティ表明しようとすれば、他者を殺すしかなくなる」というのが高史明さんの分析です。 しかしこんなことで強姦殺人事件を起こすものなのですかねえ。 あるいはひょっとして、高さん自身が朝鮮語を知らないために「他者を殺すしかなくなる」という心境になった経験があるという意味なのでしょうか。 どうも理解できないところです。
また高さんは、「彼の犯罪は民族差別の歪みだけによるのではなく、歴史的、社会的な人間存在総体の奈落によるもの」とも分析していますが、李個人の責任を問わないで、犯罪の原因を社会や歴史に求めているように思えます。
私は、小松川事件は人間として許されない凶悪犯罪であり民族問題に絡めるべきものではなかった、と考えます。 問題にすべきことは、犯行時少年だった者に死刑判決を下し、執行したことが妥当なのか、という点でしょう。 (続く)
小松川事件―民族問題を絡めてはならない(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/03/9728638
小松川事件―民族問題を絡めてはならない(3) ― 2024/11/13
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/08/9729822 の続きです。
同じように凶悪犯罪でありながら民族問題が絡んだのが、その10年後の1968年に起きた「金嬉老事件」です。 金嬉老は少年時代から窃盗・詐欺・強盗などを繰り返して何度も逮捕され刑務所を出入りする犯罪常習者でした。 1968年に借金の取り立てトラブルから暴力団二人を殺害した後、ライフル銃とダイナマイトを持ち込んで旅館に人質を取って立てこもり、そこにマスコミらを呼んで在日朝鮮人差別を訴え、日本を糾弾しました。 マスコミはその籠城現場に行って金を取材し、生中継するなど、その訴えを報じました。 また金はマスコミの注文に応じて銃を撃つなどのパフォーマンスを演じました。
多くの日本知識人たちが民族差別を訴える金嬉老を支援しました。 支援者たちは人質をとって籠城し民族差別を訴えている金に、次のような「よびかけ」を行ないました。
私たちは今回のあなたの行動を通じて、日本人の民族的偏見にかかわる痛烈な告発を知りました。 私たちはもしもあなたが命を失っても、あなたが叫び続けた問題を、その本質において受け止めねばならないと思います。 私たちは今、あなたにどのような手をさしのべるべきなのか、深刻な反省とともに考えております。‥‥ あなたの行動は民族の責任を衝きました。 私たちはまさに日本民族のために、あなたの声を真っ向から受け止めたいと思います。
そして支援者らは金嬉老の裁判において、「法廷を通じて在日朝鮮人のかかえた問題と、日本人の責任を明らかにする」として、「朝鮮植民地化の責任、関東大震災の朝鮮人虐殺の責任‥‥一度でも問われたことがあったのか。 それを問うことなしに、金嬉老の“犯罪”だけを問おうとするのか」 「日本国家は金嬉老を裁くことができるのか」 「悪いのは国家権力であり、民族差別だ」 「日本人は金嬉老を裁く一切の資格を喪失している」 「金嬉老の無罪を主張する」と訴えたのでした。
凶悪事件を起こした犯罪者が民族差別を訴えると、多くの著名な知識人が支援者として事件現場や裁判に駆けつけ、「日本は金嬉老を裁く資格がない」とまで言って呼応したのですから、裁判は異例な展開をみせました。 金嬉老は“民族差別があったから事件が起きたのだ、すべて責任は日本社会にある、自分は無罪だ”と主張しました。 また収監されていた拘置所(静岡刑務所内)で、金はこの支援運動を背景に刑務官らを脅して操り、自由気ままに行動しました。 寿司でも何でも刑務官に買わせ、監房の出入り自由を獲得し、女囚との密会までしていたのです。 一番驚かせたのは、出刃包丁を差し入れさせたことでした。 そのため刑務官は自殺に追い込まれました。
借金トラブルで二人を殺害し、銃とダイナマイトを持って人質をとって立てこもるという凶悪事件に民族問題を絡ませると、こんなことになるのですねえ。 支援者たちは厳しい民族差別を加える日本社会を告発する意図でしたが、金嬉老にとって民族問題は身勝手に振る舞い自分の罪を免れるための道具でしかなかったようです。
金嬉老は韓国では「民族の英雄」とされましたが、裁判の結果、無期懲役に処せられました。 そして金は仮釈放ののち韓国に引き取られ、歓迎を受けました。 しかしその韓国でもまた殺人未遂・放火・監禁などの罪を重ね、韓国のマスコミは「堕ちた英雄」と呼び、韓国での評判は地に落ちました。 金は、“根っからの犯罪者”とも言うべき人物だったのです。
おそらく金嬉老は、10年前の小松川事件で知識人たちが民族問題として取り上げて支援したことを覚えていたのではないか、そして民族問題を訴えれば自分は有利になると思ったのではないか‥‥、そのように考えるのですが、どうでしょうか。
1958年の小松川事件と1968年の金嬉老事件。 この二つの凶悪事件は日本人や在日知識人らが犯人を支援し、マスコミを賑わせました。 二つの事件の内容はもともと民族問題とは何も関係なかったのですが、一つは支援者側の意図で、もう一つは犯罪者本人の意図に支援者側が同調・応援して、どちらも民族問題が絡んでしまい、在日韓国・朝鮮人の歴史に残ったと言えます。
姜尚中さんは、金嬉老事件から30年経って金が仮釈放されて韓国に引き取られた1999年9月、全国紙で次のように発言しています。
最近、日韓が急速に近しい関係になっているが、金嬉老を生み出した差別構造は残ったまま。 事件から学ばず、歴史の中に封じ込めれば、今後、第二、第三の金嬉老が生まれる可能性がある。 (1999年9月7日付『毎日新聞』)
この姜尚中さん発言の翌年にルーシー・ブラックマン事件が起きました。 この強姦バラバラ殺人事件の犯人は、織原城二(帰化以前の本名は「金聖鐘」、通名「星山聖鐘」)という帰化した在日です。 けれど「第二の金嬉老」とは呼ばれなかったですね。 週刊誌が彼の身元を暴露し、在特会とかネットウヨとかの嫌韓派が執拗にヘイトしていたのに対し、彼は名誉棄損で訴えるなどして対抗しました。 姜さんの言う「差別構造」は残っていたことになるはずですが、誰も織原を応援しなかったです。
そして最近の在日の凶悪犯罪といえば、この4月に発生した宝島夫妻殺害事件の実行犯が姜光紀(カン・グァンギ)というハングル本名を名乗る在日韓国人の若者でした。 ニュースではハングル名が何度も出てきましたねえ。 在日がハングル読みの本名を使えば、以前ならば“民族主体性”とか“高い民族意識”とかで称賛されたものです。 ですからそんな在日が事件を犯せば、昔なら「日本の民族責任を問う」知識人たちが支援の声を上げたでしょう。 しかしこの凶悪事件でも、そんな声を上げる人はいないようです。 250万円かそこらのお金で二名の殺人と死体遺棄を請け負った犯罪者がたまたまハングル読みの本名を名乗る在日だったことに過ぎないのですから、民族問題は全く関係がありません。 それが当然でしょう。 (終わり)
小松川事件―民族問題を絡めてはならない(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/03/9728638
小松川事件―民族問題を絡めてはならない(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/08/9729822
【拙稿参照】
戦後朝鮮人の振る舞い―「事実」の経過 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/28/9299898
戦後朝鮮人の振る舞い―NHK記事に民団が人権救済申し立て http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/25/9299094
戦後の朝鮮人の振る舞い―事実を語るべきか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/23/9281241
水野・文『在日朝鮮人』(14)―終戦直後の状況 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/22/8135824
張赫宙「在日朝鮮人批判」(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024714
張赫宙「在日朝鮮人批判」(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446
権逸の『回顧録』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587
終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/14/7054495
在日朝鮮人の「無職者」数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/05/7971706
闇市における「第三国人」神話 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai
在日朝鮮人の犯罪と生活保護 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuurokudai
暴力にみる民族的違和感 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai
差別とヤクザ http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuyondai
在日の「国籍剥奪論」はあり得ない ― 2024/11/19
在日韓国・朝鮮人は1952年のサンフランシスコ講和条約発効とともに日本国籍を正式に離脱したのですが、これを「国籍剥奪」といって被害者性を主張する論者が多いですね。 その論理は、“本人の同意も得ずに日本国籍を剥奪した” あるいは “国籍の選択権を与えずに一方的に奪った”というものです。 それまではそんな主張をする人はいなかったのですが、1960年代後半から徐々に出てきました。
それでは在日韓国・朝鮮人たちは自分らの国籍をどう考えてきたのか、また本国の韓国や北朝鮮政府は在日の国籍をどう考えていたのか、ちょっと詳しく見ていきます。 引用する資料は水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』(岩波新書 2015年1月)からのものです。 この本は私とは考えが違いますが、事実関係の記述はおおむね信頼できるものです。
まず1945年の終戦直後です。 日本から解放された在日たちは、故国への帰国と生活権を守るために10月に「在日朝鮮人連盟(朝連)」を結成しました。 しかしこれには左翼色が強かったために、民族主義者らがここから抜け出て「朝鮮建国促進青年同盟(建青)」を結成しました。 「朝連」は後に朝鮮総連に、「建青」は後に民団につながります。 それでは解放直後の在日の代表団体であった「朝連」と「建青」は、自分たちの国籍をどう考え主張したのかです。
朝連や建青が求めていたのは、敗北した日本国民とは区別される『解放国民』、つまり外国人としての処遇であった。‥‥ 連合国民をはじめとする外国人に与えられていた特別配給(日本人の主食配給が一日2.7合に対して4合が支給された)も朝連や建青・民団は、外国人としての立場から一貫してその適用を要求した。 (岩波新書『在日朝鮮人 歴史と現在』 108~109頁)
朝連も建青も、自分たち在日は日本人ではなく外国人であると主張したのでした。 つまり植民地から解放されたのであるから日本国籍がなくなるのは当然だという考えでした。 朝連と建青は当時の在日を代表する団体でしたから、在日全体の意見と見ていいでしょう。 従って在日は日本国籍からの離脱を自ら望んで選択したと言えます。
一方で、GHQ占領下の日本は独立国家ではありませんでした。 ですから日本政府は在日を明確に外国人とすることができず、“外国籍の朝鮮人とするが日本に居住する限り日本人として扱う”という曖昧な法的地位とし、当初は本人次第で国籍を選択できるだろうという「見通し」を持っていました。 しかし結局はそんな選択を認めず、一律に日本国籍を離脱させることにしました。
日本政府は1949年12月の衆議院外務委員会の答弁では、在日朝鮮人の国籍問題について「大体において本人の希望次第」となろうとの見通しを語っていた。 この頃、日本政府は、講和条約の締結(1951年)にあたっては、国籍問題は避けて通ることのできない重要問題の一つとなろう、と予想していた。‥‥ 在朝日本人の引き揚げがほぼ完了したうえ、アメリカ側の平和条約構想の中に国籍規定がないことを知って、在日朝鮮人の日本国籍を一律に奪う方向に転じたのである。 (同上 126頁)
1952年、一片の通達を通じて在日朝鮮人を一律に「外国人」としたが、在日朝鮮人側も自らを「外国人」として律していたわけである。(同上 143頁)
1952年の講和条約で日本が独立国家となると同時に、在日を正式に日本国籍を離脱させることになりました。 この本では「一律に奪う」とありますが、在日は誰も国籍離脱に反対せず、自分たちは「外国人」だと主張したのですから、「奪う」という表現は不適切です。
ところで国籍というのは国家の構成員という意味であり、国籍を証明するのはその国の政府だけが有する権限です。 従って在日の国籍は何かを考えるには、本国政府の見解が重要になります。
在日朝鮮人の国籍問題は講和条約の発効を控えて開かれた日韓予備会談でも議論されたが、韓国側は、国籍の選択権よりも在日朝鮮人を一律に韓国国民として認定することを日本政府に迫った。(同上 126頁)
講和条約に向けた日韓会談で、在日の国籍をどうするのかを日本と韓国が議論した際、韓国側は「一律に韓国国民として認定することを日本政府に迫った」のでした。 つまり在日はすべて我が韓国の国籍を有すると主張したのでした。
それでは朝鮮民主主義人共和国(北朝鮮)はどう考えていたのでしょうか。
(1954年)8月30日、在日朝鮮人を「共和国公民」とする北朝鮮南日外相の声明(「日本に居住する朝鮮人にたいする日本政府の不法な迫害に抗議して」)が発せられた。 声明は在日朝鮮人が朝鮮民主主義人民共和国という主権国家の一員であるとの論理から、共和国政府として在日朝鮮人の自由と権利の擁護を日本政府に求めるものであった。 (同上 131頁)
講和条約の2年後ですが、北朝鮮の外相は「在日朝鮮人は朝鮮民主主義人民共和国という主権国家の一員である」と声明したのでした。
以上をまとめますと、 ①「在日朝鮮人」は終戦当初から自分たちが日本人ではなく外国人であると主張し、 ②「日本政府」は1945年の終戦によって在日がもはや日本人でなくなったと主張し、 ③「韓国政府」は在日はすべて自国民であると主張し、 ④「北朝鮮政府」もまた在日は自国の公民の一員であることを主張しました。
つまり在日の国籍について、関係する「在日」「日本政府」「韓国政府」「北朝鮮政府」の四者がすべて日本国籍喪失を主張したのです。 ですから在日の国籍問題は、“日本国籍がない”ことで決着したのでした。
ただし日本は “日韓併合条約は合法正当であり、朝鮮人は当然に日本国籍を有していた” という考えであったのに対し、韓国・北朝鮮は “併合条約は不法不当であるから、朝鮮人は日本国籍を強制されたのであって本当は日本国籍を有していなかった” という考えになります。
ですから日本は “在日は日本国籍を喪失して韓国・朝鮮籍になった” となるのに対して、韓国・北朝鮮は “国籍は強制されていたのが元の正しいものに戻っただけ” となります。 つまり、それまでの経過にはこのような意見の違いがあったのです。 ただし前述したように、“今の在日には日本国籍がない”という点で一致したのでした。
それから数十年経って、“在日は日本国籍を有していたのに奪われた” という「国籍剥奪論」が出てきたのです。 これは本国の “奪われる日本国籍なんて元からなかった” とする考え方を否定するものです。 さらに日本も在日も本国も全員が一致して、“もはや日本国籍はない” ということで決着したのに、今になって引っくり返すものです。 「国籍剥奪論」は、“日韓併合は合法正当だから在日は日本国籍を有していた” とする日本側の考えにつながるのものであって、本国の不法不当論に反するものであることに注意が必要です。
「国籍剥奪論」は日本を加害者、在日を被害者とするために、近年に作り出された用語と言えます。 そしてそれは在日の先輩たちや本国の考え方を否定するものなのです。 「国籍剥奪論」は日本を糾弾するために編み出された主張であり、“言葉の遊び”のようなものと言っていいと考えます。
【追記】
・「国籍剥奪論は1960年代後半から徐々に出てきた」と記しましたが、それは宋斗会です。 彼は、“自分は日本人として生まれてきた、日本国籍を捨てた覚えはない”として日本国籍確認訴訟を起こし、自分の外国人登録証を法務省の建物前で焼き捨てました。 彼は民族団体から無視されましたが、国籍剥奪論の最初の人と言っていいでしょう。 一部の知識人と市民団体が応援していました。
・「国籍を剥奪された」という主張は、私の記憶では1970年代後半頃から「在日には国籍選択権を与えるべきだった」とか「在日は権利として日本国籍を与えられるべきである」という主張とともに広まっていきました。 昔に、“日本が私に土下座して‘どうか日本国籍をもらってください’とお願いに来れば考えてやってもいい” と言った在日活動家がいましたねえ。 当時の活動家たちは、「帰化」は日本に頭を下げて申し込むものだから絶対に嫌だという執念を有していました。
・2003年頃でしたか、与党内で「特別永住者等国籍取得特例法案」がまとめられているという報道がありました。 特別永住資格を有する在日韓国・朝鮮人は、所定の要件があれば届け出だけで日本国籍を取得できるというものでした。 ですから「権利として日本国籍を与えられる」という考え方です。 しかし結局は国会に上程されず、廃案となりました。
在日は自ら望み、そして本国政府の方針もあって日本国籍を離脱することで決着したという過去を思い起こすならば、日本国籍の取得は権利ではなく、これまで通りに申請し審査を受けて許可される「帰化」が筋であると考えます。
なお『在日朝鮮人 歴史と現在』は「特別永住者等国籍取得特例法案」に反対する一方で、「オールドカマーの在日朝鮮人が日本国籍を取得することは当然の権利」であると主張しています(228~229頁)。 その論理が理解できないところです。
【拙稿参照】
『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666
国籍剥奪論 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/07/15/445780
水野・文『在日朝鮮人』(15)―外国人の地位を求めた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/25/8138588
水野・文『在日朝鮮人』(16)―国籍剥奪論の矛盾 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/30/8142349
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/01/7263575
在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuudai
(続)在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuichidai
合理的な外国人差別は正当である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuukyuudai
青木理・金時鐘の対談―帰化(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524343
青木理・金時鐘の対談―帰化(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/15/9526042
52年前の帰化青年の自殺―山村政明(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/17/9518301
52年前の帰化青年の自殺―山村政明(2)https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/23/9519952
52年前の帰化青年の自殺―山村政明(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/29/9521733
帰化にまつわるデマ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/31/387157
在日の帰化 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/18/489465
在日韓国・朝鮮人自然消滅論(1) ― 2024/11/26
いわゆる「在日韓国・朝鮮人」は法的に言うと、「出入国管理に関する特例法(平成3年5月10日 法律第71号)」の第1条にある「平和条約国籍離脱者及び平和条約国籍離脱者の子孫」です。 分かりやすく言うと、「朝鮮半島に生を受けながらも日本の植民地政策に起因して渡日し、そのまま残留した人々、およびその子孫」で、在留資格は「特別永住」となります。
この在日韓国・朝鮮人は将来に消滅するだろうという予想を早くから立てたのが、法務省で長年に渡って出入国管理行政に携わってきた坂中英徳さんです。
私は講演(1998年1月の民族差別と闘う連絡協議会主催の集会での講演)で「日本人との結婚の増加」と「人口減少」の問題について特に力を入れて論じ、これから在日韓国・朝鮮人の日本国籍化が急ピッチで進むことを強調した。 その上で、21世紀前半中の「在日韓国朝鮮人自然消滅論」を唱えた。 (坂中英徳『在日韓国・朝鮮人政策論の展開』日本加除出版 1999年2月 22頁)
近年、私は「在日韓国・朝鮮人自然消滅論」を唱えている。 韓国籍・朝鮮籍の特別永住者の人口は、帰化と人口の自然減で減少の一途をたどり、在日韓国・朝鮮人は50年以内に自然消滅する可能性が高いと見ている。
もっとも50年以内とはいっても、人口減が今と同じ年間1万人強のペースで緩やかに進行する可能性は低く、むしろ年々の人口減により在日韓国・朝鮮人社会が急速に縮小してゆき、それがまた同胞同士の結婚の減少と帰化の増加をもたらし、人口減少をいちだんと加速させるコースをたどって、比較的早い時期に自然消滅の日を迎える可能性が高い。 (以上 坂中英徳『入管戦記』講談社 2005年3月 200頁)
彼は1999年4月2日付『毎日新聞』のインタビュー記事でも、次のように言っています。
在日は自然消滅へ ‥‥ (在日韓国・朝鮮人の)人口の自然減が5年ぐらい前(1994年)から始まったことです。 ‥‥ 帰化した人もこの20年間で12万人ぐらいになります。 加えて、日本人と結婚する人が増え、生まれた子供は日本国籍となって、人口が減ってきました。 ‥‥ このままいくと、在日の韓国籍、朝鮮籍の人は毎年1万人ずつ減っていく。 あと数十年以内にほとんどゼロになってしまう。 実際はゼロにならないでしょうが、消滅に近い状態になる。 誇張して言っているわけではなく、20年経てば20万人、50年経てば50万人は確実に減るわけです。 (同上 140~142頁より再引)
このように出入国管理を担当する法務省官僚であった坂中さんは、1998年頃から「在日韓国・朝鮮人自然消滅論」を唱えました。 しかも消滅が「21世紀前半中」「数十年以内」という時期まで言及したのです。 在日を担当する国家権力者が「在日は消滅する」と発言したのですから、民族団体などから大きな反発の声が上がっただろうと思われるかも知れませんが、実はそれがなかったのでした。
幸い、在日韓国・朝鮮人社会から批判の声は上がらず、発言内容が問題にされることもなく、事なきを得た。 あとで人づてに聞いたところでは、在日社会では『毎日』の記事に対する反発の声が一部にあったが、「あの坂中のことだからと」ということで不問に付してくれたということだ。 ある有力な在日朝鮮人は「武士の情けだ」と私に言った。 (同上 145頁)
実のところ、特別永住の在日はこのままでは将来に消滅するだろうということは、在日自身が薄々ながら気付いていました。 ノンフィクション・ライターの野村進さんが1996年に著書で次のように書いています。
帰化者が増えるだけ在日人口は減り続け、「在日はトキとおなじだ」という声も当の在日から聞いた。 特別天然記念物のトキのように、やがて「絶滅」していくというものである。 (野村進『コリアン世界の旅』講談社 1996年12月 27頁)
在日自身が陰では「絶滅」と語っていたのです。 だから坂中さんの「自然消滅論」に反発する声が少なかったのです。 在日は 同胞らに “歴史と言葉を勉強して民族的自覚を持とう”などと訴えてきた手前、「消滅する」とは大声で言えなかったと思われます。 それが日本の国家権力にズバリと言われてしまったということになりましょうか。 これはすなわち、在日は自分たちの将来の見通しについて、心に思うだけで互いに議論し合わなかったということと思われます。 (続く)
【特別永住に関する拙稿】
特別永住の経過 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381
特別永住制度の変更は非現実的 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/01/1762857
在日の法的問題は解決済み http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/08/1781500
米国籍などの特別永住者 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285
『現代韓国を学ぶ』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/08/6472916
在日の特別永住制度 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389
トルコ国籍の特別永住者?!―毎日新聞 ― http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/10/27/7870629
特別永住者数の推移 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/16/9129169