権逸の『回顧録』2013/11/07

 権逸は1960年代に在日大韓民国居留民団の団長を務めた人です。彼は1987年に『回顧録』を刊行しており、そのなかに終戦直後の朝鮮人の‘振る舞い’について次のような興味深い記述があります。

法はあって無きに等しく、警察は文字通り無力であった。したがって、非人道的で破廉恥な行為が平然と行われ、理性が喪失した社会のようであった。このような社会状態が醸しだしたものであるかも知れないが、左翼朝鮮人だけでなく、一般の在日同胞のなかにも、故なく威張り散らして、法を無視することが少なくなかったことは、良識ある同胞の憂慮するところであったし、私たちは見るに忍びなかった。当然のように無賃乗車する者もいたり、中には白墨で車内に『朝鮮人専用』と書いて他人が入るのを拒むことすらあった。傍若無人というほかなかった。

顧みると、当時のこのような行動は、長い間抑圧されてきた者の自然発生的な反発感から出たものであり、またそれらの者たちにとって感情的には痛快感が得られたかもしれないが、このような行為は敗戦で萎縮した日本人の胸に、朝鮮人に対する憎悪感を植えつける要因になったのではないだろうか。加えて、朝連と建青の絶え間ない抗争は、この憎悪感を増幅させた上、新たな軽蔑感を生じさせたのではなかろうか。

日本の統治下で、三十六年もの間、日本人たちが朝鮮人に加えた数々の行動に比べると、朝鮮人のこのような一時的な、ほんの一年もつづかなかった行動は、大したものではないと言えるかもしれないし、また左翼の闘争理論からすれば当然だと言えるかも知れないが、民族的な立場から見ると、将来のための配慮が足らなかったのであった。当時もそう思ったが、今その時のこと思い出すと、全身から汗が流れる思いがしてならない。(以上106頁)

 この権逸の随想は、張赫宙の 「戦争中には、朝鮮人であることを、ひたかくしにかくしていた卑屈さを自覚してのその反発であることは、私にはわかるが、喧嘩を売られた日本人には理解できない。‥‥借金をとりに来た日本人を殴っておいて『朝鮮人連盟をしらないかッ』と脅したりする。‥‥そうした『朝鮮人意識』が一時非常に盛んであった。これもあまりにも強かった『日本人意識』『大和魂』に反発したのはいうまでもない。       そういう裏の心理がわかっていても、やはり私は悲しい。」 と相通じるものです。

【拙稿参照】  闇市における「第三国人」神話 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai

 張赫宙「在日朝鮮人批判」(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446

コメント

_ f.m. ― 2013/11/10 01:14

「社会文学」第38号収録の「張赫宙の戦後の出発」によれば、張赫宙と権逸の二人は「日本週報」昭和27年7月25日号に一緒に寄稿しているとあります(97頁)。この論者は若い方ですが、あまり好意的には書いていません。「張赫宙は親日派だ」と単純に批判しない方でも、これでは、当時の在日(特に民戦系)には彼らの主張は聞こえなかったのでしょうか?

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