終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’2013/11/14

 これまで張赫宙や権逸の随筆記事から終戦直後の在日朝鮮人の‘振る舞い’について紹介しました。

張赫宙「在日朝鮮人批判」(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024714

張赫宙「在日朝鮮人批判」(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446

権逸の『回顧録』   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587

 ところでこの歴史的事実についての本格的な研究論文としては、加藤晴子「在日朝鮮人の処遇過程にみられる若干の問題について―1945~1952年」(『日本女子大学紀要 文学部33』昭和58)があります。 在日の運動団体からの反発を予想したのでしょうか、論文の標題は‘小論文’か‘研究覚え書き’程度のようですが、中身はよく資料収集しており、ちゃんとした論文です。この論文の最後の結論部分には次のように記されています。

在日朝鮮自身によって、本稿が扱った時期における自己の言動や生活態度を省察しようとする作業がなされぬまま、日本及び日本人の植民地支配の責任のみが追及される状態は、健全なものといえないであろう。

 この論文が出た時は民族差別を正当化するものとして、かなりの批判があったように記憶しています。その後今に至るまで、このような方面での研究はあまり進展していないようです。 むしろ次のような所論が広く行き渡っており、加藤が言うところの「健全でない」状況が続いています。

政府、警察、マスコミが一体となった、こうした朝鮮人の生きるための闘いへの弾圧と悪意に満ちた宣伝‥‥‥   敗戦によってもほとんど変わることのない日本人の朝鮮人に対する考え方は、敗戦による混乱の中で、たくましく活気にあふれた在日朝鮮人の活動に対する反感を生み、非難、中傷を生んでいった。 (内海愛子「『第三国人』ということば」 明石書店『朝鮮人差別とことば』1986年11月 126~127頁)

戦後刊行されている各地の警察史や市町村史のなかには闇市を支配していたが朝鮮人と「台湾人」であり、あたかも悪の溜まり場であったような表現の「第三国人」という言葉で闇市について述べている。‥‥‥     確かに一部朝鮮人、「台湾人」のなかには無賃乗車をしたり、市場(闇市のこと)の取締りに当たって警察に抵抗した人々もいたが‥‥‥朝鮮人の職業の一つであった戦後主要都市にできた小規模市場を「第三国人」が暗躍する「闇市」と表現するのは誤りである‥‥‥     警察の統制から表面的に解放されたはずの朝鮮人だったが、戦前期と変わらない治安対象として位置づけられて、戦後も警察から抑制されることになった。闇市、濁酒の手入れのときは警察発表がそのままマスコミに流され、法に服さない朝鮮人という印象が広がっていった。当時、在日朝鮮人の多い地方新聞には闇や濁酒製造の記事が多数掲載されている。‥‥ (樋口雄一『日本の朝鮮・韓国人』同成社 2002年6月 156~157頁 173頁)

 当時の朝鮮人は闇市や濁酒という違法行為、或いはまた法やルールを無視した乱暴な‘振る舞い’を繰り返していたのでした。彼ら朝鮮人たちは、自分たちは解放民族なのだから日本の法律に従う必要はないとして、自分たちの民族性を誇示しつつ違法行為や乱暴な‘振る舞い’を行なったのです。

 「悪の溜まり場」「法に服さない朝鮮人という印象」は、確かにそういう違法行為や乱暴な‘振る舞い’をする朝鮮人が一部とはいえ多かったからです。 これには当然警察の「抑制」「手入れ」があるものですし、治安対象となるのも当然でしょう。 しかし内海や樋口はこれが「警察の統制から解放されたはずの朝鮮人」に対する不当なものであり、「闘いへの弾圧」といっています。 つまり朝鮮人の違法行為や乱暴な‘振る舞い’に対しては、警察は容認すべきであったという主張をしているのです。

「闇市」などの新興部門のハデに映る景気をねたんでか、「闇市」で威張っている「第三国人」というような戦前の差別意識を裏返した新しい差別感情が‥‥公然と増幅されるようになり、‥‥現在もこの種のデマがまかり通っている。 (リチャード・H・ミッチェル『在日朝鮮人の歴史』彩流社 のうち金容権の訳注 139頁)

一部には「解放された民族」の特権を振りかざして、かつての日本人による差別と蔑視に反発した、行き過ぎた行為も少なからずあった。これが韓国・朝鮮人にたいする日本人の排他心をあおるのに、大いに利用された。 ‥‥日本の敗戦の直前まで「日本の法令下」で戦争への協力と犠牲を強いられてきた韓国・朝鮮人の心情に対する理解は皆無である。 (姜在彦・金東勲『在日韓国・朝鮮人 歴史と展望』労働経済社1989年9月 122~123頁)

 金や姜は、朝鮮人は戦前に差別され続け、そして戦争に協力と犠牲を強制されたのだから、そのような違法行為や乱暴な‘振る舞い’を理解すべきであると主張しています。

 こういった同胞たちの行為と‘振る舞い’に対して張赫宙や権逸のように苦々しく思った朝鮮人もいたのですが表面にはなかなか現れず、むしろ革新・左翼系の多くの人たちが彼らの‘振る舞い’を積極的に擁護してきたのです。

 そういったなかで10年程前の本ですが、金賛汀が次のようにかなり冷静な記述をしており、目を引きます。

在日朝鮮人の間には植民地支配を通して、法律は朝鮮人を苦しめるために存在しているという意識から、順法精神は極めて薄く、統制物資の密売密造に犯罪意識はほとんどなかった。 その上日本の敗戦で自分たちは「解放国民」になったから日本の法律に従わなくてもよいという思い込みもあった。 ‥‥戦前抑圧され、おとなしかった朝鮮人が「解放民族」という立場を利用して、日本人の命令に従わず、勝手な振る舞いをするので日本人は苛立ったのである。」(金賛汀『在日 激動の百年』朝日選書 2004年4月 100~102頁)