韓国の「祖孫家庭」問題2013/12/06

 日本ではあまり問題になっていませんが、韓国で問題になっているものの一つが「祖孫家庭」です。この言葉を見ても何のことか分からないでしょうが、祖父母と孫の家庭という意味です。

 『週刊朝鮮』2278号(2013年10月21日)に、これに関する記事がありました。訳してみました。

ソウル市竜山区トンジャ洞のバラック街。10㎡(3坪)ちょっとの部屋に兪ソンオク(75)おばあさんと二人の孫、金ヒョジュン(小3)、金カヨン(小1)が暮らしている。‥兪さんは「片方の足が曲げられないので、起きるのが辛い。」と言って、骨と皮だけの足を伸ばしたまま座って針仕事をしていた。歩くときは杖を使わねばならない兪さんは、ちょっと前に家の外の階段で転げて足を折ったのである。    部屋は三人が寝るときちきちになるほどに狭かった。‥暗い台所は、こんな所でご飯が作れるのかと思うほどに劣悪だった。息子夫婦はカヨンが1歳の時に離婚した。金使いの荒い嫁が借金と子供たちを残して家を出て、別の男と再婚し、連絡が途絶えた。息子は借金を返そうと仕事を探し回ったが、更に借金をして、ブラックリストに載った。時々かかってくる電話で、生きていることを確認するだけだ。‥収入は政府補助金110万ウォン(10万円ほど)だが、家を借りる時の借金返済と二人の孫の教育費で大部分がなくなる。‥兪さんの最も大きな心配について、大きな溜息をついて「私の願いは、子供たちが中学校を卒業する時までは生きていたいことだね」

平均年齢72.6歳、平均学力は小学校卒業以下が82.3%、月平均世帯所得59万7000ウォン。10人中8人は身体を動かすのが難しかったり病気にかかっている。   家族崩壊で行き場のない孫を育てている祖父母の実態だ。統計庁によると、2010年全国の祖孫家庭は11万9294世帯だ。祖孫家庭は、子女の離婚、家出、死亡、失業などで子供の養育する能力がない子女を、祖父母が代わりに孫を育てる家族をいう。女性家族部(政府機関)が実施した祖孫家庭の実態調査(2010)によれば、孫を育てるようになった理由は、半分以上(53.2%)が、孫の父母の離婚や再婚で、父母の家出や失踪と答えたのは14.7%に達した。

各種の数値から見えてくるように、祖孫家庭は最も脆弱は状況に置かれた1世代と3世代の結合だ。身体的・経済的能力を喪失した高齢者の祖父母が、無責任な息子・娘に代わって孫の育てる責任を負っているのだ。離婚率の増加によって急速に増えている祖孫家庭は、韓国の際立った現象である。‥先進国では政府や社会が体系的な福祉の枠組みの中で管理しているのとは違って、韓国は血のつながりに頼って、老いた祖父母に子供たちを任せているわけである。

韓国の「祖孫家庭」問題(2)2013/12/11

祖孫家庭の現実は、数値に現れているよりもはるかに深刻だ。経済的問題は勿論のこと、健康問題・孫との意思疎通問題・学習指導など、三重苦、四重苦に苛まれている。ヨンドンポ総合福祉館の金ミギョン館長は 「高齢の祖父母の場合、大部分が病気を患っている上に、働く能力は喪失して生活能力も減退しているので、孫たちの面倒を見るのに問題が出てくる。自分の息子・娘の育て方を間違ったという罪責感と後悔ばかりで、養育負担もままならず、鬱病になってしまうことも深刻だ。人生を捨ててしまいたいと思っても、孫たちを見れば放り出すこともできず、非常に複雑な心理状態に置かれている。」 と語った。

世代差がかなりあるので、葛藤も深刻だ。専門家たちが口を揃えて言うには、祖父母と孫の世代間に意思疎通がないことだ。親と子供の間でさえもなかなか言葉が通じないというのに、それ以上の世代差のある祖父母とは話をすることがないのだ。端から対話が断絶しているのである。子供たちは外では仲間外れされて問題少年となる可能性が多くなる。祖孫家庭の場合、祖父母も孫もどちらも根本的な関係断絶によって深刻な傷を抱えているのである。特に孫は、家庭崩壊が契機となっているので愛情欠乏が深刻だ。これによって通常の人間関係を難しくしたり、あるいは過度に人間関係に執着して早い時期から異性関係に陥ったりするのである。

京畿道コヤン警察署の李キョンエ青少年係長は、ちょっと前に近くの中学校で学校暴力加害者矯正対象となったA嬢(中3)の保護者面談をしたところ、驚いた。李係長は「保護者として来たおばあさん(66)の身体の所々に傷が見えた。初めは‘大したことはない’と言って傷ができた経緯についてしゃべるのを避けようとしたおばあさんが、泣きながら打ち明けた話は衝撃的だった」と話した。おばあさんの傷は、三歳の時から育てた外孫のA嬢に殴られたということなのだ。酒、たばこにふけるA嬢は、ともするとおばあさんの髪をつかんで暴行を繰り返し、おじいさんの頬を殴ってひっくり返し、おじいさんを入院させることもした。刃物を持って脅すなどの騒動を起こせば、町内が大騒ぎになるほどであった。おばあさんは、どうやっても中学校までは卒業させねばならないと考えて、じっと我慢してきたという。A嬢は祖孫家庭で育った。実の父は離婚後連絡が途絶え、実母はA嬢を実家に残して再婚し、外祖父母のもとで育てられた。李係長はA嬢を呼び「これ以上おじいさん、おばあさんに暴力を振るったら、タダじゃ置かないから」と警告した。李係長は「おばあさんとは電話連絡が時々来るが、それ以降A嬢は騒動は起こさなくなったが、家出をした状態だ。」と語った。

京畿道プチョン市で、おばあさんと二人で暮らしている祖孫家庭のB君(小3)。‥児童家族相談センターに来たB君は心理テスト項目の一つである文章完成テストのための用紙を見て、突然‘ワーッ~’と大声でわめいてセンターを飛び出した。B君のテスト用紙には、文字でもなく絵でもない象形文字のようなものが書きなぐられていた。B君は3年になるまで、ハングルを読むことも書くことも出来なかった。おばあさんは市場にござを敷いて物を売ってB君を育てた。一日の稼ぎに忙しく、勉強や本を読むことに気を使う暇もなかったのである。

韓国の「祖孫家庭」問題(3)2013/12/15

住居環境が劣悪で、祖父母の身体が不自由なせいで衛生状態も問題である。子供たちが三度の食事をインスタント食品で間に合わせる場合も多い。朴ファオク教授が発表した祖孫家庭実態調査によれば、孫たちの38%が鼻炎を病んでいて、皮膚炎も16%に達する。また祖父母の場合、高血圧、関節炎など平均2.9個の慢性疾患を病んでいると分かった。祖父母が高齢であることから、保護を受けねばならない孫たちが逆に身体が不自由で長患いしている祖父母の保護者の役割をする場合もある。

金ミギョン館長は「70代のおじいさんと小学2年の孫娘が暮らしているある祖孫家庭を訪問してみると、問題が深刻だった。家はまるで修羅場で、孫は放ったらかしにされていた。子供が風呂にも入らず臭いが出ているので、学校でイジメにあうようになった。知能に問題はないのだが精神遅滞児水準で、学習不振が深刻だ。住居環境も家のあちこちにカビが生えていて、極めて不潔なので病気しないかと心配だ」といって「年を取って病気がちの祖父母と一緒に暮らすのは子供たちに悪いことではないのだが、このような場合にはむしろ施設に送る方が子供たちのために正しい選択ではないかと悩んできた」と語った。

家族崩壊の影で、血縁というだけで作られる危なっかしい祖孫家庭。家庭が子供を守る防壁となっていない状態で、子供たちは生活保護受給者として育ち、貧困が代を継ぐ可能性が大きい。結局、その責任は社会がまるごと引き受けることが繰り返される。血の繋がりという理由であらゆる問題を引き受けて家族を維持するのが望ましいのか、脆弱世代の結合である‘危機の家庭’を解体して‘安全な家庭’を作ってやらねばならないのか、今の時点でわが社会は悩みを始めなければならない。

 韓国では1年ほど前に、祖孫家庭の病気がちのおばあさんが急死し、育てていた10ヶ月の曾孫が飢死するという痛ましい事件がありました。

韓国で、おばあさんと赤ちゃんの痛ましい死 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/04/6530632

 家族のあり方が、韓国と日本とでは少し違っています。この違いが祖孫家庭という、日本では聞き慣れない家族形態が韓国では社会問題になっているということです。

 日本人の感覚からすると、離婚したとはいえ自分の産んだ子供を祖父母に任せきりにして再婚するとか連絡を切るとかなんてちょっと考えられませんが、韓国ではこういう場合が多いというのは韓国特有の家族のあり方から来るものです。これについては、また別途書きたいと思います。

 日本でも幼い子供の虐待死など、子供の問題は深刻なものです。それだけに韓国の祖孫家庭問題は胸が痛みます。

日本のカニバリズム2013/12/18

 カニバリズムには人肉を栄養源とするか、薬用とするか、何か霊的な力を得ようとするか、猟奇的な動機等々の種類があります。

 日本史上では飢饉が酷くて人肉を食べたというような記録が出てきますが、これは栄養源としてカニバリズムです。しかしこれは大飢饉という特殊な事例になります。 そうではなく日常的と言える例が日本の近世の資料に出てきます。それは薬用としてのカニバリズムです。

 江戸時代のカニバリズムを実証する資料は、明治3年3月付けで刑部省が弁官あてに提出した公文書にあります。歴史家の氏家幹人さんが現代文に訳したものを見つけたので紹介します。

前々から(旧幕時代から)斬罪やさらし首になった罪人の死骸を割いて胆や露天蓋(頭蓋骨)、陰茎等を採取し、売買することが行われています。なんと残酷なことでしょう。今後は厳しく取り締まるべきであると考えますが、さて、そうはいっても人の胆や頭蓋骨に他に得がたい薬効があるというならば、一概に取り締まるのも如何と思われます。つきましては大学の医学の専門家に、はたして効能があるかどうか調査させていただきたい。(『大江戸死体考』平凡社新書 1999年9月 145~146頁)

氏家さんは次のように解説します。

ここでいう大学は文部省の前身。弁官から人の胆や頭蓋骨に薬物としての特別の効能があるかと下問された大学側は、同月14日の公文書で、そんなものが効くと信じているのは無知蒙昧のなせる業で、病気治療には寸分の効果もありません、と回答しています。  それにしても大学側が「世人固く信じ」といい「かくのごとき売薬類世間に多々これ有り」といっているのは、注目に値するでしょう。当時これらの薬効が広く信じられ、ために人胆その他を材料にした薬が何種類も出回っていた‥‥わが日本にも人の身体の一部を薬として用いる“伝統”があった――この厳然たる事実(同上 146頁)

 何十年か前の部落史の概説書で、江戸時代の穢多は刑場での処刑の手伝いと処刑された遺体の片付けの仕事をさせられたという記述のなかに「刑死者の持ち分は穢多の取り分となった」という意味のことが書かれていました。当時は知識がなかったので、「刑死者の持ち分」とは着ていた着物か家族からの差し入れ品かと思っていたのですが、本当は刑死者自身の肉体だったのです。処刑された者の遺体は遺族に引き渡されるのではなく、穢多身分の者が自由に処分できたのが江戸時代です。

 部落史研究は1970~80年代に盛んになりましたが、この方面の研究はほとんどなかったように記憶しています。だから部落史の概説でも、全く分からないように極めて曖昧模糊に書かれていたわけです。もしこんな研究をしていたら、糾弾されていたでしょうねえ。

 江戸時代の日記のような歴史資料に、病気の父母のために胆を買い求めた、というような記述があったら、それは熊の胆のような獣肉ではなく、人間の胆の可能性があるということです。また精力増強のために人間の陰茎を食べたというのは、記録にも残らないでしょう。日本のカニバリズムは、薬用というレベルでかなり日常的に存在していたと見るべきでしょう。

 しかし日本ではカニバリズムはあるはずがない、或いはあって欲しくないという気持ちが強いようです。昔の日本にもカニバリズムがあったと言ってあげても、えっ!まさか!!極めて特殊例外!!というような反応がほとんどです。

 日本のカニバリズムをなかったことにして、他民族のカニバリズムを取り上げて優越感を持つのはレイシズムと言わざるを得ません。

【拙稿参照】

中国のカニバリズムを取り上げるのはレイシズム http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/04/6999819

朝鮮研究の将来は危機的-古田博司2013/12/23

 古田博司さんの最近の論考である「韓国、終わりなき反日挑発の歴史的根源を抉る」(『正論』産経新聞社 2014年1月号)読む。彼は、韓国・朝鮮に対する国民意識が覚醒してきているにも拘わらず、これからの朝鮮研究がかなり危機的だという見通しを立てておられます。彼の論考を紹介します。まずは「国民意識の覚醒」から‥‥。

これまで反日的な知識人やマスコミ報道によって、「日本が植民地時代に悪いことをしたから、韓国人が怒り続けるのも無理はない」と思わされてきた多くの日本人も、さすがに嫌気がさし、「日本=悪」という単純な歴史観に疑問を抱き始めている。 40年近く朝鮮研究をしてきた私にとっては、ようやく迎えた国民意識の覚醒である。(54頁)

  国民意識が本当に「覚醒」となっているのか私には疑問なのですが、「日本=悪」という歴史観に国民が批判的になってきているという見解には賛成します。

 ところが古田さんは、このような国民の動きがあっても肝心の朝鮮研究が危機に向かっていると論じます。

だが一方では強い危機意識も抱いている。このままでは日本の朝鮮統治時代を実証的に研究する学者がいなくなってしまうという現実があるからだ。  いま本格的に実証的研究を続けているのは、わずかな学者であり、おまけに彼らには弟子がほとんどいない。日本の学界、言論界では韓国側の歴史観に近い発言をする左派やアジア主義者ばかりである。せっかく国民意識の目覚めを学術的に支えるべき実証的研究者がいないのでは話にならない。このままいけば、結局は、韓国の歪んだ歴史観がまさって、本当に世界標準の歴史観となってしまいかねない。事実を述べる学者が滅びれば、真実もまた滅びるのである。(54~55頁)

マルクス主義幻想に支配された学界は、史実に目を閉ざし、虚構の歴史を追い続けた。やがておかしいと気づく研究者も現れた。朝鮮古典文学研究の野崎充彦、朝鮮中世経済史の須川英徳、朝鮮経済史の木村幹などは、その先駆者だったが、その後が続かなかった。(63頁)

 古田さんには自分が長年やってきた実証主義的朝鮮史研究に後継者がいないようです。そして彼が先駆者と高く評価する朝鮮研究者たちもまた、弟子がいないようです。大学で何十年も研究と教育に携わってきた方が「弟子がほとんどいない」「後が続かない」と嘆いておられるのです。研究は多大な成果をあげてこられたと思うのですが、教育はどのようにしてこられたのでしょうかねえ。

一方でいまもマルクス主義者たちの虚構の歴史観、そこから生じた韓国の民族主義史観に加担する日本の学者は絶えることがない。(63頁)

 古田さんによれば、ご自身が「“日本=悪”という単純な歴史観」とあれほど批判してきた「マルクス主義者」の歴史研究者には後が続いており「絶えることがない」、つまり後継者が輩出しているということのようです。つまり古田さんが「虚構の歴史観」「単純な歴史観」「韓国の民族主義史観に加担」と批判する歴史研究者の方が、古田さんらの「実証的研究者」より将来展望があるということになります。

 そして古田さんは自分たちの実証的研究が滅びることを予見します。

日本の朝鮮統治を検証する上で欠かせないのは、贖罪意識を排し、事実に即したレベルの高い実証研究である。慰安婦問題でも同じで、必要とされるのは、河野談話の前に日本政府が行なったような杜撰な調査ではなく、実証研究である。それを担う研究者が滅びないようにするには、どうすればいいのか。放っておけばおそらく滅びてしまうであろう。(63頁)

 さらに古田さんは次のように訴えます。

日本はいま、国として研究者の育成に乗り出す時期に来ているのではないだろうか。(63頁)

 しかし具体的に「研究者の育成」の仕事をするのは研究と教育を専らとする大学教授になるはずです。古田さんご自身がその身分に既になっておられます。ならば国任せにするのではなく、先ずはご自分がどのようにして「研究者育成」をするのかが重要だろうと思うのですが‥‥。

 それ以前に古田さん自身が、生涯を賭けてきたはずの朝鮮研究には魅力のないことを言っておられます。

他律性の歴史しか持たない朝鮮には、独自の文芸など発展しなかったために、研究に取り組もうとする学者の意欲がわきにくいという一面はもともとあった。老後に読むものがない、つまり一生を賭けた研究の対象としての魅力に決定的に欠けているのである。(63頁)

 本来は、朝鮮研究はこんなに面白いぞと宣伝して若手研究者を集めねばならないと思うのですが、ご自分から「魅力に決定的に欠けている」と言っておられるのですから後継者はなかなか出て来ないでしょうねえ。古田さんが恐れる「韓国の歪んだ歴史観がまさって、本当に世界標準の歴史観となってしまいかねない」事態は、実際に起きると見た方がいいようです。日本における朝鮮研究の将来は先細りで暗いと言わざるを得ないということです。

 近い将来に設立されるであろう第3期日韓歴史共同研究委員会や、朴大統領が提案し日本も賛成した日韓中の共通歴史教科書作成は、古田さんらのような「実証的研究者」ではなく「韓国の民族主義史観に加担する日本の学者」が関わることになるのかも知れません。

 いま日本では嫌韓・厭韓・反韓記事が載る雑誌がたくさん売れてブームのようになっていますが、肝心の学術的実証研究の将来が危ういのですから、このブームの底は浅いものと考えた方がいいでしょう。本稿冒頭で「国民意識が本当に『覚醒』となっているのか私には疑問」と書いた意味は、正にここにあります。

中韓は子供と思って我慢-藤井裕久2013/12/27

 藤井裕久さんは長年国会議員を務め、大蔵大臣等も経験した長老格の政治家です。現在は引退して、民主党の顧問となっているようです。彼は産経新聞でのインタービューで、中国と韓国について次のように発言しています。

そのころの両首脳は共に大人の対応をしたわけです。それに比べると、今は子供だと思います。安倍さんの東南アジア諸国連合(ASEAN)との外交には中韓両国を包囲しようという発想がないですか。昨年、野田佳彦政権が尖閣を国有化したのは、国内事情があって「せざるを得なかった」のです。中韓両国は子供だと思って我慢すればいいんです。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131226/plc13122617000022-n1.htm

 「中韓両国は子供だと思って我慢すればいいんです」という発想は、日本の保守系が昔から持っているものです。中国や韓国はゴチャゴチャうるさいから、こちらが一歩譲ってこの場を収めよう、というものです。「金持ち喧嘩せず」とよく似た考えです。「こちらは大人、相手は子供」、こんな発想で日本は外交してきたわけです。

 一方の革新系が「日本は昔悪いことをしました」と贖罪意識を持っているのとは対照的ですが、保守系は1993年の河野談話以降、この贖罪意識も取り入れました。

 日本の外交は保守系政治家が担って来たのですが、中韓に対しては子供扱いしながらも謝罪するという態度をとり続けてきたわけです。駄々をこねる子供には飴をあげればいい、或いは子供が何かで怒っているのなら取り合えず「ゴメン、ゴメン」と謝っておけばいい、こちらは大人なんだから我慢せねば、というような感覚です。

 しかし中国と韓国は今なお朱子学の位階秩序意識(=中華思想)を堅固に維持していますから、自分たちは賢者君子、日本は小人夷狄だから日本の方が遠慮せねばならないという発想です。従って中・韓は居丈高な態度をとるのですが、日本はこの中・韓を子供扱いの気持ちで接しますから相手側に譲歩します。これで当面は「友好」関係を維持することになります。

 このように日本と中韓は双方が相手を見下す発想で外交し、日本側が譲歩・謝罪してその場を取り繕いながら「友好」を謳ってきたわけですが、そこには大きな矛盾が溶解せずに残りました。昨今の中韓との葛藤はその矛盾が現れたと考えます。

 日本も中国・韓国も、主権国家は対等であるという原則に立ち戻るべきだと思うのですが、長年染み付いた意識はなかなか変わらないでしょう。近頃は子供扱いどころかレイシズムが跋扈してきており、更に難しくなっていくように感じられます。