小松川事件は北朝鮮帰国運動に拍車をかけた ― 2023/12/02
1958年8月に発生した小松川事件の李珍宇について、以前に拙コラムで考察しました。(下記参照)
その後、中公新書『北朝鮮帰国事業―「壮大な拉致」か「追放」か』(菊池嘉晃著 2009年11月)に、この事件について書かれているのを見つけましたので、紹介します。
折しも帰国運動が大規模化した1958年8月、東京都江戸川区で起きた都立小松川高校生殺害事件で、16歳の女子高校生殺害の容疑者として18歳の在日少年・李珍宇が逮捕(一・二審で死刑判決、62年に執行)されたことは、在日社会に一層暗い影を投げかけた。
61年に北朝鮮へ帰国しようとした李洋秀も、当時をこう振り返る。 「日本では未成年の犯罪者は死刑にならないのに、李珍宇は朝鮮人というだけで死刑宣告を受けた。(略)この事件は在日に、日本社会のあまりに冷酷な仕打ちをまざまざと見せつけた。 在日が日本での将来を見限って北朝鮮へ帰国する勢いに、ますます拍車をかける大きな要因となった」 (以上151~152頁)
強姦致死と強姦殺人の二件の事件が四ヶ月の間に連続して起きたのですが、その犯人が当時18歳の李珍宇でした。 李は後者の同級生女子高生強姦殺人事件を犯した直後に、被害者宅に遺品の櫛や手鏡を送りつけたり、マスコミや警察に犯行声明の電話をかけるなどの挑発行動をしました。
ですから非常に悪質な犯罪で、極刑はやむを得ないところですが、問題は李が未成年だったことです。 犯罪時未成年の死刑執行は果たして正当なものなのかどうか、これはその後も、そして今でも議論になっています。
それはともかく、当時の在日社会では〝李は朝鮮人だったから死刑になった″という話となって、日本社会における在日への厳しい差別の例として挙げられていたというのは初めて知りました。
李が死刑判決を受け執行されたことは、単に極悪事件だったからだけでなく朝鮮人だったからというのは、そういう意見もあるだろうなあ、と思います。 しかし未成年死刑囚は戦後の混乱期にもかなりの数があり、執行された例もあります。 果たして、〝朝鮮人だから死刑を宣告された"と言えるのか、疑問を感じます。
当時は北朝鮮帰国運動が盛んになっている時期でした。 この時に起きたのが小松川事件ですが、運動する側は李の死刑宣告を日本における朝鮮人差別の例として取り上げ、だから日本にいてはいけないのだと帰国運動をさらに広める材料にしていたことに〝へ―!そうだったのか!″と新鮮な驚きを感じました。
【小松川事件に関する拙稿】
小松川事件(1)―李珍宇救援を呼びかけた人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/04/9574532
小松川事件(2)―李珍宇と書簡を交わした朴壽南 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/08/9575512
小松川事件(3)―李珍宇が育った環境 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/12/9576502
水野・文『在日朝鮮人』(17)―小松川事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/15/8152243
豊田有恒さん死去 ― 2023/12/06
豊田有恒さんが去る11月28日に亡くなられ、昨12月5日に公表されました。 彼はかつての朴正煕大統領時代に、韓国の経済成長を称賛する『韓国の挑戦』という本を出して高く評価される一方、軍事独裁政権の味方だとかの批判を浴びていた記憶があります。
1990年代になって韓国の反日に嫌気がさしたのか『いい加減にしろ 韓国』という本を出してからいわゆる〝嫌韓本″を出して、〝嫌韓派に転身″とか言われていましたね。
豊田さんの韓国知識は、私にはちょっと勉強不足だなあという印象を持っています。 10年ほど前に『韓国が漢字を復活できない理由』を出しておられて、拙ブログで論じたことがあります。 ご笑読いただければ幸甚。
【豊田有恒氏に関する拙稿】
『韓国が漢字を復活できない理由』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/15/6982629
『韓国が漢字を復活できない理由』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/18/6985544
『韓国が漢字を復活できない理由』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/20/6987935
『韓国が漢字を復活できない理由』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/21/6989129
『韓国が漢字を復活できない理由』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/23/6990160
『韓国が漢字を復活できない理由』(6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/25/6991952
『韓国が漢字を復活できない理由』(7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/26/6992771
『韓国が漢字を復活できない理由』(8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/28/6994523
在日韓国人と本国韓国人間の障壁 ― 2023/12/12
もう40年以上も前の経験ですが、在日が本国韓国人と会うのを嫌がるのを多々見ました。 例えば民族差別と闘う在日の場合、「我々在日は日本から民族性を奪われてきたから、本名を名乗り歴史を学んで民族性を取り戻し、差別する日本社会と闘うのだ」などと勇ましく言っていました。 だから本国から来た韓国人とは同じ民族なのだから我々日本人とは違ってすぐに打ち解けるものと思っていたら、そんなことはなく、じっと黙ったままでした。 またある在日は勤め先の会社が韓国と合弁事業を始めて、韓国の相手先会社の役員が来日する時に会わせられそうになったので、その日は会社を休んだという実話を聞きました。
また二世が親に連れられて韓国の故郷に行ったという話はよくありました。 民族性を取り戻すチャンスなので、「よかったですねえ、向こうはどうでしたか?」と聞くと、むつっとして喋らない。 その時は、〝これはこの人だけの場合であって、そういうこともあるだろう、一般的にはそうではないはず″と思って、それ以上は聞きませんでした。
しばらくして、在日が本国韓国人に会うのは、そこが日本であれ韓国であれ、嫌がるものだということに気付きました。 在日は本国韓国人と会うこと自体を最初から嫌がる場合が多いのでした。 民族差別をなくさねばならないと考える日本人は、韓国の悪口を言わないのですが、在日と親しくなるとその在日から韓国の悪口を聞くことになります。 「韓国人のくせに」と叱られた、在日のことを何も分かっていない、もうあいつらなんかと話したくない、もう韓国なんかに行きたくないというのが定番の悪口でした。
本国韓国人は私のような日本人の場合には「ハングンマル チャラシネヨ(韓国語、お上手ですね)」と言ってくれるのですが、在日へは「チェデロ モタヌンガ(ろくに喋れないのか)」となるようです。 民族を取り戻すために韓国語や歴史を一生懸命勉強したと思ってきた在日は、この厳しい言葉を聞いてショックを受けるのですねえ。
鄭大均さんは『在日韓国人の終焉』(文春新書 平成13年4月)という本のなかで、次のように書いています。
多くの在日韓国人にとって韓国とは、父母や祖父母たちの故郷であり、単なる外国の一つというよりは因縁のある地だとしても、肯定的な関心が作用する地ではない。 (135頁)
母国にある種の同一化を期待してやってきたような在日韓国人にはむしろ違和感を覚えさせるような経験 (129頁)
実は、在日韓国人にとって、ニューカマーの韓国人は付き合いやすい相手ではない。 在日韓国人が韓国籍を維持しながらも韓国や韓国の文化には無関心であるのに対し、ニューカマーの韓国人は韓国人としての自己を、韓国や韓国文化とのつながりの中で確認し証明しようとする、いいかえると、ニューカマーの韓国人は彼らが韓国人らしさと考えることを実践しない者を韓国人とは見なさない。 在日韓国人のように、韓国語を失い祖国に無関心という人間はもはや韓国人とはみなされないのである。 (145頁)
これは在日韓国人が長い間維持してきた心の均衡が揺り動かされるような体験である。 ‥‥ 在日韓国人はニューカマーの韓国人と見られることを嫌うし、在日韓国人が喋る韓国語は韓国人からバカにされる。 在日韓国人が長い間維持してきた心の均衡が、ニューカマーの韓国人によって揺り動かされる‥‥ (145~146頁)
在日が1970年代ころからよく言うようになった「自分は日本人でもなく韓国人でもない、在日なんだ」は、鄭さんのいう「心の均衡が揺り動かされる」、すなわち心のバランスが崩れることなのです。 それは〝韓国人でありながら中身は日本人と同じ″という矛盾の現れと言うことができます。
かつて〝在日は日韓の橋渡し″だとか、〝在日をどう扱うかによって日本社会の国際化が問われる″とか言われたことがありましたが、実は今の在日にはそんな存在意義がないのでした。 「日本人でも韓国人でもない」と言った時点で、もはや〝日韓の橋渡し″なんか出来ないことを意味し、また今の日本での在日外国人問題において自分たち在日の役割がないことも意味するので〝日本社会の国際化″に貢献することもありません。
これから在日はどのように生きていくのか。 ある者は〝もはや韓国人であり続けたくない″と帰化し、またある者は〝今のままでいい″と韓国籍を維持し、時には〝本国の韓国人と同じにするな!″と言い、そしてまたある者は民族に覚醒して〝日本にはまだまだ民族差別がありこれと闘う″等々‥‥。 どの道を選ぶかは個々の在日がぞれぞれで決めればいいだけで、これこそが〝在日の正しい道″なんてものはありません。 周囲の日本人は本人の選択を尊重するだけです。
ただ大きな流れは、韓国人としての在日の存在は縮小していきます。 ただし一部の在日は自分が〝日本人でない″ことを強く意識するあまり日本への批判・非難(反日)を激しくしており、これからも続けるようです。 「日本人でも韓国人でもない」と言いつつも日本人化している現状、だからこそ危機意識を持つ一部の在日活動家は反日をさらに激しくしていくと予想します。
なお朝鮮総連系では、朝鮮学校で〝祖国は北朝鮮″であるという民族自覚を持たせようと必死の努力をしてきました。 私自身は総連系の方との付き合いがなくっていて今はよく分かりませんが、聞くところによるとやはり日本への同化は止みがたいようです。 だから総連系でも大半は更なる同化への道を歩み、ごく一部が北朝鮮の影響下のまま同化を拒もうとして自分たち同士で固まり閉鎖的になっていくだろうと、私は予想しています。
総連や朝鮮学校では、このような人たちは「赤い人」と呼ばれているそうです。 「赤い」といっても「リンゴ」(皮は赤いが中身は白い)のようですが‥‥。 つまり総連系の一部の「赤い人」は、せめて皮だけでも赤い「リンゴ」に固執すると思われます。 しかし北朝鮮の本国人は〝中身まで赤い″でなければなりませんから、本国人との間に障壁があると思われます。
【拙稿参照】
韓国人でも日本人でもない―しかし同化する在日韓国人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/14/9562752
在日コリアンと本国人との対立 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029
在日コリアンの「課題」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/08/6282960
姜信子『棄郷ノート』を読む http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/19/8977899
「同化」は悪だとされた時代 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/15/8018723
水野・文『在日朝鮮人』(21)―同化 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/23/8197450
在日は日韓の架け橋か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/11/5212322
在日が民族の言葉を学ぼうとしなかった言い訳 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193
35年前も変わらない在日の状況 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/01/10/5631713
在日は「生ける人権蹂躙」?-『抗路』巻頭辞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/01/31/9460212
在日朝鮮人が話す北朝鮮 ― 2023/12/19
在日朝鮮人が日本に帰国することを前提に祖国の北朝鮮を訪問することは、1970年代初めまでは基本的に認められていませんでした。 北朝鮮に行ったらそれっきりで、日本に戻ることができなかったのです。 それが日本政府の方針でありました。 それが改まったのは、1970年代のデタント(東西の緊張緩和)という国際情勢の変化でいつまでも北朝鮮と緊張関係を続けられないとされて、在日朝鮮人の訪朝(一時帰国と言われていた)が認められるようになりました。
ですから在日朝鮮人は1970年代後半から、十数年前の1960年前後に北朝鮮に帰国した親族を訪ねることが多くなりました。 私自身はこの時期に北朝鮮の親族を訪問したという在日朝鮮人から話を聞いたことがあります。
二人ほどでしたが、一人は焼き肉屋を経営していた女性でした。 1960年ごろに兄の家族が北朝鮮に帰国しており、その兄を訪ねたそうです。 「北朝鮮はどんな国でしたか?」と聞くと、平壌の地下鉄や都市の風景、観光名所などに行ってきたという写真を見せてくれて、「こんなにきれい所だったよ」と言っておられました。 しかし肝心のお兄さんたちがどんな家に住み、どんな暮らしをしているのかについては全く話がなく、写真もありませんでした。 「北朝鮮はいい国だと言う人と、あんなひどい国はないと言う人とがいますが、行ってみてどうでしたか?」と聞くと、「後ろの方と思ってくれてもいいよ」。 次に「日本と比べて住みやすそうなところでしたか?」「それは日本、あっちは隣の村に行くのに一々許可がいるんよ。」 これ以上聞くとヤバそうなので、話はそれで終わりました。
もう一人は在日のおばあさん。 「この前、北鮮にいる弟のところ、行ってきましたんや。 北鮮というところ、太ってるのは金日成だけや。」 この方はそれ以上のことを言わなかったし、私も聞きませんでした。 ただ北朝鮮を「北鮮」と言っていたのが印象的でした。
家が朝鮮総連系の在日の方から、北朝鮮に帰っている兄の話を聞いたことがあります。 「兄貴が北朝鮮にいて、しょっちゅう手紙が来る。 幸せに暮らしているとか書いてあるけど、金送れ、薬送れ、服でも何でも送れ、そればっかりや。 幸せに暮らしていて、なぜ金送れ!なんて言うんや。 総連の奴らは北はいい所なんて言っとるけど、全然いいことない。 そう言うんやったら、あいつらが北に帰ればいい。 自分らが帰らんくせに、何でいい所なんや。」 あまり詳しく聞いてはいけないと思って、これ以上聞きませんでした。
1980年代になってからですが、ある在日女性の話。 1984年に『凍土の共和国―北朝鮮幻滅紀行』(金元祥著 亜紀書房)という本が出版され、すぐさま買ったそうです。 そして家族が寝静まった夜に、一気にそれを読んだとのことです。 曰く「あれに書かれていることは本当だ」。 その一言を言った後は、何も言いませんでした。 その方の親族に北に帰った人がいるなんて、それまで聞いたことがなかったので少々驚きました。 時々手紙が来ていたようですが、彼女は北について何も喋ってこなかったのです。
私の場合、在日から北朝鮮の話を聞いたのは以上の四人だけです。 わずかな情報でしたが、四人とも喜んで話すことはなくポロッとしゃべるだけでした。 その時は、北朝鮮の親族たちはかなり苦労しているのだろう、そんな苦労は身内のことだから他人に話したくないのだろうと思いました。
一方、当時『朝日ジャーナル』などの雑誌に北朝鮮の訪問記が時々載っていて、そこの人々は質素ながらも〝明るく希望を持って暮らす幸せな北朝鮮社会″が報じられていました。 それを読んでいた私は上記のように在日からの話を聞いていたので、そういう人もいるだろうが苦労している人もいるのだ、訪問記は真実の一面だけを書いたものだと思っていました。
ところが1989年に東ヨーロッパで社会主義が崩壊し、社会主義国の内情が暴露されました。 ルーマニアなど社会主義体制下で人民がどれほど悲惨な暮らしをしていて、その真実を外国人に話すことが犯罪になっていたことを知り、ようやく目が覚めたのでした。 そしてそれまで読んできた北朝鮮訪問記の、〝北の人民は明るく希望を持って幸せな生活を送っている″とする記事はすべてウソだと悟りました。 在日が北の親族についてポロッとしゃべってそれ以上言わないのは単なる苦労ではなく非常に深刻なものであること、そしてそれを口外することがどれほど危険であるのか、それが分かってきたのです。 北朝鮮に帰国した親族がいるはずの総連系の人が、北について何も喋ってこなかったのも理解するようになりました。 ポロッと一言しゃべってくれたのは私を信頼したからであって、普通は全く喋らないのです。 『朝日ジャーナル』などの雑誌に掲載されていた北朝鮮訪問記はすべてウソであり、真実は全くないのでした。
そのころにロシア少数民族の研究者と話をしたことがあります。 ソ連が崩壊した直後に訪問したので、現地の人は以前より自由にものをしゃべれるようになっていたそうです。 北朝鮮に仕事で行ったことがあるという現地人が、〝我々の国も酷かったが北朝鮮はもっと酷い、世界最悪だ″などと言っていたそうです。 以前の私でしたら〝それは一部を見ただけに過ぎない″と考えたでしょうが、その時はもう〝確かにその通り、滅茶苦茶な国だ″と賛同するようになっていました。
以上のような経験と、更に横田めぐみさんらの拉致事件が明白になったことによって、私は北朝鮮や朝鮮総連に対する不信感が決定的で動かせないものになりました。 だからこそ北朝鮮を感情的に見るのではなく、冷静に客観的に分析するように見なければならないものです。 しかし一度は北朝鮮を信じ、世に出回る反北朝鮮情報は反共右翼の宣伝物なんて思っていましたから、今の私は北朝鮮に対してどうしても感情的になりますね。
【北朝鮮に関する拙稿】
朝鮮民主主義人民共和国の正統性は何か? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056
朝鮮総連幹部らには月3万円の教育費支給 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627897
『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/27/9605137
『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/31/9606151
『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/04/9607167
『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/08/9608146
『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/12/9609128
今日は「太陽節」-朝鮮総連に教育費2億7千万円 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/15/9577360
北朝鮮の「갓끈 전술(帽子の紐 戦術)」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/01/08/9022748
「朝鮮半島の非核化」は「北朝鮮の非核化」とは違うのでは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799658
「島国夷」とは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/16/8677666
北朝鮮の核開発の目的 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/07/8671910
自主的、民主的、平和的統一 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421457
南朝鮮解放路線はまだ第一段階 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/30/6762019
北朝鮮を甘く見るな!(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/23/7395972
北朝鮮を甘く見るな!(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/28/7400055
北朝鮮を甘く見るな!(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/02/7404064
北朝鮮が崩壊しないわけ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/04/1701479
北朝鮮の百トン貨車 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/11/1716894
『写真と絵で見る北朝鮮現代史』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/06/5665262
韓国と北朝鮮の歴史観が一致する!! http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/10/5675477
白い米と肉のスープ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/14/5680393
韓国の北朝鮮研究 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/22/5698027
1970年代の北朝鮮=総連の手口 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/12/6199653
先軍政治は改革開放を否定するもの http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/12/23/6256776
金正日急死への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/15/6293047
和田春樹『北朝鮮現代史』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/29/6428366
北朝鮮は社会主義の盟主を観念的に目指す http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/02/16/6722829
北朝鮮の宋日昊が日本を脅迫 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/10/10/7455119
北朝鮮を後押しする中国 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/08/8011036
朝鮮の「実学」とは? ― 2023/12/26
韓国の歴史を読んでいると、朝鮮時代(李朝時代)は近代化するだけの体制や学問、思想があったのに、日本が植民地化してこういった近代化の芽を潰した、という話があります。 その〝近代化の芽″というのが「実学」だということです。 『韓国・朝鮮を知る事典』(平凡社 1986年3月)には、次のように説明されています。
朝鮮の伝統儒教である朱子学が朝鮮王朝中期ごろからしだいに現実離れして虚学化したのに対し、儒学内部からの内在的批判を通じて登場した《実事求是》の思想および学問を実学といい、その学派を実学派とよぶ。‥‥ここにいう実学とは、実証性と合理性に裏付けられた現実有用の学問という意味である。 (182頁)
こういう類の朝鮮史を読んだ時、李朝時代に近代を準備するだけの学問があったのだ、それが「実学」という名称からして農業を始めとした産業の発展に寄与する実用書なんかがあったのだろうとイメージしたものでした。
さらに想像を膨らませました。 日本の江戸時代に近代に繋がるものとして、蘭学はもちろんのこと、例えば商人は大福帳のような精細な会計帳簿をつけていて、これが明治になって近代的企業会計を導入するのに大いに役立ったとか、関孝和のような和算学の発達が明治時代に西洋数学の理解につながったとか、つまり明治の近代化を準備する思想や学問が江戸時代に既にありました。 朝鮮も李朝時代にこのような類の学問があり、それが「実学」だと思ったのでした。
ところが、安宇植という評論家が朝鮮の「実学」について、日本のそれと比較して次のように言っています。
確かに江戸や大坂の商人の商いを見たって、町人や庶民という、武士でない人たちから、新しい儒教が実学思想として生まれてくるわけですけれど、朝鮮半島の場合は商人のなかから実学思想が生まれるなんてなかったですね。 結局、両班階級とその下の中人階級のなかから生まれてくる。
‥‥ 結局、朝鮮では実学思想が両班階級から庶民階級に流れていかないんですよ。 流れていたのは天主教(カトリック)だけでした。 あくまで身分制度がネックになっていくんですね。 実学思想を持つ人たち、ことに近世になってくると金玉均らの周辺にずいぶん集まりますね。 そして情報を提供したり、いろいろ道をつけるけれども、やはり階級的な壁というのが乗り切れなかったんじゃないかな。
‥‥ 中人階級というのは、外国からの文章、情報を翻訳したりする仕事がほとんどですから、外からの情報に一番早く接するわけです。 彼らの持ってきた情報が、たとえば実学派なり、その流れを汲む一部の人たちには入っても、そこから広がっていかない。 結局、実学派の考え方で終わってしまう。 (以上 川村湊編『韓国 知の攻略』作品社 2002年5月 118頁~119頁)
李朝時代は両班という上流階級が現実離れの朱子学をもっぱらにしてきたのですが、一部の両班階級と実務を担当する中人階級から「虚学」を批判する「実学」思想が芽生えた、しかし実学はそれに止まって朝鮮社会全般に広まらなかった、だから生産・経済を発展させることに繋がる学問はこの時代には生まれなかった、ということですね。
私はそれまで、李朝時代は実学という未熟ながらも近代を準備できるだけの学問があったと思い込んでいたのですが、それは虚像・幻想だったのでした。 「実学」は「虚学」の朱子学を批判しただけで、現実の社会を豊かにするものではなかったのです。 つまり実学は同じ儒教内での議論に止まり、近代を準備するところにまで到達していなかったと言えるのです。
姜在彦『朝鮮儒教の二千年』(朝日選書 2001年1月)や小倉紀蔵『朝鮮思想全史』(ちくま新書 2017年11月)には朝鮮の実学を解説しているのですが、その内容がようやく分かってきました。
朝鮮は19世紀後半に欧米や日本から、シャーマン号事件や江華島事件などによって開国を強要されて近代に入るという歴史を歩みました。 それは近代への準備を全くできないまま、いきなり、そして無理やりに近代に突入したのでした。 朝鮮の「実学」もまたやはり「虚学」の範囲から抜け出られなかったのです。 それが〝朝鮮の悲劇″と言える歴史の始まりだったと考えます。
李朝時代の歴史については、拙ブログでは下記のように論じたことがありますので、ご笑読いただければ幸い。
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/09/7270572
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(9)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/14/7274402
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(10)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/20/7289374
朝鮮に封建時代はなかった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/23/7919936
李朝はインカ帝国なみか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/28/7926396
福田徳三について http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/03/9054853
福田徳三について(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/21/9062338
李氏朝鮮時代の社会 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/10/14/560250
成均館大の宮嶋教授 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/20/6696277
成均館大の宮嶋教授 (続) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/25/6701490