成均館大の宮嶋教授 ― 2013/01/20
朝鮮日報に、歴史家の宮嶋博史さんのインタービュー記事がありました。この方の本は、私も読んだことがあり、参考にもさせてもらいました。実証主義的な研究者だと思っていたのですが、そうではなかったようです。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/01/20/2013012000185.html
成均館大の宮嶋教授、日本の歴史学界に苦言
2002年、宮嶋博史・東京大学教授(当時)=写真=が成均館大学東アジア学術院教授のポストに移ったとき、韓日の学界に静かな波紋が広がった。『朝鮮土地調査事業史の研究』『両班』などの力作を出版し、韓日両国で注目されていた韓国史の研究者が、東京大学教授の椅子を蹴って韓国の大学を選んだからだ。15日に会った宮嶋教授は「当時の選択を後悔はしていない。東アジアという枠組みの中で韓国史を研究するという目標を実現したから」と語った。 >来年初めに定年を迎える宮嶋教授が、約10年に及ぶ韓国での研究成果をまとめた『宮嶋博史-私の韓国史の勉強』を出版した。著書の中で宮嶋教授は、韓中日の近代を解釈する枠組みである「小農社会論」や「儒教的近代」といった研究成果はもちろん、韓国歴史学界の問題点や、歴史をめぐる韓日の対立についての考えまで披露した。 >宮嶋教授は、まず「韓国の歴史学界は、依然として西欧モデルに基づいた内在的発展論に捉われている」と批判した。「古代-中世-近代と続く発展ルートをたどった国は欧州の数カ国にすぎないのに、それを絶対不変の原則であるかのごとく東アジアやほかの世界に適用すること自体が問題」という。宮嶋教授は「ほとんどの歴史教科書が『古代-中世-近代』と書くのは、これに代わり得るモデルがないからだが、こうした欧州モデルをほかの地域にそのまま適用するのが難しいという点には、多くの研究者が同意している」と語った。 >宮嶋教授は、安倍政権の発足でさらに激化が予想される韓日の歴史対立を懸念した。「何よりもまず、従軍慰安婦やアジア侵略を、日本社会が解決すべき自分たちの問題と考えなければならない。日本は終戦直後、米軍を相手にする慰安婦を政府レベルで組織していた。日本の未来のため、こうした問題を自ら解決すべきと考えない限り、歴史をめぐる対立は、韓国や中国といった隣国との問題としか考えなくなる」 >宮嶋教授は「進歩的な歴史学界も、1990年代の社会主義諸国の崩壊とともに、歴史を解釈するスケールの大きな議論が崩れて消滅し、各研究者は個別の実証研究に没頭して無気力になっている」と批判した。日本政府の歴史歪曲(わいきょく)に対し、学界がきちんと声を上げずにいるというわけだ。宮嶋教授は「日本の知識人は、韓国の知識人に比べ、社会を引っ張っていくという責任意識が弱い。朝鮮王朝時代の両班(貴族階級)と日本の武士階級の差ではないかと思う」とも語った。 >宮嶋教授は来年定年を迎えるが、研究スケジュールは立て込んでいる。日本の歴史学界の問題点を指摘した『日本の歴史観を批判する』(創批社)が近く韓国で出版され、朝鮮の族譜を研究した『族譜』(仮題)も出版を待っている。日本では、岩波書店から『韓国史』通史、東京大学出版会から『小農社会論』が相次いで出版される予定だ。 >金基哲(キム・ギチョル)記者
韓国の歴史学界では、「古代-中世-近代」の発展段階説が主流のようです。これは知りませんでした。発展段階説については、私もかつて論じたことがあります。
「歴史の発展段階説」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigodai
(続)「歴史の発展段階説」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokudai
「階級闘争」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanadai
現代に残る古代国家 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachidai
発展段階説は世界史的に見た上での段階ですから、各個別の民族や国家の歴史にはそのまま通用するものではありません。
朝鮮史でいうと、私の考えでは「アジア的古代」のレベルのまま19世紀の開港期まで続き、日本や西欧と国交を結ぶことによっていきなり「近代の資本主義社会」に巻き込まれて植民地化され、1945年の独立解放を経て、1960年代の朴政権によってようやく自らの力で「近代」の道を歩んだと言えます。
ところで宮嶋さん、「日本の知識人は、韓国の知識人に比べ、社会を引っ張っていくという責任意識が弱い」と、おっしゃっています。ご自分のことは「責任意識の弱い日本の知識人」と自覚しておられるのですかねえ。その反省の上で、これから政治の世界に入るお考えなのでしょうかねえ。
実証主義研究に専念なさるのがいいと思うのですが。
宮嶋さんについては、中央日報にも記事があります。この朝鮮日報よりもう少し詳しいです。これはまた後日に評したいと思います。
コメント
_ 河太郎 ― 2013/01/21 23:43
_ 在特会 ― 2013/01/22 17:03
古代、中世、近代と分ける理由はなんでしょうか?
私は近代とは産業革命以後の時代で、日本では明治維新からだと思います。
朝鮮半島だけでなく、中国本土でも中世はなかったとお考えですか?
西欧の封建性=中世に類推して、
日本の中世=武士の世=鎌倉から江戸幕府まで
というのは合理的だと思います。
そこに農奴を想定する必要はないと思うので、
マルクス流の時代区分は重きはおきませんが。
日本における中国の時代区分は唐代まで古代、
隋唐から、清末まで中世、
中世が西欧のように発展しなかったことが中世的停滞を生んだ、自律的に近代化ができなかった
と考えますが、辻本さんの考えを教えてください。
_ 河太郎 ― 2013/01/23 11:20
韓国に帰化までして韓国の歴史学会に身を置いたというのは、実証的研究はそもそも氏とは縁のないことの証明でしょう。韓国で歴史問題で日本の肩を持ったら社会的に抹殺されることは常識ですから。
韓国の大学で韓国に不利な歴史研究は不可能ですので、氏の研究も結論は初めから分かっていますね。
日韓歴史問題で氏と議論する機会があれば名乗り出て対決してもいいと思っている一般市民も多いでしょう。
_ 辻本 ― 2013/01/23 20:05
近代(科学技術・国民国家・法治主義・近代産業など)を準備した、あるいは近代に繋がる時代が中世です。
古代は中世に繋がる時代です。つまり古代は中世を経て近代へと繋がります。
古代以前は、原始社会が文明の入口に立った段階になります。マルクスが「アジア的」と表現した段階です。
朝鮮は「アジア的」の段階のまま経過してきて、李朝末期にいきなり近代に接した、と考えています。
_ 辻本 ― 2013/01/23 20:08
>韓国に帰化までして韓国の歴史学会に身を置いたというのは
宮嶋博史氏が、そんな主張しているとは初めて知りました。また韓国に帰化しているとも知りませんでした。
この方を検索してみましたが、そんなことは全く出てきませんねえ。
_ 河太郎 ― 2013/01/24 00:54
帰化と竹島については保坂祐二氏の帰化と竹島認識の勘違いでした。オソマツな思い込み、早とちりで、赤面ですね。
従軍慰安婦については辻本さん引用の朝鮮日報の「何よりもまず、従軍慰安婦やアジア侵略を、日本社会が解決すべき自分たちの問題と考えなければならない。」からの類推でした。
それ以外の私の宮嶋氏についての評価はそのままにしておきます。宮嶋氏の認識が私の解釈と違うことが分かればその時に訂正します。
韓国の歴史学者の日韓史についての認識は、日韓歴史共同研究の日本側メンバーがサジを投げたことからも分かるように、とても実証的とは思えません。韓国の大学で韓国批判の歴史研究が発表できるのか疑問ですね。韓国では日本に関しては言論の自由はないと思っています。
宮嶋氏は『日本の歴史観を批判する』という本を韓国で出版するようですが、これなぞ御用学者の証明でしょう。歴史観は国により違うことを前提にしないと歴史研究は成立しません。本の題名は出版社がつけるのが通例だとしても、この題名では宮嶋氏が売らんかな主義を容認したと取られても仕方ないでしょう。
_ 在特会 ― 2013/01/26 08:34
日本は自律的に近代化したから、中世があった、
中国は朝鮮と同じで中世はなかった、と考えますか?
(中国は朝鮮と同様に)
単に時間が過ぎ去っても(古代時代が長くても)発展しなかったから中世はないと、云うべきなのか疑問が残ります。
中世的発展がなかったとしても、
アジア的爬行的中世という時代区分は考えられませんか?
_ 辻本 ― 2013/01/26 21:16
これについては、私はヘーゲルの考え方に賛成しています。
.>アジア的爬行的中世という時代区分は考えられませんか?
「アジア的爬行的中世」とは? 全く理解できない用語ですねえ。
>中世的発展がなかったとしても
「発展」という言葉の概念そのものが、私とは違っているようです。何をもって「発展」と考えるかで、歴史像は大きく違うものになります。
_ 在特会 ― 2013/01/26 23:12
>.>アジア的爬行的中世という時代区分は考えられませんか?
> 「アジア的爬行的中世」とは? 全く理解できない用語ですねえ。
しつこいようで申し訳ない、これだけもう一つ質問させてください。
では日本は近代化できたから、中世はある、
西欧と同じような発展段階説が成り立つ、とお考えですか?
_ 辻本 ― 2013/01/27 12:19
近代への準備とは、学問で言えば、蘭学や経世済民の学、町人学者たちの学、和算学等々が挙げられます。
従って、日本は近代に繋がる中世があったと考えています。
_ 在特会 ― 2013/01/27 19:28
ありがとうございます。
日本史の場合、発展段階説が成り立つように思うのですが、日本史は江戸時代の近代化準備は蘭学以外に西洋の影響は小さかったと思うので、私には偶然の一致のようにしか感じません。
西欧と日本以外で見れば、中国のような巨大な古代帝国が繰り返し興亡し、そのほうが普遍的な歴史のように思うのです。
日本では注目されていませんが、東ローマは分裂以後、1000年継続(王朝の家系は交替し)しますし、
アラブペルシャ地域も王朝の交替になってます。
学としての歴史観ではありませんが、
近代化の波が西欧で起き、それが世界規模で拡大していく過程として、各地域の近代化してゆきます。
これを地球規模で発展段階説が成り立つと理解することはできると思うのですが、
科学文明、工業生産という面以外の、
脱宗教世俗化としての法の支配、手続きとしての民主主義、所有権、財産の不可侵性などはイスラム圏や中国では進んでいません。
こののちに西欧的近代化の概念が放棄される時代が来ないとも限りません。
その時は発展段階説は正しくなかったということになるのかなあ、と考えてます。
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朴政権時代の「漢江の奇跡」も、実は朝鮮総督府の朝鮮民族資本育成のお蔭であることを実証的に明確にしたのが、カーター・エッカート『日本帝国の申し子』ですね。
朝鮮の内在的発展可能性を日本が圧殺したという韓国や日本の左翼の主張を実証的に論破したものです。
「朝鮮史上初の朝鮮資本(かつ朝鮮人経営)による大規模企業であった」京城紡績株式会社の
「現存する京紡の植民地時代の全記録と全文書を無制限に調べることを許可」してもらった末の著作です。
エッカートは「朴正熙時代の特殊な資本主義がどのような歴史的起源をもつのかを客観的に調べようとしたにすぎません」「非常に驚いたのが、京紡が初めて大きな成長をとげたのは、既存の歴史文献から想定していた1945年以降ではなく、むしろ日本による統治期だったという事実です。」
「漢江の奇跡」に貢献したもう一つの要因は日韓国交正常化ですね