韓国在住華僑の現在(1) ― 2024/12/25
韓国の週刊誌『週刊朝鮮2832号』(2024年11月4日~)に、韓国に在住している華僑のインタビュー記事(イ・ドンフン記者)が出ていました。 在韓華僑と在日韓国人とを比較してみると興味深いです。 主要部分を訳してみました。 ところどころで私のコメントを挟みます。
華僑協会選挙に挑戦した「黒白調理師」呂敬来 親韓派在韓華僑たちは韓国でも大きな財産
国内の中華料理業界の第一人者に選ばれる呂敬来シェフが、漢城華僑協会選挙に挑戦する。 最近、世界的に人気を引いているネットフリックス番組の「黒白調理師」を通してよく知られている50年の料理経歴を持つ呂敬来シェフは、台湾国籍の父親と韓国国籍の母親の間に生まれた台湾国籍の在韓華僑である。 ‥‥
「漢城」とはソウルのこと。 日本ではかつて「京城」と呼んでいましたが、中国では昔から「漢城」でした。 これは今も続いています。 昔日本では、「京城」は差別語だから使うなと騒ぐ市民団体がありました。 その時、中国は「漢城」とまるで“中国の城”のように言うのに、これは構わないのかと反論する人がいましたねえ。
漢城華僑協会は台湾政府の指導監督を受けて、在韓華僑の出生・死亡・戸籍など各種行政事務を代行する、一種の半官半民団体である。 漢城華僑協会は、旧韓末に起きた壬午軍乱(1882)の時に、清軍とともに朝鮮半島にやって来た在韓華僑たちが、その間蓄積した不動産などの固有財産を実質的に管理してきた主体として、現在ソウルだけで1万人近い会員を擁しているものと知られている。
1992年、韓中国交と同時に韓国が台湾と断交してから、中国政府も在韓華僑たちを包摂するために、「統一前線」次元で漢城華僑協会との接点を増やしてきた。 これに漢城華僑協会の次期指導部がどんな人物で構成されるのかは、駐韓中国大使館と駐韓台北代表部(台湾大使館格)など、両岸の焦眉の関心事でもある。 ‥‥
呂敬来シェフが現在副理事長である漢城華僑中学・高校は、在韓華僑子女たちが通う学校である。 学校の裏山には、壬午軍乱の時に清軍を率いて朝鮮半島に渡ってきて在韓華僑たちの始祖とされる呉長慶提督の祠堂である「呉武荘公祠」もある。 後日に朝鮮総督として君臨し、中華民国初代大総統までなった袁世凱も、呉長慶の麾下の幕僚の一人だった。 ‥‥
韓国の華僑の歴史が140年以上前の1882年の「壬午軍乱」から始まることは、覚えておいておかねばならないものです。 そしてその数年後の1880年代末に、仁川で中華街(チャイナタウン)が形成されたといいます。 さらに「袁世凱」という、日本近代史に登場する人物が出てきました。 袁世凱は朝鮮近代史でも重要人物です。
華僑は中華民国国籍でした。 1937年から始まる日中戦争の時は敵国民になりそうですが、実は日本は中国に宣戦布告しておらず、また中華民国でも汪兆銘政権(傀儡と言われています)を承認していましたから、敵国民扱いをしなかったようです。
次からは、彼との一問一答。‥‥
―原籍はどこで、祖先たちはいつ朝鮮半島にやって来たのですか。
「原籍は中国の山東省日照で、私が生まれた所は京畿道水原だ。 父の時に韓国に渡ってきた華僑二世だ。 ただし父は私が6歳の時だったか、早く亡くなって、詳しい話は聞けなかった。 光復(1945年)以前に韓国に渡ってきたが、朝鮮戦争が勃発したために帰れなかったと聞いた。 このようにして韓国に定着するようになった。」
朝鮮植民地時代の華僑は1930年頃には6万7千人程でしたが、1931年の「万宝山事件」によって激減し3万7千人になりました。 その後また増加して、1945年の解放時は約8万人だったとされています。 華僑は主に朝鮮半島の対岸である山東省から来ており、呂敬来さんも親が山東省出身だと明かしています。 「万宝山事件」は韓国人があまり触れたがらない有名な事件です。 だからでしょうか、この記事には「万宝山事件」が出てきません。 関心のある方はお調べください。
解放後、朝鮮が南北に分断されたために華僑も分断されました。 また中国本土では国共内戦が勃発し、韓国は国民党(蒋介石)側であったため、韓国に亡命する中国人が相次ぎました。 そして1950年から始まる朝鮮戦争で、さらに混乱していきました。
―弟さんの呂敬玉シェフは韓国に帰化したと聞いたが、台湾国籍では不便はないですか。
「弟の呂敬玉シェフ(前ロッテホテル中国料理「トリム(道林)」の総括シェフ)は、早くに韓国に帰化した。 弟は妻の親戚である侯徳武シェフ(前新羅ホテル中国料理「パルソン(八仙)」の総括シェフ)が帰化したので、本人も帰化したものと思う。 私は、実は帰化の必要性を感じないのだが、年月が経って子供たちが大きくなってきたから、不便を感じる。 子供たちが会社に就職しても国籍問題でビザの発給に困難が伴う。 海外出張などに、色んな難しさがある。」
―具体的に、海外出張がなぜ難しいのですか。
「台湾に戸籍がある旅券は台湾のノービザ協定が適用されるが、在韓華僑たちの台湾旅券はノービザ協定が適用されない。 たとえ会社から明日ヨーロッパに出張に行けと命令されれば、ビザが必要だ。 韓国人たちはほとんどの国家にビザが必要ないが、我々の場合は当該国家のビザ発給部署が韓国ではなく東南アジアにある。 そんな場合、我々はビザをもらうために追加で何日か必要になる。 自然と競争力が落ちて、現実的な不便のために帰化をする人も多い。 私も以前にヨーロッパやアメリカに行く時、ビザの問題で相当に難しかった。」
―台湾政府の方に不便だと訴えてみましたか。
「台湾政府側にずっと要求しているが、簡単でない。 実は韓国だけでなく、ベトナムなどの東南アジアでも台湾に戸籍はないが台湾国籍を持った華僑たちが多い。 公平の原則によって、韓国にだけ便宜をはかれば「誰かはしてあげて、誰かはしてあげない」と混乱が発生することもあり、容易くしてやれない政策的困難があるのだと分かった。」
在韓華僑はもともと中華民国(台湾)国籍なのですが、だんだん韓国に帰化する人が多くなっているようです。 台湾は世界的に承認している国家が少ないので、在韓華僑たちが海外に出る時にビザの取得でかなり苦労しているようです。 (続く)
【京城に関する拙稿】
第79題 全外教の歴史誤解と怠慢―「京城」について― http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuukyuudai
第62題「京城」は差別語ではない http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuunidai
第24題 「差別語」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuyondai
京城と名前 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/13/1851214
朝日の歴史無知 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/20/1861618
韓国で今も使われる「京城」―朝日の間違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/10/03/6591244
趙甲済、48年前の投稿―「京城」は誤り https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/17/8805084
コメント
_ 海苔訓六 ― 2024/12/25 09:08
_ 辻本 ― 2024/12/25 10:24
>韓国の中華料理は日本で普及している中華料理と違う
韓国で独自に発達した中華料理です。
>1970年代後半から華僑弾圧政策
弾圧政策は1960年代に始まっています。
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民団新聞2023年10/25に韓国のデリバリー経済の歴史が概略載ってました。
1960年代は華僑が中華料理の配達をしていたのが、1970年代後半から華僑弾圧政策の影響で華僑が台湾に移住してしまい、中華料理店で働いていた朝鮮人従業員がそれ以降韓国国内で中華料理店を営むようになった経緯が書かれていました。
韓国の中華料理は日本で普及している中華料理と違うと思いましたが、このあたりの事情が関係しているかもしれません。