1960年代の入管問題―金東希と任錫均(2)2025/02/07

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/02/02/9751631 の続きです。

その北朝鮮に彼(金東希)がとつぜん送り出されたのは、68年1月26日の朝だった。 もちろん、朴正煕による独裁政権下にあった韓国に送還されなかったのは喜ぶべきことだが、この妥協的な措置に私は釈然としなかった。 その後の彼の情報は分からない。 小田実は76年10月に当時の金日主席に会った時に、金東希のことを訊ねたが、そんな人は知らないと言われ、また後に、調査したがそのような人はいない、という返事をもらったという。 ここにもまた、戦後日本の酷薄な対応のために、空しく希望を摘み取られて消えていった人の運命がある。

これが1960年代、とくに67年から8年にかけての日本を覆っている空気だった。  すなわち過去の反省はなおざりにされ、戦争への協力は露骨になってゆくが、なおかつそれに抵抗しようとする少数の人々が懸命な努力を惜しまなかった時代である。 (以上 鈴木道彦『越境の時 1960年代と在日』 集英社新書 2007年4月 147~148頁)

 この時期の日本はいわゆる全共闘時代で、革新(左翼リベラル)の考え方というか雰囲気が社会に蔓延していました。 革新系の人たちは、“日本は過去を反省せず、アメリカの戦争に協力している”として、そんな日本に対する反対運動を盛んに行なっていたのです。 この一文はこのことを言っています。

 ところで結局は金東希は北朝鮮に亡命し、現地で大歓迎を受けました。 その後に作家の小田実が訪朝した際に北朝鮮当局に問い合わせたところ、当局はそんな者を関知していないと回答しました。 ところが一方では、日本の朝鮮総連内で次のような噂話が飛んでいました。 出典は、張明秀『裏切られた楽土』です。

当時(1975年)、私は総連中央社会局で実質的責任者として帰国事業に携わっており、この話(在日朝鮮人商工会会長の息子が65年頃に帰国し、その後行方不明になった)を社会局長(故河昌玉氏)に報告した。 すると局長から、「韓国国軍を脱走し、共和国に亡命した金東希青年もスパイとして処刑されているくらいだから」との返事が返ってきた。

補足すると、金東希とは67年、韓国の軍隊を脱走し、日本に密入国したが、捕えられた。 当時、総連ではこの金青年の行為を英雄のごとく称え、社会党、共産党、日朝協会などに働きかけて、支援を得て日本当局に抗議、陳情した結果、金青年は68年ソ連を経由して共和国に亡命した。 共和国ではその英雄視された金青年でさえ処刑されたのだから、普通の帰国者の行方不明くらいはものの数ではない、というわけである。 (以上 張明秀『裏切られた楽土』講談社 1991年8月 48頁)

 北朝鮮は公式の話より裏の話に真実があるというお国柄ですから、この噂話が事実のように思われます。 おそらく金東希は処刑されたのでしょう。 ところで金東希は韓国に家族を残していたはずですが、その家族の消息も気になります。 しかし全く分からないですね。

 

 金東希の次に入管問題の話題になったのが任錫均でした。 彼については、拙ブログ https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/11/9568486 で、次のように記しました。

ここで思い出すのは「任錫均」です。 1960年代後半に韓国の朴正煕軍事政権から弾圧を受けたとして日本に密入国し、大村入管収容所に収容され、特在だったかで釈放されていたように記憶しています。 その時に彼は韓国の軍事政権と癒着する日本の自民党政権を糾弾する闘士として登場し、日本各地で講演を繰り返し、彼を守る運動が繰り広げられ、彼はまるで英雄みたいな扱い受けていました。

 任錫均は大村収容所に収監されていた時に、市民団体や朝鮮総連より支援されていました。 そして在留特別許可を得て出所し、日本各地で開かれた集会で演説をして回っていました。 アジ演説はなかなか上手だったですねえ。 「ここに来ている公安諸君! 私を逮捕してみたまえ!」とか叫んでいました。 また私の記憶では日本人(あるいは在日?)の女性と結婚し小さな女の子がいて、その時期の日本名は「神保(じんぼ)」だったと思います。 しかし1970年代になって、朝鮮総連から一転して「韓国のスパイ」と名指し非難されました。 1973年頃でしたか、私は総連の活動家からスパイ説を聞かされましたね。 さらに

実はこの任錫均が大の女たらしで、支援団体に参加する若い女性をそれこそ次から次へと犯していくのでした。 しかし反体制組織内のことでしたから、警察沙汰になることはなく、つまりは女性側が泣き寝入りするしかなかったのでした。 

と記したように、性犯罪常習者としか言いようのない人物でした。 しかし実際の人柄というか裏面を知らない「善良な」市民団体が彼を支援していたのでした。 だからでしょうか、彼はいつの間にか消えてしまいましたねえ。 ごくわずかの支援者(うち一人は後の土肥国会議員秘書らしい)らと一緒に活動をしていたように聞いたことがありますが、誰からも注目されることがありませんでした。 その後の消息は全く不明です。    (終わり)

1960年代の入管問題―金東希と任錫均(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/02/02/9751631

 

【参考】

 任錫均を知っていた人が当時の思い出を書いていますね。 

https://tao-and-gnosis.hateblo.jp/entry/2022/08/01/100239   https://blog.goo.ne.jp/sunsetrubdown21_2010/e/6ff662d2a178b81991299370ed425c43

【拙稿参照】

左翼人士の性犯罪に思う     https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/11/9568486

入管闘争―善人だから闘うのか、善人でなくても闘うのか https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/25/9588921

不法滞在・犯罪者の退去・送還-1970年代の思い出 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/21/9379672

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

不法残留外国人について    https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331

不法残留外国人について(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363

かつての入管法の思い出     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

在日が入管問題に冷たい理由―『抗路』を読む https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/20/9587549

密告するのは同じ在日同胞―『抗路9』座談会 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/03/9468948

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