ホーチミンと丁若鏞―韓国で広がったトンデモ話(2)2024/09/21

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/09/16/9717148 の続きです。

 こんなトンデモ話が韓国にどのように広がったのかを解説してくれている記事がいくつかありますが、一番まとまっていて信頼できそうなものを紹介します。 2019年10月22日付けの『朝鮮日報』です。 https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2019/10/22/2019102200035.html

 主要部分を訳しました。 時系列になっていないところは、本文のままです。 所々で私の説明を挟みます。

ベトナムの国父であるホーチミンが『牧民心書』を読んだ? ウソです!

大統領の『牧民心書』自慢

2017年11月11日、大韓民国大領領の文在寅は、ベトナムのホーチミン市で開かれた「ホーチミン―慶州世界文化エクスポ」開幕祝賀メッセージで、このように語りました。 「ベトナム国民が最も尊敬するホーチミン主席の愛読書が、朝鮮時代の儒学者である丁若鏞公が書いた『牧民心書』だということは広く知られている事実です」。 一国の大統領が、両国交流の象徴として公式的に丁若鏞とホーチミンに言及したので、大韓民国の人間としてこれ以上の感無量の喜びがどこにあるでしょうか。

 7年前の2017年にベトナムで開かれた国際行事に、韓国の文在寅大統領は祝賀映像メッセージを送りました。 その中で両国友好の歴史として、「ベトナム国民が最も尊敬しているホーチミン主席の愛読書が朝鮮時代の儒学者丁若鏞公の『牧民心書』だということは広く知られている事実です」というトンデモ話を持ち出したのでした。 韓国では大統領がこのトンデモ話を信じて外交するほどに深く根付いていたのです。 こんな話を聞かされたベトナムの人たちは何を言っているのか分からず、ポカンとしたでしょうねえ。

ホーチミンの『牧民心書』愛読説は、20世紀後半のある時から世間に知られるようになった。 ベトナムの民族英雄であり国父であるホーチミン(胡志明)が茶山(丁若鏞の号)を慕って『牧民心書』を愛読し、命日にはチェサ(法事)を執り行なったというのだ。 枕元にいつも『牧民心書』が置かれていて、不正と非理を追放するために『牧民心書』が必読の書だったというのだ。

一緒に銃を構えて戦ったという悪縁の国だったから、民族の自尊心を鼓吹するのに十分な話だった。 2019年10月現在でも、インターネットポータルで『牧民心書』を検索すれば、十中八九はホーチミンの愛読書と出てくる。

 「一緒に銃を構えて戦ったという悪縁の国」とはベトナムのことで、韓国は1960年代後半~70年代前半にベトナム戦争に参加しました。 

 「목민심서 호치민」(牧民心書 ホーチミン)で検索すると、出てきますねえ。 ただし、“これはウソだ”とする記事もここ4・5年の間に出てきています。 今回ここで紹介する『朝鮮日報』記事もその一つです。 しかしそれでも今なおトンデモ話を信じ込んでいる人はいるようです。

さあ、「ベトナムの国父ホーチミンの丁若鏞崇拝」説を暴いてみよう。 まず結論から言えば、ホーチミンは『牧民心書』を読んだことがありません。

ホーチミン愛読説の始まりと流布

1993年、大韓民国津々浦々を生きている博物館だとする本『私の文化遺産踏査記』第一巻が出た。 全羅南道康津、海南の歴史文化遺跡を紹介するこの本で、著者のユ・ホンジュンは次のように記録した。 「越盟(ベトナム独立同盟会)のホーチミンが不正と非理追放のためには朝鮮の丁若鏞の『牧民心書』が必読の書だと言ったという話が伝えられているので、これがあの方の偉大さを証明するものとしたい」(ユ・ホンジュン『私の文化遺産踏査記』第1巻70p)

これより1年前の1992年、小説家のファン・インギョンは小説『牧民心書』のプロローグで「ホーチミンは一生の間、枕元に牧民心書を置いて教訓とした」と書いた。(チェ・グンシク「ホーチミンの牧民心書愛読の可否と認定説の限界」2010)

やはりその頃の時期に、詩人の高銀が『京郷新聞』に、次のような文を寄稿した。 「私の山河 私の人生―革命家の死と詩人の死」というタイトルで、「ホーチミンは少年時代、激動の朝鮮後期の実学者である丁若鏞の牧民心書を求め、彼の命日を知って追悼することを忘れないようにした。」(1994年7月17日『京郷新聞』9面)

「茶山研究所」は、茶山丁若鏞の研究に大きな貢献をした団体である。 この団体のホームページの「解き明かす茶山の話」には、次のような文が掲載されている。 「ホーチミンの枕元には『牧民心書』がいつも置かれていたというのだ。 茶山の命日の日まで知っていて、毎年チェサ(法事)を手厚く執り行なってもいた。(下略)」 この文を書いた人は、茶山研究所理事長のパク・ソクムであり、掲載日は2004年7月9日である。

 「茶山」は丁若鏞の号です。 朝鮮の歴史上人物や現代韓国でも有力人士には「号」を持つ人が多いですね。

問題は、これらの知識人たちが主張した“ホーチミンの丁若鏞尊敬説”が口だけの主張に過ぎず、全く根拠がないという事実である。

1990年代初めからどっと出てきた“ホーチミンの『牧民心書』愛読説”。 茶山研究所の掲示板、『私の文化遺産踏査記』第1巻、1994年詩人高銀の新聞寄稿文。 今も修正や取り消しは、されていない。

 トンデモ話は1990年代以降に、専門の研究者までもが言い出すようになりました。 なお例として出された三つのうち、茶山研究所はこの『朝鮮日報』の記事が出た直後に間違いだったと認めました。 それ以外は訂正していないようです。

 ところでこの『朝鮮日報』記事には、高銀さんがトンデモ話を最初に書いたコラム(1988年『ハンギョレ』新聞―前回の拙ブログで掲載)が抜け落ちています。 おそらく、2019年の時点ではこの『ハンギョレ』新聞のコラムがまだ発見されていなかったのではないかと思われます。 (続く)

ホーチミンと丁若鏞―韓国で広がったトンデモ話(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/09/16/9717148

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