ホーチミンと丁若鏞―韓国で広がったトンデモ話(1)2024/09/16

ハンギョレ新聞1988年11月3日

 先の拙ブログ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/09/09/9715413 の最後で、下記のように記しました。

丁若鏞は日本ではほとんど知られていませんが、李朝時代後期に実学思想を集大成したとして、韓国では有名な歴史上の人物です。  〝ベトナムの革命家ホーチミンがその丁若鏞の本を愛読していた!?″ 〝しかもチェサ(法事)までしていた!!??″ 高銀さんがこんなことを本当に言っているのかと思って検索してみると、どうやら本当です。 

 ベトナム初代主席で独立革命家であったホーチミンが、“李朝時代の実学者として有名な丁若鏞の著書『牧民心書』を愛読していた”なんて話が韓国にあるなんて、本当? 信じられない!と思いつつ、「호치민 정약용」(ホーチミン 丁若鏞)で検索してみました。 すると本当にあるのです。 多数ヒットしており、韓国ではかなり広がっていて、多くの韓国人が信じていることを確認できました。

 しかしこの話は日本語で検索してもほとんど全くと言っていいほどに出てこず、また肝心のベトナムでさえも知られていないので、全世界では韓国だけで信じられているものと思われます。 つまり韓国だけに長年にわたって信じ込まれてきた、歴史のでっち上げ話なのです。 韓国の歴史捏造過程を考える上でちょっと参考になるかなと思い、取り上げてみます。

 誰がこんなことを言い出したのかを調べてみたら、やはりあの有名な詩人の高銀さんでした。 高さんは36年前の1988年11月3日付け『ハンギョレ新聞』にその話を書いたのですが、それが今のところ確認できる最初の資料のようです。 その新聞コラムを提示します↑。 コラム名は「ハンギョレ論壇 高銀 コラム」で、タイトルは「孫文とホーチミンと金九」です。 このコラムの右側の上から3行目から9行目までのところに、ホーチミンと丁若鏞『牧民心書』のことが次のように書かれています。

그의 젊은 날, 청말의 실학, 조선의 실학과 함께 베트남의 유학에도 실학이 일어났다. 그래서 호지명 총각은 조선의 정약용이 남긴 <목민심서>를 읽고 받은 감동으로 정양용의 기일을 알아내 제사를 지내기도 했다. 그런 그는 프랑스 제국주의, 일본 제국주의, 미제국주의와의 싸움으로 생애를 불살랐다. 싸움꾼이건만 인물이 컸다.

 訳しますと

彼(ホーチミン)の若かりし頃、清末の実学、朝鮮の実学とともにベトナムの儒学にも実学が興った。 だからホーチミン青年は朝鮮の丁若鏞が残した<牧民心書>を読んで感動し、丁若鏞の命日を知ってチェサ(法事)を執り行なうこともした。 そんな彼はフランス帝国主義、日本帝国主義、アメリカ帝国主義との闘いに生涯を燃やした。 闘士であるが、人物は大きかった。

 “ホーチミンが丁若鏞の『牧民心書』を愛読していた、チェサ(法事)までしていた”という話は韓国だけに広がり、長年信じられてきたのですが、最初の言い出しっぺはこの高銀さんのコラムのようです。 今のところ、これより古いものは見つかっていないです。 そして高さんは6年後の1994年7月の『京郷新聞』でも、ホーチミンと丁若鏞の『牧民心書』について同じようなことを書いたのでした。

 想像ですが、高銀さんの夢の中にホーチミンと丁若鏞が現れた、あるいは高さんが酒席の与太話を聞きつけて新聞に書いた、そう考えたくなるようなレベルの話です。 つまりトンデモ(=デタラメ)話なのです。 上述したように高さんはそのトンデモ話を1988年と1994年の二回にわたって全国紙に書きました。 外国の建国英雄が自国の歴史的有名人を尊敬してその著書を愛読していたという話は韓国人の心に響いたのでしょうか、韓国全体に広がって信じられるようになったと考えられます。 (続く)

 

【追記】

 高銀さんは古くからの有名な詩人で、ノーベル文学賞の候補に何度も挙げられたとされ、韓国文壇の重鎮とも言える人でした。 朴正煕・全斗煥大統領の軍事政権時代に果敢な民主化闘争を担い、逮捕されたこともありました。 そんな華麗な経歴を有する方でしたから、社会的影響力も大きかったです。 そんな方が大手の新聞に二回も書いた話ですから、韓国では信じられて広がったのでしょう。

 なお高銀さんは2017年に、悪質なセクハラを長年にわたって常習としてきたと暴露されて世の指弾を浴びました。 今は引きこもっておられるようです。 拙ブログでは高さんのセクハラについては、下記で触れています。

Me Too:韓国を揺るがす著名文化人のセクハラ暴露 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/28/8795521

韓国Me too運動の記事    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/05/9231706

 

【追記】

 「チェサ」は漢字で「祭祀」と書くもので、日本語では「法事」「法要」が一番意味の近い言葉です。 しかしそれは仏教用語なので、果たして適当かどうか疑問になります。 一方、在日韓国・朝鮮人たちは多くが仏教徒でないですが、「法事」と言いますね。 このブログでは「チェサ(法事)」あるいは単に「チェサ」としておきます。 

 高銀さんは、ホーチミンは血縁でも何でもない丁若鏞の命日にチェサ(法事)をしていたと書いたのでした。 チェサというのは必ず血縁家族が行なうものであり、いくら親しくなった人でも他人の집안(家・身内)のチェサをするなんて、あり得ないことです。 ですからホーチミンが丁若鏞のチェサをしたという話は、ベトナムの国父であるホーチミンは韓国の歴史上の人物である丁若鏞を血の繋がった身内とするぐらいに尊敬していたとなって韓国人の自尊心をくすぐり、韓国社会に広がったと考えられます。

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