不法滞在・犯罪者の退去・送還-1970年代の思い出 ― 2021/05/21
5月18日付の産経新聞に「〈独自〉不法滞在の外国人、実刑判決の半数が難民申請 現行法で送還できず」と題する記事があります。 https://www.sankei.com/politics/news/210518/plt2105180041-n1.html
記事によると、日本国内で犯罪を犯して実刑判決を受けた外国人のうち、半数が「難民認定申請」をしているといいます。
約3100人の中で不法滞在以外に罪を犯し、懲役3年以上の実刑判決を受けた人は約310人で、うち約150人が難民認定申請中だ。懲役5年以上は約180人中約90人、懲役7年以上は約90人中約50人が難民認定申請している。
そのうちの具体例を挙げています。
たとえば、あるアジア人の男は強制わいせつ致傷罪で懲役4年の実刑判決を受け、仮放免中に強姦致傷罪(現強制性交等致傷罪)で懲役6年の実刑判決を受けたが、現在2回目の難民認定を申請している。アフリカ人の男は恐喝などの罪で懲役2年6月の実刑判決を受け、仮放免中に強姦罪(現強制性交等罪)で懲役5年など2度の罪を犯し、4回目の申請中だという。
不法滞在者が摘発された場合、難民認定を申請すれば認定されるか却下されるか決まるまでの間、母国への強制送還を免れ、また国内で働くことが可能になります。 不法滞在者たちの民間ボランティア相談窓口でも、どうしても日本にいたいのなら難民申請しなさい、却下されてもまた申請すればいい、その間は送還されずに日本におれますよ、と助言しているといいます。 ですから日本ではその分、難民申請の数が多くなり、そして認定される人の割合が低くなります。
ところで上述の産経新聞は、不法滞在どころか懲役3年以上の重犯罪の外国人の半数以上が難民申請しているという事実を伝えるものです。 難民申請が強制送還を免れるための便利道具になっているわけですね。 日本の難民認定は厳しすぎる、もっと難民を受け入れろ!と批判する人が多いようですが、外国人犯罪者をどう考えるかを聞いてみたいものです。
また私事ですが、この記事を読みながら1970年代を思い出します。 日本はこの当時まだ難民条約に入っていませんでしたので「難民」なる外国人はいませんでした。 外国人の退去・送還問題といえば、ほぼ100%韓国・朝鮮人であった時代です。
当時の在日韓国・朝鮮人は126-2-6、4-1-16-2、協定永住等の在留資格でしたから、オーバーステイというのはほとんどなく、問題の多くが韓国からの密航者、および在留資格を持っていながら懲役7年以上の犯罪者(1965年以前は懲役1年以上でしたが、日韓条約以降7年以上等に変わりました)でした。 ごく少数ですが、北朝鮮からの工作員潜入もありました。
韓国からの密航者は10年20年と長年日本で暮らしてきた人も多く、それがある日発覚します。 多くは同胞からの密告だといいます。 すぐさま逮捕・収監され、強制送還の手続きがとられます。 それまで日本で安定して生活してきたのが一変し、当時まだまだ貧しかった本国に送還されるのですから、必死に抵抗します。 民団はそんな不法入国者を相手にしませんでしたから、在日韓国・朝鮮人問題を善意でやっていた日本人などに電話をかけ、何とかしてくれと頼むことになります。
日本朝鮮研究所(後の現代コリア研究所―今は閉鎖されてインターネット版の機関紙を発行するのみ)の佐藤勝巳さんは、こんな電話が増えてきて、なかには今入管と警察が家の前に来ているという切羽詰まった電話もあったと言っておられましたねえ。
市役所の外国人登録を担当したことをきっかけに在日の生活相談をボランティアでやっていた人は、密航者からの相談、ついには犯罪者からの相談まで来るようになり、もうやっていられないと活動を止めました。
1965年の日韓条約の法的地位協定により、在日は7年以上の懲役刑を受けると強制退去(送還)されることになりました。 ですから1972年頃からこれに基づく強制送還が始まりました。 その第1号が申さんという方で、刑務所から出所したらすぐに収監されて、強制送還されそうになりました。 彼には年老いた母親がおり、韓国には身寄りがおらず、また韓国語も知らないという事情があったので、彼を守ろうとする市民運動が起きました。 結局は法務大臣の特別在留許可がおりました。
ところが、ある在日が彼に同情することなく、罪を犯したのだから韓国に送還されるのは当然だと言ったので驚いたことを記憶しています。 自分は法を守って生きてきたのに、そんな犯罪者と一緒にしてほしくないという気持ちのようでした。
法務省に保護司という制度があります。 刑務所から出所した人を更生保護する役割を務める仕事で、この方から次のような実話を聞いたことがあります。 ある在日が仮釈放されて自分のところの担当となった、ところがその在日はすぐさま収監されて大村収容所に送られたと聞きビックリした、出所した人を更生させねばならないと思っていたのに、日本から追放するという処置に納得できない、これでは二重処罰ではないか、と言うのでした。 保護司という仕事を長年やっておられると、こういう感想になるものだなあと思いましたねえ。
産経の記事を読みながら、昔の思い出を書いてみました。 今回もまとまらない文章になりました。
【拙稿参照】
不法残留外国人について(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363
不法残留外国人について http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331
かつての入管法の思い出 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547
昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536
8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206
在日の密航者の法的地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874269
韓国密航者の手記―尹学準 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/03/7933877
集英社新書『在日一世の記憶』(その3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/12/31/4035996
コメント
_ かつてはk国すきでしたよ ― 2021/05/23 07:29
_ 辻本 ― 2021/05/24 07:25
運動の関係者ですかな?それとも、どこかネット情報にありましたかな?
彼はタクシーの運転手をしていました。
1980年ごろまでには消息を聞かなくなりましたね。
_ かつてはk国すきでしたよ ― 2021/05/28 16:32
申京煥さんはどうしようもない人でしたねえ。善い人だから助けるのか、善い人でなくても人間だから助けるのか、とかいう議論がありましたね。
_ 辻本 ― 2021/05/28 21:35
私が申さんに会ったのは一回だけで、ほとんど話をしませんでしたので、彼のことは詳しくは知りません。
集会では、親がいるので韓国に帰りたくない、罪を犯したことは反省していると言っていたのを記憶しています。
_ 海苔訓六 ― 2023/01/16 15:47
確かお父様が保護司をなさっていてお母様が朝鮮人だったと書いてありました。
松田優作さんは実質母子家庭だったのですけど大下英治さんの本を読む限りではアメリカ留学したりそこそこ裕福な家庭環境っぽかったですね。
逆に新井英一さんの家庭は同じ朝鮮人母子家庭でも極貧だったことが野村進『コリアン世界の旅』でレポートされていたので、松田優作さんの本と対比しながら読んでました。
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