『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」 ― 2021/06/02
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682 の続きです。 趙博さんは「BLM運動を/に、学ぶ 『在日』公民権運動の『夢』」という論考で、在日について次のように論じています。
1952年の「日本国籍離脱=選挙権剥奪」以降、我々「在日」は外国人という身分に貶められ、それを強要された。 ‥‥ その実は「無権利状態」以外の何物でもなかった。日本政府は「在日」の諸権利については「外国人だから」を根拠に排除する。 典型例は「外国人だから選挙権がないのは当然だ」である。
一方、独自的な民族教育を認めよ等と主張すれば「日本に住んでいるのだから日本の法律に従え」と、認めない。 同様の論理で「日本に住んでいるのだから」、税金は日本人「並」に取る。 事ほど左様に、無権利状態とは、権力によって恣意的に排除(強制送還を含めて)されたり、包摂されたりする、ということなのである。(以上169頁)
彼はこんな考えを展開しておられます。 「選挙権剥奪」「外国人という身分に貶められ」「無権利状態」「独自の民族教育を認めよと等と主張すれば‥‥認めない」等々という文言から分かるように、「外国人だから」という理由で日本社会・権力から差別と被害を受けてきたという考えです。
事実関係で間違いを一つ指摘しておきます。 在日は1952年に「選挙権剥奪」されたとあります。 しかし終戦後の1945年衆議院選挙法、1947年参議院選挙法および地方自治法、1950年の公職選挙法、これらすべての法律には「戸籍法の適用をうけないものの選挙権および被選挙権は当分の間停止する」として、在日を排除しています。 つまり「選挙権剝奪」は1952年ではなく、1945年です。
そして外国人と内国人との法的処遇が違うのは、世界どこの国でも当たり前です。 法的処遇が違えば、権利も違います。 外国人が内国人と全く同じ権利というのは、あり得ません。 それを「差別」だと主張するのなら、“合理的な外国人差別は正当である”としか言いようがありませんねえ。
もう一つ、1945年の日本敗戦時に、朝鮮人たちは在日も含めて、これで日本人でなくなったと「解放」を喜び、「万歳」を叫んだ歴史を忘れておられるようです。 在日朝鮮人が外国人(韓国・朝鮮籍)になることを望んだのは、本国の韓国や北朝鮮政府だけでなく、当人たちもそうだったことを強調しておきたいと思います。
さらに趙さんは、在日が日本人でなく外国人となって参政権を喪失したことを「剥奪」と表現しておられます。 「剥奪」は正当に保持されてきた権利が奪われることを意味しますから、それまで日本国籍を持ち参政権を有していたことが正当となります。 つまり彼は日韓併合によって朝鮮人が日本国籍を有したことを合法正当だと考えていることになります。
ところが本国の韓国や北朝鮮は、日韓併合は不法不当であり、従って在日含めて朝鮮人は日本国籍や参政権を有していること自体が不法不当だったという主張になります。 つまり朝鮮人が日本の国籍と参政権を喪失したのは、元の姿に戻っただけということです。ここに趙さんの「剥奪論」の矛盾を見るのですが、彼はこれについて何も言っていませんねえ。
われわれ「在日」の苦労と不条理の源泉は、「差別されていてもそれが差別だとは認められない。国籍の違いを根拠とした権利の制限は差別ではない」とされてしまう日常と現実のシステムに存する。(170頁)
とありますが、上述してきたように、これは「不条理」でありません。 繰り返しますが“合理的な外国人差別は正当”なのです。
私は、在日の「苦労と不条理の源泉」は外国人差別にあるのではなく、朝鮮人の血を引いているからという民族差別にあると考えています。 外国人差別は帰化すれば解決しますが、民族差別は帰化したからといって解決するものではないからです。
しかし今、在日の結婚相手は日本人の場合が90%で、在日同士の結婚が10%となっている現状を考えると、民族差別は解消しつつあるものと考えています。
なお「民族差別」といえば、在特会とかネットウヨとかの激しいレイシズムがあります。 こういった人たちの発言内容を見ると、常人には理解し難いものばかりです。 なぜあのような人格を否定するような発言を繰り返すのか。 自分は特定されないと思い込んで、大胆かつエゲツない差別発言を平気でするでしょうねえ。 そろそろ法的規制をかけて、発言者の身元をすぐに探ることができるようにする時期に来ているのかも知れません。
【追記】 植民地時代の朝鮮人の参政権ですが、来日した朝鮮人には参政権がありました。 当時の在日朝鮮人は日本(当時は内地)の選挙時には投票も立候補もすることもできました。 そして投票にはハングルを使うこともできました。 実際に朴春琴は衆議院選挙で東京4区から四回立候補し、二回当選しています。
なお朝鮮本土には選挙区が設定されなかったので、朝鮮に住む朝鮮人はもちろんのこと、日本人も選挙権がありませんでした。 なお厳密に言えば形の上では被選挙権がありました。 日本のどこかの選挙区から立候補することは法律上可能でした。
【追記の追記】
立候補して当選した人がいました。 コメント欄をご参考ください。 訂正します。
【拙稿参照】
在日誌『抗路』への違和感(1)―趙博「本名を奪還する」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682
在日の自殺死亡率 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369020
在日の低学力について(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/28/9371638
在日の低学力について(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/05/9374169
在日総合誌『抗路』に出てくる「北鮮」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/16/9338000
金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120
趙博さんの複雑な名前 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/02/9171893
第71題 戦前の在日の参政権 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuuichidai
差別の自作自演事件 ― 2021/06/06
5月31日付けの神戸新聞で、部落差別動画を削除せよという裁判所の仮処分が出たというニュースがありました。
https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/202105/0014374521.shtml
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202105/0014373243.shtml
兵庫県丹波篠山市内の同和地区を撮影した投稿動画がインターネットサイトで公開、放置され「差別が助長された」として、同市と地元自治会が、サイト管理会社「ドワンゴ」(東京)に動画削除を求める仮処分を申し立て、神戸地裁柏原支部が削除を命じる決定を出していたことが30日までに分かった。関係者によると、部落差別動画の削除を命じる仮処分は全国初という。
神戸新聞は地元の新聞だけあって、市長の会見含めて、もう少し詳しく続報しています。 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202105/0014373785.shtml
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202105/0014375201.shtml
https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/202106/0014375873.shtml
この記事を読んで不思議に感じました。 地裁の仮処分決定は2月です。 公表されたのはその時ではなく、それから三ヶ月も経った5月末で、しかも市長が直接に記者会見しています。
何か変だなあと思っていたところ、何十年か前に起きた「差別落書き自作自演事件」を思い出した次第です。 私の手元にはこれに関する資料はもう捨ててしまったのですが、ネット上では「篠山町連続差別落書き事件」などで検索できます。
今回問題となった「差別動画」は削除されていますので、今は見ることができません。 ですから決めつけられませんが、1983年の「差別落書き事件」の舞台となった地区がこの「差別動画」の場所ではないだろうか、と推測しました。
推測を重ねますが、動画に「差別落書き事件」があったからこそ、もう絶対に思い出したくない過去と考えていた地元市民たちの神経に障ったのではないか、だから市長までもが乗り出したのではないか。
推測を重ねてはいけないことは分かっていますが、どうも腑に落ちない新聞記事だったので紹介してみました。
参考までに、差別の自作自演事件、あるいは自作自演を疑われる事件はここだけではなく、他にもいくつかあります。 このうち自作自演と判明したものは、次の通りです。
福岡県立花町連続差別ハガキ事件
解同高知市協「差別手紙」事件
滋賀県公立中学校差別落書き事件
在日のアイデンティティは被差別なのか―尹健次 ― 2021/06/12
『抗路8』(2021年3月)に尹健次さんの「日本語と朝鮮 主体の揺らぎ」と題する論考があり、在日のアイデンティティ(主体性)について次のように書いておられます。
そもそも、「在日」を生きるとは、差別に抗して生きることであった。(141頁)
つまりは、「在日」の民族的アイデンティティは、被差別体験という触媒によって獲得され、それは「日本」「日本人」にあがらうことをひとつの本質としてきた。(142頁)
(在日)三世・四世は日本社会のなかに溶け込み、日本語を確実に母語とする生活を営みながらも、被差別的な違和感に苛まれることが少なくなく(143頁)
(在日の若者は)朝鮮語を学ぶことによって差別社会・日本で人間としての自己を確認し、再生しうる道を切り拓いていった(145頁)
日本によって奪われ、屈従を強いられる主体性を奪還しようとするときも、多くは日本語で思考し、表現していかざるを得なくなる。(149頁)
出自・来歴を朝鮮半島だと意識し、日本の朝鮮侵略の真実を自覚する方向に向かうかぎり、「民族性」を帯びた在日文学は終焉を迎えることはなく、日本と朝鮮の不幸な関係を清算するためにも、「抗い」「ともに生きる」道を模索しつづけることになる。(151頁)
「在日」はもちろん、世界にあふれる移民・難民にとって、異郷・苦境・被差別の中で感得する出自や来歴の自覚ないし意味づけはアイデンティティのより重要な要素になっていく(163頁)
尹さんは在日のアイデンティ(主体性)について、このように「被差別」「日本の朝鮮侵略」「植民地主義」という言葉で表されるように、過去の歴史とそれに続く差別という“被害者性”に求める発言を繰り返しておられます。
日本の植民地から解放されたのが1945年ですから、それから76年。 36年間の日帝植民地支配の二倍以上の年月が過ぎており、今では植民地を体験した在日は超高齢者で、ごく少数となっています。 それでも「朝鮮侵略」「植民地主義」が在日の主たる課題としているところに、私の大きな違和感があります。
また「被差別」とありますが、確かに日本社会では1970年代前半までは在日朝鮮人差別は激しかったし、そして日本人から差別されたことは当時の在日の共通体験でもありました。 民族差別反対闘争(いわゆる日立闘争)では、俺にも言わせてくれという在日が次々と現われ、真に迫った被差別の実体験談が多く語られたと言います。 それが1980年頃から、在日の若者に民族差別のことを言っても「一体どこの話?」と言わんばかりにポカンとしていると聞くようになりました。
1980年代になると、民間企業は日立闘争で在日側の勝利によって就職差別をしないようになり、また公務員就職差別は一部を除いて国籍条項がなくなってほぼ解決し、福祉等における差別も1982年の難民条約以降多くが解消しました。 それでも在日は差別されているのだと指紋押捺反対の運動などが盛んになりましたが、これも1991年の特別永住制度で解決しました。
今や在日への差別は、在特会とか嫌韓偏執狂としか言いようのない一部の日本人の特異言動に限られていると、私は考えています。
ところで尹さんは、今は在日の主体が揺らいでいると論じます。
(在日の)世代交代がすすんだ現時点において、また「帰化」その他で日本社会に溶け込み、民族とか祖国、母国語といった思考意識を持たない、持てない多くの「在日」出身者がいることも確かであろう。 「在日」の定義自体、植民地支配の所産、国民国家・日本の枠内にあるマイノリティということではすまなくなっている。「祖国」や「母国語」という言葉そのものが実体を欠いた「幻」になっているのかも知れない。(162頁)
尹さんはこのような「主体の揺らぎ」を最近のこととしておられるようですが、実は1980年代以降から進行してきたものです。 在日は本国韓国人と言葉が通じる一世が引退するともに、韓国にいる親族との往来が途絶えるようになり、ついには「民族」「祖国」「母国語」とは切れていくのが大部分です。
二世は一世の両親の夫婦喧嘩で飛び交う母国語(朝鮮語)を聞いたり、本国の親戚と時おり連絡する両親の母国語を傍で聞くことがありますが、三世以降になるとそんな母国語を聞くことすらなくなります。 つまり母国語は完全に外国語となっていっています。
また本国の民主化運動家たちとイデオロギー的連帯をして、「民族」「祖国」のつながりを保っている方がおられます。 しかしそんなイデオロギーで日常生活を送るのは一部の活動家くらいですね。
例えば4年前の韓国大統領選挙の時に「文在寅」に投票しようと呼び掛ける在日活動家がいましたが、投票するには領事館に二回行かねばならず(選挙人登録と投票)、実際に投票に行った在日はほんのごく少数です。 私の周辺では、活動家の方を除けば皆無でしたねえ。 いまや在日にとって「祖国」はそれほどに関心外なのです。
尹さんはこのような在日の主体の希薄というか「揺らぎ」に対して、「脱植民地主義の課題」を提起します
(在日は)脱植民地主義の課題を自分の問題として意識するとき、出身地や母国語といったことにつながる言葉が、改めて自らの生き方を模索するキーワードにもなる(163頁)
在日はいつまでも過去(植民地主義)からの脱出を課題として生きていかねばならないと、尹さんは主張しておられるようです。 つまり“「在日」が「在日」たる所以(ゆえん)”は75年以上昔の植民地主義を引きずる日本社会からの被差別である、というのが彼の考え方ということです。
別の言い方をすれば、「在日」は差別問題が解決すれば「在日」としての存在はなくなる、だから植民地という過去にこだわって差別問題をいつまでも未解決のままにしておかねばならない、となるように思われます。
もう一つ別の言い方をすれば、「在日」は日本という存在があるからこそ「主体」があるのであり、だから日本に依存することに「主体」の源泉がある、ということになりますね。
【拙稿参照】
在日企業が在日を採用しない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/01/9159811
在日三世女性の発言への違和感 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/09/08/9150680
同化されない外国人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/01/8206320
アルメニア人の興味深い話―在日に置き換えると http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/26/7812267
姜信子『私の越境レッスン・韓国編』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/20/7738016
「チョン」は差別語か? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/04/7603685
マルセ太郎 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/19/6694884
在日の今後の見通し(犯罪率)について http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/25/6642370
在日朝鮮語 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/13/6444331
在日コリアンの「課題」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/08/6282960
在日コリアンと本国人との対立 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029
在日の政治献金 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/03/06/5725110
在日の政治献金(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/03/11/5735616
在日が民族の言葉を学ぼうとしなかった言い訳 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193
在日は日韓の架け橋か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/11/5212322
外国人参政権要求-最終目標は国政参政権 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/09/12/5342632
民族を明らかにするのに勇気がいる、という発言 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2009/05/10/4297782
在日韓国人政治犯 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/17/5092838
外国籍の先生 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/03/5197498
韓国人でもなく日本人でもない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/24/3539242
これまでの在日とその将来について(仮説)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/01/348943
在日の範囲とルーツを隠すこと http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/04/472555
韓国語の雑学―東方礼儀の国 ― 2021/06/17
韓国の『中央日報』6月14日付に「21세기 동방예의지국의 ‘도리’」というコラムがありました。 https://news.joins.com/article/24081254
日本語版は、「21世紀の東方礼儀之国の『道理』」という標題です。 https://japanese.joins.com/JArticle/279632 この最後にある一節に「東方礼儀の国」が出てきます。
新型コロナ状況でも飛行機に乗ってきて道理を示し、怒る時さえも道理を心配しなければならない21世紀の東方礼儀之国の姿が苦々しい。
この記事にある「東方礼儀の国」は、“わが韓国はアジアの東にあって人として行なうべき道である礼節や礼儀作法をよく守って実行している国”という意味で使われています。 しかし「東方礼儀の国」は、本来そんな意味ではありません。 それは屈辱的で不名誉な言葉なのです。
それを説明しているのが、『국어대사전(国語大辞典)』(省安堂 1997年10月)にある「東方礼儀の国」の項目です。 スキャンして↑のように掲示しました。 訳しますと、次のようになります。
東方礼儀の国 {名詞} 「東方にある礼儀を知る国」という意味で、「我が国」を指し示す。<参考:我が国が昔から中国で「事大の礼」を非常によく守っているために、中国人たちから得るようになった不名誉な名前である。今日、むやみに使ってはならない言葉である。
最近では、昨年11月に『朝鮮日報』が「『東方礼儀の国』は称賛ではなく侮辱の表現」と題する記事を出して注意を呼びかけました。https://www.chosun.com/politics/politics_general/2020/11/21/XTJGX6CCFNHALGZQWS6ZOBKPP4/
『中央日報』は国語大辞典の↑や朝鮮日報の記事を知らなかったのでしょうか、それとも無視したのでしょうか、そこは分かりません。
もし周囲の韓国人が自国を「東方礼儀の国」だと自慢するようなことがありましたら、本来の意味は次の通りですよと教えてあげてくださいね。
「東方礼儀の国」とは、中国人が朝鮮について、東に位置する朝鮮は小国でありながら我が中国皇帝によく仕え、またよく言うことを聞く国である、礼儀をわきまえており感心なことであるという上から目線で見た称賛であって、実は朝鮮を見下すものである。
【拙稿参照】
「東方礼儀の国」と「独立門」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/11/25/9320164
「東方礼儀の国」は屈辱的な言葉だった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/22/7064872
韓国語の雑学―将棋倒し http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/15/9235466
韓国語の雑学―下剋上 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/22/9237987
韓国語の雑学―「クジラを捕る」は包茎手術の意 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/10/9325273
韓国語の雑学―내로남불(ネロナムブル) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/04/9334079
移民の犯罪率は高いのか ― 2021/06/23
6月21日付け毎日新聞に「データから読み解く『移民と日本』 失業・貧困、社会問題に直結 実態と将来、気鋭の社会学者が新書」という、ちょっと長ったらしい標題の記事がありました。 インターネット版は有料記事なので、勿体ないと思う方は図書館にでも行ってみてください。 https://mainichi.jp/articles/20210621/dde/014/040/004000c
日本は移民が増え続けており、それに対する不安感も大きくなっています。 そのうちの一つが移民は犯罪が多いのではないか、というものです。 それについて記事では、『移民と日本社会』(中公新書)の著者である永吉希久子さんから取材して、次のように論じています。
永吉さんも参加した研究グループによる2017年の意識調査では、「日本に住む外国人が増えるとどのような影響があると思うか」という問いの2項目「犯罪発生率が高くなる」「治安・秩序が乱れる」について、同意を示した人がいずれも6割を超えた。実際、17年の移民の犯罪率は、日本の総人口における一般刑法検挙人員数割合が0・2%だったのに対し、0・4%程度とされる。だが、これを基に「移民の犯罪率が高いとは断定できない」と本書はいう。どういうことか。
たとえば移民と自国民では年齢や性別などの人口構成が異なり、単純比較はできない。さらに犯罪に至る背景はさまざまで、「貧困などの経済状況やその人が置かれている社会状況も考慮にいれる必要があります」。諸外国の調査結果をみても、少なくとも「移民を受け入れれば犯罪率が必ず上がるとはいえません」と言う。
記事では移民の犯罪率について書かれているのは、これだけです。 要するに日本人の6割以上が移民は犯罪率が高く、治安が悪くなるという不安を持っている。 確かに人口当たり犯罪率は日本人0.2%、移民0.4%という数字がある。 しかしだからと言って「犯罪率が高いとは断定できない」「犯罪率が必ず上がるとはいえない」と論ずるものです。
0.2%と0.4%、倍も違う数字です。 これで何故「犯罪率が高いとは断定できない」となるのか、そこが理解できないところです。 高いなら高いことを事実として受け止め、これを低めるにはどうすればいいのか等々、つまり移民政策をどう築くべきかを考えるべきだと思うのですが‥‥。
また犯罪の背景には「貧困などの経済状況や‥‥社会状況」とあります。 しかしこのような「背景」を考慮したとしても、犯罪外国人には同情できるものではなく、冷たい目を送るしかないでしょう。 どんなに貧しくても、歯を食いしばって犯罪に手を染めない外国人がたくさんいるのですから。
私の付き合っている狭い範囲の話ですが、外国人労働者(=移民)はほとんどが法やルールを守ろうとしています。 彼らが一番恐れているのは在留資格を失い、本国に送還されることです。 ですからトラブルを出来る限り起こさないように、いつも気を使っていました。 免許を持っていても車を運転しません。 もし違反して捕まったら、在留資格を失うかも知れないと思うからです。 確かに違反が繰り返されると、その可能性は出てきます。 軽微な違反でも、永住資格申請に支障をきたします。 だったら最初から運転しない、となります。
それほどまでに気を付けて生活している外国人を見てきましたから、私はむしろ日本で働く外国人(=移民)は当初は言葉や文化の違いでトラブルが多少あっても、犯罪は少ないと思っていました。 しかし今回の毎日の記事では、移民の犯罪率は日本人の倍となっていますから、ちょっと驚いた次第。
これをどう考えたらいいのでしょうか。 一方では法とルールを守ろうと努力する多数の外国人がおり、他方では罪を犯す少数の外国人がいます。 大事にせねばならないのは当然前者の外国人です。 彼らが法とルールを守ろうとする動機が外国人管理の厳しさであることを考えるならば、その厳しさを緩める方向に行ってはならないと、私は考えます。
【拙稿参照】
来日外国人の犯罪は多いか少ないか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/03/08/1243463
不法滞在・犯罪者の退去・送還-1970年代の思い出 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/21/9379672
不法残留外国人について(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363
不法残留外国人について http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331
かつての入管法の思い出 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547
昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536
8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206
在日の密航者の法的地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874269
韓国密航者の手記―尹学準 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/03/7933877
集英社新書『在日一世の記憶』(その3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/12/31/4035996
金九―「妻の体を売ってでも美味しいものを」 ― 2021/06/30
韓国の『中央日報』2021年6月29日付けの「【中央時評】コンプレックス民族主義と歴史清算=韓国」と題する記事を読む。 https://news.joins.com/article/24093297 https://japanese.joins.com/JArticle/280208 この記事の冒頭は、次の通りです。
金九(キム・グ)は韓国人が最も尊敬する人物のひとりだ。私はそうでない軸に属するが、かなり以前『白凡日誌』を初めて読んで受けた衝撃のためかもしれない。監獄生活の苦痛をありったけぶちまけた後、彼はこう続ける。「妻が若いので体を売ってでも美味いものを持ってきてくれたらとさえ思う」。
今日の政治家が金九のような言葉を残したとすればどうなるだろうか。社会も変わり、人々の意識も変わった。しかし今日、私たちが金九の話をどう思おうが、彼の言葉が当時の社会と人々の意識を反映しているのは事実だ。それを認めることは歴史に対する基本的態度に続く。今日の社会と意識を歴史的状況にかぶせることは、歴史解釈ではなく脚色あるいは創作だ。
金九は李朝末期から植民地時代・大韓民国時代にかけての反日民族主義者として超有名人で、現在でも「韓国人が最も尊敬する人物のひとり」です。 ソウルには彼を顕彰する「白凡・金九記念館」があります。 彼の経歴や業績、評価についてはネット上でもかなり知ることができますので、関心のある方はお調べ下さい。
ところで、この記事の中で私の目を引いたのは、金九が獄中で「妻が若いので体を売ってでも美味いものを持ってきてくれたらとさえ思う」とした部分です。 本当かな?と思って、平凡社東洋文庫『白凡逸志―金九自叙伝』(昭和48年6月 梶村秀樹訳注)を取り出して探してみました。 すると確かにありました。
いっそう耐えがたいのは、飢えさせる拷問だった。飯の量をぐっと減らしてかろうじて死なない程度だけ食べさせるのだが、こうして腹がすきにすいているときに、(ひとが)差し入れを受け取って食べている肉汁やキムチのにおいをかいだときなどは、食べたくて気が狂いそうになった。「妻が、年若いその身を売ってでも、おいしい食べ物を毎日いれてくれればよいのに」というような、あらぬ考えさえ浮かぶのだった。 (186頁)
わたしは、「女房を売ってでもおいしいものを思うぞんぶん食べてみたい」などと考えていたころに、警務総監明石元二郎(いわゆる憲兵警察の総元締め)の部屋に呼び入れられて、たいへんな優遇をされた。これ以下はないというような下の下の待遇にげんなりしていたわたしにとって、この優遇が嬉しくないわけがない。 (187頁)
以上の二ヶ所です。 妻の体を売ってでも美味しいものを食べたい。 当時の朝鮮社会で実際にあったことかどうかは分かりませんが、金九がそうしたいと考えたのは事実でしょう。
人間は追い詰められると、こんなことまで考えるようになるということでしょうか。 あるいは、妻の体を売ることにそれほど抵抗感がなかった時代だったということでしょうか。
当時の女性の地位が極めて低く、男性は축첩(蓄妾)することが珍しくなかったですから、妻に売春させて金銭を得ることにハードルが低かったのではないかと私は思うのですが、どうなんでしょうかねえ。 そういう発言に違和感がなかった時代ということなのでしょう。
今の韓国人が歴史上人物でもっとも尊敬するとされる金九が、実は「女房を売ってでもおいしいものを思うぞんぶん食べてみたい」と恥ずかしげもなく言っていたという事実を知ることができました。 こんな言い方は今の価値観で過去を裁断するものなのですが。
【拙稿参照】
伝統的朝鮮社会の様相(1)―女性の地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/29/9146768