在日の密航者の法的地位2013/06/23

 在日韓国・朝鮮人の来日事由について、一般的には「日本の植民地支配に起因して渡日し、そのまま在留した人、およびその子孫」とされていますが、実際にはそういう人たちだけでなく、戦後(解放後)に密航で来日した人がかなりの数になります。

 小熊英二・姜尚中編『在日一世の記憶』(集英社新書2008年10月)には、在日一世とされる52人の体験談を記録しています。そのうちの12人が戦後(解放後)の来日で、そのうち合法的に来日した人は一人で、他の11人は不法入国(密航)です。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/12/31/4035996

 彼らはこのような本に登場するぐらいですから、かつての不法行為についてはすでに清算・解決し、現在は合法的な在留資格を得ていると思われます。しかし彼らがどのようにして合法的な在留資格を得たのかについて、それほど知られていないようです。

 本格的に調べたことはありませんが、私が見聞きした範囲で次のような例がありました。

 密入国の時効は3年ですから、密航して摘発されることなく3年を過ごせば、罪に問われることはなくなります。しかし不法滞在状態が続きます。   次にその間に日本に合法的に在留している人と結婚して子供を作ります。子供は配偶者の合法的在留資格を継承しますので、この家族は不法滞在者一人と他は合法滞在者という構成になります。   それから頃合い(大抵の場合子供が入学する時期)を見て「私は密入国者です」と警察や入管に出頭します。当然密入国の経緯等の取り調べを受けますが、すでに家庭を支えている大黒柱となっています。   彼一人を本国強制送還することは難しく、多くの場合法務大臣から特別在留許可を貰うことになります。最初は在留期限一ヵ月を繰り返しますが、何事もなく過ごせば三ヵ月、六ヵ月、一年‥‥と長くなり、最終的には一般永住資格を持つこともあります。   出頭して自分の身分を明らかにするまでは、不法滞在がバレやしないかとヒヤヒヤしながら、目立つような行動をせず、絶対に警察沙汰にならないように気をつけて生活します。特に注意を要するのが、同胞らによる密告です。

 密航者が日本に定着するまでは、だいたい以上のような経過をした人が多いようです。それ以外の場合もありますが、過去の経緯はどうであれ、現在は合法的に在留しています。自分の来日経緯を「密航だ」と堂々と語る在日がいるのは、捜査当局の取り調べを経たうえで、法務大臣より特別在留許可を得たからです。

 しかし在特会のレイシストたちは過去の経緯を持ち出し、在日は不法に日本に来たのだから今も不法滞在だとして日本からの追放を主張し、「帰れ」「死ね」と叫びます。

 在特会は、ただひたすら品性卑しい人たちとしか言いようがありません。

コメント

_ FS ― 2013/06/23 21:09

十数年前(まだ、「在日強制連行説」が流通していた頃)に、在日の生活史関係の本をよく読んでいたのですが、確かに、特別在留許可→一般永住の話はよく出てきたような気がします。

また、当時気になったのは、終戦後に半島に帰った後、(半島の混乱状況のせいで)再び日本に渡航してきた人々が結構いたことでした。戦後の外国人登録令に間に合わなかった人がどうなったのかは知りませんが、(少なくとも間に合った人は)法126の範疇として法的地位を得てはいたようです。

日本に残った在日の側からすれば「生きるために仕方なかった」「よい生を生きたかったから」とも思うのですが、客観的(もしくは戦後の日本側から的)に見ると、「自己都合で居座った」と見られても仕方がない部分はあったのかもしれません。
後知恵にしかすぎませんが、在日の側がもう少しだけ、日本側の立場や客観性に配慮してくれていたら……、とも思います。近年の在特会騒動を見ると、なのですが。

90年代に大学に通っていた頃は、何故かポスコロ・カルスタ系がやけに流行っており、「在日」が聖なるオーラを帯びているタームかのように、扱われるようなケースもありました。
たとえばあの時期にもう少しだけ、在日の側が自制的であってくれたら、また違った結果があったのかもしれません。(もちろん、持ち上げていた、アカデミックな方々やメディアの側の責任も、当然、あるのですが……)

(方々で言われているように)特永の在日は(婚姻によって)いずれ消滅し、「そういえば、自分は先祖にコリア系の人が居ますね」的なユルいエスニックな問題にシフトしてくれることを願ってはいます。

_ 三河屋彦衛門 ― 2013/06/24 00:14

>在特会は、ただひたすら品性卑しい人たちとしか言いようがありません。
 
在特会の行動を肯定するつもりはありません。ただし在特会と在日韓国人という枠組みではなく、在特会のデモと韓国の反日デモという枠組みで考えると、なんとなく理解できます。
 
韓国の反日デモは、日の丸を汚したり、天皇陛下をバカにしたり、首相の人形を燃やしたりと、まあ酷い有様です。韓国人は、原爆が落ちたのは神の懲罰だといったり(韓国の大手新聞の記事です)、東日本大震災で日本人は死ねばいいといったりしました(ネットの発言です)。それで韓国人がやっていることを、日本人がやってもいいよね、と考える。これが在特会なのだと思います。だから在特会批判をするなら、韓国人批判もしなければ片手落ちでしょう(この段落の韓国人は、在日ではなく本国人です)。辻本さんは、在特会も反日デモに参加する韓国人も、どちらもクソだという立場でしょうか?
 
それから在日韓国人も、オールドカマーとニューカマーがいて、韓国本国人そのものなのはニューカマーです。オールドカマーは、微妙な立ち位置のような気がします。心情的に日本人寄りで生活慣習・商慣習を守らないニューカマーを嫌ったり、積極的にニューカマーと交流したり。考えがまとまりませんが、オールドカマーとニューカマーを区別したほうがいいような気がします。

_ 辻本 ― 2013/06/24 03:05

〉辻本さんは、在特会も反日デモに参加する韓国人も、どちらもクソだという立場でしょうか?

 これまでの拙論に書いています。よくお読みください。

_ 辻本 ― 2013/06/24 03:20

〉後知恵にしかすぎませんが、在日の側がもう少しだけ、日本側の立場や客観性に配慮してくれていたら……、とも思います

 これは拙論で繰り返しましたように、在日の活動家たちですねえ。彼らは在日社会の代弁者であるかのごとく振る舞って、「差別と闘う」闘争を果敢に行なってきました。

 活動家の論理と、在日一般人との間には、大きな齟齬があったと思っています。これについては拙HPでかなり論じたつもりです。

_ 鶴橋 国際マーケット ― 2013/06/28 03:11

日本が敗戦国になった1945年当時以降も「密入国者」はいた。
済州島4.3事件の時には多くの「密入国者」が来た。
朝鮮戦争でも「密入国者」は来た。
「密入国者」という言葉は当時の人が何もわからず使っていた「言葉」である。
連合軍は早くに「難民」の問題を定義していた。日本が戦争に負けてGHQの占領下、主権を取り戻した日まで国際的な法律の元では「密入国者」は存在しない。日本国がないのだから。
済州島4.3事件は戦後、最初に起こった内戦だった。
韓国政府から島民への弾圧に始まり、島民の反政府運動、その後、島民同士が疑い始めるという悪循環により死者が多数出た。
島民は生きるために日本に逃げた。当時は「密入国者」といったかもしれないが、現在の言葉では「難民」だ。
朝鮮戦争時に日本に逃れて来た人たちは、連合軍に言わせれば当時から「難民」だったと思う。
GHQ占領下に「密入国者」が増えたなら連合軍はそれなりの「罰」を与えたと思う。
「難民」と認識していたから朝鮮半島から日本への「密入国者」は増えたのだろうと私は思う。

現在、シリアで内戦が起こっている。死者は10万人を超えたとも言われている。
陸続きの土地シリアから国境を越え、国外に逃れた人々を「密入国者」と言う人が現在、世界にいるのだろうか?
日本の報道でシリアでの内戦で国外に行った人を「密入国者」との言葉の表現はない。
私の知る限りすべて「難民」という言葉で表現されている。
かつての「密入国者」は「難民」であったと認識しないから誤解や不信が生じているのです。

_ 辻本 ― 2013/06/28 06:14

〉「密入国者」という言葉は当時の人が何もわからず使っていた「言葉」である。

 当時は一般的に「密航者」、法律関係者は「不正入国者」という言葉でした。少なくとも手元にある当時の資料には「密入国者」という言葉はありません。

〉朝鮮戦争時に日本に逃れて来た人たちは、連合軍に言わせれば当時から「難民」だったと思う。

 戦争時のことでしたから、当時のGHQの最大関心事は「国内尖鋭分子と結託して日本に於ける暴力革命を画策する不穏分子や、駐留軍の機密やその他各種の秘密情報を探知して国外に通報する‘スパイ’の役割を果たす者等」です。
 また密航者を「難民」扱いはしていません。

〉GHQ占領下に「密入国者」が増えたなら連合軍はそれなりの「罰」を与えたと思う。

 GHQは密航者への徹底した取り締まりと強制送還を命じています。

〉「難民」と認識していたから朝鮮半島から日本への「密入国者」は増えたのだろうと私は思う。

 密航の要因は様々ありますが、「難民」という認識はあり得なかったと言わざるを得ません。

_ 辻本 ― 2013/06/28 06:29

 詳しくは調べていませんが、「密入国」は1952年の日本独立以降の言葉のようです。

_ 上原兼 ― 2013/06/30 18:25

韓国人の密入国ですが、昭和30年代は、NHKのTVのニュースで毎日のように放送されていたことが子供ながら記憶に残っています。朝鮮戦争前後はいざ知らず、それ以降も密航は日常茶飯事だった印象があります。


日韓国交正常化以後は、あまり報道されなくなったのではないかと思います。

余談ですが、茨城県で海水浴中、親潮の関係で心臓麻痺をおこして死亡したという報道も多かったと記憶しています。おかげで、今でも日立あたりで海水浴するのは躊躇します。

それから李ライン内での拿捕に対抗して、日本漁船が二艘1組で一隻にダイナマイトを積んで、拿捕されそうになったら韓国の監視船に体当たり攻撃を計画していたといった報道があったことも覚えています。

_ アラスカ魂 ― 2013/07/07 11:49

>密航者が日本に定着するまでは、だいたい以上のような経過をした人が多いようです。それ以外の場合もありますが、過去の経緯はどうであれ、現在は合法的に在留しています。

辻本さんは、過去の(犯罪)経緯を問わない立場だと思いますが、小生にはそのような経緯でありながら、日本に来たのは強制連行だと強弁するマインドがよく理解できません。
もし、そのような経緯だからこそ、強弁しているのだとすれば、ここははっきりと在日韓国人がそのような事実を自ら表明した後、過去の経緯を水に流す努力を双方がする必要があります。(日本人は1000年でも忘れないという偏狭ではないはず)

在特会を擁護するつもりは全くありませんが、一方は厳しく断罪し他方には現在合法(それもグレーで)ならば、過去の経緯にも眼をつむるというのは思想家としてはどうなんでしょう。

_ 辻本 ― 2013/07/07 14:20

〉日本に来たのは強制連行だと強弁するマインドがよく理解できません

 こんなことを言っているのは、日本の革新・左翼関係者と、一部の在日活動家ぐらいです。

〉現在合法(それもグレーで)なら、過去の経緯にも眼をつむるというのは

 何のことを言っておられるのか分かりませんが、在日の来日の経緯のことなんですかねえ。
 すでに捜査当局の取り調べも終り、法務大臣より合法的な在留資格を得ているのなら、グレーではないです。
 在日の過去の経緯についてはすでに記しており、眼をつむっておりません。

〉在特会を擁護するつもりは全くありませんが、

 こんなことは書かない方がいいですよ。

_ ごまちゃん ― 2013/07/13 13:35

[在日が日本に来たのは強制連行だということ]直近では2012年度京都市中学校人権学習・外国人差別をなくそう・では子どもたちに教えていましたよ。(資料あり)微力ながら2校については間違いを指摘し、削除してもらいましたが。
その他の少なくない数の学校では今もまことしやかに公教育の場で伝えられています。柔らかな子ども達の頭を洗脳しているとは恐ろしいかぎりです。(確信犯の教師もいるし、不勉強極まりない社会科教師も山ほどいます。)

_ 辻本 ― 2013/07/13 19:30

 学校の教師では、在日強制連行説を今なお信じている人は多いですねえ。授業でも教えています。
 在日=被害者=善人、日本=加害者=悪人の図式なので分かりやすく、子供たちに教えやすいのでしょうねえ。
 事実と懸け離れたことを子供たちに教えているのですが、彼らは善意でやっているので間違いの指摘を受け入れない傾向が強く、困ったものだと思います。

_ おじさん ― 2013/09/19 09:46

 >こんなことを言っているのは、日本の革新・左翼関係者と、一部の在日活動家ぐらいです。

少なからず反日的活動してる連中が居る以上、
まして政治家にもいますから、極端な反動が出るのも避けられないでしょう
その土壌は韓国朝鮮に負い目を感じてる社会や教育現場だったり
そういう環境では徴用密入国が強制連行になり併合が過酷な植民地支配となり思考停止なまま漠然と信じてしまう、
そして何より適時事実を伝えて来なかったメディアの責任が大きい

あくまで一部勢力がアンダーグラウンドでやりあってればまだ良いですが
今後もネット社会では表のメディアがタブーにし続ければ
余計に論点が複雑化し憎悪も拡散し酷くなると思います
そして極端な形で表にまで噴出してしまう構図です

_ 辻本 ― 2013/09/19 18:07

>少なからず反日的活動してる連中が居る以上、まして政治家にもいますから、極端な反動が出るのも避けられないでしょう

 かつての極左過激派諸君を擁護した評論家と同じ論理ですねえ。
 「極端な反動」のお仲間と思われますよ。彼らは犯罪・殺人志向集団です。

_ 鶴橋 国際マーケット ― 2013/09/28 03:39

辻本さま

補足させてください。
>GHQは密航者への徹底した取り締まりと強制送還を命じています。

済州島4.3事件後、何家族かの親族が祖父母を頼って来た。祖父は鶴橋国際マーケット設立時の一人であり、役員であったため、親族はGHQからマークされていたに違いない。
しかし、親族は一度も何も言われず、捕まった事もなく、朝鮮半島が落ち着いたと連絡があった後、無事に済州島に帰って行った。
当時、徹底した取り締まりにあったのは北鮮の思想に近かった人達だと祖父から聞いている。
強制送還も日本国が主権を回復するまでほぼなかったに等しい。
当時の報道は信じれる物が少ないと思います。

日本国が主権を回復してからは日本に入って来た人達は完全に「密入国者」「不法滞在者」となる。
徹底的に取り締まりが行われた。
多くの人達が検挙され大村収容所に収監された。
祖父の元には大村収容所から「助けてほしい」と多くの手紙が送られてきた。
何もわからず、知らなかった人達から。
手紙がくる度、祖父は大村収容所に行った。それは私が中学生になるまで続いた。

>朝鮮戦争時に日本に逃れて来た人たちは、連合軍に言わせれば当時から「難民」だったと思う。

オーストラリアは戦後、移住者を多く受け入れた。
特にドイツからの移住者は多かった。
家を無くし、人権侵害を受けた人々を。現在の言葉で「難民」だ。

私には縁あって世界各国に友人がいる。
オーストラリアの戦後の移住民に関しては、現在も難民を支援し、弁護士として活躍しているオーストラリア人の友人から聞いた。
オーストラリア国の元首は現在もイギリスのエリザベス女王だ。戦後のイギリスの立場はどうだったのだろう?
現在の言葉、「難民」と認識していないと受け入れただろうか?
オーストラリア人の彼女とはよく話しをした。私がコリアンジャパニーズで、2つの国を祖国を持つと言うと「世界中には、そんな人、たくさんいるわ」と言い、「日本ではコリアンジャパニーズと言いにくい」と言うと「ナンセンス」だと笑いとばした。
彼女は今、オーストラリアの裁判所の仕事をしている。

人が国をまたいで移住するには現在でも、それなりの覚悟と決心がいる。
祖父は自分が死んだら必ず故郷の済州島に埋葬してほしいと言った。帰りたかったのだったのだと思う。

現在、日本に居る在日は合法で永住している。
今日、母の用で入管に行った。たくさんの国籍の人がいた。

「日本国の法の下、在日と呼ばれる人々が永住してて何が悪いんや!」と言いたい。

_ 辻本 ― 2013/09/28 06:51

〉強制送還も日本国が主権を回復するまでほぼなかったに等しい

 これは逆です。韓国はGHQ下の日本から強制送還された自国民は受けれ入れました。これはGHQの方針に基づく送還でしたから、韓国も受け入れざるを得なかったためです。

 しかし1952年の主権回復後の日本からの強制送還からの受け入れは拒否しました(全部ではありませんが)。そのため、送還できず大村収容所に何年も留まる韓国人が非常に多いという事態が発生しました。

〉当時の報道は信じれる物が少ないと思います。

 私の根拠とする資料は、『警察時報』等の警察資料です。

〉当時、徹底した取り締まりにあったのは北鮮の思想に近かった人達だと祖父から聞いている。

 『警察時報』には、以下の分析があります。

「これら密入国外国人の大部分は、終戦後連合軍当局によって実施されてきた出入国管理がきわめて厳重であるため、はじめから正規の許可を得て入国することをあきらめ、非合法に入国してきたいわゆる単純密入国者であって、特に警備的に問題視される程のこともないのであるが、一部には国内尖鋭分子と結託して日本に於ける暴力革命を画策する不穏分子や、駐留軍の機密やその他各種の秘密情報を探知して国外に通報する『スパイ』の役割を果たす者等もあって、事犯の性質上軽視できないものがある。 (昭和27年11月号)」

_ かい ― 2013/09/28 13:19

鶴橋マーケット様

> オーストラリアは戦後、移住者を多く受け入れた。
> 特にドイツからの移住者は多かった。

 オーストラリアは白豪主義だったから、白人は受け入れたのでしょう。ドイツ人難民って、日本で言えば、満州朝鮮からの引揚者ですよね。東欧に入植したけど、ドイツ敗戦時に入植地から追い出されたんですよね。
 国際社会が難民をなんとかしなければいけないという考え方が広まるのはもっと後の時代だと思います。

_ 鶴橋 国際マーケット ― 2013/09/29 01:13

かいさま

>国際社会が難民をなんとかしなければいけないという考え方が広まるのはもっと後の時代だと思います。

1964年にGHQが日本帝国政府に出したSCAPIN927
の文書の中に下記の文面があります。
「日本帝国政府は、貧困な琉球人難民に対して、10分な食糧、住居、医療、寝具及び衣料を提供しなければならない。」
琉球人難民と表現しています。1964年、GHQは難民を認識しています。
又、オーストラリアの難民引き受けはドイツ人だけではありません。
日本と同じ敗戦国の国民だったドイツ人を受け入れたイギリスの対応をわかってほしかったので、あえてドイツ人の移住者としました。説明不足だったようです。
国策で入植したとしても一般人は戦争難民です。満州国に入植していた日本人も引き揚げの際は大変苦労されています。

_ 鶴橋 国際マーケット ― 2013/09/29 02:47

辻本さま

>私の根拠とする資料は、『警察時報』等の警察資料です。
資料を元に教えていただけるので、大変勉強になります。
ありがとうございます。こちらも探ってみます。

GHQから日本帝国政府への文章も多々ありますが、どうしても納得できない点が本当に多々あります。
大阪の鶴橋という場所には戦後GHQの駐留軍が寝泊まりする建物がありました。
知っていた人は少ないと思います。親族が入院した病院が並びにあり、部屋から建物内が見渡せたので知る事ができました。
近くに建物を用意するほど、GHQは「鶴橋」という場所を見張っていました。
国際マーケットの店主達は戦前からいた朝鮮人がほとんどでした。現在のようなコリアタウンではなく日本人相手に商売をしていました。チョゴリもキムチも売っていません。GHQがきてからはパンを焼き、売る店ができたり、駐留軍の兵士達は国際マーケットの中の人には優しかったと聞いています。
取り締まりは日本の警察がしていましたが、主に密造酒で捕まる人がいたくらいでした。
済州島4.3事件が1948年-54年に終結するまでに島民28万人が3万人まで減っていたと言われています。
単純に20万人が日本に来たらGHQも気が付きます。
当時、鶴橋界隈は爆発的に人口が増えました。

1949年、吉田首相よりマッカーサー元帥宛書信に朝鮮人の強制送還の案件が出されていますが、マッカーサーは断っています。
裏を返せば在日朝鮮人の存在を受け入れていれている事になります。
最近の資料では4.3事件があった時、アメリカ軍が済州島にいた事は確実となっています。
戦後、GHQが帰還を日本帝国政府に実施させました。
1946年には難民を認識していたGHQ、4.3事件は戦後、最初に起きた内戦でした。
アメリカ軍は対応に困ったに違いありません。
韓国政府は近年まで4.3事件の事を隠し続けました。
吉田首相やアメリカ以外の連合国は4.3事件の事を知らされたいたのかと疑問です。
アメリカは真実を知らせず事もなく、無条件で日本に難民を受け入れさせたのかと考えてしまいます。

この後、日本国内で辻本さまが教えてくださった 『警察時報』のとおりの事が頻発しています。

_ 辻本 ― 2013/09/29 05:38

>1964年にGHQが日本帝国政府に出した
>1964年、GHQは難民を認識
>GHQから日本帝国政府への文章
>GHQが帰還を日本帝国政府に実施させ

 GHQは1952年4月以降は存在しません。「1964年」はあり得ないものです。
 「日本帝国政府」も存在しません。戦前は「大日本帝国政府」であり、GHQ占領下では「日本政府」です。

>1946年には難民を認識していたGHQ

 日本の出入国管理局が、当時のことについて次のように記述しています。

「二十一年(1946)‥‥送還者は引揚朝鮮人の輸送船にのせられて佐世保から釜山に運ばれた。外国人登録令の施行(二十二年(1947)五月)後は‥‥総司令部の覚書にもとづいて‥処理されており、送還者のなかには不法入国者のほか、軍事裁判及び連合軍指令による追放者もふくんでいた。二十一年(1946)年以降、二十五年(1950)十二月まで送還されたものは4万6千余人であった。‥‥中には送還該当者が総司令部に嘆願書を提出して‥‥」(法務省入国管理局刊『出入国管理の実態』より)

 総司令部=GHQの指示に基づく朝鮮人送還者は、1946~1950年の5年間で4万6千人です。果たして「難民」と認識していかのかどうか。

 なおこの間に不法入国で検挙された朝鮮人は、1946年21,416人、1947年6,657人、1948年7,206人、1949年9,034人、1950年2,742人です。(『警察時報』1952年11月)

_ かい ― 2013/09/29 08:17

鶴橋 様
> オーストラリアの難民引き受けはドイツ人だけでは
> ありません。

 wiki 調べでは、オーストラリアは、20世紀初頭から1970年頃まで、白豪主義だったようです。アジア人を入れるようになったのは、その後、オーストラリアもアジアの国として生きていかなければならない、ということで、政策転換が行われてからでしょう。
 しかし、現在では、難民船と称する船が次々やってくるので、追い返しているようです。

 これも、wiki調べでは、1951年に難民条約が成立しています。難民に関する議定書ができるのは1960年代、日本がこれに加入するのは1980年代のようです。

_ 鶴橋 国際マーケット ― 2013/09/29 14:33

訂正いたします。
SCAPIN927は1946年、GHQが日本政府に出した文章です。
SCAPINは1945年~1952年まで連合国軍最高司令官から日本政府宛てに出された公式文書です。
戦後、大日本帝国政府の占領下にあった国の国民は解放民となりました。
日本政府の出入国管理の権限もGHQに移行しています。
SCAPINで日本に居た「非日本人」の帰還をGHQは指示しています。
*満州国における日本人の帰還も指示しています。

帰還者と難民は違います。1948年4.3事件、1953年朝鮮戦争休戦までに「不法入国者」とされる人は大勢いる。1947年にGHQは新たに入国する「非日本人」の外登令を出しました。
*日本に居た「非日本人」には適用がなかったと議論の対象となっています。

その時期のSCAPINには出入国管理に関する定義があいまいな物があります。いろんな解釈ができます。

>総司令部=GHQの指示に基づく朝鮮人送還者は、1946~1950年の5年間で4万6千人です。
>不法入国で検挙された朝鮮人は、1946年21,416人、1947年6,657人、1948年7,206人、1949年9,034人、1950年2,742人です。(『警察時報』1952年11月)

GHQの管理下にあった出入国、済州島の20万人はどこにいったのでしょう?朝鮮戦争休戦までの日本に逃げてきた半島人は何人いたのでしょうか?連合軍は管理できていなかったと思われますか?数字がまったくあいません。

>1951年に難民条約が成立しています。
日本が主権を回復する1年前です。日本が早々に難民条約加入していれば大変な事がおこったでしょう。

難民条約が成立し、主権を回復し、平和な日々が訪れても日本政府は「満州国における日本人の帰還」の実態を知らせませんでした。
中国残留孤児が見つかったのはいつでしたか?家族が執念で見つけ出し、発覚したのです。
北朝鮮方面に逃げた方々の全貌は現在も不明です。

>総司令部の覚書にもとづいて‥処理されており(法務省入国管理局刊『出入国管理の実態』より)

自国民に対して上記の扱いでした。「非日本人」に対してはどうだったんだろうと考えます。

_ 辻本 ― 2013/09/30 04:29

>済州島の20万人はどこにいったのでしょう?朝鮮戦争休戦までの日本に逃げてきた半島人は何人いたのでしょうか?連合軍は管理できていなかったと思われますか?数字がまったくあいません。

 20万人の根拠が不明ですねえ。4・3事件で日本に逃れた人の数は、数千人から数万人、そして今回の20万人に至るまで、様々な説があります。要するに研究が進んでいないということです。
 不法入国は法律違反=犯罪ですから、連合軍含めて公的機関が管理できるものではありません。その正確な数は不明で、いろんな資料から推測するしかありません。
 数字が合わないということは、資料の収集・分析が不十分だということでしょう。

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