赤松啓介の思い出―差別と性2013/06/01

赤松啓介については、これまで幾度か紹介してきました。

赤松啓介の夜這い論           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/02/2596000

赤松啓介の思い出            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/09/17/5351878

戦前の拷問のやり方           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/11/07/5479466

週刊ポストに赤松啓介が紹介される    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/04/23/5821893

赤松啓介の思い出(続き)         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/22/6518872

産経新聞に赤松啓介が紹介される     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/15/6541796

 赤松さんは、民俗学の大家である柳田國男の批判者としても知られています。その批判の要点は、柳田が差別と性という問題を無視したことでした。

 差別も性も、公にはなかなか表に出てこないものです。ある村に民俗調査に行っても、村の人たちは冠婚葬祭や各種行事などについてだけは、よそ者である調査者にしゃべりますが、その裏面にある差別や性のことについては、固く口を閉ざしてしゃべらないものです。

 柳田民俗学はこの表に出たことだけを収集して、性や差別という、村人の裏(=本音)のところを無視して扱おうとしなかったという批判でした。つまり大学の偉い先生がうちの村を調べに来たら、村人は綺麗事だけを並べて、村の恥になるようなことは喋らない、柳田はこの綺麗事だけで村のことが分かったように考えている、という批判でした。

 赤松さんは、民俗調査をするとき、結婚式や葬式はどうようにしますか?などのアンケートを取って集めるようなことでは、村の本当の姿は分からない、村の人と顔見知りになるだけではダメで、村の人と酒を酌み交わし、猥談をし、他所で話が出来ないないような本音を聞き出してこそ、村の本当の姿が見えてくると言っておられました。

 性で言えば夜這いは若者だけの話ではなく、既婚者男女でもかなり広範に行われていたという話。差別で言えば、表向きは我々は同じ天皇の赤子だと言いながらも、穢多(被差別民)を自分の家の敷地に絶対に入れないことや、カッタイ(癩病者への差別語)が出た家を村八分どころか家族全員を村から追放し、その家を燃やしたというような話です。

 「建て前」と「本音」で言えば、柳田は「建て前」、赤松は「本音」を重視したということでしょうかねえ。どちらが正しいとか評価すべきものではなく、学問・研究のスタイルが違っていたことになるのかな、と思います。

 「建て前」と「本音」の違いは何も民俗学だけに限らず、現在社会でも広範囲に見られます。悪い言葉を使うと、「建て前」ばかり言って「本音」を隠していると偽善者となるでしょうし、逆に「本音」ばかり言っていると下品な俗物となるでしょう。

高句麗は北朝鮮でもあり中国でもある2013/06/09

 朝鮮日報が、中国で高句麗を自国の一部とすることが広がっていることについて、「歴史歪曲」だとする記事を掲載しました。

【コラム】朝鮮族までもがゆがんだ中国史に染まる日         中国の朝鮮族に、あなたはどこの国の人かと尋ねたら「中国人」だと答える。しかしどの民族かと尋ねたら「朝鮮族」と答える。425年間にわたり高句麗の首都だった吉林省集安で会ったPさんは、記者に「韓国と中国がサッカーの試合をしたら、朝鮮族はどちらを応援するか分かるか」と尋ねてきた。朝鮮族の学校で教師をしているPさんによると「朝鮮族の学校で勉強した40-50代は、当然韓国を応援する。ところが漢族の学校に通った20-30代の相当数は、中国を応援する。両親が韓国を応援したら、逆に変だと思ってしまう。両親よりも、中国化教育の影響の方が強い」という。           2008年5月、吉林省延吉で白頭山(中国名:長白山)観光のバスに乗ったことがある。たまたま、それは中国の観光客専用のバスだった。中国人ガイドは当時、白頭山の紹介よりも「長白山はもとから中国領だった。ここの朝鮮族は、生きていくため、ずっと昔に国境を越えただけ」という言葉を繰り返した。白頭山案内のポイントも、白頭山と韓国の関係を否定する部分に置いていた。休憩所で「根拠は何か」と尋ねると「政府が作っている『ガイド指針』に出ている。間違いはないだろう」と答えた。中国の学界で、「東北工程(高句麗・渤海史を中国史に組み込もうとするプロジェクト)」は02年に始まり07年に終わった。08年といえば、東北工程が学界にとどまらず民間にまで影響力を広げ始めていた時期だ。            中国は先月1日、集安に初の高句麗博物館をオープンさせた。博物館の案内文からは「高句麗は中原(中国)の地方政権」「高句麗は中原の属国」など韓国を刺激する文言をほとんど取り除いた。しかし、中国のある観光客は、6棟ある展示館を全て見て回った後「高句麗は朝鮮族の祖先の国だと思っていたが、今見てみると、中国の国だった」と語った。これが高句麗博物館の「効果」だ。博物館のガイドに「高句麗と韓半島(朝鮮半島)の関係」を尋ねると、ガイドはためらいなく「高句麗と韓半島には何の関係もない。高句麗は中原の地方政権」と答えた。外の案内文とは裏腹に、内部では高句麗を「中国の地方政権」と教え続けている証拠だった。            東北工程をめぐっては、既に歴史歪曲(わいきょく)のレベルにとどまらないという評価が多い。一般の中国人の常識を変える段階へと深く入り込んでいる。朝鮮族の教師Pさんは「今の朝鮮族は、高句麗を朝鮮(韓国)の歴史と認識している。しかしこのまま20年が過ぎたら、朝鮮族も高句麗を中国の歴史だと言うかもしれない」と語った。小雨で服が濡れるように、東北3省の中国人、朝鮮族、周辺国という順で東北工程に染まっていくというわけだ。            北京の外交関係者からは「韓半島の統一が迫ったら、中国は韓国に二つのことを要求するだろう。一つは、米軍が鴨緑江まで北上しないこと。もう一つは、統一韓国が歴史を根拠に満州地域に対する権利などを主張しないこと」という声が聞かれた。中国は、韓国の民族主義的傾向をよく理解している。特に、かつて高句麗だった地には200万人の朝鮮族がいる。韓半島統一後、高句麗の歴史・領土などをめぐる議論は単なる「歴史論争」にとどまらないという見方は、こういう流れから来ている。東北工程がさまつ事ではない理由も、ここにある。            アン・ヨンヒョン北京特派員

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/06/09/2013060900132.html

 高句麗は7世紀、1400年も前に滅んだ国ですが、この国が今になって「韓国か、中国か」で争っている姿は興味深いものです。

 こんな古い時代のことで、「歪曲」だとかいう主張がまかり通るなんてねえ。高句麗は北半分は現在の中国領、南半分は北朝鮮領です。従って高句麗の歴史資料や遺跡文化財の保存管理は、北半分は中国が責任を持ち、南半分は北朝鮮が責任を持たねばならないし、その歴史研究も双方が第一義的にせねばならないことです。

 高句麗は韓国か中国かと問われれば、現在の目から見れば「北朝鮮」でもあり「中国」でもあるが「韓国」ではないと答えるか、歴史的に見れば高句麗は「高句麗」以外の何者でもなく、「北朝鮮・韓国」でもなく「中国」でもないと答えるしかないでしょう。

 そもそも現在のナショナリズムを千数百年も前に遡らせること自体が誤りです。

(註) 韓国は建前上北朝鮮領も含めて自国の領土としています。

【拙稿参照】

高句麗は韓国か、中国か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/22/1812668

高句麗―韓国か中国か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/09/28/3787613

在日の特別永住制度2013/06/14

 在日の特別永住制度は、在日が不当に獲得した「特権」だとして否定する人がかなりいます。これは間違いだということは、これまで何遍も繰り返してきました。

 おさらいすると、特別永住制度は複雑化し不安定化していく在日の法的処遇を安定化させたものです。

 在日の法的地位は1952年の法律126号に始まりますが、この法律は「別に法律を定めるまで」の間の臨時的なものでした。しかしこの「別の法律」が長年作られることなく、その場しのぎで過ごしてきたため、在日の法的地位は複雑化・不安定化していったのです。つまり日本側の怠慢だったのです。

 これを解決したのが1991年の「特別永住制度」です。つまり1952年に「別に法律が定めるまで」と明記していたのが、1991年になってようやく定めたのです。

 従ってこの制度は在日の要求によってできたのでなく、日本の都合に よるものなのです。126系列の在日には、特別永住資格を「自動付与」 つまり本人の意思を確認することなく、強制的に付与したのです。

 これを「特権」だとして否定する人が本ブログに投稿することがありましたが、彼らはインターネットに出てくる、自分に都合のいい情報だけをひたすら集めて信じているようです。こうなると、もはや狂信者と変わりないものです。

【特別永住資格に関する拙論】

在日特権 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/12/2556636

特別永住の経過 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381

特別永住制度の変更は非現実的 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/01/1762857

在日の法的問題は解決済み http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/08/1781500

米国籍などの特別永住者 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285

永住資格はいつから始まったか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/07/28/464650

在日の生活保護2013/06/16

 在特会が、在日の「特権」として挙げているものの一つに生活保護があります。しかし何故これが「特権」なのか?疑問とするところです。

 在日韓国・朝鮮人は、戦前は大日本帝国臣民として来日した人たちで、福祉関係でいえば救恤規則、救護法の適用を受けることができました。この法律は戦後の昭和21年に生活保護法(昭和25年全面改正)に引き継がれます。

 新法では生活保護の対象者を「日本国民」とされましたが、それまで日本国民であって外国人となった者や、日本人配偶者の外国人など、旧法でも対象となっていた人もこの新法の対象としました。この措置は「準用」とされています。「準用」ですから法的には疑問が残るところでしたが、旧法で認められてきたものが新法では認められないというのは大きな問題ですから、このような措置になったようです。

 そして1965年の日韓条約によって在日韓国人の生活保護について、日本は「妥当な考慮を払う」義務が生じました。在日の生活保護に法的根拠ができたのです。「妥当な考慮」ですから、日本人の生活保護水準以上にはなり得ません。としたら、なぜこれが「特権」となるのか? 一般日本人以上の権利が与えられれば「特権」ですが、そうではないでしょう。

 在日の生活保護を「特権」だと否定することは、レイシズムとしか言い様のないところです。  

【在日の生活保護に関する拙論】

在日の生活保護の法的根拠 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/07/22/455680

外国人の生活保護   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/11/3066189

ある在日の生活保護 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/19/6449827

もう一人の在日の生活保護 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/26/6457698

生活保護―最低限の文化生活  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/10/07/6595661

第76題 在日の犯罪と生活保護  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuurokudai

在日の密航者の法的地位2013/06/23

 在日韓国・朝鮮人の来日事由について、一般的には「日本の植民地支配に起因して渡日し、そのまま在留した人、およびその子孫」とされていますが、実際にはそういう人たちだけでなく、戦後(解放後)に密航で来日した人がかなりの数になります。

 小熊英二・姜尚中編『在日一世の記憶』(集英社新書2008年10月)には、在日一世とされる52人の体験談を記録しています。そのうちの12人が戦後(解放後)の来日で、そのうち合法的に来日した人は一人で、他の11人は不法入国(密航)です。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/12/31/4035996

 彼らはこのような本に登場するぐらいですから、かつての不法行為についてはすでに清算・解決し、現在は合法的な在留資格を得ていると思われます。しかし彼らがどのようにして合法的な在留資格を得たのかについて、それほど知られていないようです。

 本格的に調べたことはありませんが、私が見聞きした範囲で次のような例がありました。

 密入国の時効は3年ですから、密航して摘発されることなく3年を過ごせば、罪に問われることはなくなります。しかし不法滞在状態が続きます。   次にその間に日本に合法的に在留している人と結婚して子供を作ります。子供は配偶者の合法的在留資格を継承しますので、この家族は不法滞在者一人と他は合法滞在者という構成になります。   それから頃合い(大抵の場合子供が入学する時期)を見て「私は密入国者です」と警察や入管に出頭します。当然密入国の経緯等の取り調べを受けますが、すでに家庭を支えている大黒柱となっています。   彼一人を本国強制送還することは難しく、多くの場合法務大臣から特別在留許可を貰うことになります。最初は在留期限一ヵ月を繰り返しますが、何事もなく過ごせば三ヵ月、六ヵ月、一年‥‥と長くなり、最終的には一般永住資格を持つこともあります。   出頭して自分の身分を明らかにするまでは、不法滞在がバレやしないかとヒヤヒヤしながら、目立つような行動をせず、絶対に警察沙汰にならないように気をつけて生活します。特に注意を要するのが、同胞らによる密告です。

 密航者が日本に定着するまでは、だいたい以上のような経過をした人が多いようです。それ以外の場合もありますが、過去の経緯はどうであれ、現在は合法的に在留しています。自分の来日経緯を「密航だ」と堂々と語る在日がいるのは、捜査当局の取り調べを経たうえで、法務大臣より特別在留許可を得たからです。

 しかし在特会のレイシストたちは過去の経緯を持ち出し、在日は不法に日本に来たのだから今も不法滞在だとして日本からの追放を主張し、「帰れ」「死ね」と叫びます。

 在特会は、ただひたすら品性卑しい人たちとしか言いようがありません。

在特会の行方2013/06/29

 在日の特別在留資格や生活保護、通名について、「特権」だと主張する人がいます。当ブログでも、この考え方をする人がかなり投稿してきたものです。

 これが誤りであることは繰り返し説明してきました。しかし彼らはインターネットの情報をちょっと聞きかじっただけで、在日が特権を有していると信じ込み、浅薄な知識を振りかざして、その廃止を訴えます。

 こういう姿は、かつての極左過激派諸君の姿とダブって見えます。彼らはアジビラとしか言いようのない機関紙を読み、その中身を反芻していきます。そして自分たちこそが正義であり、相手が悪だと思い込むことになりますから、使命感が発生します。 しかし周囲からの理解を得られるものではありません。こうなると、これは自分たちの努力が足りないからとばかりにその行動が過激化していきました。過激な行動をして注目されることによって自分たちの思想をアピールし、社会を覚醒するんだという考えに陥るのです。

 いま在特会を名乗る集団が在日に対して「死ね」「ゴキブリ」などのヘイトスピーチを繰り返しているのは、彼らには自分たちの考えが正しく、悪いのは相手方(在日)と信じ込んでいるからと思われます。

 これはかつての過激派諸君と同様に、自分たちの過激な言動が注目を集めることによって正義の主張を広め、何も知らない人々を覚醒するという考えに陥っているようです。一旦こういう思考回路に嵌ってしまうと、下品極まる表現にも躊躇いがなくなり、罪を犯しても確信犯となって同志間では英雄扱いされることになります。

 このような集団を応援する人も多いです。本ブログでは、在特会のやり方には賛成しないと言いながらも彼らの意見を擁護するような投稿がかなりあります。これもかつての極左過激派を擁護した評論家たちの文とそっくりです。評論家らは、彼らの過激な行動を肯定するつもりはないがこの矛盾した社会を憂うる余りのことなのだから、彼らの意見を聞いていてみる必要があるなどと言っていましたねえ。中国の毛沢東語録にある「過ちを正すには行き過ぎも必要である」という文言を引いて、過激な暴力行為を正当化する評論家もいました。

 これらの評論家たちと、本ブログで在特会を「そのやり方を肯定しないが、考え方に賛成する」式に投稿する人とは同質です。「擁護するつもりはないが‥」などは単なる枕言葉にしか過ぎず、結局は応援団なのです。

 かつての過激派には味方する評論家が多かったものでしたが、在特会にも同様に応援する人が多いようです。 在特会は極左過激派と同様に、こういった応援者を追い風に犯罪集団化していくことでしょう。

【拙稿参照】

過激な言動は犯罪を生む   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/23/6755958

アクセス数の急減     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/04/6768285

在日の特別永住制度     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389

在日の生活保護     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/16/6867746

在日の密航者の法的地位      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874269