戦前の拷問のやり方2010/11/07

戦前の共産党員で、非転向を貫いた赤松啓介さんの話の続きです。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/09/17/5351878

 赤松さんによると、特高の拷問は、映画なんかに出てくるような、例えば天井から吊るされて特高が木刀で叩いたり小突いたりする、ということは、あるにはあったが、あまり効果的なものではなかったとのことでした。

 最初のうちは痛いが、しばらくすると痛みが麻痺してしまうとのことです。また特高も賢いから、体力的にシンドイような拷問をするよりも、体力をあまり使わないでやる効率のよい拷問をした、とのことです。

 共産党員というのは、昔も今もインテリが多いのですが、彼らに対する効率のよい拷問は何か?

 それは一人を選んで、肉体的拷問を集中的に行ない、その呻き声がよく聞こえる監房に他の逮捕した人たちを入れて置き、そして拷問の終わった血まみれの人を彼らに見せることでした。インテリは、その呻き声や血まみれの人を見ただけで精神的に参ってしまい、その翌日には何もしていないのに、スラスラと自供し、あるいは転向してしまうのです。

 そんなことにも動じない人には当然肉体的拷問をしますが、多くの共産党員を効率よく拷問するためにはどうすればいいか、つまり如何に楽して共産党組織を解明して壊滅するか、特高も必死に考えたということです。

 体験者の話は、どこでも同じですが、リアリティがあるものです。

コメント

_ 流れ者D ― 2010/11/12 18:26

拷問史ネタも、色んな意味で面白いのですがw
やはり肉体的に痛めつけるよりも、精神的に苦痛を与えた方が、いわゆる知識人や女性には効くのかもしれません。

さて、「転向者」の生き方について考えてみました。
日本の文化人の中にも、左翼から転向した方々は多いですが、あっし的には、左から保守や右翼に行った人々にはあまり興味はありません。
なぜなら、あまりに変わり身が早すぎて、当たり前かつ安易過ぎる生き方のようが気がして面白くない。
最近知った小説家で、戦前に大学在学中に、労働運動から非合法共産党の活動を行うも、検挙・起訴後に転向を果たし、文学者として活躍した、
#島木健作
http://uraaozora.jpn.org/simaki.html
が居ます。
青空文庫で短編「赤蛙」、紀行文「東旭川村にて」を読了しましたが、前者はたとえちっぽけな存在でも、もがきながら生き続けることの尊さを、後者は主義を離れたかつての同志を通じて、地に足をつけて働くことの力強さを訴えているように思えます。
敗戦直後に、肺結核で42歳で落命しなければもっとすごい作品を書いていたことを考えれば、残念です。

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