木村幹『全斗煥』を読む(1)―捏造の北朝鮮軍事情報2025/01/06

 昨年(2024)の朝鮮半島は大きく揺れましたね。 ①1月、北朝鮮が「韓国は敵だ」として統一を放棄。 ②11月、北朝鮮軍がウクライナ―ロシア戦争に参加。 ③12月3日、韓国の尹大統領が非常戒厳令を宣布したことに端を発して、韓国の政局が大混乱。 この余波はまだまだ続くようです。 ④12月29日、韓国の務安空港で飛行機事故により179人死亡。 朝鮮半島は激動の時代を迎えているようです。 目が離せませんね。

 そんなことはともかく、拙ブログを続けます。 木村幹『全斗煥』(ミネルヴァ書房 2024年9月)を購読。

 全斗煥は韓国では非常に評判が悪いですが、大統領時代にソウルオリンピックを誘致し、北朝鮮からの露骨な妨害に耐え抜いてオリンピックを成功へ導き(ただし開催前に退任)、韓国経済の高度成長を持続させ、そして韓国の世界的地位を高めて次の盧泰愚時代にソ連・中国等との国交樹立に繋げるなどの業績は評価せねばならないと考えています。 

全斗煥 元大統領 死去    https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/11/23/9442532

全斗煥政権がオリンピックを誘致し成功に導いた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/08/8784411

全斗煥の功績         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/13/8787078

オリンピック誘致で全斗煥政権を応援した日本の市民団体 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/30/8778939

 

 ところで木村幹著『全斗煥』を読んで、全斗煥について私の知らなかった事実を多く知ることができました。 今はこれらのうち、私が全斗煥について思い込んでいたことがこの本によれば実は違っていた、ということを書きたいと思います。

 1979年12月の粛軍クーデターで韓国全軍を掌握した全斗煥は、翌年5月17日に非常戒厳令の拡大や金大中ら有力政治家の逮捕など、軍がすべてを支配するというクーデター(5・17クーデター)を起こしました。 これに対し光州では学生らが反発して軍部隊と衝突したのが1980年5月18日の光州事件(「5・18光州民主化運動」と呼ばれる)です。 

 この5・17クーデターについて全斗煥は、“北朝鮮が戦争を仕掛ける”という情報があったということを理由としました。 私は、“それはあり得るだろう、北朝鮮と長年に渡って対峙してきた韓国軍なのだから北朝鮮情報は確かだろう”と思っていました。 ところがこの本では次のように記されています。

(1980年)5月10日午前、日本の内閣情報調査室から極秘の情報が来た、と全斗煥の『回顧録』は記す。 彼によればその内容は以下のようだった、という。

「北朝鮮は、韓国政府が1980年4月中旬、金載圭を処刑すると予想していた。 そして金載圭処刑時に激しい抗議デモが発生し、決定的な機会が訪れると判断し、南侵の時期を4月中旬頃に予定した。 しかし、金載圭の処刑が遅れたことにより、この計画を延期し、5月に入って学生と労働者の騒乱が激化すると、北朝鮮は韓国国内の騒乱事態が最高潮に達すると予想される1980年5月15日から5月20日の間に、南侵を敢行することを改めて決定した。」

全斗煥はここから「情報を分析した結果」北朝鮮が仕掛けてくるのは、正規戦ではなく非正規戦だと判断した、と『回顧録』に記述する。 即ち、北朝鮮の正規軍が休戦ラインを肥えて侵攻するのではなく、学生運動や労働争議に紛れる形で韓国国内に浸透し、韓国政府を転覆させようとするのだ、というのである。 (以上 木村幹『全斗煥』ミネルヴァ書房 2024年9月 167~168頁)

 つまり北朝鮮が南侵するという情報は韓国軍が探知したものではなく、日本から、しかも内閣情報調査室から提供されたものだというのです。 北朝鮮軍事情報を韓国軍が知らないで日本が先に知っていたなんて、常識的に言ってあり得ないです。 しかも自衛隊ではない内閣情報調査室が韓国軍に直接通報したとなると、これは更にあり得ないです。

 この北朝鮮情報を知らされた韓国の野党政治家は、アメリカに本当かどうか問い合わせます。

しかし、政治家たち、とりわけ野党の政治家たちは‥‥この「情報」と「分析」を信じなかった。 野党党首の金泳三は即日、アメリカ大使館を訪問し、ここから韓国政府の伝える北朝鮮の韓国侵略説は妄説だとする情報を得た、と発表した。 慌てた全斗煥は、翌5月13日、米韓合同司令部を訪問し、この点を確認しようと試みるも、アメリカ側の反応は、「米韓合同司令部は北朝鮮による侵略がひっ迫しているという情報は持っていない」という突き放したものだった。 (同上 168頁)

 アメリカは“北朝鮮が侵略する”という情報を否定したのでした。 とすると日本の内閣情報調査室から提供されたとする情報は本当なのかという疑問が出てきたはずと思うのですが、全斗煥は突っ走りました。 

(5・18光州事件前日の)5・17クーデターについて、全斗煥は次のように述懐する。(『回顧録』)

「韓国への侵略という内容の極秘の情報を受け取った私は、学生たちの抗議行動が流血事件を引き起こし、野党勢力が最終通牒を政権に突き付ける状況に至り、この極端な社会不安が北朝鮮の誤った判断を引き起こす可能性があると考えた。 また、中央情報部長署理と保安司令官を務める立場から、国家の危機を収拾するため、自ら積極的な役割を果たさなければならないという責任感を再確認せざるを得なかった。 日本を通じて入手した極秘の情報は、韓国への侵略を決定した北朝鮮が、とりわけ大学での紛争を「導火線」として利用するという内容のものであり、北朝鮮による挑発と大学での紛争はもはや切り離せない関係になっていた。」 (以上 186頁)

 「日本を通じて入手した極秘の情報は、韓国への侵略を決定した北朝鮮が、とりわけ大学での紛争を『導火線』として利用するという内容」というのは、軍事同盟国でもない日本からの情報ですから本来は確認を取らねばならないところだったでしょう。 しかし全斗煥はそんなことをせずに5・17クーデターを起こしました。 そしてこれが翌日の光州事件(5・18光州民主化運動)へ繋がっていったのでした。 ですから全のクーデターの口実に、日本が利用されたということです。 とすると、「日本を通じて入手した極秘の情報」というのは誤情報というものではなく、最初から捏造だったのではないかという疑問が生まれます。

 光州事件について私は、“北朝鮮の侵略に韓国内の学生らが呼応しようとしていたから、全斗煥が危機意識を持って韓国軍を動員して対処しようとしたところ、市民が反発して事件が起きた”と思っていたのですが、それは間違いだったようです。 全斗煥はクーデターを起こして権力を掌握する際の口実に、“日本から北朝鮮侵略情報が通報された”という話を捏造したのだろうと思われます。 私の韓国現代史の知識を改めねばならないところです。   (続く)

 

【光州事件に関する拙稿】

光州事件は民主化運動として普遍化できるのか? https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/25/8859204

光州事件の方がましだった―朝日ジャーナル(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/20/8772995

光州事件のほうがましだった―朝日ジャーナル http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/15/8769881

「5・18光州事件」小考     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/25/8712337

1970~80年代の韓国民主化連帯闘争  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/01/16/5639024

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