全斗煥の功績2018/02/13

 1980年代の韓国の4分の3は、全斗煥大統領の時代でした。 彼は韓国では独裁者、虐殺者等々で呼ばれ、評判がかなり悪いです。 しかし彼が大統領の時代にソウル・オリンピックを誘致し、開催成功に導いた功績があるのですか、なかなか評価されませんね。 

 彼のもう一つの功績は外交です。全大統領の外交の功績について、意外にも『朝日ジャーナル』誌上で、朝日新聞の記者が論じていました。 朝日といえば、韓国の民主化勢力という進歩的・左翼的性向の人の側に立っていて、当然全斗煥大統領を批判しているものと思っていたのですが、そうではなく全大統領をかなり評価していたのですねえ。 朝日も1980年代は韓国に対して比較的冷静な目で見ていたんだなあ、と参考になりました。

『朝日ジャーナル 1986年3月14日号』 「第10回 新韓国地図 コスモスと鉄条網と」 朝日新聞ソウル支局長 小林慶二

1983年5月の中国民航機ハイジャック事件、同年9月1日の大韓航空機撃墜事件、同年10月9日ラングーン爆弾テロ事件と世界の注目を集める事件が続いた。 いずれも国交のない共産主義諸国との間で生じたものである。 この危機に、韓国政府が示した冷静な対応は、見事と評してもほめすぎにはならないだろう。大韓航空機事件では、怒り狂う国民をなだめて対ソ友好関係の方向を変えず、ラングーン事件では、「報復」を叫ぶ軍部の若手を抑え、結局は「南北対話」復活へとつなげている。 南北対決という厳しい環境のなかで、国益のあり方を冷静に分析した対応は、韓国の国際的地位を高めたといえよう。

対中関係改善の糸口は、ハイジャック事件というハプニングで生まれた。 1983年5月5日‥‥事件発生を知った時、私がまず感じたのは「韓国政府は厄介な荷物を抱え込んだな」ということだった。中国は義勇軍という形であれ、朝鮮戦争の参戦国で、韓中間には国交はなく、直接のパイプもない。 犯人の取り扱い、機体の返還交渉がこじれれば、韓国が望む対中関係改善の道はさらに遠のく。 台湾との関係もあり、この交渉は難航が十分予想された。

しかし、私の予想に反し、韓国政府の対応は手際の良いものだった。 この機会を対中関係改善に役立てる、との方針が決まると、まず犯人を隔離、三人の日本人乗客を解放。 中国人乗客と乗務員はソウル郊外の特急ホテル、シェラトン・ウォーカーヒルに収容し、歓待した。 中国民航の沈回総局長がソウル入りし、交渉している間も、乗客たちは観光をし、焼き肉に舌つづみを打った。 この間の費用は数千万円に達したといわれるが、ソウル観光のフィルムはその後、中国でテレビ放送をされ、韓国に対する中国国民の認識を改めるのに役立ったといわれるから、安い宣伝費だったといえる。 中国側は、この交渉ではじめて「大韓民国」という正式名称を使い、韓中関係改善の方向を示唆した。

対ソ関係は‥大韓航空機撃墜事件で、一時、最悪の状況となり、国会では与野党双方の議員から「大韓海峡(対馬海峡西水道)封鎖、ソ連船攻撃」などの強硬策が提案された。 しかし、李範錫外相(当時)は「我々の力だけで報復措置を取ることは考えていない。 我々の力量には限界がある」として強硬策を否定。‥‥韓国政府は、数日後行なわれた撃墜事件の犠牲者合同葬儀を最後に、国内の対ソ集会をいっさい、禁止し、国民の対ソ非難ムードを押さえた。

ラングーン爆弾テロ事件は‥‥南北関係を最も緊張させるものであった。 市民の中には、南北戦争再発は必至とみて、避難支度をした人もいたといわれ、多くの人が「もし大統領が殺されていたら、武力衝突は避けられなかったろう」と語っていた。 朝鮮半島がアジアの危険な発火点であることを、実際として知らされた事件であった。

この時も、政府の対応は冷静だった。 急ぎ帰国した全大統領は、部分報復や平壌爆撃、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へのゲリラ派遣など若手将校の唱える強硬策を抑えたといわれる。 韓国軍は特別警戒態勢を取り、最前線は数ヶ月にわたり臨戦態勢を取ったといわれるが、武力衝突は避けられた。 そして、ビルマ政府から「犯人」ときめつけられ、国際的に孤立した北朝鮮は、南北対話を推進せざるを得ない立場に追い込まれたといえよう。

この4年間(1981~1985)の韓国の外交、とりわけ、「北方外交」は、次第に実を結びつつある。 大国に追随せず、国際情勢に目を配り、感情を殺して国益を追求する「自主外交」‥‥

 全大統領は1988年のソウル オリンピック開催直前に、憲法の定めにある‘7年一期、再任なし’の通りに退任しました。 韓国はこのオリンピックの成功により国威を高め、次の慮泰愚政権時代にソ連や中国といった共産圏の大国と国交を結びました。 国際的な認知を大いに高めたのですが、その一番の功績は全大統領にあったと言っていいと思います。

 全大統領は退任後、不正蓄財等を追及され、またクーデターや光州事件の責任を問われる等々で、死刑判決を受けました。 また民主化運動への弾圧などで評判が極めて悪いですが、外交面においてはもっと高く評価されてもいいのではないかと思います。

コメント

_ 大森 ― 2018/02/13 23:12

80年代というと読書面では「凍土の共和国」と「ソウルの練習問題」「海峡を越えたホームラン」がターニングポイント。
これらで南北に対する認識変わりましたね。
裸眼で南北を見ようという意識が高まった時代。
嫌韓本のはしりの「韓国人の経済学」もありました。

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