金時鐘氏への疑問(13)―石鹸工場・民戦2025/06/13

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/24/9777663 の続きです。

⑲	石鹸工場での写真の謎

 金時鐘さんは1949年6月に密入国して大阪の猪飼野にやって来た際、幸いに「金井」さんという同郷の人に出会ってローソクを作る小さな工場を紹介されて働きました。 しかしそのローソク工場は年末いっぱいで廃業します(『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 241・242・246頁)。 その後は石鹸工場で働き始めます。

(1949年)年末ぎりぎりに、通称鶏舎長屋と呼ばれている南生野町の板間ひと間のバラック建ちの中年夫婦の部屋に移りました。 ‥‥ 仕事は下宿先の〝兄さん”が見つけてくれた、布施市(現在の東大阪市)の高井田にある石鹸工場に雑用係として働くようになりましたが、かなり離れている百済のバス停から今里経由で高井田まで行かねばならない、交通費の半分は自分持ちの遠距離通勤でした。 (『朝鮮と日本に生きる』 246・247頁

私が日本で迎えた初めての新年は、朝鮮戦争が勃発する1950年に立ち入っていました。 なんとか在日朝鮮人の運動団体につながらねば、と思っているところへ、日本共産党への集団入党が地区単位で出来るとの誘いが、生野区の朝連(在日本朝鮮人連盟)活動家からもたらされました。 ‥‥ 1月末、自己を奮い立たせるように日本共産党の党員のひとりになりました。 2月いっぱいで石鹸工場もやめて、中川本通り(生野区)近くにあった民族学校跡の、民戦大阪本部臨時事務所に非常勤で詰めるようになりました。 (同上 247・248頁)

 金時鐘さんは石鹸工場を1950年2月いっぱいで辞めたのですから、2ヶ月間だけ働いたことになります。 そして今度は共産党に入党して傘下の「民戦」で働き始めたそうです。 ところが金さんの近著『金時鐘コレクション7』(藤原書店 2018年12月)の最初の口絵には、「1950年4月(来日の翌年) 大阪・高井田の石けん工場にて」と題する金さんの写真が飾られているのです。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/kimSijong.jpg (該当キャプションに赤線を引きました)

 つまり金さんは「民戦」で働いている最中に、何ヶ月か前に辞めていた石鹸工場にわざわざ行って写真を撮ったことになります。 当時は写真を撮ること自体にお金がかかる時代であり、その工場に行くのにも交通費が要ります。 果たしてそんなことがあり得るのだろうか? この写真は本物なのだろうか? あるいは2月に石鹸工場を辞めたというのは本当か? などの疑問が湧きます。

 

⑳	まだ結成されていない「民戦」に加入したとは?

 「民戦」は「在日朝鮮統一民主戦線」の略称ですが、金時鐘さんの『朝鮮と日本に生きる』259頁によれば「在日朝鮮民主主義統一戦線」と名称が違っています。 また彼はこの「民戦」について、

(解散させられた朝鮮人連盟の)後継組織として1951年1月に正式に発足する民戦 (同上 248頁)

と説明しています。 そしてこの「民戦」で働くようになった経過は、次のように説明します。

1949年の9月‥‥すでにGHQと日本政府によって強制解散させられた‥‥ この強制解散にも4・3事件の裏打ちのような反共の暴圧を感じ取っていた私は、1月末、自己を奮い立たせるように日本共産党の党員のひとりになりました。 2月いっぱいで石鹸工場も辞めて、中川本通り(生野区)近くにあった民族学校跡の、民戦大阪府本部臨時事務所に非常任で詰めるようになりました。 (同上 248頁)

 つまり金時鐘さんは、「民戦」は1951年1月に発足したとしながらも、その「民戦」で前年の1950年3月から働くようになったと記しておられるのです。 記憶の勘違いなのでしょうかねえ。

 些細なことでも事実関係に問題があれば、全体の信用性に影響が出てくるものです。     (続く)

金時鐘氏への疑問(1)―在留資格       https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/26/9763626

金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818 

金時鐘氏への疑問(3)―教員免許・公務員就職 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/05/9766006

金時鐘氏への疑問(4)―日本語・創氏改名   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/11/9767588

金時鐘氏への疑問(5)―政党加入・4・3事件  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/18/9769221

金時鐘氏への疑問(6)―4・3事件(その2)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/23/9770375

金時鐘氏への疑問(7)―4・3事件(その3)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/28/9771478

金時鐘氏への疑問(8)―西北青年団      https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/02/9772477

金時鐘氏への疑問(9)―韓国否定と北朝鮮容認 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/09/9774295

金時鐘氏への疑問(10)―北朝鮮批判と擁護代弁 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/14/9775437

金時鐘氏への疑問(11)―スキー客・新井鐘司  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/19/9776467

金時鐘氏への疑問(12)―崔賢先生       https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/24/9777663

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック