高句麗―韓国か中国か2008/09/28

中国東北地区(満州地域)から朝鮮北部にかけて、紀元前後~7世紀の歴史に登場する「高句麗」、この古代国家の歴史が韓国と中国の間で摩擦が続いています。

>韓国と中国の歴史摩擦の現場 中朝国境の高句麗遺跡

 韓国と中国の歴史紛争の現場になっている中朝国境の鴨緑江流域では、韓国色排除で“中国化”が着々と進められている。とくに紛争の焦点になっている高句麗の歴史に関して、有名な「広開土王(好太王)碑」では韓国語(朝鮮語)のガイドが禁止され、不満の韓国人観光客をよそに中国人観光客でにぎわっていた。また中朝国境にまたがる白頭山(中国名・長白山)観光でも、朝鮮族自治州を経由しない西ルートが開発され、あらゆる施設でハングルが消えつつある。(中国吉林省集安 黒田勝弘)

 朝鮮族が多く住む国境地帯におけるこうした現象は、中国当局が将来の民族トラブルに備え「韓国(朝鮮)人の民族主義感情を事前に封じ込めておく狙いからだ」と韓国側では受け止められている。

 古代、朝鮮半島北部から中国大陸にかけ広大な地域を支配した高句麗(紀元前後~7世紀)については、韓国では昔から韓民族の国家とされてきた。しかし近年、中国では「中国の地方政権」として中国史に組み込む作業が進められ、韓国との間で“歴史紛争”になっている。

 高句麗の城跡や王陵など多数の遺跡が残っているのが鴨緑江中流の吉林省集安。そのシンボルが5世紀初に建てられた「広開土王碑」で、高さ6・4メートル、重さ45トンの巨大な石碑に、高句麗の歴史が約1800字の漢字で刻まれている。

 碑文には当時の倭(日本)の活発な活動が記されているため日本でも昔から関心が高く、碑文の解釈をめぐって今も日中韓で研究や論争が続いている。

 石碑は現在、中国政府の手で国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録され、ガラス張りの建物で保護されている。建物内部では高句麗風の民族衣装を着た中国人女性ガイドが中国語で説明してくれるが、韓国人観光客の韓国語ガイドは禁止という。韓国人観光客には必ず中国人の警備員が付き、監視の目を光らせている。

 このため韓国人団体客の中には、石碑の裏手でひっそり(?)同行者による韓国語の説明を聞く風景も見られる。「もともとわれわれのモノなのに、なぜわれわれが肩身の狭い思いをしなければならないのか」と憤慨する声も聞かれる。

 集安は近年、高句麗遺跡ツアーの韓国人観光客でにぎわっている。市内にはこれを目当てに北朝鮮直営のレストランもあって韓国人観光客に人気だ。しかし「広開土王碑」を含めすべての遺跡で、説明などの表記は漢字になっていてハングルは見当たらない。

 中朝国境を旅行する韓国人たちは高句麗への郷愁などからよく「満州はわれわれの土地」と気炎を上げる。このため中国当局は韓国人観光客の言動に神経をとがらせているといわれ、鴨緑江の源流になる白頭山でもガイドは「頂上で『大韓民国万歳!』は絶対やらないでほしい」と厳しく注意していた。 >

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080928-00000563-san-cn

こちらは当事者でありませんが、歴史・国家・民族を考える上で、非常に興味深い事態と言えます。まさに、拙HPのタイトル「歴史と国家 雑考」の格好のテーマです。

拙論では、下記を参照ください。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/22/1812668

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuunidai

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