児童虐待暴言「橋の下で拾った子」は朝鮮由来か?2021/07/07

 2年程前に、「お前は橋の下で拾ってきた子だ」という児童虐待暴言は日韓で共通すると論じました。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/09/9125209

 この暴言に関して、尹学準さんが著書の中で次のように触れているのを見つけました。

(紹修)書院を出てからちょっと走ったところで運転手が突然車を停めた。小さな橋のたもとだった。

「これがあのチョンダリ(チョン橋)ですよ」と言った。

なるほどこれがかの有名な『チョンダリ』か――。私は何の変哲もない小さな橋をしげしげと眺めながら、はるか遠い幼児期に想いを馳せた。

朝鮮では子供をからかうときによく、「実はお前はどこそこの橋の下で拾ってきた子なんだよ」とか、言うことを聞かない子供に対して、「そんな聞き分けのない子供はチョンダリの下へ捨てっちまうぞ」と脅かしたものである。

私に八親等の弟がいた。今はすでに五〇を過ぎた中老の域に達していて社会的にもかなりの地位にいるのだが、その弟が本家のアンバン(居間)で大人たちからからかわれていた。「実はチョンダリの下で拾ってきた子なんだ。だからお前は本当は尹家の子ではなく、どこか苗字さえも分からない子なんだ」といってからかったのである。しかし、とびっきり利発な彼は、「また始まった」と言わんばかりの涼しい顔でニヤニヤしていた。そのとき、傍で黙って聞いていた彼の父親が突然、

「いやはや、あの日は本当に寒かったなあ」と表情一つ変えずに言ったものだから、彼ははじめてわっと泣き出したのである。

むかし、この周辺の女どもが、書院で勉強していた儒生たちと浮気して生んだ赤ちゃんを、処置に困ってこの橋の下に捨てて逃げたということから、こういう戯れなあそびが広まったのである。  (以上は尹学準『歴史まみれの韓国―現代両班紀行』亜紀書房 1993年1月 232~233頁)

 「書院」というのは李朝時代の在郷私立儒学教育施設で、朝廷から扁額や書籍、田土などが下賜されました。 その最初の賜額書院が、ここに出てくる「紹修書院」です。 その後の朝鮮ではこの「賜額書院」が全国にいっぱい作られ、書院らは時に国政を揺るがすほどの激しい是非(シビ―闘争・党争・ケンカのこと)を繰り広げました。 朝廷はたびたび禁令を発しましたが収まらず、1871年に大院君が47書院以外を強制的に撤去しました。 これは朝鮮史の概説にも出てきますから、みなさんもご存知と思います。

 その最初の紹修書院の近くに「チョンダリ」という橋があり、その橋が児童虐待の暴言「橋の下で拾ってきた子」の舞台だったというのが、著者の幼児期の思い出話です。 

 著者の尹学準は1932年生まれですから、この思い出話は1930年代後半と推定できます。 ですから、その頃には「橋の下で拾ってきた子」の暴言は朝鮮ではすでに広まっていたと考えられます。

 ところでこの暴言は、日本では少なくとも戦後に全国に広まっていました。 しかしその起源について、つまり何時どこから始まったかについては定かではありません。 今言えるのは、日本でも朝鮮でもこの暴言がかなり以前から広く分布するということだけです。

 私は日本が起源で近年に韓国で広まったと思っていたのですが、そうではなく朝鮮でも昔から広がっていたということですね。 とすると暴言の起源は、日本と朝鮮で偶然に同時に生じたものなのか、或いは最初は朝鮮で生じていて植民地時代に日本に広がった、となるのかも知れません。 

【拙稿参照】

児童虐待の暴言「橋の下で拾ってきた子」は日韓共通だが‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/09/9125209

同和企業の思い出 ―熱海土石流災害を見て2021/07/11

 今月3日に起きた熱海の土石流災害。多数の方が犠牲になっており、ご冥福をお祈りします。

 ところでこの土石流の原因が、裏山の伊豆山に施行されていた盛り土が崩壊したことによるものとされています。 その経過は、7月10日付け毎日新聞によると次の通りで、関連部分を引用します。(有料記事ですので、詳しくは図書館にでも行ってご確認ください) https://mainichi.jp/articles/20210710/ddm/003/040/066000c

盛り土があった場所は海岸から約2キロの逢初(あいぞめ)川最上流部だ。神奈川県小田原市の不動産管理会社(清算)が2006年にこの地点を含む上流一帯の土地を取得し、盛り土を造成した。同社が静岡県土採取等規制条例に基づき、07年3月に熱海市に出した届け出によると、0・94ヘクタールの土地に3・6万立方メートルの盛り土をする計画だった。

ところが、土石流発生後に静岡県が10年1月の国交省のデータなどを基に推計すると、盛り土の総量は届け出の1・5倍の5・4万立方メートルに上っていた。崩落災害を防ぐ観点から、県の技術基準は盛り土の高さを原則15メートル以内と制限しているにもかかわらず、問題の盛り土の高さは最大50メートルに達していた可能性がある。

流れた土砂の総量は5万5500立方メートル。大半は盛り土とみられ、起点以外では土砂の流出は限定的だったとされる。起点が盛り土の部分なのか、山の地肌部分かは明確ではないものの、県は盛り土が被害を大きくした要因とみている。

盛り土を造成した不動産管理会社を巡っては、法令違反の発覚と行政指導が繰り返された。07年4月、盛り土の造成面積が条例で規制する1ヘクタールを超えることが判明し、県は翌月に文書で指導した。この違反は是正されたが、10年8月には産業廃棄物の混入が確認されたため、県が撤去を求めた上、熱海市は翌月に工事の中止を指導した。しかし同社は行政の指導に従わず、是正されないまま土地は11年2月、東京の企業グループ前会長に売却された。

住民の間には「11年以降も土砂を積んだトラックが上流へ向かうのを見た」との証言が複数ある。盛り土については「量と期間からみて、前の所有者(小田原市の不動産管理会社)だけが搬入したのではない」との見方もあり、県は経緯を詳しく調べる考えだ。

 土石流の原因となった盛り土の造成工事をしたのは、法令違反と行政指導不服従を繰り返した「小田原市の不動産管理会社」です。 この会社の社長が天野さんという方で、自由同和会神奈川県本部の会長です。 自由同和会なんて知らない人が多いでしょうが、部落解放同盟などとともに、いわゆる同和団体の一つです。 つまり無茶な盛り土工事をしたのは、同和企業ということですね。

 私はこれを知って、40数年前に同和企業でアルバイトしていたこと思い出しました。 そこはH県I市のHという同和地区にあったN組という土建会社でした。 私は土建の知識なんて全くなかったのですが、驚きの連続でした。 一例を挙げますと、

会社は農業用水路改修工事を請け負った際に、近くの空き地を残土の仮置き場として借用した。 そうしたら会社はどうしたか。 空き地内に運び込まれた残土を周りに高く盛り上げて、周囲から見えないようにした。 そうすると残土の山の内側は平らな地面として残る。 次にこの平坦地を深く掘り下げて、その土を売り飛ばす。 台地の地山の土だったから埋め立てに使うのにちょうどいいので、そこそこに売れたそうだ。 そして借地の真ん中に空いた穴に、今度は産業廃棄物を含んだ泥土を埋めていった。 産業廃棄物はいつの時代でも同じだが、廃棄には苦労するもので、多額の費用が掛かる。 会社はこれを引き受けて、実際はこの穴に放り込んだのであった。 最後は穴をきれいに埋めて整地し、所有者に返還して終わった。

 当時の私は土建の知識がありませんでしたから、会社の人から、土建屋はどこでもこれと同じことをしている、お金を出して他人の土地を借りてもお金を儲ける、これが知恵というものだと言われて、土建業界ってすごいところなんだと思ったものでした。

 そして行政から何か言われたら、こっちは同和だと言い返せばいいと教わりました。 ただ当時は、同和は社会から差別された存在と学校で習っていましたから、それが特段悪いこととは思っていませんでした。

 しかし結局はこの会社の評判の悪さを知るようになって辞めたのです。 同和だから悪いのではなく、会社のやり方が悪いからと思っていました。

 しかしその後、他地域でも悪い評判の立つ土建屋には必ずと言っていいほどに同和企業が含まれていることを知りました。 こういう経験をして、私はようやく同和企業に共通する体質というものがあるのではないかと思うようになりました。

 「共通する体質」とは、前述したように法令違反と行政指導無視を平然と行なうこと、同和であることを公然と示すこと、特に立場が悪くなりそうな時には効果が大きい、そしてその場さえ切り抜けたら、後はどうなっても知らぬ顔をする‥‥といったところです。 

 ここが、熱海土石流の原因をつくった同和企業と、私がアルバイトで働いたことのある同和企業の共通点だと感じましたね。

【拙稿参照】

差別問題の解決とは?      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266205

同和出自を明かすことは‥‥   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/13/9267584

社会的低位者の差別発言     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588

尹東柱と孫基禎の国籍について2021/07/18

 7月8日付けの『中央日報』で、「ウィキペディア日本語版に尹東柱詩人の国籍を『日本』に表記…修正を要求」と題する記事が出ました。 ↑は、それに掲載された「ウィキペディア」の部分です。 問題になったところには赤線が引かれています。

https://news.joins.com/article/24100893   https://japanese.joins.com/JArticle/280543?servcode=A00&sectcode=A10

 記事の内容は、尹東柱に関するところは次の通りです。

中国のポータルサイト「百度(バイドゥ)」で尹東柱詩人の国籍を中国と表記したことに続き、今度は日本語版ウィキペディアが尹東柱詩人の国籍を日本と表記した。

誠信(ソンシン)女子大学の徐ギョン徳(ソ・ギョンドク)教授は8日、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に投稿してこのように知らせた。

徐教授は「情報提供を受けたが、日本語版ウィキペディアでは尹東柱の国籍を日本と紹介している」と指摘した。ウィキペディア日本語版のホームページ(ja.wikipedia.org)で「尹東柱」を検索すれば、日本国籍の詩人という説明が記されている。

徐教授は「抗議のメールを送って強く修正を要求した」とし「尹東柱詩人が日帝強占期に活動したのは歴史的なファクトだが、彼は日本人でなく韓国人という事実を全世界にきちんと発信すべきだ」と強調した。

 今ウィキペディアを開いてみますと、「日本国籍の詩人」は、「中華民国時代の満州・間島出身の朝鮮民族の詩人」と書き換えられています。 おそらく徐教授の抗議があったためでしょうね。

 尹東柱の国籍については以前に拙ブログで論じたことがありますので、お読みいただければ幸甚。  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/13/9356544   要は、尹東柱は日本国籍を有した朝鮮人だったのであり、その生涯において韓国国籍や中国国籍を有したことはない、ということです。

 さらに記事では、ベルリンオリンピックのマラソン優勝者である孫基禎の国籍についても言及しています。

最近、日本は日本オリンピック委員会(JOC)のサイトでマラソン選手の孫基禎(ソン・ギジョン)氏を日本人のように紹介して論議を呼んだことがある。サイト内の「オリンピック日本代表選手団 記録検索」によると、1936年ベルリン五輪で金メダルを獲得した孫基禎選手を背景説明なしにまるで日本人のように紹介している。

徐教授は「孫基禎選手に対する紹介を歴史的背景の説明なしに『日本人』としか広報していないなど、歪曲がさらに深刻になっている状況」と指摘した。

一方、2月中国ポータルサイトの百度は尹東柱詩人の国籍を中国に表記し、民族を「朝鮮族」と表記して論議を呼んだ。徐教授は「百度側に持続的に抗議しているが、まだ変わっていない」と強調した。

 ここで孫基禎と尹東柱の二人の国籍をまとめて論じますと、 孫基禎は1912年、尹東柱は1917年の生まれです。 ところで1910年日韓併合によって大韓帝国という国家が消滅しました。 そして亡命政権とされる大韓民国臨時政府の樹立は1919年ですから、1910年から1919年までの10年間は、朝鮮人たちが属していた国家は大日本帝国です。 従ってこの時期の出生である孫基禎や尹東柱は日本国籍を持って生まれました。 

 1919年に上海に韓国臨時政府ができるのですが、世界でこれを承認する国は一つもなく、また「政府」を名乗りましたが、構成員である国民がいない状態でした。 つまり臨時政府は国籍事務をする意図も能力もありませんでした。 従って1919年以降も朝鮮人たちの国籍を証明することのできた国家機関は、引き続き大日本帝国だけでした。

 そして尹東柱は1945年2月に亡くなりました。 敗戦の6ヶ月前ですから、朝鮮は日本統治下でした。 ですから彼は生まれてから死ぬまでの間、大日本帝国の臣民でした。 彼は他の国籍を有したことがなく、日本国籍で一貫していたと言うことができます。

 ところで1945年に朝鮮は日本の植民地から解放され、南朝鮮には米軍が、北朝鮮にはソ連軍が占領して軍政を敷きます。 1948年に南に大韓民国(韓国)、北に朝鮮民主主義人民共和国(共和国)が樹立されましたから、その時になってやっと、南の朝鮮人は「韓国」、北の朝鮮人は「共和国」の国籍を有することになります。 それまでの1945~48年の3年間は国家というものがなく、国籍がなかったのでした。

 ですから孫基禎は1948年から韓国の国籍者となり、2002年に韓国国籍者として亡くなりました。

 まとめますと、孫の国籍の経歴は日本国籍(1912~45) →無国籍(1945~48) →韓国籍(1948~2002)という変遷を経たことになります。

【拙稿参照】

尹東柱の国籍は? https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/13/9356544

尹東柱は中国朝鮮族か韓国人か   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/21/8075000

『言葉のなかの日韓関係』(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/09/6772455

孫基禎が学徒兵志願を訴える―親日行跡 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/09/9355293

孫基禎は植民地支配に抗議したのか?  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/03/9352492

孫基禎の写真   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/05/9353642

深沢潮さん―毎日記事への違和感2021/07/22

 7月15日付の毎日新聞に、深沢潮さんを取材した記事である「差別が許されないのは恥だから? 在日作家・深沢潮さんの違和感」を読む。 (有料記事なので、関心のある方は図書館にでも行ってください) https://mainichi.jp/articles/20210714/k00/00m/040/333000c

 こんな在日像(被差別・被害者)を公言する人が今でもいるんだなあという感想ですね。 深沢さんは1966年生まれとありますから、この世代までもがこういう感覚を持ち続けているのだろうか、と思いました。 在日をどう考えるかは人それぞれですから、それはそれでいいのですが、昔を知る私にとっては、これはちょっと一言しておかねばならないと思うところがありました。 それを紹介します。

普段は日本の通称名を使っている女子大生の「金田知英」はパスポート取得を機に自分の国籍を改めて意識し、「日本人ではない」事実に戸惑いを覚える。

 これはご自分が書いた小説での話ですが、おそらくご自身の体験談だと思われます。 「パスポート取得を機に自分の国籍を改めて意識し、『日本人ではない』事実に戸惑う」とありますが、パスポートを見て初めて「国籍を意識」するなんて、ちょっとビックリ。

 在日は16歳の時に外国人登録をするのですが、普通はこの時に「国籍を意識=日本人でない」ことを自覚するものです。 深沢さんは1966年生まれですから、1982年頃に指紋押捺をしたはずです。 その時に黒く塗られた左手人差し指を見ながら、自分は日本人ではないと意識するものですがねえ。 

 またそうでなくても、自分が外国人であることはどこかで判明するものです。 例えば住民票の提出を求められたら、代わりに外国人登録済証を出したとか(2012年までは外国人には住民票がなかった)、そんな経験をしたはずです。

 ですから大学生時代にパスポートを取得して初めて「国籍を意識」するなんて、あり得るのだろうかという疑問が湧きます。

小学6年生の時に初めて韓国にある父の田舎に行ったんです。確か冬休みで、日本に帰ってきた後に自分のことをみんなに言いたくなったんですよね。学校で朝、スピーチする時間があって『実は韓国人です』と話した

 小学6年生の時に、学校でみんなに「韓国人」だと明らかにしたということです。 小学生時代に親の故郷である韓国に連れられて行って、そこで親戚から歓迎されたという話ですね。 これは日本人の子でも親の故郷に行ったという話はよく聞くもので、それと変わらないと思います。 ところが中学校になると、次のような事件が起きます。

中学3年生のときには別の意味でショックを受けた。通称名を使っていたのに、なぜか友達に在日であることが知られ、突然距離を置かれるようになった。

 つまり小学校の時に自分は日本人ではなく韓国人だと名乗ったのですが、中学校の時は周囲の級友たちは誰もそれを知らず、3年になってようやく知られて差別されるようになった、ということです。 果たしてこんなことがあり得るのだろうか? という疑問が湧きます。 中学校は遠く離れていて、小学校時代の彼女を誰も知らなかったということなのでしょうか。

大学時代にはケーキ屋でアルバイトをしようとして、日本国籍ではないことを理由に断られたことも。在日に対する構造的な差別が社会に組み込まれ、就職活動では多くの一般企業に応募すらできなかった。採用されたのは、国籍を問わない外資系の証券会社。やりたい仕事ではなく、「入れる会社に入った」結果だった。結局仕事が合わず、半年で退職した。

 ここが一番ビックリしたというか、あり得ない話だろうと思ったところです。 彼女は1966年生まれですから、大学時代は1985~1989年頃と判断されます。 この時期の日本はいわゆるバブルに差し掛かる時期で、人手不足が深刻化し始めた頃です。 その時にアルバイトを申し込んだら「日本国籍ではないことを理由に断られた」とは、ビックリ。絶対にないとは言えませんが、当時を知る私には信じられない気持ちです。

 さらに大学卒業時は1989年前後ですから、正にバブルの真っ最中です。 人手不足が最高潮でしたねえ。 また1970年代半ばのいわゆる日立闘争で在日の就職差別が違法とされて、それ以降一般企業は採用時に国籍を問わないようになりました。 日立闘争以後とバブル最盛期という時期に、一般企業が外国人からの応募を最初から断るなんて、およそあり得なかったと思うのですが‥‥。 

 ただし在日の中には、どうせ日本企業に入れないだろうし、入っても在日だからと差別されるだろうからといって、最初から就職活動しなかった人も少なくなかったです。 当時、在日の就職活動を支援し就職情報誌を発行していた人は、在日は日本企業、とりわけ大企業へは就職活動する前から躊躇する傾向があると嘆いておられましたねえ。 深沢さんもこういう類の人だったのだろうかと想像しました。

「韓国人の血は入れられない」「韓国人なんてガッカリだ」。付き合っていた日本人男性は相手が在日だと分かった途端、こんな言葉を平然と言い放った。

 彼女はこの男性と付き合っている間、自分が韓国人だということを知らせていなかったのですねえ。 前後の文脈から、これは彼女が25歳前後と推定されます。 とすると1991年前後。 この時代に「韓国人の血は入れられない」「韓国人なんてガッカリだ」という男がいたことに、ビックリ。 こんな男と知って、早く別れてよかったですね、と言うしかないです。

 なお「韓国人の血は入れられない」というのは、1980年代までは「部落と朝鮮はダメだ」と強く主張するお年寄りがよく言っていました。 理由は「そんなのと結婚したら、血が濁る」というものでした。 お年寄りの差別発言はエゲツないものでしたね。 しかし1990年代にはそんなことを言う年寄りはいなくなりました。 しかし深沢さんは若い男性から言われたといいますから、ビックリです。

深沢さんは27歳のとき、お見合いで知り合った同じ在日韓国人の男性と結婚した。

深沢さん自身は妊娠を機に、30歳で日本国籍を取得した。

 昔は、在日は結婚相手も在日でなければならないと、在日専門の結婚仲介所があちこちにありました。 しかし在日の若者も日本の若者と同様に、親の言う通りにお見合いして結婚するなんて嫌がる傾向が強くなり、1990年代に衰退していきましたね。 しかし彼女はそんな時代に在日同士で見合い結婚したというのですから、何と親孝行な娘さんなのかと感心します。

 しかし彼女は結婚3年後に妊娠を機に帰化したとあります。 ふつう在日同士の結婚の場合、国籍や民族で悩むことがありませんので、直ぐに帰化することはあまりないものです。 子供が小学校に上がる頃か、あるいは子供が成人になる前に帰化を考える人が多いです。 結婚わずか3年後に子供が生まれる前に帰化を決めたのは、ちょっと珍しいですね。

 なお在日同士で結婚した場合、その子は韓国籍となります。 注意しなければならないのは、韓国籍の男子には兵役の義務があり、在日は単に免除されているだけだということです。 韓国人男子は韓国領事館に行って兵役免除の証明をしてもらわねばならず、これを怠ると、韓国に入国する時に徴兵されるかも知れないということです。

 そうでなくても韓国では、徴兵年齢期間中の男子は徴兵に応じない限り国籍離脱を認めてはならないとする主張が強くなっています。 そうなれば、20~29歳に軍隊に行かない在日男性は韓国の国籍離脱が出来ませんので、日本への帰化が困難になることでしょう。 あるいは日韓の二重国籍でしたら一方の韓国国籍離脱ができませんから、国籍がややこしくなります。

 以上は将来の話で実際のことではありませんが、私は在日男子のいる家庭には、19歳の徴兵検査年齢に達する前に帰化した方がいいですよと勧めています。 (韓国では19歳に徴兵検査、20歳以上が実際の兵役となります)

 毎日新聞の記事を読みながら、感想を書いてみました。

熱海土石流―「同和」の体質と恐怖2021/07/26

 去る7月3日に起きた熱海土石流災害で、その原因となった盛り土を不正造成した業者が同和企業であることが、ネット上で話題になっていますね。 しかし、マスコミにとってはやはり「同和」はタブーなのでしょうか、追及が鈍いですね。

 一方でネットでもマスコミでも、行政が悪事を知っていながら見逃していたのではないかと、市や県の責任を問う意見が強いようです。 それは当然といえば当然なのですが、しかしこれは「同和」をよく知らない人が言っているように思われます。

 1970年代以降の、いわゆる「同和団体」傘下の同和業者の違法行為や行政指導無視、そしてこれを是正させようとした行政担当職員が受ける恐怖。 これは体験したことのない人には理解が難しいのではないかと思います。 ですから、これに言及しないで行政責任を問うのはいかがなものかと考えます。

 ところで私は40年以上前ですが、同和企業でアルバイトをした経験があります。 その体験から見た同和企業とはどういうものだったか、拙ブログ7月11日付でその思い出話を書きました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/11/9396847

 要点を再録しますと、

私はこれを知って、40数年前に同和企業でアルバイトしていたこと思い出しました。 そこはH県I市のHという同和地区にあったN組という土建会社でした。 私は土建の知識なんて全くなかったのですが、驚きの連続でした。 一例を挙げますと、

会社は農業用水路改修工事を請け負った際に、近くの空き地を残土の仮置き場として借用した。 そうしたら会社はどうしたか。 空き地内に運び込まれた残土を周りに高く盛り上げて、周囲から見えないようにした。 そうすると残土の山の内側は平らな地面として残る。 次にこの平坦地を深く掘り下げて、その土を売り飛ばす。 台地の地山の土だったから埋め立てに使うのにちょうどいいので、そこそこに売れたそうだ。 そして借地の真ん中に空いた穴に、今度は産業廃棄物を含んだ泥土を埋めていった。 産業廃棄物はいつの時代でも同じだが、廃棄には苦労するもので、多額の費用が掛かる。 会社はこれを引き受けて、実際はこの穴に放り込んだのであった。 最後は穴をきれいに埋めて整地し、所有者に返還して終わった。

当時の私は土建の知識がありませんでしたから、会社の人から、土建屋はどこでもこれと同じことをしている、お金を出して他人の土地を借りてもお金を儲ける、これが知恵というものだと言われて、土建業界ってすごいところなんだと思ったものでした。

そして行政から何か言われたら、こっちは同和だと言い返せばいいと教わりました。 ただ当時は、同和は社会から差別された存在と学校で習っていましたから、それが特段悪いこととは思っていませんでした。

 このうちの「行政から何か言われたら、こっちは同和だと言い返せばいいと教わりました」というところです。 何だ、そんなことか、と思われるでしょうが、「同和」に直接関わったことのない人には分からないでしょうねえ。

 私のアルバイト経験では、ある工事でこんなことをしたら近所から苦情が来ますよと言ったら、「それやったら俺が出て行ってやる、この顔を見せたらビックリして引っ込むから」と言っていましたねえ。 つまり見ただけで恐ろしくなるような雰囲気を持った人間―そんな人が実際にいたのです。 一般人が見たら怖くて喋れなくなります。 だから行政に苦情を入れることになります。 そして行政担当者は毎日のようにかかってくる苦情の電話に応対して、現場に行政指導に行っても業者からは全く無視されるし、そしてあの怖い顔を目の当たりに見なければならず、ついには「僕は同和に殺される」と嘆いておられましたねえ。

 ここまで書くと、さらにその行政担当者になりかわって言ってあげたくなります。

 行政担当者の嘆きのもう一つは、それを訴える場がないということです。 マスコミは「同和」と聞いてしり込みして追及しようとしないし、警察は犯罪でない以上こちらは関係ないという態度です。 そして市当局は市民に向かって「同和問題の解決は全国民の課題!」なんて呼びかけていますから、同和業者の社長は市長なんかとしょっちゅう会っていて、知人関係になっています。 ですから市長はじめ市幹部連中は自分のところの職員からの、同和業者がどれほどエゲツないのかという情報を最初から聞く耳を持ちません。 結局担当者は上司からも守ってくれずに一人で孤立し、同和業者の違法行為を見逃すような事態になります。 すると同和業者は行政なんか怖くないと公言し、またそれを自慢し、更なる違法・迷惑行為を平然と繰り返します。

 この「違法・迷惑行為」に、私もアルバイトとして関わっていたのですから、私も同罪ですね。 このようなことは忘れねばならないと思ったので、今まであまり言わないようにしてきました。 しかし熱海土石流災害を見て、少しずつ思い出してきます。 やはり言っておかなくてはならないと考え直しました。

 ところで拙ブログで、私は同和企業の共通する特徴として、次のように論じました。

その後、他地域でも悪い評判の立つ土建屋には必ずと言っていいほどに同和企業が含まれていることを知りました。 こういう経験をして、私はようやく同和企業に共通する体質というものがあるのではないかと思うようになりました。

「共通する体質」とは、前述したように法令違反と行政指導無視を平然と行なうこと、同和であることを公然と示すこと、特に立場が悪くなりそうな時には効果が大きい、そしてその場さえ切り抜けたら、後はどうなっても知らぬ顔をする‥‥といったところです。

ここが、熱海土石流の原因をつくった同和企業と、私がアルバイトで働いたことのある同和企業の共通点だと感じましたね。

 今回の熱海災害は、例えば『デイーリー新潮』などがその業者を追及しています。https://news.yahoo.co.jp/articles/c5b953a672f27ce3889a2fd1de2b9cd5c27f9519  しかしその悪徳業者が「同和企業」であり、上述したような典型的な「同和」体質を身に着けて周囲に「同和」の恐怖を与えていた、という点まで追及してほしかったですね。 

 こういう類の話はかつては西日本で解放同盟関連が多かったのですが、今回は東日本で自由同和会ですね。 「同和」の体質は変わらずに、場所が西から東へ、そして組織が解同から自由同和へと変えていっているのかなあ、という印象ですね。

 「同和」に対しては、マスコミは今なおタブー扱いです。 今度の事件を機会に「同和の体質と恐怖」が明るみに出ることを願っています。

【拙稿参照】

同和企業の思い出 ―熱海土石流災害を見て http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/11/9396847

差別問題の解決とは?      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266205

同和出自を明かすことは‥‥   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/13/9267584

解放運動の闇専従-森山栄治  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/12/18/9190648

大阪の民族学級―本名とは何か2021/07/31

 7月19日付けの産経新聞に「児童に勝手な朝鮮名 東大阪市立小の民族学級、保護者の明確な同意得ず」という記事がありました。  https://news.yahoo.co.jp/articles/f6c772b81210af17760d0b2c76020c22a12b8a33

大阪府東大阪市の市立布施小学校の課外活動「民族学級」で、在籍する児童について日本国籍で日本人名を使って生活しているのに学校側が勝手に朝鮮名を付けて呼んでいたケースがあったことが19日、学校などへの取材で分かった。日本名の文字を朝鮮語の読み方をして呼んでいたという。これについて保護者側の明確な同意を得ておらず、学校側は抗議を受けて対応を改めた。学校側は「保護者に説明したつもりだったが、了承を得る取り組みが不十分だった」としている。

 「民族学級」というのは、戦後に日本各地でできた「朝鮮人学校」が強制閉鎖された代償として、いくつかの公立学校に設置された課外クラスです。 朝鮮人の子どもたちに「民族主体性」「民族の自覚」(昔はこんな言い方がよく使われました)を持たせようと、朝鮮の言葉や文化・歴史なんかを教えるもので、正規授業ではなく放課後にする授業です。

 1970年代以降は在日といえば本名(民族名)を隠しながら通名(日本名)で生きるというイメージで、本当は本名を名乗って堂々と生きていきたいのに、日本社会の民族差別のためにそれができないと思われていました。 だから在日は本名を名乗ってこの差別と闘おう(本名を呼び名乗る)なんて主張する運動団体が幅を利かせていましたね。 その運動団体の強い影響の下、一部の先進的な学校や教師たちは在日生徒たちに通名ではなく本名、しかもハングル読みを使わせていました。

 確かに当時は朝鮮人であることにコンプレックスを抱く子供たちが多かったですから、本名を名乗って民族の誇りを取り戻そうとする民族学級の取り組みは、それなりに意義があったと言えます。 しかし今は在日の状況が大きく変わり、その意義が揺らいでいるようです。

母親によると、親族に朝鮮半島にルーツがある人がいることから民族学級に在籍しているが、子供は日本国籍で、日本名で生活している。そもそも朝鮮語読みする名前はない。それなのに民族学級では学校側に勝手に付けられた朝鮮名で呼ばれていた。母親は子供に「嫌ではないか」と尋ねると、「嫌だけど(民族学級の児童は)みんなそう呼ばれているから」と答えたという。

母親がルーツを子供に伝えていなかったにもかかわらず、学校で子供は朝鮮語の名前で呼ばれていた。「朝鮮語読み」をやめるよう学校側に訴えたが、今まで改まることはなかったという。

 この民族学級は元々は在日韓国・朝鮮人子弟が参加するものだったのが、今では親族に朝鮮半島ルーツの人がいるというだけで在日扱いして参加させているようです。 この場合、例えば日本戸籍に登載されている本名が「花子」とすると、「ファジャ」と勝手にハングル読みをさせて、それを学校内で通用させていたというから驚きですね。 「本名を呼び名乗る」運動の理念からすると本名の「花子(はなこ)」と呼ぶべきであって、「ファジャ」は通名になりますから使ってはならないと思うのですが。

 更にもう一つ疑問が湧きます。 「本名」とは何かという疑問です。

 「本名を呼び名乗る」運動時代から提起されていたのですが、例えば外国人登録の名前が「一二三」の在日がいたが、「ひふみ」と読めばいいのか朝鮮語読みして「イリサム」と言えばいいのか。 「イリサム」は韓国・北朝鮮ではおよそあり得ない名前で、こんな呼び方をして「民族の自覚」なんて言えるのか?という疑問です。 

 こういう例が一つ出ると、疑問が次から次へ出てきます。 ある教師がうちの在日生徒の名前は「みどり」で、このひらがな名で外国人登録されている、「本名を呼び名乗る」運動ではこの場合どうすればいいのか? 「みどり」という余りにも日本風の名前をハングルで書いて、それで「民族の自覚」なんて言えるのか?という疑問を提起していました。

 さらには「早智」という在日の子どもにハングル読みして「チョジ」としたら、それは韓国では“おちんちん”という意味になって絶対に付けることのない名前だそうだ、それでも本名のハングル読みをせねばならないのか?という疑問‥‥。

 「好美」という在日の方をハングル読みして「ホミ」としたところ、「ホミ」は日本の某地方の卑猥語で、その地方でそれを口に出せば若い女性は声を震わせ顔を赤らめるだろうということだ、そんな名前をハングル読みする必要があるのか?という疑問‥‥。

 従軍慰安婦問題が出始めた1990年代に、これに取り組んだ活動家の一人の下のお名前は「伊佐子」さん。 彼女は自分の名前を「イサジャ」と名乗っていた。 しかし「伊佐子」のハングル読みは「イチャジャ」であって、「イサジャ」は朝鮮語と日本語のチャンポン読みになる。 つまり「伊佐子」というあまりに日本人風の名前をチャンポン読みしていたのである。 しかし「本名を呼び名乗る」運動側からは何の疑問もなかったですねえ。 

 次々と疑問が出てきたのですが、「本名を呼び名乗る」運動団体では無視されていました。 差別と闘う(=民族主体性=民族自覚)の活動こそが大事だとされていた時代でしたから、朝鮮語風に名乗りさえすればいい、あるいは日本人でないことさえ分かればいい、そんな考え方でしたね。

 今回の民族学級でも、何はともあれハングル読みだ、それは「在日」みんなが望んでいるはずだ、などと考えていたようです。 そこを産経新聞が突いたということでしょう。

【追伸】

 産経新聞7月21日・24日付で、続報が出ています。 ただし21日付けは消去されています。 内容は19日付けの記事の要約みたいですね。  https://news.yahoo.co.jp/articles/840d6e2a973242a16e260d8835228a97a0c40233

【拙稿参照】

二つの名前を持つこと          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/27/6493072

在日の本名とは?            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/01/6497383

通名を本名と自称する在日        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/04/6500499

日本名を本名とする在日朝鮮人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/18/6663657

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

在日の通名使用の歴史は古い       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/12/6688526

ある在日の通名騒動記          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/16/6904707

通名・本名の名乗りは本人の意思を尊重せねば  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/28/6925152

外国人が通名で銀行口座を設ける場合   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/13/6945717

外国人の名前              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/16/6948002

在日の通名は特権ではない        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/23/7019964

通名登録制度を悪用した事件       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/02/7031887

本名強要は人格権侵害ー判決       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/24/7618561

「本名を呼び名乗る運動」考  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai

(続)「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai

「本名の朝鮮語読み」考    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuichidai

「通名と本名」考       http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuyondai

「左」が担った「通名禁止」運動(3)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710

外国と日本の文化の違い―卑猥語(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/18/9358120

人に卑猥語を言わせるトンデモ俗悪人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/28/9351491