児童虐待暴言「橋の下で拾った子」は朝鮮由来か? ― 2021/07/07
2年程前に、「お前は橋の下で拾ってきた子だ」という児童虐待暴言は日韓で共通すると論じました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/09/9125209
この暴言に関して、尹学準さんが著書の中で次のように触れているのを見つけました。
(紹修)書院を出てからちょっと走ったところで運転手が突然車を停めた。小さな橋のたもとだった。
「これがあのチョンダリ(チョン橋)ですよ」と言った。
なるほどこれがかの有名な『チョンダリ』か――。私は何の変哲もない小さな橋をしげしげと眺めながら、はるか遠い幼児期に想いを馳せた。
朝鮮では子供をからかうときによく、「実はお前はどこそこの橋の下で拾ってきた子なんだよ」とか、言うことを聞かない子供に対して、「そんな聞き分けのない子供はチョンダリの下へ捨てっちまうぞ」と脅かしたものである。
私に八親等の弟がいた。今はすでに五〇を過ぎた中老の域に達していて社会的にもかなりの地位にいるのだが、その弟が本家のアンバン(居間)で大人たちからからかわれていた。「実はチョンダリの下で拾ってきた子なんだ。だからお前は本当は尹家の子ではなく、どこか苗字さえも分からない子なんだ」といってからかったのである。しかし、とびっきり利発な彼は、「また始まった」と言わんばかりの涼しい顔でニヤニヤしていた。そのとき、傍で黙って聞いていた彼の父親が突然、
「いやはや、あの日は本当に寒かったなあ」と表情一つ変えずに言ったものだから、彼ははじめてわっと泣き出したのである。
むかし、この周辺の女どもが、書院で勉強していた儒生たちと浮気して生んだ赤ちゃんを、処置に困ってこの橋の下に捨てて逃げたということから、こういう戯れなあそびが広まったのである。 (以上は尹学準『歴史まみれの韓国―現代両班紀行』亜紀書房 1993年1月 232~233頁)
「書院」というのは李朝時代の在郷私立儒学教育施設で、朝廷から扁額や書籍、田土などが下賜されました。 その最初の賜額書院が、ここに出てくる「紹修書院」です。 その後の朝鮮ではこの「賜額書院」が全国にいっぱい作られ、書院らは時に国政を揺るがすほどの激しい是非(シビ―闘争・党争・ケンカのこと)を繰り広げました。 朝廷はたびたび禁令を発しましたが収まらず、1871年に大院君が47書院以外を強制的に撤去しました。 これは朝鮮史の概説にも出てきますから、みなさんもご存知と思います。
その最初の紹修書院の近くに「チョンダリ」という橋があり、その橋が児童虐待の暴言「橋の下で拾ってきた子」の舞台だったというのが、著者の幼児期の思い出話です。
著者の尹学準は1932年生まれですから、この思い出話は1930年代後半と推定できます。 ですから、その頃には「橋の下で拾ってきた子」の暴言は朝鮮ではすでに広まっていたと考えられます。
ところでこの暴言は、日本では少なくとも戦後に全国に広まっていました。 しかしその起源について、つまり何時どこから始まったかについては定かではありません。 今言えるのは、日本でも朝鮮でもこの暴言がかなり以前から広く分布するということだけです。
私は日本が起源で近年に韓国で広まったと思っていたのですが、そうではなく朝鮮でも昔から広がっていたということですね。 とすると暴言の起源は、日本と朝鮮で偶然に同時に生じたものなのか、或いは最初は朝鮮で生じていて植民地時代に日本に広がった、となるのかも知れません。
【拙稿参照】
児童虐待の暴言「橋の下で拾ってきた子」は日韓共通だが‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/09/9125209
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