朝鮮植民地史の誤解 ―毎日の読者投稿2021/08/03

 毎日新聞の7月31日付けの読者投稿欄「みんなの広場」に、次のような投稿がありました。誤解のないように全文を引用します。 なお名前と住所は伏せています。https://mainichi.jp/articles/20210731/ddm/005/070/002000c

植民地支配の歴史に向き合う=無職・荒木〇〇子・78 (宮崎県〇〇市)

私は78年前に朝鮮で生まれ戦後、2歳で引き揚げてきたが、出生地が朝鮮であるということを50年あまり、人前で言えなかった。私自身の差別心からである。

次のようなことを聞いた。20代の父の職場での役職は、50代の朝鮮人よりもずっと上で、部下としてこきつかっていたこと。給料も日本人は6割加給されていたこと。お手伝いさんを3人も雇っていたこと。私は子供心に、朝鮮人は劣っているという感性を刷り込まれていた。

50代の頃、植民地支配の歴史を学んだ。日本が朝鮮の人々の土地と仕事を奪い、日本語を強制して言葉を奪い、創氏改名で名前まで奪った事実を知った。国家としての日本も個々の日本人も歴史の事実に向き合い、どうすれば近隣諸国との未来を再構築できるのか、模索しなければならない。

 人の人生ですから、どのような気持ちを持ってきたのかは様々になりますので、この人はこのような考え方・感性を持ってこられたのかと思うだけです。 ただ歴史事実として指摘しておかねばならない所があります。 「日本が朝鮮の人々の土地と仕事を奪い、日本語を強制して言葉を奪い、創氏改名で名前まで奪った事実」という部分です。 

 「土地を奪い」は併合直後から約10年間に施行された土地調査事業のことと思われます。 この事業を「朝鮮人の土地を奪う」ものとする主張は、今も根強いですね。 実はこれは土地(主に農地)の権利を調査し確定するものであって、従って私有財産制の確立という意味がありました。 ですから、それまでの李朝時代では土地の所有権が不確実だったのが、この事業を機に「この田畑は自分が耕作する権利がある」ことが公的に証明されることになったのです。 これが「日本人が土地を奪った」というように、話がすり替わりました。 かつての朝鮮史の概説では、日本人が騙して土地を奪ったという架空の物語を出していましたねえ。

 「仕事を奪い」とは何のことか分かりません。 朝鮮で「奪われた仕事」とは何なのか? もともと朝鮮は農業国で、商工業は未発達でした。 貨幣は李朝末期(19世紀後半)にようやく普及する経済状態でした。 果たして日本は朝鮮人からどんな仕事を「奪った」のか、疑問になります。 日本は鉄道建設、鉱山開発等々で朝鮮人を多数雇用していたのですがねえ。 この投稿者自身が、家では「お手伝いさんを3人も雇っていた」と書いており、仕事を奪うどころか与えていました。

 「日本語を強制して言葉を奪い」も、かつての朝鮮史の概説によく載っていました。 日本の植民地ですから公用語が日本語になったのは確かですが、朝鮮人が日常生活で朝鮮語を使うことは自由でした。 例えば学校では日本語で授業が行われるのですが、一旦校門を出ると友人、家族、近所とのコミュニケ―ションは朝鮮語だったのです。 それ以前に、当時の朝鮮人には教育の義務を課せられませんでしたから、学校に行く・行かないは自由と言ってよかったのでした。 こんな状況で、なぜ「言葉を奪う」となるのか、首をひねります。

 「創氏改名で名前まで奪った」も間違いですね。 創氏は家族の名前である「氏」を新たに付け加えるものであって、「名前を奪う」ものではありません。 日本名に変えても金とか李とかの先祖伝来の民族名は朝鮮戸籍の本貫欄に移されており、その民族名を公的に証明することができました。 また創氏改名で日本名に変えたのは80%で、残りの20%の朝鮮人は民族名を維持しました。 これで何故「名前まで奪った」となるのか、不思議ですねえ。

 「土地を奪った」「言葉を奪った」「名前を奪った」という誤った朝鮮史は、私の記憶では1990年代まで、全国的に広まっていました。 これを強く主張する人はたいてい教師でしたね。 おそらく日教組などの教育者団体が広めたのではないかと思っているのですが、どうなんでしょうか。

 この間違った歴史が今なお定着しているようで、今度の毎日新聞の読者投稿欄にも採用されたということです。 担当記者の勉強不足を指摘するとともに、一旦定着した誤りを正すのにかなりの時間と努力が必要なんだということを、改めて感じました。

【土地調査事業についての拙稿】

植民地時代の土地調査事業の遺跡が文化財に https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/16/9367694

土地調査事業           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/23/3273840

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089137

『現代韓国を学ぶ』(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/06/6470236

毎日新聞「在日3世代100年の歴史」への違和感(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/13/9278142

『金達寿伝』を読む―金家はなぜ没落したか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/07/9293017

【創氏改名のついての拙稿】

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676

朝鮮人戦死者の表彰記事ー1944年  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (11)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/11/9346012

宮田節子の創氏改名論    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557

創氏改名の誤解―「世界史の窓」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515

西川清『朝鮮総督府官吏 最後の証言』 (続) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/10/21/7467784

朝鮮名での設定創氏が可能な場合 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596

創氏改名とは何か (00年4月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai

創氏改名の残滓 (01年6月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai

創氏改名の手続き(04年10月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai

植民地朝鮮における民族差別はもっと知られていい2021/08/10

 2021年8月3日付けの拙コラムに、長文のコメントが付きました。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045  その中に次のような一文がありました。

朝鮮人も京城帝国大学卒業し高等文官試験に合格すれば、日本人の部下をもつ朝鮮人高級官僚の誕生でした。 また東大卒、京大卒などの朝鮮人高級官僚もいました。 朝鮮人道知事の誕生は、日本が国家として、朝鮮人の上司と日本人の部下を認めた極めて画期的な政策です。 朝鮮人の下に日本人を置いてもいい政策を採ったのです。

 このコメントには外地手当のことが記されていません。 植民地朝鮮において、日本人には6割の外地手当が支給されたのに対し、朝鮮人にはその支給がありませんでした。 ですから同じ職場で同じ仕事をしていても日本人は朝鮮人より6割高い給与をもらっていたし、また「朝鮮人の上司と日本人の部下」の場合、部下の日本人が上司の朝鮮人より高い給与を貰うこともありました。 これは露骨な民族差別だと思うのですが、あまり知られていないようですね。

 また京城帝国大学についてですが、これについては東京大学の「京城帝国大学の基礎的研究 ― 日本統治下朝鮮における帝国大学の制度・組織とその展開 ―」という論文のなかで、次のように論じられています。 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2017/6268.html

ごく少数の学歴エリートである京城帝大卒業生は朝鮮統治に関わる政治エリートでもあったが、彼らは京城帝大卒業という同じ学歴を持ちながら、就職後は日本人と朝鮮人とで民族籍の違いにより異なる待遇を受けるという帝国日本統治下の差別構造を体現する存在でもあった。

 このように植民地下において、朝鮮人は京城帝国大学という最高学府を卒業しても差別されていました(差別の内容は後述します)。 これは日本と朝鮮が宗主国と植民地の関係にあり、日本人と朝鮮人とでは法的地位が違っていたという厳然たる事実によるもので、両者の同等はあり得なかったのでした。

 その京城帝国大学では、学生の定員は朝鮮人1に対し日本人2~3の割合に固定されていました(学部によって違う。1937年以降は0.8対1.0程度)。 そして朝鮮人は京城大の教授になることが出来ませんでした。 典型例が京城大一期生である兪鎮午です。 彼は日本人学生らを制して京城大をトップで合格し、当時の新聞にも報道されるほどでしたし、在学中の学業も優秀でした。 しかし彼は官僚の道をあきらめ、教授への道もあきらめざるを得ませんでした。

 ところで植民地下の朝鮮人の若者エリートの多くは日本(当時は内地)に留学していました。 これには以下のような事情がありました。 もともと朝鮮の若者エリートは、それ以前の李朝時代だったら科挙があって、それに合格すると官職に登用されて出世の道を歩むものでしたが、植民地時代にはその科挙は廃止されました。

 そのため若者の目標は、科挙の代わりに大学に行くことと観念されました。 京城大は朝鮮人の入学制限がありましたが、日本内地の大学にはそんな制限がありませんでしたので、朝鮮の若者の多くは東京等の大学を目指したのでした。

 しかし大学を出て朝鮮に帰国して就職してもせいぜい中間管理職止まりで、更に上層への出世が難しいことが分かってきました。 朝鮮人にとって「高級官僚」だったでしょうが、部局長クラスまで行くことはなかったのです。 朝鮮総督府の最高位の部署や地位は、日本人が独占していたのです。 一所懸命日本語を勉強して日本に留学までしても、出世には限界があるという現実を目の当たりにするのですね。

 植民地時代、支配者側の日本人と被支配者側の朝鮮人との間にあった差別は、目に見える差別でした。 同じ大日本帝国臣民でも、日本人と朝鮮人との間には明確な差別が設定されていたのです。 当然朝鮮人側から日本統治に対する疑問が生まれます。 彼らの多くが民族独立運動(=反日)に流れていった背景には、こういった事情があります。

 日本はこのような民族差別政策を植民地時代の最後まで継続する一方、朝鮮人を日本人と一体化させようとする、いわゆる「皇民化政策」「内鮮一体」を打ち出します。 これは今では韓国などから「民族抹殺政策」などと評価されているものですね。

 植民地時代末期になると、朝鮮人指導者たちの方からも自分たち朝鮮人の地位向上(=差別解消)のために「皇民化・内鮮一体」を推進し、朝鮮が日本に同化する「内地化」を目指すようになりました。 具体的に彼らは、朝鮮人にも徴兵適用を! 学校に行って日本語を学んで常用しよう! 日本風の名前を付けよう!と呼びかけたのでした。

 しかし敗戦=朝鮮の解放によって挫折したため、民族の地位向上(差別解消=内地化)に努力した指導者たちは「親日派」と指弾され、歴史の藻屑のごとく消え去りました。

 なお念のために言っておきますが、植民地の人間が宗主国の人間より地位が低いのは、世界的・普遍的に見られるものです。 その差別政策はそれぞれの植民地によってバリエーションがあるのであって、日本の植民地である朝鮮も特徴ある差別政策が施行されていた、ということです。 その「特徴」を過大評価して、日本は朝鮮を植民地にしたのではない、と主張する人が見受けられますが、間違いです。

朝鮮総督府における給与の民族差別2021/08/17

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660 の続きです。

 朝鮮総督府に勤める役人には、日本人と朝鮮人との間に民族差別と言うべき給与の格差がありました。 これについて、東京帝国大学法学部を卒業し、高等文官試験合格者であった任文桓の回顧録『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』(ちくま文庫 2015年2月)に次のように回想されています。

(親友の秋山)昌平がたまたまバウトク(任文桓本人のこと)と同じ高校(第六高等学校)、大学(東京帝国大学)を同時に卒え、同年に高文(高等文官試験)を通り、いっしょに朝鮮の役人になった ‥‥ 日本人と朝鮮人の役人間の差別を、一般読者に簡単明瞭に納得させるには、昌平とバウトクを比較してみるに限る。 (222頁)

東京から京城までの赴任旅費としてバウトクには70円が渡された。ところが昌平は60円も多い130円を貰った。(223頁)

バウトクの月給は75円であった。ところが昌平の方は、この金額の6割に当たる植民地勤務加俸なるものが上積みされ、その上に宅舎料なるものまで加給されるので、昌平の月給は130円を上回った。(223頁)

バウトクのように日本で勉強し京城に家一軒持たない者には、加俸も宅舎料もくれないくせに、朝鮮で生まれ、そこで学校を卒え、京城にある豪華な自宅から通勤する者でも、父母が日本人の原種でありさえすれば‥‥大手を振って加俸と宅舎料が貰えた。(224頁)

 日本人と朝鮮人との間には民族の違いというだけで、これだけの給与の差がありました。 当然ながら民族間に葛藤感情が生まれますが、葛藤が具体的に表面化することはなかったようです。 任は次のように記します。

官界というところは、何と言っても月収の嵩が人品を決める標準となる世界であった。 したがってバウトクの下で働いている属僚でも、原種日本人でありさえすれば、月収は彼(バウトク)よりはるかに多く、彼(バウトク)が日本の名門学校で学び、特待生として優遇され、朝鮮の役人中には例がないほどに優秀な成績で高文に合格したと自負してみたところで、彼(バウトク)の部下である原種日本人役人どもは、鼻でこれをせせら笑っていた。 ‥‥年功序列の厳しい官界の仕来りは、内鮮人(内地人と朝鮮人)間においては完全に乱れ‥‥(224頁)

 こういう民族差別は、これは酷いと見るべきか、それとも植民地なのだから当たり前だと見るべきなのか。 差別を受ける側(朝鮮人)は前者、差別をする側(日本人)は後者となるのでしょう。 

 朝鮮総督府の日本人官僚の回想録があって私もいくつか読んでみましたが、朝鮮人との給与格差に言及したものは記憶にありません。 朝鮮人とは同じ官僚としてわだかまりなく仕事をしていた、あるいは日常生活でも仲良く付き合っていた、というようなものばかりでした。 民族差別は余りにも当然で、言及する必要もないと考えられていたようです。

 なお6割増しの外地手当(加俸と呼ばれていた)は、終戦直前である1945年の4月から朝鮮人に支給されるようになったとあります。 ただしいきなり6割増しとなって日本人と同じになったのか、それとも段階的に増やして支給するものだったのか、その点は分かりませんでした。 いずれにしても、日本敗戦=朝鮮解放のわずか四ヶ月前のことでしたから、印象に残らなかったようです。

 また日本人の思い出話に、普段おとなしくまじめに仕事をして信頼していた朝鮮人が終戦後すぐに太極旗を振って「独立」「解放」を叫ぶのを見て驚いたというのがありました。 日本人にとって、「え! まさか? あいつが!?」と裏切られた気持ちになったのでしょうが、植民地下における民族差別の実際をみると、さもありなんと感じますね。

【拙稿参照】

朝鮮植民地史の誤解 ―毎日の読者投稿 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045

植民地朝鮮における民族差別はもっと知られていい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660

植民地朝鮮における日本人の差別・乱暴2021/08/21

 日本が朝鮮を植民地として統治していた時代、日本人が朝鮮人に対してどのような振る舞いをしていたか。 やはり乱暴な日本人が多かったようです。 朝鮮人は日本人の差別発言や乱暴狼藉を見聞きし、また時には自分もその被害者になりましたから、日本人に対して悪感情を持つようになります。

 このような状態が広まると植民地統治に影響を与えますから、朝鮮総督府は日本人に対し、朝鮮人も同じ天皇の赤子なのだから差別・乱暴を止めるように呼びかけます。 それでも言うことの聞かない日本人も少なくなかったようです。

 具体的にどのような差別・乱暴なのか。 2年前の拙ブログで、その一端を示すものを提示しました。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/20/9179083 これは朝鮮総督府の秘書官である守屋英夫が大正時代に行なった講演の一部です。

 彼は次のように日本人の差別・乱暴の例を挙げ、朝鮮人との和睦を訴えています。 拙ブログから再引用します。 出典は朝鮮総督府の定期刊行物である『朝鮮』(大正11年1月号)です。 なお当時は、日本人を「内地人」と称していました。

『民族及び歴史』という雑誌の満鮮研究号に喜田貞吉博士の談が載っていますが、博士が内地人の車夫の人力車に乗って行きますと、すぐ前に朝鮮の紳士を乗せた朝鮮人の車夫が駆けて行ったそうです。 すると内地人の車夫が全速力で追いついたかと思うと、幌を捉えて車を引き止め、驚いて見返る朝鮮の紳士と車夫に向かって「バカ野郎、気をつけろ」と言い放った。 そこで博士が「いくら何でも、前に行く車を引き止めてバカ野郎呼ばわりをするのは酷いじゃないか」とたしなめてやりましたところ、「なに、あなた、ああでもしなけりゃ、つけ上がりますから」と言ったそうであります。 これなども実に乱暴な次第であって、実に内地人として恥じ入らねばならぬと思うのであります。(44頁)

ある日内地人の宅へ朝鮮の婦人が大根を売りに行きますと、そこのお内儀(かみ)さんが「お前さん等はよくウソを言うから調べてみなけりゃいけない。 中が空洞になっているであろう」と言って一本の大根を切った。 「これはいいが、後のはたぶん悪いに違いない」と言いつつ、残っている十本ばかりをみんな切ってしまい、その中からたった一本だけ買った。 そう切られては困るから、どうぞ全部買って下さいと懇願したけれど、その内儀さんは肯かない、果ては大声でわめき立てるので、やむを得ず切られた大根を集めて隣の家に行って、泣いて事情を訴えた。 幸いその人は分かった人であったので、全部の大根を買った上で慰めて帰したというような話も聞くのであります。(44~45頁)

いま総督府の勅任官(本省の次局長級、あるいは府県の知事級)になっておられる某氏(朝鮮人)が帝大専科の学生であった際、休暇に朝鮮に帰ってきて本町通り(京城の繁華街)を散歩しながらガラス張りの店に飾った品物を見ようと立ち寄っていると、店から番頭が出てきて「お買いなされ、お買いなされ」とうるさく言う。 何も買うつもりで立ち寄っているのではないから、適当な値を言ってやると「バカ野郎」と言いさま、横面を殴り飛ばされたということです。 それがとにかく朝鮮の俊秀として帝国大学に学んでいる人である。 将来の、経世の理想を行なおうとする有為の青年が、理不尽に丁稚小僧のために大通りで殴られるというようなことは、感情の問題として実に耐えられないことです。(44頁)

朝鮮に来ている内地人が悪いだけでなく、大体において日本人全体が訓練されていないため‥‥内地人が明瞭にその欠点をさらけ出し、恥を内外に晒しているのであります。(46頁)

慶尚南道の面長(村長に該当)等からなる内地視察団が大阪を通ります時に、二等車に細君を連れた内地の紳士が入ってきて、朝鮮の人を見るや、顔をしかめながら「ああ汚いこんな所に乗れるものか」と言った。 面長の中には、内地語を解する者があったので、この言葉を聞いて腹に据えかねたように見えたのでありますが、たまたまその向こう側に腰掛けておった内地の紳士が「ああいうバカ野郎がいるから、いけない」と言って取りなしてくれたので、同伴の内地属官なども大変気持ちが良かったということであります。(46頁)

奈良の駅では、中学生の生徒らしい者が「朝鮮人のくせに二等に乗るとは生意気だ」と聞えよがしに二度も三度も列車の前を通りながら言い放ったので、皆が憤慨しておったということも聞き及んでおります。(46頁)

だいたい内地人には共通の欠点があります。 それは欧米人が来ると乞食が来ても敬意を払わんばかりでありますが、朝鮮人、支那人その他になりますと高官大官でもややもすると軽蔑し、劣等視するのであります。 この欠点は速やかに除去しなければなりませぬ。 何も朝鮮人、支那人、印度人と申しても軽蔑すべきではないのであります。 また欧米人であるからと言って、一から十まで偉い者ばかりではないのであります。 等しく人格者として敬愛する上に差等を設けるべきものではない。 このことは将来日本の教育上、是非改善しなければならぬ事項と思うのであります。(45頁)

内地の朝鮮人留学生もその通りでありまして、その大半が排日学生になって帰ってくるというのは、内地の人々から軽蔑もしくは冷遇される結果、内地人を信頼するという感情を持ちかね、むしろ疎んじ反抗するようになって帰ってくるのであると思うのであります。 朝鮮内地においては不逞鮮人を捕らえたとか逃したとかいって警務局が大騒ぎをしているのでありますが、現にわれわれ内地人の浅慮短識により、もしくは不用意な言動により、自ら京城なりまたは東京の真ん中において何百人という不逞鮮人の卵を孵化しているのであります。 先ず内地人自らなぜ朝鮮人の信望がなく、かつ人格的感化が認められないかについて深く省み、速やかにその態度を改めるようにならなければならぬと思うのであります。(46~47頁)

 最後のところで、守屋は「われわれ内地人の浅慮短識により、もしくは不用意な言動により、自ら京城なりまたは東京の真ん中において何百人という不逞鮮人の卵を孵化している」と書いているように、日本人の朝鮮人に対する差別・乱暴が朝鮮人を「不逞鮮人」にしているのだと、日本人側の責任の大きさを訴えています。 

 そして「内地人自らなぜ朝鮮人の信望がなく、かつ人格的感化が認められないかについて深く省み、速やかにその態度を改めるようにならなければならぬ」と、日本人側の反省を求めています。 

 総督府のお役人さんが講演でこう訴えねばならないほど、当時は日本人の差別発言や乱暴な振る舞いが頻発していたということですね。 こういう差別・乱暴は、加害者側は直ぐに忘れますが、被害者側はいつまでも記憶しているものです。 被害者側の心のわだかまりはなかなか消えないということを、加害者側は理解しておくべきでしょう。

 日本統治時代に日本人と朝鮮人がどんな関係にあったか。 植民地であったことからくる制度的差別だけでなく、自分たちの優越感をそのまま朝鮮人にぶつけるような心無い日本人が多かったという事実は、忘れてはならないものです。 以上は戦前の植民地時代での話です。

 なお戦後日本人の朝鮮人差別感情および近年の在日・韓国へのヘイトクライムは、上述の植民地時代のそれとは違ったレベルにあります。 ですから同じ次元で扱ってはいけないと考えます。 これについては、また後日に論じます。

【拙稿参照】

朝鮮総督府における給与の民族差別 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/17/9411320

植民地朝鮮における民族差別はもっと知られていい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660

朝鮮植民地史の誤解 ―毎日の読者投稿 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045

植民地時代のエピソード(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/20/9179083

日本進出の焼き肉店「白丁」2021/08/26

カン・ホドンの焼き肉店「白丁」が日本に進出していた

 朝鮮語の「白丁(ペクチョン)」というのは、日本では「穢多」に相当する言葉で、李朝時代から続く被差別身分の賤民を意味します。 平凡社『新版 韓国・朝鮮を知る事典』(2014年3月)では「白丁」は次のように説明されています。

朝鮮の被差別民。‥‥白丁は賤民の代表として厳しい迫害を受けた。 結婚は白丁間のみに限定され、奴婢などと異なって身分上昇の機会は閉ざされていた。 職業の制限は厳しく、農業以外に主として柳細工の製造販売や畜獣の屠殺などに従事し、それがまた差別観念を再生産した。 一般集落に居住することも許されず、町の郊外に彼らのみの集落を形成し、冠や衣服にいたるまで制限されて、一般民衆から賤視された。(456頁左欄)

1894年の甲午改革で身分解放が行なわれたが、5万~10数万といわれる白丁に対する差別はその後も厳存した。 1923年、日本の水平社に刺激されて彼らは衡平社を結成し、解放運動を開始した。 現在は南北朝鮮ともに身分としての白丁は消滅した。(456頁左~右欄)

 読めば分かりますように、朝鮮の「白丁」は日本の「穢多」と瓜二つと思えるほどに非常によく似ています。 そして現在では韓国でも北朝鮮でも、身分としての「白丁」は消えて一般的に見えなくなりましたが、侮蔑語・差別語としての「白丁」は残り、今でも使われています。

 それは個人間のこそこそ話の中だけでなく、大手新聞やドラマ、映画などにも出てきます。(下記参照) この状況は、「穢多」が差別語として絶対に使ってはならないとされている日本から見れば、驚くしかありません。

韓国ドラマに出てくる「白丁」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/31/3552264

韓国映画に出てくる「白丁」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/13/8070271

韓国の有力紙に出てくる「白丁」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/30/8121172

脱北者団体が使った「白丁」という言葉 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/08/9056977

「개백정」とは何か?      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/12/29/9018451

「白丁」について       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/03/8841899

韓国の進歩系も使う「白丁」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/01/17/9202929

 この差別語を逆手に取ったのか、韓国の有名芸能人カン・ホドンは自分の経営する焼き肉店の名前を「白丁」とし、その名前でチェーン店を展開してきました。 これだけでもビックリですが、この焼肉チェーン店が日本にも進出していたのですねえ。 その名も「カンホドン白丁」。 

https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13241638/ https://www.tokyoheadline.com/485018/

 もう本当にビックリですねえ。 日本の「穢多」とほとんど同義の身分差別用語で、しかも今でも罵倒語として使われている「白丁」を、日本進出の店の名前にも使うとは‥‥!

 日本ではこのカン・ホドンの店について知らない人が多く(私も知りませんでした)、だからなのでしょうか、これは問題だと提起する人もおらず、議論されたことがないようです。 そしてこの事実は、日本の部落差別の今後を展望する上で、大いに参考になると思います。

 ところで、ヌルボさんが「白丁」に関して論じておられます。 カン・ホドンの焼き肉店についても詳しく言及されています。。

https://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/bce31979581276248c8116b4e9c6d1f3

https://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/004c7e65061117a64eed0d05bf2330de