韓国語の雑学―동족방뇨(凍足放尿)2021/09/02

 韓国の新聞を読んでいたら、「동족방뇨」という言葉が出てきました。漢字で書けば「凍足放尿」となります。 はて、何? 今まで見たこともない熟語です。 小学館の『朝鮮語辞典』を調べると、

(凍った足に小便をたらして暖めるの意で)一時しのぎの効力しかない。

 この辞典に採録されているということは、古くから使われている言葉ということです。 しかしこの説明を読んでも、ちょっと意味がよく分かりません。 そこで韓国の国語研究院の解説を調べてみると、次のようにもう少し詳しい説明がありました。https://www.korean.go.kr/nkview/nknews/200108/37_1.html 

추운 겨울에 발이 꽁꽁 얼면 따뜻한 곳에 가서 녹여야 한다. 그런데 그럴 형편이 되지 못하면 어떻게 할까? 우선 급한 대로 언 발에 오줌을 눈다고 해 보자. 인간의 몸에서 나온 오줌은 따뜻해서 당장은 약간이나마 언 발을 녹이는 효과가 있을 것이다. 그렇지만 잠시 후 오줌이 차가워지면 발은 발대로 얼고 거기에 오줌의 찬 기운까지 합해져서 발은 더욱 꽁꽁 얼어 버릴 것이다. 여기서 유래한 속담이 ‘언 발에 오줌 누기’이다. 잠시의 효력이 있을 뿐이고 곧 그 효력은 없어지고 더 나쁘게 되는 것을 뜻하는 속담이다.

 訳しますと

寒い冬に足がかちかちに凍ると、暖かい所に行って温めねばならない。 ところでそんな所に行けないなら、どうするか? まず差し迫った状況なので、凍った足におしっこを垂れるとしよう。 人間の体から出てきたおしっこは温かく、当座は若干なりとも凍った足を温める効果がある。 しかし、しばらくしておしっこが冷たくなれば、足は足のまま凍り、そこにおしっこの冷たさが加わって、足はもっとかちかちに凍ってしまうのである。 ここから由来した諺が「凍った足におしっこを掛ける」だ。 ちょっとの間の効果があるだけで、すぐに効力を失い、もっと悪くなるという意味の諺である。

 四字熟語の「凍足放尿」、なるほど意味は分かりました。 「一時のがれ」「その場しのぎ」「間に合わせの方策」「弥縫策」ですね。

 この四字熟語、16世紀の李朝実録に出ているそうですから、朝鮮ではかなり昔から使われている言葉です。 しかし日本語にはこの言葉はありませんねえ。 中国にもあるのでしょうか。 ちょっと調べてみましたが、出てきません。 おそらく朝鮮だけに使われてきた言葉のようです。

 ところで韓国の諺に

언 발에 오줌 누기

というのがあります。 訳すと「凍った足におしっこを垂れる」となり、동족방뇨(凍足放尿)と全く同じです。 しかし諺の意味は「焼石に水」で、何の役にも立たないということです。 四字熟語の동족방뇨は「その場しのぎの方策で、結局は悪化する」ですから、内容は同じでも四字熟語と諺とでは意味に違いがあるのですね。

 こういう韓国語の知識を知ると、楽しくなります。

【関連拙稿】

韓国語の雑学―将棋倒し http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/15/9235466

韓国語の雑学―下剋上  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/22/9237987

韓国語の雑学―「クジラを捕る」は包茎手術の意 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/10/9325273

韓国語の雑学―내로남불(ネロナムブル) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/04/9334079

韓国語の雑学―東方礼儀の国  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/17/9388692

在日活動家 李さんの思い出2021/09/09

 1980年頃のことだったと思います。李さんという活動家がいました。大学時代は朝鮮文化研究会の部長をしていて、卒業後、民族差別と闘う団体に入って活動していました。 同胞のミニコミ誌に、身近で起きたことなどをエッセイにして書いていました。 人の表面ではなく裏というか本音の部分を書くことがありましたので、そこそこ面白いものでした。

 ある時彼は、在日一世で一人暮らしのおばあさんが交通事故にあって大怪我をしたと知って、このおばあさんの世話を焼くことにしました。 事故は単車を乗り回していた高校中退の若者におばあさんが轢かれたというものでした。 彼は病院の見舞いに行ったり、弁護士を紹介するなどの支援をしていました。 彼の意図は、一世のお年寄りを世話することによって、その方からこれまでの人生の話や今の気持ちなど(身世打令―身の上話)を聞き取り、日本の民族差別を告発するようなエッセイを書こうとするものでした。

 ところがこの一世のおばあさん、もう亡くなられたご主人というのが近所でも評判なほどに優しい人で、だから日本での生活にほとんど苦労なんかしたことがないと言うし、また日本人から何か酷いことを言われたとかいうような被差別体験もないとも言うのでした。

 さらに交通事故で、加害者側はこちらが朝鮮人だと知って酷い差別発言をするものと思っていたら、相手側の加害者もまた朝鮮人だったということでした。 事故は、高校中退の不良少年が友達の家の駐車場に置いてあった単車を盗んで乗り回していた時に起こしたものでした。 さらにその親は息子の不良ぶりに腹を立てて勘当しており、そんな事故なんか知らんと突き放していたのでした。

 李さんは、朝鮮で生まれて来日した在日一世の被差別体験、そして日本人が交通事故で偶然に朝鮮人に出会った時に飛び出す差別発言をエッセイに書こうとしたのですが、そんな話は全く出てくることはなかったのでした。 結局、彼は書くことを諦めました。

 日本は差別社会であり在日は差別の被害者であるという固定観念は、実際の在日の生活像とは大きく違うということです。

 これは40年ほど前にあったことです。 今思い出しながら書いてみました。

17世紀の「三韓」の用例(李朝実録と石碑)2021/09/16

 朝鮮王朝実録(日本名は李朝実録)に「三韓礼儀之邦」という言葉を見つけました。 はて、何?

 壬辰丁酉倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)が終わって17世紀に入ると、満州女直を統一したヌルハチが後金(のちの清)を打ち立てて中国の明を攻撃します。 明は朝鮮に援軍の派遣を要請するのですが、時の朝鮮国王である光海君は勢力優勢な後金を見て、この要請に応じませんでした。

 しかし朝鮮国内では国王反対派が形成されました。 彼らは壬辰丁酉倭乱の国家滅亡の危機の際に明からの援軍によって国を守ってもらったにも拘わらず、その明の危機に援軍を派遣しないのは「礼儀」に反すると主張しました。 そしてクーデターを起こし、光海君を追放します。 彼らが代わりに担ぎ出した国王が仁祖です。 そして王大妃の名前で光海君の非を次のように難じました。

皇勑屢降, 無意濟師, 使我三韓禮義之邦, 不免夷狄禽獸之歸 (仁祖元年(1623)3月14日)

 現代文に訳しますと、

(援軍を出すよう明帝の)皇勅がしばしば降ったにもかかわらず、兵を出す気がなく、わが三韓礼儀の邦を夷狄禽獣の域におとしめた。(田中明の訳)

 仁祖はわが朝鮮が「三韓礼儀の国」だからとして滅亡寸前の明国に義理立てし、明の味方をしました。 その時に自分たちの国を「三韓」と表現したのです。 朝鮮は礼儀を尊ぶ国であるという意味で「三韓礼儀之邦」と言ったのでした。

 朝鮮は「礼儀」を守ったがために、夷狄である清と対立します。 清は二回にわたって朝鮮に攻め入りました。 朝鮮は完敗し、仁祖は清に惨めな降伏をします。 朝鮮は清の属国となりました。 その証として、清は三田渡(今のソウル松坡区)に「大清皇帝功徳碑」を建てます(1639)。 その石碑の碑文の最後の方に、次のような文言があります。

大江之頭、萬載三韓、皇帝之休

 訳しますと、

そびえ立つ石碑を大きな川辺に建てたから、三韓で万歳にわたって皇帝の徳が輝くだろう (ウィキペディアによる)

 これは、朝鮮はこれから1万年にもわたって中国に隷従すると宣言したという意味です。 ですから、石碑は1987年の大韓帝国成立までの約350年間にわたる中国―朝鮮間の主従関係を内外に示したものとなります。 その碑文のなかで、朝鮮を「三韓」と表現していることが分かります。

 中国の明が滅び、清が勃興する17世紀に、李朝実録という公式資料と中国との外交資料とも言える石碑の二つの史料に「三韓」が出てきていることを紹介しました。

 李朝実録の方は朝鮮自身が自国を「三韓」としており、石碑の方は中国が朝鮮全体を指し「三韓」としています。 つまり「三韓」は朝鮮の別称として、朝鮮本国だけでなく中国でも用いられていたことを示しています。

 そして「三韓」は、朝鮮・中国だけでなく日本や沖縄でも古くから半島南部ではなく半島全体を指し示すものでした。 拙ブログではそのことを多数の資料を提示して証明しました(下記拙稿参照)。 今回はこれに、17世紀李朝時代の公的資料を追加するものです。

 これらの資料からはっきり言えることは、「大韓民国」の国名である「韓」の淵源となったのはこの「三韓」であるということです。 ところが今の韓国の歴史界では、「三韓」は前1世紀~2世紀に朝鮮半島南部で割拠していた「馬韓・弁韓・辰韓」を指しており、この時期を「三韓時代」と時代設定しています。 つまり「三韓」は半島南部であって、半島全体ではないというのが、今の韓国の歴史の考え方です。 この考え方は、「三韓」が朝鮮(高麗・新羅も含む)の別称として千数百年にわたって東アジア全体で使われてきたという歴史事実を無視している、と言わざるを得ません。

 朝鮮の異称としては「青丘」「鶏林」「槿域」「三千里」「海東」などがあるのですが、もう一つ「三韓」を加える必要があります。 そしてこれが韓国の「韓」の淵源になるのです。

【拙稿参照】

「三韓」の用例(1)―中国古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/08/7664404

「三韓」の用例(2)―朝鮮古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/13/7667715

「三韓」の用例(3)―日本古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/18/7671200

「三韓」の用例(4)―朝鮮古代金石文  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/22/7678138

「三韓」の用例(5)―中国古代金石文  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/26/7680561

「三韓」の用例(6)―沖縄金石文    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/30/7690495

「三韓」の用例(7)―朝鮮王朝実録   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/04/7697561

「三韓」の用例(8)―近代日本     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/10/7704555

「三韓」の用例(9)―「三韓」で一つの言葉  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/14/7707210

「三韓」の用例(10)―まとめ     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/18/7709750

「韓」という国号について(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/09/7630067

「韓」という国号について(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/14/7633517

「韓」という国号について(3)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/19/7636889

「韓」という国号について(4)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/24/7645246

「韓」という国号について(5)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/29/7657652

「韓」という国号について(6)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/03/7661140

朝鮮人の名前- 一文字姓2021/09/19

 9月18日付け毎日新聞の読者投稿欄の一つ「男の気持ち」に、次のような在日男性の投稿がありました。 https://mainichi.jp/articles/20210918/ddn/013/070/006000c

一文字の姓

私には人名の一覧が掲載されていると、姓が1文字の名前を無意識で探す癖がある。それは、私が漫画雑誌の懸賞の応募はがきを書いているのを兄が見て、「朝鮮人の名前やったら当たらへんで」と言ったことがきっかけだった。

50年前、私の通っていた小学校では、高学年になると在日コリアンの生徒たちが週に1、2回、放課後の民族学級に通っていた。講師の金先生の口癖は「本名は民族の誇りだ」というものだった。学校では日本名で通し、家でも母を「お母ちゃん」と呼んでいたが、卒業証書は本名で書いてもらい、卒業後は本名で生きていくことを決めた。

懸賞はほとんど当たらなかった。しかし、たまにささやかなものが当選すると、当選したことより、私の名前が活字として掲載されていることがその何倍もうれしかった。それから私は姓が1文字で、たぶん自分と同じコリアンであろうと推測される方の名前を見ると、無意識に応援するようになった。

先日、本紙で第66回全国高校軟式野球選手権大会の選手名の中に、1人見つけた。姓の前には◎まで付いていた。主将の印だ。もちろん彼とは一面識もなく、国籍やルーツも知らない。でもなんだか私はうれしくなってしまう。そして、「ガンバレ! いろいろあるだろうけど、本名に誇りを持って生きていってください。心の中で応援しているよ」とエールを送った。

 この投稿者は62歳ということで、そういう世代の在日なら、在日の名前を探そうとする気持ちになる人が多いですねえ。 同じ在日だろうと思って応援したくなるという話は、時おり聞きます。 この方もそんな気持ちを投稿されたようです。

 ところで「一文字」姓、しかも音読みの名前が必ずしも韓国・朝鮮人とは言えません。 例えば「金」「張」「田」「高」という名前は一見韓国・朝鮮風ですが、実は日本人の名前にあります。 「金」は1970年代のロッキード事件裁判の裁判長さん、「張」はトヨタの社長さんでした。 「田」は昔の国会議員におられましたね。 「高」には有名人はいないようですが、かつて朝鮮総督府官吏のなかに「高」という名前の人がいて、朝鮮人なのに外地手当をもらっているとの噂が広まったので調べてみたら西日本の島出身で、先祖代々からの日本人ということが判明したことがありました。

 それ以外に韓国・朝鮮風ではないが、一文字の漢字姓で音読みする日本人がいます。 「団」「菅」「今」「宗」などが直ぐに思い浮かびます。 「団」はかつての財閥総帥で、暗殺された歴史上人物です。 「菅」は10年くらい前の総理大臣。 「今」は直木賞作家の僧侶で元国会議員、その息子さんは文化庁長官でした。 「宗」は昔マラソンで活躍した双子兄弟を思い出します。

 こうしてみると、冒頭の在日の方が「一文字」姓を探すというのは、果たして同胞なのか日本人なのか、確かめているのだろうかという疑問が湧きます。

 ところで韓国・朝鮮人の姓はたいていが漢字一文字ですが、複姓といって二文字の名前もあります。 「鮮于」「南宮」「皇甫」「司空」「独弧」などです。 非常に珍しいですが「岡田」という日本人と全く同じような複姓もあります。

 今では日韓の国際結婚も多くなってきました。 そして日本に帰化する韓国人、または韓国に帰化する日本人も増えていっています。 日本も韓国も、帰化する際に自国風の名前にするというような規定はありませんから、親から受け継いだ朝鮮民族名の日本人、逆に日本風の名前の韓国人が誕生しています。

 名前だけを見て日本人か韓国・朝鮮人かを判定することは、さらに難しい時代になりましたね。

【拙稿参照】

大阪の民族学級―本名とは何か   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/31/9403271

在日の本名とは?            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/01/6497383

通名を本名と自称する在日        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/04/6500499

日本名を本名とする在日朝鮮人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/18/6663657

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

在日の通名使用の歴史は古い       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/12/6688526

通名・本名の名乗りは本人の意思を尊重せねば  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/28/6925152

「本名の朝鮮語読み」考    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuichidai

外国と日本の文化の違い―卑猥語(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/18/9358120

「左」が担った「通名禁止」運動(3)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710

妻の体を売る―『朝鮮雑記』2021/09/26

 去る6月30日付けの拙ブログ「金九―『妻の体を売ってでも美味しいものを』」で、今の韓国人が最も尊敬する歴史上人物の一人である金九が、日本植民地下で監獄生活を送るなかで「妻を売ってでも美味しいものを思うぞんぶん食べたい」と考えていたという歴史資料を紹介しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/30/9392997

 そうすると『朝鮮雑記』を読みなさいというコメント投稿がありました。 そこでこの『朝鮮雑記』について、少し書きます。

 1890年(明治23)から94年(同27)にかけて朝鮮に旅行・滞在した本間九介は、朝鮮で見聞あるいは体験した話を『朝鮮雑記』という本にして出版しました。 2016年(平成28)に祥伝社より現代語訳が出ています。 当時の朝鮮社会の様子をかなり赤裸々に書いています。

 その直後の1894~97年にイギリスの女性旅行家のイザベラ・バードが朝鮮を旅行して、旅行記を出版しました。 こちらは東洋文庫『朝鮮奥地紀行1・2』(1993・94年)、講談社学術文庫『朝鮮紀行』(1998年)として翻訳されています。

 ここで本間の『朝鮮雑記』をイザベラの『朝鮮紀行』と比べながら読んでみると、当時の朝鮮社会の描写に共通するところが多く、本間の言には真実性が感じられます。 ですから、この本は想像や空想で書いたものではないと断言できるでしょう。 李朝時代の朝鮮社会を知るのに貴重な資料であると言えます。

 その『朝鮮雑記』に、次のような記述があります。

娼妓   かの国(朝鮮)の娼妓は、すべて妻妾である。人の妻妾でなければ、娼妓になることはできない。というわけで、その夫の生活の資金は。娼妓である妻がかせぐ。  夫は、みずからの妻の客を引き、また、みずから馬(客の家に行って、未払いや不足金を取り立てる)となって、揚げ代の請求に来る。これはかの国の社会の通常である。夫は、まさに娼妓の夫であり、いわば、妓夫(客引き)の観がある。破廉恥、ここに極まれりというべきだろう。     妻は、その股間にある無尽蔵の田を耕して、夫を養う。(74頁)

妻を客人に勧める   朝鮮の内地(内陸部)では、金さえ出せば、どこの家の亭主も、その妻妾を客人の枕席に侍らせる(共寝をさせる)。 これは、亭主との和談の上のことである。一ヶ月で10円前後を支払うという。わが国(日本)の商人で、内地に長期滞在するものにも、この悪習にならうものがある。(78頁)

 これは、金九が監獄生活を送っていた時の思い出に「妻を売ってでも美味しいものを思うぞんぶん食べたい」と考えたというエピソードの裏付けとなるものです。 つまり金九だけが個人的にそう考えたのではなく、当時の朝鮮社会では妻を売るということに大した抵抗感がなかったということです。 

 なお「妻を売る」は当時の朝鮮社会の中・下流階級(常民や賤民)の話で、上流階級である両班の場合は全く違った様相を呈します。 これについては後日、話します。

【拙稿参照】

金九―「妻の体を売ってでも美味しいものを」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/30/9392997

伝統的朝鮮社会の様相(1)―女性の地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/29/9146768