「韓」という国号について(4)2015/05/24

 ところで「韓」という国号の採用について、矢木毅『韓国・朝鮮史の系譜』(塙選書 2012年3月)では、「二字(朝鮮)から一字(韓)へと格上げ」と評価しています。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/05/10/6805823

 矢木さんによると、国号は中華の国では漢字一文字、夷狄の国では二文字もしくは卑字という差別があります。 従って、大韓帝国成立の際に国号が「朝鮮」の二文字から「韓」の一文字へ変更したことは、夷狄から中華への「格上げ」であったとなるわけです。 そうであるなら、当時こういうことが議論されただろうと予想できるのですが、史料としてはなかなか出てきません。

 関係ありそうなところでは『朝鮮王朝実録』の「高宗 巻36 丁酉光武元年10月11 日」条があります。大韓帝国の皇帝即位式が1897年10月12日ですからその前日です。私なりの現代語訳で紹介します。原文(漢文)はインターネットで確認してください。

王が言うには「大臣たちと議論して決めたいことがある。政事を新しく始めようとする今、全ての礼が新しくなったが、円丘壇で祭祀(皇帝就任式)を執り行う時に、国号を定めて使わねばならない。大臣たちの意見はどうか。」   沈舜沢が言うには「我が国は箕子が中国皇帝に封じられて『朝鮮』の名前を称号としましたが、最初から適当ではありませんでした。今我が国は古くからの国ですが、天命を新たに受けることになりますので、国号を定めて、理に適うようにせねばなりません。」   趙秉世が言うには「天命が新たになり、制度もみんな新しくなりましたので、国号もまた新しくせねばなりません。今から何万何億年の永遠の根本がここにあるからです。」   王が言うには「我が国は三韓の地である。我が国が初めて天命を受けた時、統合して一つとなった。今国号を『大韓』と定めてもさしつかえない。また世界各国の資料を見れば、『朝鮮』とはしないで『韓』としていた。これは前もって定められていて今日を待っていたかのようである。世に公表しなくても、世の人々はすべて「大韓」という名前を知っているのである。」   沈舜沢が言うには「三代以降は、国号は以前のものを踏襲することはありませんでした。ところで『朝鮮』は箕子が中国より封じられた時の称号です。堂々たる帝国の名前に使うにはよくありません。『大韓』という称号は、これから皇統を継ぐ国と思えば昔を踏襲するものではありません。王のお言葉は誠に当然のことで、敢えて賛辞を加えることもありません。」    趙秉世が言うには「各国が『朝鮮』を『韓』というのは、その目出度い兆候が昔からあって、天命が新たになることを待っていたのです。また『韓』の字の扁が『朝』の字の扁と同じなのは偶然ではありません。これは万世の太平を開くものです。私は王の仰せに賞賛の心を禁じ得ません。」    王が言うには「国号が定まったので、円丘壇での祭祀に告由する祭文や詔文には『大韓』と書くようにせよ。」

 このなかで、議政大臣(総理大臣に相当)の沈舜沢が、「朝鮮」は箕子が中国から服属を認められた時の名前だ、だから帝国として出発する国の名前として適当でないと主張しています。 ここに「朝鮮」の二文字の国名は夷狄を表すものだという意味が含まれているのかも知れません。

「韓」という国号について(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/09/7630067

「韓」という国号について(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/14/7633517

「韓」という国号について(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/19/7636889

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