「チョン」は差別語か?2015/04/04

 自民党の谷垣幹事長が演説で「バカだ、チョンだ」と発言したことが、差別表現にあたるとして撤回したというニュースが出ました。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015040300395

自民党の谷垣禎一幹事長は3日午前、統一地方選の応援で訪れた大阪市内で街頭演説し、橋下徹大阪市長(大阪維新の会代表)が推進する大阪都構想に関し、「東京の自民党本部が賛成しているのに、大阪府連は都構想に反対している。 (それを)ばかだチョンだというようなことを維新は言っている」と述べた。 「チョン」は韓国・朝鮮人に対する差別的な表現とされている。         この後、谷垣氏は「不適切な発言をし、皆さまに不快な思いをさせてしまい大変申し訳なく思う」と謝罪するとともに、発言を撤回するとのコメントを発表した。 (2015/04/03-12:51)

 谷垣発言では「バカだチョンだ」ですが、この言葉の使い方は相当に古くからあります。 有名なところでは、明治時代初めの滑稽本である『西洋道中膝栗毛』(仮名垣魯文)に、「仮染(かりそめ)にも亭主にむかって、ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと」があります。

 大正時代には久保田万太郎の小説『末枯』になかに、「吉原のそばにあんなチョンなものがあらうとは思へない」があります。

 このように、「チョン」は、まともでないとか、頭が悪いこととかを意味する言葉として、明治の初めまで遡ることの出来る言葉です。 また素人でも簡単に撮れるカメラを「バカチョン・カメラ」と言っていましたが、これも「チョン」は頭の悪い人というような意味ですので、「馬鹿」「阿呆」と同じ類の言葉です。

 これがいつの間にか、朝鮮人に対する差別語となったのですが、これが何時なのかがはっきりしません。 朝鮮人への差別語は、私の体験では「チョーセン」であり、朝鮮高校への差別語は「チョーコウ」でした。 ですから1970年代に「チョン」が朝鮮人への差別語であるから使ってはならないという主張が出た時はビックリしたものです。

 当時強制的に受けられさせる同和研修で、講師が「チョンは朝鮮人への差別語です。バカチョンカメラは馬鹿でも朝鮮人でも撮れるカメラという意味ですから、使ってはいけません」と発言した時、受講生の少なからずが「へー!」と驚きの声をあげたことがありました。

 こうなると長いものには巻かれろで、「チョン」という言葉はどのような場合でも禁句になりました。 そのために、例えば札幌への単身赴任を「札チョン」という言葉があったのですが、これも使用禁止。 また童謡にある「あっち行ってチョンチョン、こっち来てチョン」という歌を子供に歌わせていいのかどうか、というような議論があったりしました。

 このような差別語狩りの風潮が激しかったのは、1980年代を前後する2・30年ほどの間のことです。 この時に、在日韓国・朝鮮人の子弟に本名を名乗らせようという運動がありました。 そこで出てきた問題がありました。 それは「鄭」「全」「丁」「田」という名前を本名すなわちハングル読みすると、「チョン」になるからです。 つまり「チョン」という名前を呼ぶということは、ましてやその相手が朝鮮人であるなら尚更のこと、差別語そのものを使うことになるからです。 だから一部の教師には、いくら名前であっても子供の気持ちを傷つける差別語を使って、もしからかわれたりイジメにあったりしたらどうするのかと反対する人もいました。

 「チョン」は元々阿呆・馬鹿と同じ類の言葉で、特定民族の差別語ではなかったのですが、1970年代以降にこれを差別語として使ってはならないという風潮が定着しました。 こうなると逆に使ってみたくなるのが人間です。 1990年代後半以降のインターネットの発達に伴い2チャンネルなどの掲示板では、韓国・朝鮮人をあからさまに差別する言葉として「チョン」が堂々と繰り返し使われています。

 「チョン」は差別語だから使うなという主張が、逆にインターネットの掲示板で差別語としての「チョン」の使用を盛行させたと言うことが出来ます。

【関連拙稿】

「差別語」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuyondai

任那は歪曲??2015/04/09

 日本の博物館の展示物や、学校で使う歴史教科書に「任那」が記載されていることに対し、韓国の首相が「歪曲」だと批判したそうです。

「古代史でも日本が歪曲」韓国首相、中学校教科書の「任那(みまな)日本府」記述を批判

【ソウル=名村隆寛】日本の文化庁がホームページで朝鮮半島由来の文化財について「任那(みまな)時代」と表記したり、6日に検定合格した中学校教科書に「任那日本府」が記載されたりしているとして、任那の存在を否定する韓国で「古代史でも日本が歪曲(わいきょく)」(韓国紙)との非難が起きている。         9日には李完九(イ・ワング)首相が、「事実に基づかない歴史歪曲をしてはならない。真実を隠すことはできず、厳しい歴史の評価を受けるだろう」と批判した。         任那は日本書紀にも登場し、4~6世紀に朝鮮半島南部にあり、倭(大和朝廷)の勢力圏だったとされる。中国吉林省にある好太王(広開土王)の碑文にも倭とともに任那の存在をうかがわせる文字がある。         旧日本軍による好太王碑文の“改竄説”があり、日本では一時期、任那存在説は後退。しかし、2006年に中国社会科学院の研究者の発表により、改竄説は否定された。         このため、日本では最近任那存在説が強くなっているのだが、韓国では06年以前の日本の専門家による「根拠がない」との説などを持ち出し、否定を継続。今回はこれに首相まで乗り出した形だ。

http://www.sankei.com/world/news/150409/wor1504090037-n1.html

 千数百年前の古代史について、現職の首相が口を挟むなんて、ビックリです。

  「任那」そのものは、『日本書紀』等の日本側資料だけでなく、『三国史記』等の韓国側の史料や『宋書』等の中国側史料にもあるのですから、存在していたのは確実です。

 一方「任那日本府」については、『日本書紀』にはありますが、それだけで、それを裏付けるものがないところから、存在したかどうか積極的に言えない、とするのが正解です。 だから「任那」はあった、しかしそこに「日本府」という日本の出先機関があったかどうかは不明、とすべきものです。

 こんな問題は本来は古代史の専門家に任せるべきものであって、現在や将来の問題ではあり得ません。しかし韓国ではなぜか現職の首相が口を挟みます。そして韓国のマスコミも国民も、これに疑問を持たないというのが理解できないところです。

【拙稿参照】

高句麗広開土王碑は全世界人民のもの   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/22/6954699

侵略を正当化したから「任那」はないという主張2015/04/14

 1970年代のことですが、在日の活動家ヤンさんと「任那」について議論したことがあります。

 彼は「任那」を否定しました。特に「任那日本府」は『日本書紀』が捏造したトンデモない話で、古代に日本が朝鮮半島に進出していたこと自体も否定していました。 何故ならこれが近代の朝鮮侵略の理由になり、正当化するものだからということでした。

 私は、「朝鮮侵略を正当化する歴史事実としては秀吉の朝鮮出兵がある。 明治時代に太閤さんの夢を今我々が実現するんだと言う人がいて侵略を正当化した。 だからと言って秀吉の朝鮮出兵という歴史事実を否定できるものでない。 同じように、植民地を正当化しているからと言って任那を否定できるものではない。 任那日本府は古代日本も朝鮮侵略した歴史事実があったということで、何故悪いのか? そもそも侵略を正当化するものだからと言って、歴史事実があったかどうかを決めるのはおかしい。」と反論したことを記憶していいます。

 これに対し、ヤンさんは「大和朝廷の支配を示すものに前方後円墳がある。前方後円墳は朝鮮にはない。だから古代に日本が朝鮮半島に進出したという歴史事実はない。」と反論しました。

 私は「これから前方後円墳が見つかる可能性はある。任那日本府と書かれた金石文が発見されるかもしれない。」と反論しました。

 その後、韓国では前方後円墳が発見されましたので、私の予想は半分当たりました。

 ところで「任那」について韓国では今でも、あの時のヤンさんのような考え方をする人がたくさんいるようです。

資本家は戦争勢力、労働者は平和勢力と言われた時代2015/04/20

 1960・70年代の日本では学生運動が盛んで、そこでは「インターナショナル」という革命歌がしょっちゅう歌われていました。 この歌は労働者階級(プロレタリアート)の国際連帯を意味するものとされていました。 つまり労働者はインターナショナルな存在であり、逆に資本家階級(ブルジョアジー)はナショナルな存在とされました。 だから資本家が牛耳る国すなわち資本主義国家は民族エゴイズムであって自分たちの利益のために戦争を準備しているんだ、それに対して労働者は民族を乗り越えて国際連帯によって平和を求めるのだという考え方になります。 [労働者=左翼革新=国際的=平和勢力]:[資本家=右翼保守=民族的=戦争勢力]という構図です。

 このような考え方からすると、「戦争反対=反戦」という主張は資本主義に反対するということになります。 日本は資本主義で一貫してきましたから、「戦争反対」を訴えることは日本の現国家体制を否定して社会主義革命を実現しようと主張と同じになります。 だから社会主義こそが平和を築くものだということになりました。

 社会主義国だって核武装し戦争してきたじゃないかという疑問には、アメリカを始めとする戦争勢力に対して社会主義という平和勢力が闘っているのだという論理で答えていました。 しかし1989年以降のソ連や東欧の社会主義崩壊により、社会主義=労働者階級=平和勢力という虚構を唱える人はいなくなりました。

左翼・革新系人士たちは今では資本家対労働者という階級的視点からは離れたのですが、それでも自分たちこそが戦争反対であって、それに対して右翼・保守は戦争を求めているのだという主張はそのまま維持しています。

左翼・革新系人士の「戦争反対論」は、現在中東やアフリカ等で繰り広げられている実際の戦争について、どのようにしたら戦争がなくなり平和になるかということには関心を寄せません。 また今進んでいる中国の軍事拡大や北朝鮮の核兵器開発にも関心がありません。 ただひたすら、自国の日本だけを相手に戦争反対論を主張しています。

しかも彼らが関心を寄せる「戦争」というのが70年以上も前の昔の日本の戦争です。 つまり彼らは現在の世界に繰り広げられている戦争ではなく、日本という一国の過去の戦争だけに注意を向けているのです。 別に言えば世界の現在には鈍感だが、日本の過去には敏感という構図です。彼ら曰く、日本政府は昔の戦争の再現をしようとしている、それに対して我々は闘っているのだ、これこそが平和を求めることなんだ‥‥。

 資本家は戦争勢力、労働者は平和勢力という虚構から始まった「戦争反対論」。 この戦争反対論は、今は安倍政権を戦争勢力と規定した上で、これに対する闘いこそが「平和を守る闘い」だとして引き継いでいます。

この戦争反対論、これから縮小するのか、拡大していくのか、注目したいと思います。

本名強要は人格権侵害ー判決2015/04/24

 以前に拙ブログで取り上げました事件について、判決が出ました。

勤務先社長に賠償命令=在日男性への本名強要-静岡地裁       勤務先の社長が本名の韓国名を名乗るよう強要したのは人格権の侵害などとして、静岡県の40代の在日韓国人男性が社長を相手に、330万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が24日、静岡地裁であり、大久保正道裁判長は社長に55万円を支払うよう命じた。     訴状によると、男性は韓国籍だが日本で生まれ育ち、日本名の通称を使用。社長は2012年11月~13年5月、他の社員の前で「朝鮮名で名乗ったらどうだ」などと繰り返し発言した。        男性は屈辱と精神的苦痛を味わったと主張。社長側は「在日韓国人らは誇りを持って本名を名乗るのが本来の在り方と考え問いかけただけだ」と反論していた。(2015/04/24-13:27)

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015042400061

【拙ブログ】 「通名・本名の名乗りは本人の意思を尊重せねば」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/28/6925152

 1980~90年代前後に、嫌がる本人や父母の意思を無視して「本名を呼び名乗る運動」を強力に推し進めた活動家や教師たちは、この判決をどう思うのでしょうか? 聞いてみたいものです。

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』2015/04/27

 岩波新書『在日朝鮮人 歴史と現在』(水野直樹・文京洙著 2015年1月)を購読。

 内容は、在日朝鮮人は日本から抑圧・弾圧、強制されてきたが、それに対して闘ったんだという歴史観に基づいて書かれた本です。 従って在日のネガティブな姿(負の存在)と、果敢に闘う栄光の姿を描いた歴史です。 後者の栄光を強調しようして、前者のネガティブ(被害ばかり)も強調するという関係になっているように感じました。

 それはともかく、読み進むと所々で、へー!そんな事実があったのかと参考になるところもあったし、これは違うだろうと思えるところもあったし、明らかに間違いのところもありました。

 明らかな間違いを一つ挙げてみます。

四〇年には、朝鮮で実施された創氏改名が日本在住朝鮮人にも適用された。 改正された朝鮮民事令では、戸主は「氏」(家の名称)を役所に届け出ることが義務づけられた。 ‥‥しかし在日朝鮮人の氏設定届の比率は朝鮮内に比べて低かった。 それは、世帯主ではあっても戸主ではない者が多かったこと(つまり朝鮮の故郷には戸主である父親や祖父がいる者が多かったこと)、内地では朝鮮に比べて届け出に対する圧力が弱かったことなどもあったが、何よりも創氏を忌避する考えが強かったからである。(75頁)

 「(創氏は)役所に届け出ることが義務づけられた」というのは間違いです。 正解は、創氏そのものは義務であったが届け出るかどうかは任意だった、です。

 つまり「創氏」というのは日本風の名前で氏を届け出てもいいし、届出も何もしなくてそのまま放っておいてもよかったのです。 前者を「設定創氏」、後者を「法定創氏」といいます。 例えば「金」さんという家の場合、戸主が「金本」と届け出れば家族全員が「金本」氏となり、届け出をしなかったら家族全員が「金」氏になります。

 在日朝鮮人の場合「創氏を忌避する考えが強かった」のではなく、届け出しようと考えた人が少なかったから「氏設定届の比率は朝鮮内に比べて低かった」のです。 だいたい忌避しようがどうしようが「創氏」はしなければなりません。 しかし日本風の名前で創氏することもできたし、先祖伝来の民族風の名前で創氏することもできたというのが、創氏改名の実際でした。  

創氏改名以後、在日朝鮮人も公的文書には日本的な名前で記されることになった。(76頁)

 これが間違いであることを証明する資料は直ぐに見つかります。水野直樹さん自身が関係した本から探してみましょう。

 『朝鮮侵略と強制連行』(解放出版社 1992年8月)の20頁には、昭和18年10月に九州の炭鉱で亡くなった朝鮮人の「死体検案書」の写真が掲載されています。 その氏名欄には「閔福仁」と記されています。この閔福仁は「日本的な名前」ではないでしょう。 また死体検案書は「公的文書」と言っていいでしょう。

 『図録 植民地朝鮮に生きる』(岩波書店 2012年9月)の120頁上段には、「愛国婦人会 佩有功章 特別維持会員 李容淑」「愛国婦人会員 通常会員 高卜今」の表札が掲載されています。 同頁の下段には「大日本婦人会入会の勧め‥‥入会申込書‥本人氏名 鄭福純 右世帯主 鄭点龍」が掲載されています。 これらはキャプションに「1942年以降」とありますから、創氏改名の2年以上経ってからの資料です。 またこれらは「公文書」ではありませんが、「公的文書」でしょう。

 なお最後の「本人氏名 鄭福純 右世帯主 鄭点龍」という資料ですが、世帯主とその女性家族(おそらく妻)は同じ「鄭」さんです。 これは創氏を届け出なかった「法定創氏」により家族全員が「鄭」氏となった例と思われます。

【拙稿参照】

創氏改名とは何か      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai

創氏改名の残滓       http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai

創氏改名の手続き      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai

在日の通名使用の歴史は古い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/12/6688526

民族名で応召した朝鮮人   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/14/7491817

宮田節子の創氏改名論    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557