資本家は戦争勢力、労働者は平和勢力と言われた時代2015/04/20

 1960・70年代の日本では学生運動が盛んで、そこでは「インターナショナル」という革命歌がしょっちゅう歌われていました。 この歌は労働者階級(プロレタリアート)の国際連帯を意味するものとされていました。 つまり労働者はインターナショナルな存在であり、逆に資本家階級(ブルジョアジー)はナショナルな存在とされました。 だから資本家が牛耳る国すなわち資本主義国家は民族エゴイズムであって自分たちの利益のために戦争を準備しているんだ、それに対して労働者は民族を乗り越えて国際連帯によって平和を求めるのだという考え方になります。 [労働者=左翼革新=国際的=平和勢力]:[資本家=右翼保守=民族的=戦争勢力]という構図です。

 このような考え方からすると、「戦争反対=反戦」という主張は資本主義に反対するということになります。 日本は資本主義で一貫してきましたから、「戦争反対」を訴えることは日本の現国家体制を否定して社会主義革命を実現しようと主張と同じになります。 だから社会主義こそが平和を築くものだということになりました。

 社会主義国だって核武装し戦争してきたじゃないかという疑問には、アメリカを始めとする戦争勢力に対して社会主義という平和勢力が闘っているのだという論理で答えていました。 しかし1989年以降のソ連や東欧の社会主義崩壊により、社会主義=労働者階級=平和勢力という虚構を唱える人はいなくなりました。

左翼・革新系人士たちは今では資本家対労働者という階級的視点からは離れたのですが、それでも自分たちこそが戦争反対であって、それに対して右翼・保守は戦争を求めているのだという主張はそのまま維持しています。

左翼・革新系人士の「戦争反対論」は、現在中東やアフリカ等で繰り広げられている実際の戦争について、どのようにしたら戦争がなくなり平和になるかということには関心を寄せません。 また今進んでいる中国の軍事拡大や北朝鮮の核兵器開発にも関心がありません。 ただひたすら、自国の日本だけを相手に戦争反対論を主張しています。

しかも彼らが関心を寄せる「戦争」というのが70年以上も前の昔の日本の戦争です。 つまり彼らは現在の世界に繰り広げられている戦争ではなく、日本という一国の過去の戦争だけに注意を向けているのです。 別に言えば世界の現在には鈍感だが、日本の過去には敏感という構図です。彼ら曰く、日本政府は昔の戦争の再現をしようとしている、それに対して我々は闘っているのだ、これこそが平和を求めることなんだ‥‥。

 資本家は戦争勢力、労働者は平和勢力という虚構から始まった「戦争反対論」。 この戦争反対論は、今は安倍政権を戦争勢力と規定した上で、これに対する闘いこそが「平和を守る闘い」だとして引き継いでいます。

この戦争反対論、これから縮小するのか、拡大していくのか、注目したいと思います。