創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (12)2026/06/03

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/11/9346012 の続きです。

 ↑は創氏改名令が施行された翌年の昭和16年(1941)に、当時唯一のハングル新聞である『毎日新報』に掲載されたアナウンサー合格者の記事です。 記事の内容は、

아나운서-合格者 十대一이란 격렬한 경쟁속에서 광영의합격을한 경성중앙방송국 제二방송부 새 「아나운서-」는 다음 여섯명이다  ▲男子 豊原信勝 大村幸正 孫本正鳳 李元九  ▲女子 山本鮮玉 許占玉

 ハングル部分を訳しますと、次の通り。

アナウンサー合格者 10対1という激烈な競争の中で、光栄の合格をした京城中央放送局 第二放送部の新しい「アナウンサー」は次の6名である。

 ハングル新聞に載った記事ですので、読者は当時の朝鮮人にほぼ限られます。 ですから合格したアナウンサー6名は朝鮮人と考えられます。 この6名のうち「李元九」「許占玉」の二人が朝鮮名で、法定創氏したと思われます。 また残り4名の「豊原信勝」「大村幸正」「孫本正鳳」「山本鮮玉」は設定創氏した朝鮮人でしょう。

 この資料を紹介した韓国の「창씨개명 나무위키」では、次のように解説しています。 https://namu.wiki/w/%EC%B0%BD%EC%94%A8%EA%B0%9C%EB%AA%85

1941년 경성중앙방송국에 아나운서로 채용된 합격자 6명중 2명 이원구, 허점옥이 창씨개명을 하지 않은 조선식 이름을 가진 채 아나운서에 합격했다. 경성중앙방송국은 현대의 KBS에 해당하는 방송국이다. 아나운서의 직업 특성상 자신의 이름을 스스로 시청자에게 알리게 되는 경우가 빈번하였을텐데, 이러한 직책을 창씨개명을 하지 않은 조선인을 임명하였다는 것은 창씨개명을 하지 않은 사람이 직장을 얻을 수 없다는 주장의 논리에 어느 한 부분도 맞지 않는다. 그렇다면 조선식 이름을 유지한 자를 고용한 이 경성중앙방송국은 폐쇄되었는가? 그렇지 않다. 경성중앙방송국은 해방 이후까지 건재하다가 이후 한국방송공사로 명맥을 이어간다. 심지어 한국방송공사는 아예 대놓고 창립일을 경성중앙방송국의 창립년도인 1927년을 그대로 계승하고 있다. 즉 KBS의 존재자체가 해당 주장이 사실무근이라는 하나의 증거인 것이다.

直訳しますと

1941年の京城中央放送局にアナウンサーとして採用された合格者6人中2人の李元九、許占玉が創氏改名をしていない朝鮮式の名前を持ったままアナウンサーに合格した。 京城中央放送局は現代のKBSに該当する放送局だ。 アナウンサーの特性上、自分の名前を自ら視聴者に知らせる場合が多かったはずなのだが、このような職責に創氏改名しない朝鮮人を任命したというのは、創氏改名をしない者は職を得ることができなかったという主張に一つも整合しない。 それでは朝鮮式名前を維持した者を雇用した京城中央放送局は閉鎖されたのか? そんなことはなかった。 京城中央放送局は解放以降も健在で、その後韓国放送公社として命脈を保ったのである。 さらに韓国放送公社は最初から堂々と自分の創立年を、京城中央放送局の創立年度である1927年にしているのである。 すなわちKBSの存在自体が、あの主張(創氏改名をしない朝鮮人は弾圧された)が事実無根であるという証拠となる。

 なおアナウンサーに朝鮮人がなぜ採用されたのかについてですが、当時の朝鮮でのラジオ放送には朝鮮語放送があったからです。 朝鮮におけるラジオ放送は昭和2年(1927)より始まっており、当初は日本語を主とする放送でした。 またラジオ機器は高価で聴取料も高かったせいもありますが、朝鮮人にはなかなか普及しませんでした。 そこで朝鮮人にも普及すべく昭和8年(1933)より朝鮮語で行なう第二放送が始まり、聴取料も値下げされました。 これでようやく普及したそうです。 普及したといっても個人でラジオを持っている家は裕福な家に限られ、主に官公庁や市場など人が集まる場所に置かれたようです。

 朝鮮語の第二放送が開始された1933年は朝鮮語学会が「朝鮮語綴字法統一案」を定めた年でもあることから推察して、音声と文字(ハングル)の両方の標準語化が同時に図られたものと考えられます。 ラジオ放送で使われる朝鮮語は音声の標準語として朝鮮全体に定着したといいます。 そして第二放送は一部に日本語番組を挟み込みながら、基本的に朝鮮語で終戦まで続いたのでした。 ラジオから朝鮮語放送がずっと流れていたのですから、〝朝鮮語は禁止された”という歴史は虚偽ですね。

 もう一方の日本語の第一放送でも、一部の時間ですが朝鮮語の番組がありました。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782 これは昭和18年(1943)2月10日付けのラジオ番組表ですが、そこには朝鮮語番組の担当アナウンサーとして「洪善杓」「呉島進」「青山鶴夫」の三名の名前が出ています。 このうち「洪善杓」は明らかに朝鮮名です。

 植民地朝鮮で施行された創氏改名は、日本名に変えないで先祖伝来の朝鮮名をそのまま使い続けることもできるものでした。 そしてその朝鮮名を堂々と公表しても、就職に不利になることはなかったのです。 創氏改名は「日本が朝鮮植民地支配の際に皇民化政策の一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に強制的に変えさせた。これを拒否した者は非国民とされ、様々な嫌がらせを受け、結局は日本名に変えた‥そんな嫌がらせに抗して朝鮮名を守った人は民族的英雄だ」とするようなウソの歴史記述は改めなければならないでしょう。

 ところで冒頭の記事↑でアナウンサーに合格したという李元九は、나무위키によれば祖父が「乙巳五賊」の一人である李根沢だそうです。 「乙巳五賊」とは1905年の第二次日韓協約に賛成した閣僚のことで、今の韓国では「親日反民族行為者」に認定され、〝親日派=売国奴=民族の裏切り者”として歴史上悪名高いです。 その子孫が創氏改名でも日本名にすることなく朝鮮名を維持したのですが、そのことは今の韓国では何ら評価されるものではなかったのでした。

 

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676

朝鮮人戦死者の表彰記事―1944年         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (11)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/11/9346012

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (13)2026/06/10

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/06/03/9857996 の続きです。

 ↑は、1942年の『毎日新報』に載った「歯科医師試験合格者」記事です。 創氏改名が施行されてから2年経った時期です。 25名の合格者には朝鮮人も入っていますが、そのうち「李徳模」「金福徳」の二人が朝鮮名です。 この資料を掲載した韓国の「창씨개명 나무위키(創氏改名 ナムウィキ)」では次のように解説しています。 https://namu.wiki/w/%EC%B0%BD%EC%94%A8%EA%B0%9C%EB%AA%85

의료진이 일본식 성명을 사용하지 않을 경우 폐원 조치가 이루어졌다는 공식적인 기록은 확인되지 않는다. 실제로 1942년 치과의사시험 합격자의 명단인데, 조선인에게도 공공 서비스 중에서도 매우 고급 기술인 치의학을 전공하고 치과의사가 될 수 있는 길이 1941년까지도 열려있었음을 알 수 있다. 만약 조선인을 매우 못마땅하게 생각하여 어떤 식으로든 불이익을 주고자 하는 것이라면, 치과의사 자격 취득 시험을 응시하게 하고 자격을 취득하게 하여 잠재적으로 일본인의 치아 건강을 맡기는 것은 그 목적과 완전히 모순된다. 심지어 그 논리대로라면 조선식 이름을 유지한 조선인은 더더욱 제재했어야 한다. 하지만 위의 1942년 치과의사시험 합격자의 명단에서 볼 수 있듯이, 의료인이 되고자 하더라도 창씨개명이 필수는 아니었다는 점에서 이는 사실이 아니라고 보는 것이 개연적이다.

 取り急ぎ、直訳してみました。 

医療人が日本式の姓名を使用しない場合、廃院措置がなされたというような公式記録は確認されていない。 実際にこれは1942年の歯科医師試験合格者の名簿であるが、公共サービスにおいても非常に高級な技術である歯医学を朝鮮人が専攻して歯科医師になることができる道は、1941年までにも既に開かれていたことが分かる。 もし朝鮮人はダメだとしてどうあっても利益を与えないというのであれば、朝鮮人に歯科医師の資格を与えて日本人の歯科健康の仕事に従事させていることと完全に矛盾する。 さらにその論理であれば、朝鮮式の名前を維持する朝鮮人にはさらなる制裁を加えていなければならなかった。 しかし上記の1942年の歯科医師合格者名簿を見るように、医療人になろうとする朝鮮人に創氏改名が必須でなかったという点から、それは事実でないと見るのが合理的である。

 この解説にある通り、歯科医師は創氏改名で朝鮮名を維持した朝鮮人にも開かれていました。 そしてそんな朝鮮人歯科医師は日本人患者も診ることになるのですが、当時の人々はそれに違和感を持たなかったのです。

 『新版 韓国・朝鮮を知る事典』(平凡社 2014年3月)の291頁には、「創氏改名」について次のように解説しています。

日本の植民地支配下で、朝鮮人から固有の姓を奪い、日本式氏を名乗るよう強いた政策。‥‥ 日本の氏を名乗らされたという屈辱の思いは終生消えることはないだろう

 このような解説には、大いなる疑問をいだきます。 創氏改名には「設定創氏」と「法定創氏」の二種類があります。 前者は日本名となり、後者は朝鮮名がそのまま残るものでした。 当時の朝鮮人はどちらの創氏を選んでもよかったのでした。 「朝鮮人から固有の姓を奪い、日本式氏を名乗るよう強いた政策‥日本の氏を名乗らされたという屈辱の思い」というのは、誤りと言わざるを得ません。 当時の朝鮮では、朝鮮名の歯科医が堂々と存在していたのです。

 

【創氏改名に関する拙稿】

創氏改名とは何か (00年4月1日)  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai

創氏改名の残滓 (01年6月1日)  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai

創氏改名の手続き(04年10月1日)  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai

毎日新聞の創氏改名記事の間違い   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/03/9834434

創氏改名の誤解―「世界史の窓」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515

朝鮮名での設定創氏が可能な場合  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596

宮田節子の創氏改名論       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557

石破茂さんのデタラメ創氏改名論   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/06/9161642

朝日の創氏改名論         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/03/15/2753298

辺見庸さんの創氏改名論      https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/06/1838919

民族名で応召した朝鮮人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/14/7491817

金時鐘さんの創氏改名は「金谷光原」―神戸新聞 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/03/9779836

尹東柱の創氏改名―ウィキペディアの間違い   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/11/8939110

尹東柱の創氏改名記事への疑問       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/16/8917954

「尹東柱」記事の間違い―中央日報     https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/17/9464967

朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/11/26/9819692

朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/12/03/9821132

朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/12/10/9822738

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (14)2026/06/17

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/06/10/9859201 の続きです。

 ↑は、朝鮮銀行史研究会編『朝鮮銀行史』(東洋経済新報社 昭和62年12月)987頁に掲載されている本店営業部1944年1月現在の職員名簿の一部です。 クリックすれば拡大します。 名簿に*印が付いた職員が朝鮮人で、23人います。 当時、日本人(内地人)職員は加俸という名目で4~6割の割増手当が支給されていたのですが、朝鮮人職員にはその手当がありませんでした。 また日本人男子職員は徴兵義務があり、朝鮮人職員には徴兵義務がありませんでした。 そういった事情のためと思われますが、職員名簿には朝鮮人を区別する*印が付けられていました。 この朝鮮人職員23人のうち次の6人が朝鮮名(↑では赤の下線をつけています)で、他は日本風の名前です。 

 出納整理主任  閔 泳台

 支払主任    李 璣鐘

 出納整理    陸 鎮鳳

 証券      具 栄洲

 取立      金 泰晋

 計算兼監査   洪 国善

 この名簿の時期である1944年は創氏改名から4年も経っていて、太平洋戦争中であり軍国主義真っ盛りの時代でした。 そして朝鮮銀行は植民地朝鮮において通貨を発行するなど中央銀行の役割をしていました。 つまり経済的「収奪」の大元締めでしたから、日本帝国主義「侵略」の心臓部とも言える存在です。 そこの本店営業部に、日本名に変えずに朝鮮名のままの朝鮮人職員が6名も在籍していたのです。

 創氏改名は「日本が朝鮮植民地支配の際に皇民化政策の一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に強制的に変えさせた、これを拒否しようとしたものは非国民とされ、様々な嫌がらせを受け、結局は日本名に変えた」というような説明がされていますが、そうならばここに記した6人の朝鮮銀行職員は「非国民」だったのでしょうか? あるいは朝鮮銀行は「非国民」を雇用したのでしょうか? そうではありません。 1940年の創氏改名令は日本名を強制するものではなく、先祖から受け継ぐ朝鮮名をそのまま維持してもいいとする法律だったのです。 つまり日本名でも朝鮮名でも構わないとするものでした。 だから朝鮮名の朝鮮人職員が勤務していたのです。 そして彼らは不利益を蒙ることなく社会に暮らすことができたのです。

 1980年代の日本の学校の副読本の朝鮮史には、「官憲は創氏改名拒否者に対し、入学、就職、日本への渡航を邪魔し、行政事務や荷物輸送を受け付けず、労務徴用の対象にしたり、不逞鮮人と呼んでブラックリストに載せるなどした」(神奈川県高等学校教職員組合『わたしたちと朝鮮 高校生のための日朝関係史入門』公人社 99頁)などと解説されていましたが、明らかな誤りですね。 正解は〝創氏は拒否できるものではなく全員が創氏した、それには日本名にする「設定創氏」と朝鮮名のままでいいとする「法定創氏」の二種類があった”です。

行政手続きは基本的に戸籍名で行なわなければなりませんが、その一つが日本(当時は内地)に行く時に必要な渡航証明書でした。 渡航証明には戸籍抄本が必要で、そこには創氏した名前が記されていましたから設定創氏した朝鮮人なら日本名を使うことになり、法定創氏した朝鮮人なら朝鮮名のまま使っていたのでした。 ですから「官憲は創氏改名拒否者に対し‥‥日本への渡航を邪魔し」は、明白なウソです。 こんなウソが日本の学校では教えられていたのです。

 このようなウソの歴史はさらに〝在日朝鮮人は創氏改名で日本名を無理やり付けさせられて、今でも通名(日本名)を使わされている”となり、そして〝屈辱の創氏改名の歴史を学び、通名を捨てよう!”と唱えるいわゆる「本名(朝鮮名)を呼び名乗る運動」が展開されたのでした。 

第21題「本名を呼び名乗る運動」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai

第85題 (続)「本名を呼び名乗る運動」考  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai

第84題 「通名と本名」考        http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuyondai

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

「左」が担った「通名禁止」運動(3)    https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710

金義晴さんの思い出―本名について       https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/04/17/9676429

通名を本名と自称する在日           https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/04/6500499

「部落民宣言」と「本名を呼び名乗る」運動  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/10/28/9435562

民族運動として「本名を呼び名乗る」は正当なものですが、その根拠として創氏改名のウソの歴史を持ち出すのはいかがなものかと思ったものでした。

 ところで冒頭の職員録↑の中に出てくる「洪国善」は、旧日本軍の将校で敗戦時に戦犯として処刑された「洪思翊」の子息です。 洪思翊は創氏改名でも日本名にすることなく朝鮮名を維持したので、家族も同じく「洪」氏となります。 しかし彼は今の韓国では「親日反民族行為者」と認定され、売国奴扱いされていますね。 日本名に変えず朝鮮名を維持したことは、何ら評価されないのでした。 https://www.asahi.com/articles/ASS5H0R05S5HUHBI019M.html 

 

【創氏改名に関する拙稿(追加分)】

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (12)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/06/03/9857996

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (13)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/06/10/9859201

朝鮮人志願兵初の戦死者                https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/02/8719450

日本統治下朝鮮における朝鮮語放送           https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782

北朝鮮の主体(チュチェ)思想とキリスト教(1)2026/06/23

 毎日新聞の「ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 5月号」(2026年5月16日 №56)に、北朝鮮の金日成思想はキリスト教に影響されているのではないかという興味深い記事が載りました。 筆者のジョナサン・チェンは、ウォール・ストリート・ジャーナルの中国支局長です。 ここでは一部を抜粋して引用紹介しますので、ご興味ある方は図書館に行って全文をお読みくださるようお願いします。

北朝鮮 揺るがぬ世襲体制の起源 ― 個人崇拝を通じて築かれた「金王朝」米キリスト教の痕跡

1991年秋、米国のキリスト教福音派の伝道師ビリー・グラハム氏に、平壌から予期せぬ招待が届いた。 「われわれの教会にあなたをお迎えするのは大きな喜びとなるだろう」。 北朝鮮の国家公認のプロテスタント教会とカトリック教会の指導者が送ってきた手紙にこう書かれていた。

平壌はグラハム一家にとって馴染み深い場所だった。 1930年代、妻のルース・ベル・グラハムさんは平壌西部の広大な長老派教会の伝道施設にある高校に通っていた。‥‥当時、ほかにも教会はあったが、平壌の「中央長老派教会」に勝る規模のものはなかった。 この教会には毎週、あふれんばかりの会衆が集まり、宣教師は「壁が外に膨れ始めるのではないか」と恐れるほどであった。‥‥平壌市内はキリスト教信者の大きな存在感を見せ、「東洋のエルサレム」の呼び名もついた。

(1992年に)グラハム氏は平壌に到着後間もなく、1912年4月15日に金日成氏が生まれたとされる平壌郊外の質素な茅葺の小屋に足を運んだ。 グラハム氏とその一行は、かつてこの地を支配していたキリスト教信仰とのあまりの類似性‥‥「飼い葉桶と3人の賢者さえいれば完璧だ」。 グラハム氏は皮肉っぽくこう言った。

 歴史をひもとけば、朝鮮でのキリスト教は19世紀後半以降に本格的に布教が始まり、学校教育や医療活動を行なうなどで広まって行きました。 植民地時代は、平壌がその中心地と言えるほどだったと言います。 招待されたグラハム氏は妻がその時に平壌にあったキリスト教の学校に通っていたのですから、その点が招待の理由だったのかも知れません。 グラハム氏は、その平壌にある金日成の生家でキリスト教の痕跡を見つけたのでした。

グラハム氏が訪朝した頃(1992年)、世界では社会主義国家の崩壊がいくつか目撃されており、平壌に残る時代遅れの状況が、歴史のゴミ箱に捨てられるのは時間の問題だと、多くの関係者は思っていた。 だが同時代の指導者と異なり、金日成氏は先の世代まで引き継げる強固な個人崇拝を築き上げていた。

 金日成は息子の金正日に党・国家を任せていて、順調に進んでいるという報告を受けて満足し、悠々自適の生活を送っていたそうです。 それが1990年ごろに息子の悪行(喜び組などの乱痴気騒ぎなど)を知り、そして国内が無茶滅茶な状態になり、国際的にも孤立していることを知りました。 そこで息子には軍事のみに専念させることにして、自分は国政のうち政治・外交を直接指揮することにしました。 それまで自国を援助してくれていた東欧やソ連などの社会主義国が崩壊し、南朝鮮(韓国)がロシアや中国と国交を結んだ時期でしたから、危機感は相当なものだったようです。 そして世界を見渡して味方になってくれそうな人士を北朝鮮に招請したと思われます。 ここで取り上げられているグラハム氏がその一人でしょう。 それ以外にこの時期には統一教会の文鮮明やジミー・カーター元米大統領も平壌で金日成と会見しています。

北朝鮮は建国時こそ、マルクス・レーニン主義をたたえていたかもしれないが、後に平壌中心部の金日成広場からマルクスとレーニンの肖像画を撤去した。 金日成氏はその代わりにマルクス・レーニン主義を「主体(チュチェ)思想」で補完し、最終的には完全に置き換えた。 「偉大な指導者」と呼ばれる金日成氏が、14歳で革命家となり、考え始めたとされる哲学だ。 チュチェは通常は「自主・自立・自衛」のイデオロギーと説明されるが、ある学者が「チュチェの福音」と呼んでいるほど、疑似宗教的な意味合いに満ちたものだった。

‥‥ かつてないほど壮大な賛辞が寄せられるようになった。 「彼は考え得る限りのあらゆる名誉ある称号で呼ばれていたようだ。 国を代表する小説家、哲学者、教育者、デザイナー、農業実験者、建築家、産業管理の専門家、将軍、卓球指導者というように」。 ある伝記作家はこう述べた。

1994年に金日成氏が死去した後、息子の金正日氏は後継者となり、父親を北朝鮮の「永遠なる主席(首領)」と定めることで、建国者と事実上一体化したこの国を永遠に統治し続ける存在にした。 

こうして共産主義とは程遠く、むしろ宗教に近い体制に発展したことは、金日成氏を以前支持していた社会主義者たちを愕然とさせた。 特にかつて朝鮮半島北部を掌握していた宗教に似ていることは驚きであった。

 北朝鮮は当初こそマルクス・レーニン主義を唱えていましたが、チュチェ思想という疑似宗教的な考えに染まっていき、ついにはマルクスもレーニンもかなぐり捨てることになります。 1970年代の私の経験ですが、朝鮮総連の活動家が〝チュチェ思想はマルクス・レーニン主義を超えた唯一で最高の思想だ”と言ったので、それに対して〝歴史上これまでたくさんの思想があり、それらを全て読んで比較した上でチュチェ思想が最高だと言うのならいいのだが、そもそも金日成はマルクスやレーニンを朝鮮語で読んだのか? それとも日本語で読んだのか? その翻訳者は誰なのか?”などと疑問を呈して議論したことを思い出しましたね。

信仰の力 目の当たりに

金日成氏は後に、キリスト教が自身の思考に与えた影響を曖昧にし、歪曲するようになったが、今にして思えば、彼の人生には紛れもなくキリスト教の痕跡があった。

 金日成は熱心なクリスチャン家庭で生まれ育ち、また当時その地域ではキリスト教が盛んだったこともあって、彼の思想にはキリスト教の影響があるのではないかというのがこの記事の主張です。 金日成は子どもの時にキリスト教会でオルガンを弾いていたといいますから、その可能性は大いにあります。 つまり金日成の考え方は、子ども時代に家族や教会から教え込まれたキリスト教に影響されているということです。

米国において長老派教会が説いたのは、慈悲深い神の恵みによる罪からの救済である。 だが同時に、神の前で万人は平等であるというメッセージも教えた。 19世紀後半にこれが朝鮮半島に導入された当時は急進的な考え方だった。

こうした教義は、同国北西部の人々、特に平壌とその周辺では異例の熱意をもって受け入れられた。 未来の北朝鮮指導者は、キリスト教バブルが起きたこの地で育ち、成人を迎えた。 金日成氏は信仰の力を目の当たりにしながら育った。 つまり人々を動員し、畏敬の念や献身、恐れ、あるいは熱狂を呼び起こす力を、だ。 金銭や権力、名声よりも.信仰だけが人の永遠の運命に語りかけることができたのだ。

第二次世界大戦終結後、金日成氏は権力の座に上り詰める中で、意識的か無意識的かは別として、彼の家族が長老派宣教師から受け取ったイデオロギーの遺産を頼りに、国づくりを始めた。 自身の信奉者に対し、信仰のみならず崇拝も要求し、自身が共に育ったキリスト教の教えや実践を彷彿とさせる信念体系を作り上げた。

 金日成の家やその地域で興隆したキリスト教は、長老派だったようです。 記事はこの宗派の思想から、金日成は「自身の信奉者に対し、信仰のみならず崇拝も要求し、自身が共に育ったキリスト教の教えや実践を彷彿とさせる信念体系を作り上げた」と主張しています。 私はキリスト教に関してそれほど詳しくないのではっきりとは言えませんが、キリスト教でも極端な考え方をするカルト的な宗派が存在します。 幼い時にキリスト教から出発した金日成は、いつの間にかこのようなカルト宗教的な方向に行ったと言えるのかも知れません。 「自身が共に育ったキリスト教の教えや実践を彷彿とさせる信念体系を作り上げた」とある部分は金日成の分析として妥当だと思ったのですが、どうでしょうか。 これが凄まじいまでの個人崇拝のチュチェ思想につながったというわけです。    (続く)

 

【追記】

2026年6月3日付けの韓国『中央日報』に、このジョナサン・チョン氏のインタビューがありました。 合わせてお読みください。 なおこの筆者は毎日新聞では「チェン」、ローマ字で「Cheng」となっています。 おそらく「鄭」の中国語読みと思われます。

日本語記事 https://japanese.joins.com/JArticle/350003 https://japanese.joins.com/JArticle/350004 

原文韓国語記事 https://www.joongang.co.kr/article/25433286 https://www.joongang.co.kr/article/25433397

北朝鮮の主体(チュチェ)思想とキリスト教(2)2026/06/30

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/06/23/9861457 の続きです。

元大統領で、長年日曜学校の教師も務めたジミー・カーター氏は、1994年に金日成氏と会談するために訪朝した際、北朝鮮が「ブランチ・ダビディアン」に似ていることに衝撃を受けた。 ブランチ・ダビディアンはテキサス州のキリスト教宗派で、前年に米連邦捜査官らと対立して同州ウェーコの拠点が包囲され、86人の死者が出ていた。 「ウェーコの宗教団体のような社会だ」。 カーター氏は同じ月にこのように書き残している。 「金日成主義」の信奉者は、その著作を学び、格言を暗記することや、全住居のメインルームに掛けられた肖像画のほこりを払うこと、同氏の誕生日や元日、卒業や結婚などほぼ全ての重要な日に、同氏の銅像に敬意を表して頭を下げることを求められた。

 ブランチ・ダビディアンはアメリカで生まれたキリスト教のカルト集団で、激しい武装闘争をくりひろげました。 詳しくは検索して調べてみてください。 カーター元大統領はこのカルト集団と北朝鮮が類似していると直感したわけです。

 当時の北朝鮮では、チュチェ思想を「金日成主義」としていたようです。 「自主、自立、自衛」を掲げる「チュチェ思想」よりも、個人崇拝であることをそのまま露骨に表わす「金日成主義」の方が的確なように思われます。

 そして記事では、金日成主義で洗脳された北朝鮮の人は国外に出て初めてその宗教性に気付くことが書かれています。

1989年にポーランド留学中に亡命したという北朝鮮人は、これを簡潔に表現した。 「北朝鮮にいた時、私は金日成を神だと思っていた」。 実際、もし金日成主義を宗教に分類するならば、それは世界最大級の宗教になり、ユダヤ教徒ほぼ同数の信者がいることになるだろう。

多くの北朝鮮人にとって、自身がその中で育てられてきたイデオロギーの宗教性を初めて認識したのは、国外に出た後だった。 「偉大な指導者」のための極秘任務で出国した際に気づいたというケースもある。

1968年にソウルで韓国大統領を暗殺する任務のさなかに拘束された北朝鮮の特殊部隊員は、初めてキリスト教に触れた時に感じた混乱を覚えている。 「彼らが神について語るたび、私は頭の中で金日成を思い出した」。 この人物は後にキリスト教の牧師になった。

1987年11月の大韓航空機爆破事件に関与し、その後逮捕された北朝鮮の金賢姫元工作員は、最終的にキリスト教に改宗した。 彼女はキリスト教と金日成主義との関連をさらに踏み込んで指摘した。 「最初に聖書を学び、それからチュチェを学べば、はるかに容易に理解できる」と彼女は語った。 「イエスの名前を金日成に置き換えてもよいと思う」。

 北朝鮮では、宗教は徹底的に弾圧されてきました。 北朝鮮の人々はキリスト教に接することができなかったのですが、代わりに金日成を崇める「チュチェ思想=金日成主義」が与えられました。 そして人々は国外に出て初めて、金日成はキリスト教の神と同じだったことに気付きます。 今回の記事にはありませんが、大韓航空爆破事件の金賢姫は拉致被害者家族の横田早紀江さんに会った際に次のような対話をしたそうです。

(クリスチャンの横田早紀江さんが)『あなたが信奉する共産主義を捨てて信仰をもつのは非常に大変と思いますが、どうして信じる決心ができたのですか』と質問した時、金賢姫さんはこう答えてくれました。 『それは簡単です。頭では金日成を捨て、イエス・キリストを受け入れたのです。首から下は同じです』と。その回答は明快でした  https://www.logos-ministries.org/blog/?p=3168

 金日成主義にある金日成をイエス・キリストに置き換えれば、敬虔なキリスト教徒になるということです。 洗脳を解く有力な方法なのかも知れません。

 ところで最後になりますが、北朝鮮についてカルト宗教と同じということで説明する人が多いですね。 たとえばオーム真理教なんかと比較して論じられたりしますが、それはイメージ的にそのように見えるという程度の分析です。 カルト宗教の教祖を金日成に置き換えれば金日成主義となるというのは、それはそれで正しいと思われます。 しかし今回の記事では〝どんな宗教と具体的にどのように繋がってカルトになったのか”というところまで書かれていて、ちょっと新鮮味を感じた次第です。   (終わり)

 

【追記】

 韓国の『中央日報』の6月3日付け記事には、次のように記されています。https://japanese.joins.com/JArticle/350003 

金日成の個人崇拝、『米国の長老派宣教師』が芽を出させた

「私はキリスト教徒なので金日成(キム・イルソン)バッジはつけません」 

2017年秋、当時ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)ソウル支局長だったジョナサン・チョン氏(44)は、北朝鮮の招待で訪れた平壌(ピョンヤン)で現地の牧師からこの言葉を聞き衝撃を受けた。 「金日成主義」と「キリスト教」が同じレベルの「宗教」であると確信した瞬間だった。

「‥『平壌に教会があると聞いたが日曜礼拝に参加できるか』と依頼し、鳳岫(ポンス)教会と七谷(チルゴル)教会を訪れた。驚くことに教会内には金日成・金正日の肖像が一つもなかった。牧師も信者もバッジを付けていなかった ‥‥ 礼拝後に理由を聞くと『私たちはキリスト教徒だから』と言った。 これは政権自身が『金日成主義』と『キリスト教』を同じレベルの宗教として認識している証拠だ」

 北朝鮮ではキリスト教や仏教などの宗教は徹底的に弾圧されて、ほとんど跡形もなくなりました。 しかし1970年代になって、国内に宗教が全くないというのは国際的に問題視されるようになってきたため、政府の指導の下にキリスト教会や仏教寺院が建てられたようです。 ただし、それらは外国からの賓客や旅行客のための見学用施設でしかありません。 カンボジアのシアヌーク元国王殿下が北朝鮮に亡命・滞在していた時、殿下が熱心な仏教徒だったので急きょお寺が作られたことは有名な話ですね。 

 平壌のキリスト教会は外国人の見学用ですから、宗教施設としての見栄えを重視したと思われます。 金日成バッジをつけないとか、金日成の肖像がないとかは、そのためでしょう。 あるいは金日成はキリスト教徒ではないことを示したかったのかも知れません。 何しろ北朝鮮では、キリスト教徒は出身成分では最下の敵対階層に属しますから。

 「金日成主義とキリスト教が同じレベルの宗教」は論者であるジョナサン・チョン氏の分析ですが、それは〝金日成を崇拝することと神に仕えることとは宗教的に同一レベル”という意味だと思われます。 

 

【北朝鮮に関する拙稿】

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の建国日は本当か? https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/10/9723031

朝鮮民主主義人民共和国の正統性は何か?      https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056

在日朝鮮人が話す北朝鮮              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/19/9643754

北朝鮮には税金がない、その代わり‥‥       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/18/9660183

脱北して戻ってきた在日              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/25/9662215

駐キューバ外交官の亡命ー北の人民は統一を望む   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/07/23/9703546

この世はすべて金―北朝鮮             https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/05/25/9687110

北朝鮮の「갓끈 전술(帽子の紐 戦術)」      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/01/08/9022748

北朝鮮が崩壊しないわけ             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/04/1701479

北朝鮮の百トン貨車               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/11/1716894

『写真と絵で見る北朝鮮現代史』         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/06/5665262

韓国と北朝鮮の歴史観が一致する!!   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/10/5675477

白い米と肉のスープ           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/14/5680393

韓国の北朝鮮研究            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/22/5698027

第8題 現代に残る古代国家       http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachidai

第45題 天皇制と首領制の比較      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuugodai

第57題 北朝鮮と小中華思想       http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuunanadai

第105題 朝鮮総連の人から聞いた話    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakugodai