「部落民宣言」と「本名を呼び名乗る」運動2021/10/28

 「部落民宣言」を知っている人は、かつての解放運動関係者もしくは同和教育担当だった教師くらいでしょう。 「部落民宣言」を検索しても、わずかしかヒットしません。    1970年代~80年代に、同推校(同和教育推進校)で盛んに行われていた、いわゆる解放教育の一環でした。 同和地区の生徒が学級会や全校生徒集会などで自分が部落民であることを明らかにして、これから部落解放のために闘いますと宣言するのが「部落民宣言」です。

 それまで同推校では全校生徒に、“部落差別が近世から政治的意図によって始まり、部落民は差別に苦しみながら生きてきて、水平社以降に差別反対のためにどのように闘ってきたのか、そして今でも部落差別は解消されず、部落民は厳しい差別に苦しんでいる”という教育を施していました。

 ですから「部落」というのは何百年もの間、周囲から差別を受けて暗くて鬱々たる暮らしを送らざるを得なかった人たちが集まっている所、つまり「部落」というのは周囲から隔絶された特異な地域だというイメージでした。

 同和教育では、そんなイメージの部落出身の生徒に「私は部落民です」と宣言させたのでした。 当の生徒は、上記のように部落民は社会から厳しい差別を受けるのだと教育されていたのですから、泣いて宣言する子が多かったといいます。 そして、差別されるのだから差別を闘う解放運動へ誘導されることになります。

 宣言した生徒は「部落解放」「狭山差別裁判糾弾!」「石川青年を返せ!」とかの黄色いゼッケンをつけて登校し、時には学校を休んで狭山闘争の集会に参加することもありました。 同和教育ではそうするのが当然とされた時代であり、他の一般生徒たちもそれが当然なことと受け入れるように教えられていましたから、黙って見るだけでした。

 この「部落民宣言」と同時に推進されたのが、在日韓国・朝鮮人生徒の「本名を呼び名乗る」運動でした。 部落民宣言が差別されることの自覚によって闘いに目覚めよ!というものであるのに対して、「本名を呼び名乗る」運動は韓国・朝鮮人であることをみんなに宣言することによって民族を自覚して闘おう!というものでした。

 どちらも、自分たちが被差別者であることを宣言して闘うことでした。 これがある程度進んで行くと、学校内で具体的に何をどのように闘うのかというと、その一つが周囲の一般生徒に自分自身が差別者であることを自覚させ、被差別者側にひざまずかせることでした。 こうなると、自分が部落民であるとか在日であるとかを明らかにすることによって周囲より有利な立場に立つことを意味し、それを確認させることが「闘い」の成果となります。

 これを同推校では教師たちが推進していきました。 こうなると、自分が被差別であることを言えば有利になるのですから、生徒たちは次々に自分の被差別を見つけ出し、宣言するようになりました。 ある子は、自分は健常者のように見えるが実は障害者だと言い、またある子は自分の親は精神障害者で自分はキチガイの子だと言い‥‥。

 “涙で語る差別の自慢大会”の様相を帯びていき、そのような被差別性を持たない一般生徒たちはただひたすら黙って聞くだけになるか、なかには自分は差別者で悪い人間でしたと涙ながらに懺悔する者も現れます。 これはH県の某同推校で実際にあったことで、その全校集会を見学した人が余りの異常さにビックリしたと言っておられたことを記憶しています。

 以上記憶のままに、具体名を記さないで非常に抽象的に書きましたが、当時の同和教育の実態を知っている方には「ああ、そういうことがあったなあ」という感想を抱かれることと思います。

 今は昔の話でした。

【拙稿参照】

大阪の民族学級―本名とは何か  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/31/9403271

在日誌『抗路』への違和感(1)―趙博「本名を奪還する」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682

第21題「本名を呼び名乗る運動」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai

第85題(続)「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai

第84題 「通名と本名」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuyondai

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

「左」が担った「通名禁止」運動(3)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710

コメント

_ 昔昔の話 ― 2021/10/29 17:12

韓国・朝鮮人には独自の民族的文化的アイデンティティがあります。名乗って、自らそのアイデンティティに目覚めることもあり得ます。
しかし被差別部落に特別のアイデンティティがあるとは思えません。職業選択を差別されたがためにある種類の職業においては特別の技能があったかも知れませんが…しかし例えば寒冷地で牧畜を営む者は冬の前に春に生まれたオス羊や年取った羊を自ら処分しなければなりませんがそれは餌の確保のため必要であり自分が生きるために必要なことで、このような牧畜業の地域で家畜の処分が賤業となるはずがありません。イタリアのカバンや靴の製造職人は賤業の筈がありません。
私は大学何年生かになるまで被差別部落が日本にあることを知りませんでした。イシカワ青年のこととかあれこれ聞けば聞くほど、申し訳ないが、自分はそうでなくてよかったぁと密かに思いました。口が裂けても言いませんが…
今都会に飲み込まれたかつての被差別部落は混住によりその記憶が薄れています。薄れて紛れて知る人もいなくなれば、その「人」はもう被差別部落出身者ではありません。特別のアイデンティティは持たないからです。ほじくり返して植え付けて宣言する必要はないと思います。こう言うと差別だ!と言われることは使用地しておりますが。

_ 辻本 ― 2021/10/30 03:01

>薄れて紛れて知る人もいなくなれば、その「人」はもう被差別部落出身者ではありません。

 部落民か否かの認定ですが、昔から議論になっていたものです。

 先祖が穢多非人の身分であったという部落民は、非常に少ないです。
 特に都市部落では、皆無と言っていいです。
 何かの縁で部落に住みつき、周囲より被差別部落民と見られるようになったというものが、ほとんどですね。
 部落問題研究の大学教授が何年か前の人権講演で、部落に二・三十年住めばあなたも部落民になります、と言ったことがあります。
 これは一面の真実を語っています。
 歴史性や職業などは関係ないと言っていいですよ。

 つまり部落民のアイデンティティは、自分たちは差別されているように思える、あるいは将来差別されかもしれない、という点ぐらいですね。

_ 河太郎 ― 2021/10/31 12:11

昔昔の話さん<韓国・朝鮮人には独自の民族的文化的アイデンティティがあります。名乗って、自らそのアイデンティティに目覚めることもあり得ます。>

民族名を名乗るのに拘っているのは別の理由があるからと見るのはどうでしょうか。
自ら進んで日本名を名乗っていた歴史を隠したいのではと。

辻本さんも、朝鮮名のままの実例の写真を幾つも示されていましたが、創氏改名の強制性否定の有力な証拠であり、創氏改名は強制ではなく自由、任意だった証拠でもあります。

唯一、強制的だったのは妻も創氏して夫と同じ姓を名乗らねばならなった事です。日本本土とおなじように家族名つまり同姓を名乗ることでした。
私はこの部分で強制性があったことは何の罪悪感を持つ必要のないことだと思っていますが。

創氏改名が始まる前に、強制もされないのに自ら進んで日本風名前を名乗っていた朝鮮人がいかに多かったかは、数多くの実例が示されています。それは日本名を名乗ることが何かしら有利に働くと判断したと考えるのがフツーでしょぅ。

朝鮮人は差別を日本人から受けないために日本名を名乗らざるを得なかったと理屈づけますが、不思議ですね、日本でも華僑は戦前も戦後も華僑名を堂々と名乗っていたのに。

ある国で異民族間の摩擦軽減のために、本名ではなくその国風の名前をつけるのはある意味自然であり何ら恥ずべきことではなくて、外国で生きる異民族の知恵としてありうるのでは。日系アメリカ人も、姓は日本風ですが、名前はアメリカ風が一般的ですね。

韓国系アメリカ人は朝鮮名だけ貫いているのですかね。

別の例で同じようなことを感じるのは、韓国が首相の靖国参拝に反対していることの滑稽さです。

中国が反対するのは屁理屈ですが一応A級戦犯合祀をあげています。しかし中国の本当の狙いは日本世論の分断です。

韓国が靖国合祀されている朝鮮人を取り下げろと主張していますが、大東亜戦争を日本人の一員として英米と戦争した歴史事実を隠したいからですね。

_ 辻本 ― 2021/10/31 16:02

>創氏改名の強制性否定の有力な証拠であり、創氏改名は強制ではなく自由、任意だった証拠でもあります。
>唯一、強制的だったのは妻も創氏して夫と同じ姓を名乗らねばならなった事です。

 これにはビックリ。
 「創氏改名は強制ではなく自由、任意だった」は、間違った歴史です。

 「創氏」は強制であり、「改名」が任意なのです。
 また妻も夫も「創氏」は強制されました。
 
 なお「強制」は「法的強制」という意味で、本人の自由意思に関係なく「創氏」は強制されました。
 ただし日本名で「創氏」するか、先祖伝来の姓で「創氏」するかは自由でした。

 韓国でも日本でも、間違った歴史がいつまでも消えないのは困ったことです。

_ 河太郎 ― 2021/10/31 18:50

辻本さん<これにはビックリ。 「創氏改名は強制ではなく自由、任意だった」は、間違った歴史です。>
これは私の表現が舌足らずでしたね。

辻本さん<「創氏」は強制であり、「改名」が任意なのです。また妻も夫も「創氏」は強制されました。なお「強制」は「法的強制」という意味で、本人の自由意思に関係なく「創氏」は強制されました。>
 全く同意です。期間内に創氏届をしなければ朝鮮名がそのまま氏として法的確定つまり法定創氏ですね。

辻本さん<ただし日本名で「創氏」するか、先祖伝来の姓で「創氏」するかは自由でした。>
全く同意です。

辻本さん <韓国でも日本でも、間違った歴史がいつまでも消えないのは困ったことです。>
全く同意です。日本の左翼は反論をきちんと正面からしないで、論点ずらしや、定義を拡大して、ごまかしています。

_ 竹並 ― 2021/11/01 10:00

いま考えると、昔々、昭和40年代の終わり頃、「部落差別」について実見するチャンスがあったのに、と残念ですね。
英会話の練習にと「モルモン教」の教会に顔を出していた頃、やはり英会話の学習に来てた兄ちゃんから「部落差別は、現在でもある」と言われて、僕は「んなもん、今時あるわけない」と取り合わなかったら、「京都(府?)のどこそこへ行ってみろ」と言われたことがありました。
今となっては、もう遅い、という感じですかね?

「今となっては…」という意味は… 『従軍慰安婦』問題が日韓で時事ネタになってた頃、『新・ゴーマニズム宣言』(小林よしのり)を読んでた時期があるんですが、そのバックナンバーに「部落問題」を扱ったものがあって、ちょっと他の本も当たったんですが、「部落」の起源は、今だに「謎」ですね(単なる「職業差別」なら、まあ分かりやすいんですが…)。

で、その頃、雑誌「噂の真相」に「中森明菜は被差別系なんだが、本人がそれを知らない」とか、芸能界は「河原なんとやら」の世界なんだけど、もう本人たちに自覚がない(そういう時代になった)という記事が出てましたね。

最近の出来事で(分からなくなってる、という)例を挙げると、以下ですかね…

> 読み間違いではない (スコア:2, 荒らし) by simon on 2021年02月05日: 「魑魅魍魎」って文字を「えたひにん」って読み間違えたなら「それはアホの子やったんやな」で済むけど、今回は「餓鬼」の説明をしてるときに「むかしの、えたひにんみたいな」と説明しているので、これはアカンやつ。 読み間違いなら「漢字を知らなかったんやな」だけど、今回のは「えたひにん」についての「かこのなにか悪いもの」という認識の誤りなので、ちゃんと謹慎期間中にナニがまずかったか反省して学ぶべきだと思う
https://idle.srad.jp/story/21/02/04/192212/

_ 昔々の話 ― 2021/11/02 08:23

日本は、韓国元皇太子李垠の后として、日本の皇太子の妃としての格式である梨本宮万子氏を選びました。当時の日本が、いかに本気で、朝鮮を日本と同格の地域として引き上げようとしていたかを示すものです。当時、皇太子の后という問題がどれだけ国家的問題で重要なことであったかを考えれば、日本は本当に本気であったのです。
しかし、当時の朝鮮の教育水準、衛生水準、インフラ(上下水道や排泄物のことも含めて)、かつての奴婢層等の問題を考えれば、直ちに同じ国の一地方として扱うことは無理でした。と言うよりは、そもそも言語が違い、歴史が違う国を日本国の一つの地域として扱う事自体が無理なことであったのです。しかも、朝鮮には抜き難い日本への差別意識がありました、東夷でしかない国がちょっと先に西洋化したところで所詮文化的に劣った国じゃないかと。
日本は本気で朝鮮を自国と同等水準に引き上げようとした、しかし朝鮮から見れば、それは全く、身の程知らずの田舎者が西洋の礼儀はこうだと説教垂れているようなものでした。
陸奥宗光は、金玉均の乱のときだったか?日本が十字軍を送る謂われはないと突き放しました。日本は、朝鮮の遅れた教育水準も衛生観念も奴婢がいるという社会構造も自分の宗族の利害しか考えない両班の支配も、外国の問題だとして突き放せばよかったのです。その上でのみ、日本の安全保障を考えるとか…(笑)

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