道上尚史事務局長のインタビュー―『月刊中央』(1)2021/10/03

 韓国の雑誌『月刊中央』2021年9月17日号に、「[特別招待席] 道上尚史 前日中韓三国協力事務局長が見た韓・日関係」と題するインタビュー記事がありました。 http://jmagazine.joins.com/monthly/view/334605

 道上さんは日本の外交官で、韓国語でインタビューに応じるほどの語学の達者な方のようです。 韓国人が読むことを前提とするインタビューのためか、発言内容はソフトですね。 日本語話者が語る韓国語ですから、頭の中の意識は日本語、それを素早く韓国語に訳しながら口に出す作業となったようです。 ですから私には発言内容が分かりやすく、ほとんど辞書なしで読むことができました。

 ちょっと興味深く読みましたので、翻訳してみました。 合間に私の感想を挟みます。

―道上尚史(63)前日中韓三国協力事務局長は、日本外務省を代表する「韓国通」外交官だ。 1984年、韓国に初めて来た彼は外交官生活37年間のうち、韓国で五回、全部で12年間を勤務した。 東京大学法学部を卒業し、米国ハーバード大学で修士学位を取った。韓中の二カ国で公使を歴任した日本外交官第1号だ。 韓国の社会・文化の事情に明るく、韓国語を駆使する能力に秀でており、国内でも認知度が高い。事務局長の任期が満了し、日本に帰任する彼に会って、国と組織を離れて一個人として37年を見た率直な感想を聞いた。

―道上局長は1984年に韓国に始めて来て、延世大学語学堂、そしてソウル大学外交学科修士課程で勉強されたと聞きました。 その時の印象的な経験などを覚えておられるでしょうか?

学生デモが多く、催涙弾も飛んでいる激動の時期でしたが、教授や学校の友人たちみんなが大変親切で、毎日面白く過ごしました。 ある日講義で、ソウル大学のお年を召した教授が「我々は日本をすでによく知っている、勉強する必要はないと見ているが、それは大きな錯覚」だと言って、「韓国は実際に日本をよく分かっていない。 我々が知っているという日本は、本当の日本ではない。 学生諸君は日本を知らないと認めて、一生懸命に勉強しなさい」とおっしゃいました。 核心を突く勇気ある指摘に、私は感銘されました。韓日関係に困難が多いですが、これから明るい未来があり得るんだという光明を見た気分でした。

―外交官として長い間韓国を見守りながら、韓国社会が持っている長所・短所も多く見て感じられたことでしょう。 率直なお言葉を聞きたいと思います。

効率性が高い点、ビジネスや勉強において目標を達成する集中力は、韓国の方たちの長所ですね。 半面、目に見えない部分や中長期的な視野がちょっと弱いと感じることがないことはないです。 私の知り合いのご夫婦ですが、夫が韓国人、夫人が日本人です。 その子が勉強や集団生活があまりよく出来なかったといいます。 日本の小学校の先生は生徒一人一人ずつをよく面倒見てくれて、韓国ではそうではなかった、韓国は勉強がよくできる生徒のための学校だと感じたとおっしゃるのです。 また韓国社会に大きな衝撃を与えたセウォル号事件、そのために海警(日本の海上保安庁に相当)を解体するというニュースに驚きました。 日本の常識では海警を強化せねばならないのですが、なくすというのですから。 もう一つ、日本のノーベル賞受賞者が言ったことなのですが、「基礎研究は日本人の特性に合っている。 30年間してきた研究が成果を得られるのかどうか、成果を本人が生きている間に認められるのかどうか分からない。 お金や名誉を考えれば出来ないことだ」と言うのです。 韓国はある意味で効率性が高いですが、目の前の目標だけを追求するならば他の重要な要素が犠牲になるしかないでしょう。 これからもっと成熟した社会になって克服せねばならない課題でしょう。

 「韓国は勉強がよくできる生徒のための学校だ」という話は、時々聞きますね。 学校の先生が成績のいい子を露骨に称賛・優遇するということなのですが、本当なのですかねえ。

―日本の『文芸春秋』に発表された文を読みましたが、韓国の知人が「韓国は圧縮成長で短い期間にたくさんのことを成し遂げたが、抜けたところも多い。 民主主義に対する理解も足りない」と指摘したということでした。 成熟した民主主義とポピュリズム問題はアメリカやヨーロッパ、南米を含めてたくさんの国の課題ですが、韓国の民主主義と政治について、また保守と進歩の葛藤について、どのように感じておられますか?

大声でスローガンを叫んだり誰かを糾弾することが民主主義の核心ではない、ということではないでしょうか。色んな意見を収れんする過程、冷静で客観的な実務把握、緻密な専門知識、それが民主主義国家に必要な条件でしょう。 英語でPrudent(冷静でちゃんと組み立てられた)国家運営です。 韓国の保守・進歩に対して、あれやこれやと言えませんが、どの国であれ、理念やイデオロギーだけでは国家運営は不可能ですよ。 しばしば日本人は韓国の保守を好むと言われますが、過去40年間に日本で一番評価が高い韓国の指導者は金大中元大統領なのです。

 「過去40年間に日本で一番評価が高い韓国の指導者は金大中元大統領」というのは、40年間に限ればその通りでしょうね。 私はその以前の朴正煕大統領を一番高く評価しているのですが、それ以降となるとやはり金大中大統領ですね。

―最近韓国で労働運動やフェミニズムの議論が活発ですが、日本はどうですか? 日本でも学生運動をしていて政治家になった方たちがいるのではないのですか?

日本でははるか昔である1970年代初めに、急進的な女性運動が、そして私が生まれるより前に労働運動が猛威を振るっていました。 過度な運動に対する反省もありました。日本の学生運動は私より15~20年先輩たちが参加していました。 ところで韓国と日本の学生運動出身の政治家たちの間には大きな違いがあるようです。 日本では若い時にやった運動に対して徹底した反省がありました。 政治・社会・人間に対する理解が足りなかった、理念や主義の一つ二つで複雑な国政を担おうとするのは無理があったという深い反省から政治を始めたといいます。 韓国はちょっと違っていると思っています。

 日本では、学生運動・市民運動出身がそのイデオロギーを維持したまま政治家になった例は、韓国に比べたら確かに少ないですねえ。 韓国ではそういった運動が政治家になるためのステップとして機能している感があります。

道上尚史事務局長のインタビュー―『月刊中央』(2)2021/10/10

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/10/03/9428968 の続きです。

―民主主義とポピュリズムという側面から、韓国の「外交」をどのように見られますか?

一般論として申し上げます。 外交というのは相手方があることで、自分の意のままにならないものではないですか。 大国、小国は言うに及ばず、まず相手方がなぜそのように主張するのか、その国内事情をよくリサーチせねばなりません。 また国際法、国際的慣例も当然把握せねばなりません。 そして色んなオプションの中で、国益上最善の政策を選ぶのですが、国内世論を説得するのも重要です。 国益に一番良い方針が国民に人気がないこともあるのですから。自由でないのが外交です。 相手国を十分研究してこそ外交は可能で、それは屈辱ではありません。 世論、雰囲気、コードで発想するならば、国家の羅針盤がよく機能せず、漂流する憂慮も出てきます。

 「一般論」としていますが、韓国が日本を十分に研究しないまま対日外交を繰り広げていることへの批判ですねえ。 

―外交官でいらっしゃいますから、韓国が日本に対して理解が足りない部分、または国際感覚において韓国が足りないと感じる部分があれば、おっしゃって下さい。

韓国には「私は寿司が好きだ、居酒屋に行く、日本旅行にたくさん行った、子供たちが日本語を勉強している、だから日本をよく知っている。私たちの世代は反日ではない」とおっしゃる方がいます。 しかし楽しんで消費することと、日本に対する外交は別個の問題です。 私が見るには、最近の韓国は対日関係を上手に構築しようと努力する姿が見えません。 国家の次元で相手方の国に対して緻密に研究し、神経を使うことが必要なのですが、対日関係をちゃんと管理し改善しようと作業が見えてこず、日本関連のニュースの一つ一つに即刻的に反応して反発するのが目立ちます。 日本は、韓国の外交・安保・経済の大きな構図の中で、鍵となる国の一つなのですよ。

そして昔に比べて、平均的な日本人の韓国に対する知識が大幅に増えました。 ソウルで暮らす日本のビジネスマンが「丙子胡乱」「三田渡の屈辱」を知っているのを見て、ちょっと驚きました。 目覚ましい経済発展で韓国の存在感が大きくなり、韓国の国内ニュースがすぐさま日本に伝わる時代です。 歴史の問題を内包する中国や東南アジアなど色んな国があり、日本ではそれぞれの国を比較するのでよく見えてくるのですよ。 そのうちの韓国は、日本に対する真剣で客観的な姿勢が一番に必要な国だと思います。

―朴槿恵政府と文在寅政府を経て、日本内で韓国に失望する人たちが多いと聞きますが、実際にそうなのですか?

はい。 実際にそうです。 私の親戚は政治の話に関心がありませんが、韓国を何度も訪問したり、韓流ドラマを字幕なしで楽しんで見る人たちなんです。 7~8年前に私に会った時、「お前は韓国の仕事をしている国家公務員だから言えないのだろうが、私らにとってあの国はもういい、友人になることが出来ない国だとよく分かった」と言うのですよ。平均的な日本人より韓国に親近感がある日本人がこうなのです。 韓国では日本の「嫌韓」を「保守勢力の政治活動」とする見方がありますが、実は違います。

もう一つ、日本の高校生たちが海外修学旅行にどこへ行くのかを集計した数字があります。2002年から2011年までは韓国がいつも1位か2位で、全体の20%を占めていました。 しかし2012年以降、急速に減少し、上位圏から消えました。 今は1%にもなりませんよ。 韓国に修学旅行に行く生徒数が、シンガポールの20分の1、オーストラリア、マレーシアの10分の1、ベトナムの4分の1です。 私が見ても衝撃的でした。 修学旅行は学校で生徒と保護者、先生が話し合って行き先を決めるのですが、これは政治とは関係のないことです。 平均的な日本人が韓国に対する気持ちが離れているということが分かります。

ところで20年前は、韓・日関係が良かったです。 1999年から2002年のワールドカップ共同開催前のころ、韓国の人たちがこんなことをよく言っていました。 「日本は誤解するな。私たちは成熟した社会だ。何でも韓国が正義、日本が悪だと規定するのではない。私たちは日本を客観的に見て、建設的な関係を結ぶことが出来る。」

その契機となったが1998年の金大中大統領の日本訪問でした。 日本の国会演説の中で「IMFの時、日本はどの国よりもたくさんの協力をしていただきました。 心から感謝します」とおっしゃいました。 その時、私を含めて日本国民が大変新鮮に感じ、感銘を受けました。待ちに待った指導者がやっと登場したんだなあ、日本を理性的・建設的に見て、感謝することは感謝して、国益上において日本の重要性を深く知っておられる方が登場したんだなあ、これから両国は信頼と協力関係を持つことができると期待しました。 ところで、このごろの韓国はどうですか? 大きく後退したように見えます。

 韓国人に読まれることが前提のですので言い方はソフトですが、韓国に対してなかなか言えなかったことを吐き出したという感じですね。 

―韓日関係がうまくいったならば、という気持ちが誰よりも切実でいらっしゃるのに大変残念です。

はい、一番最初に紹介しましたソウル大学教授の指摘のように、「日本はもうよく知っている。もう知ろうとする努力はしない」というのが今の韓国人の実態に近いです。 一時希望を見ただけに、余りにも残念です。 日本は過去40年の間に韓国を三回「発見」しました。 最初は1984~1988年です。 1984年に日本のNHKで韓国語講座を始めたのですよ。 88オリンピックは非常に影響が大きかったです。 それ以前は、韓国は学生デモや軍部独裁、拷問など暗い印象でしたが、この時期に漢江の奇跡、文化、スポーツなど多様な姿を知るようになりました。 二番目は1998~2002年です。金大中大統領の訪日と韓日ワールドカップ共同開催など、希望を持つようになった時期でした。 三番目は2012年以降現在までです。最初と二番目は肯定的な発見でしたが、三番目は韓国に対する失望と「距離を置く」状態です。 これは一時的な現象ではなく、構造変化と見なければならないものです。 韓国に対する偏見、優越感から生まれたものではないのですよ。 韓国をリスペクト(尊敬・敬意)していた人ほど失望が深いと言うこともできます。

 「三番目は2012年以降現在までです‥‥韓国に対する失望と『距離を置く』状態です」とありますが、これは事実ですね。 2012年の8月に、時の李明博大統領は竹島に上陸し、天皇へ謝罪要求発言をしました。 これがきっかけで、日本の対韓感情が険しいものになったのでした。

 それを具体的に示す数字は、道上さんは日本高校生の修学旅行先が2011年までは20%だったのに2012年以降急減し、今は1%以下だと指摘しておられました。 それ以外に日本から韓国への観光入国者数の急減も挙げておきます。 2012年9月まで毎月30万~35万人だった観光客は同年10月以降20万~24万人に激減し、回復することがありませんでした。

 今の日本の対韓感情の悪化は、李明博大統領から始まったと言えるでしょう。 日本では韓国の進歩の反日にうんざりしたのか、保守に期待する人が多いようです。 しかし保守の李大統領が自ら率先して反日行動し、それが日本の対韓感情悪化につながって今に至っているのですから、韓国の反日は進歩も保守も関係ないということに留意する必要があります。

 「韓国に対する偏見、優越感から生まれたものではないのですよ。 韓国をリスペクト(尊敬・敬意)していた人ほど失望が深いと言うこともできます」は、韓国人に是非知ってほしい日本人の本音ということなのでしょう。 しかし彼らが共感するのかどうか、たとえ共感できても、口になかなか出せないのが今の韓国ですからねえ。

道上尚史事務局長のインタビュー―『月刊中央』(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/10/03/9428968

李大統領の発言        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/18/6546033

『朝鮮日報』記事に出てくる若宮啓文のコラムとは http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/18/6636750

道上尚史事務局長のインタビュー―『月刊中央』(3)2021/10/17

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/10/10/9430861 の続きです。

―韓国と日本がもっと近寄って善隣関係を回復するために、助言をして頂けるとしたら?

将来コロナ19が小康状態に差しかかる時になったら、ビジネスマンや一般学生たちが互いに自由に往来することを切に期待しています。 しかし客観的に余裕を持ってお互いを見つつ、約束と礼儀をちゃんと守る関係になることを望んでいます。 一つ申し上げますと、1990年代までは韓日関係に問題が起きると、韓国が日本に対して憤慨し批判する場面が多かったです。 ところが21世紀、特にここ8~9年の間に、その基本構図が替わりました。 韓国は先ずその点を冷静に直視されるのがいいと思います。 「我々は日本をよく知っている、日本は韓国を知らない」という固定観念では、何も出来ないのです。

 「『我々は日本をよく知っている、日本は韓国を知らない』という固定観念」は、逆に日本の嫌韓派が韓国を論じる際の固定観念も同じレベルですね。 嫌韓派は韓国語すらできないのに、韓国のことは何でも知っているかのような発言を平気でします。 韓国の反日と日本の嫌韓は同じ穴のムジナと言っていい、と私は考えています。

―中国にも勤務されたようです。中国の日本観と韓国の日本観には違いがありますか?

私が2007年~2009年、中国の政府官僚、教授、記者たちとたくさん会いました。 中国の新聞で「中国は二次大戦後の日本に対する理解が足りず、偏見がある」という反省の文章が載っているのを何度も見ました。 「中日関係が順調でない要因が何か」と問う世論調査で「我が中国の民族意識と反日感情」と答える人たちが10%程度あるのを見て、驚きました。 これは中国の短所ではなく長点です。 私がその当時、文化とメディアの担当公使をしていたのですが、中国の北京大学、精華大学、人民大学、北京外国語大学などの名門大学がアニメーション・映画・ドラマなど盛大な日本文化イベントを主催して、学生たちが熱狂する姿に驚きました。 北京大学の学生たちが、私の知らない日本のアニメ曲を教えてくれるほどです。 日本の政治家や社会現象に対する官僚や学生たちの関心が、韓国よりも中国の方が大きいことがよくありました。 浮世絵や歌舞伎などの日本伝統文化に対する関心もそうです。 中国は日本を知るために、常に努力しています。

 韓国に比べて中国を高く評価しておられます。 私の狭い範囲ですが、中国人は個人的に知識が広く優秀な人が多いと思いますが、国家レベルで対日本となるとどうなのか。 これは韓国人でも同様に思えるのですがねえ。 日本を客観的に見る意見が、中国でも韓国でも弱いように感じます。

―韓国が現在繰り広げている対中外交について、助言していただけますなら‥‥。

韓国は経済規模もあり、国際的影響力もありますが、中国に対しては「どうしようもない」という「無力感」が見えると思います。 東南アジアは韓国と比較できないくらいに中国に対する経済依存度が高いではないですか。 それでも幾つかの国は中国に対して堂々と外交・安保の主張をしていますよ。 アメリカ・日本と手を握ることも有効だと言うし‥‥。 そうすることもできるのではないかと思います。 ところで韓国は日本に対して、対中国のような無力感とは正反対というのですか、まるで「日本は韓国の意のままに動かねばならない」、こちらの言うことが違うと思ったら「歴史の軽視であり帝国主義の残滓だ」という式ですよね。 韓国が中国と日本に対して、このようにそれぞれ、ちょっと独特の傾向がありますが、韓国の外交において有利なことではないと感じます。

 「韓国は日本に対して‥‥まるで『日本は韓国の意のままに動かねばならない』、こちらの言うことが違うと思ったら『歴史の軽視であり帝国主義の残滓だ』という式ですよね」は日本人の大多数がそう考えているのですが、果たして韓国人が自分たちのそれを分かっているものなのかどうか。

 韓国人全体が「日本=悪」「韓国=善」という思考に凝り固まっているような印象があります。 なお日本でも一部ですが嫌韓派やネットウヨなんかで「韓国=悪」という思考に凝り固まっている人がいますので、あまり偉そうなことは言えないですね。

―最近、日中韓三国協力事務局で主催した「高齢化とビジネス革新」フォーラムを聞いたのですが、有益でした。 日中韓三国は、高齢化が世界で一番急速に進行しています。特に日本は80年代から高齢化、60年代から環境問題、もっと以前から災害防止に真剣に取り組んできました。 このようなところは、韓国も中国も参考になるでしょう。

ありがとうございます。 高齢化は韓国、中国、日本の共通課題です。 ある人が言っていたのですが、韓国は高齢化の速度が一番早くて「最速」だと、中国は規模が一番大きくて「最大」だと、日本は昔からであって「最古」だと言うのですよ。(笑い) 研究者たちが参加して興味深く具体的な対話を交わしました。 高齢化の他にも、三国のコロナ19対策、都市再生、学生交流、記者交流、農村活性化についてウェビナー(オンライン セミナー)を開催しました。 日中韓三国の政府間では首脳会議と21個の長官級会議があります。私が特にやりがいを感じる分野は環境、災害防止、保健など、三国すべてで切実な問題です。 この分野は何といっても日本が経験を多く蓄積していて、韓中が多くの関心を持っています。 ところで韓中の強化された行政について日本も注目しています。 例をあげると、全国民的医療と保険データベースは韓国にだけあるのですよ。 一言で言って互いに学ぶことが多いのです。

―今日も韓国語でインタビューを進めましたが、事務局長は韓国語もお上手です。 文章も韓国語でお書きになるのですか? 40年近い歳月の間、韓国語もたくさん変わりましたが、お感じになられた点があれば、おっしゃってください。

日本の外務省で英語に加えて韓国語を勉強するよう指示されたのが私の運命であり幸運でした。 韓国についての関心は言葉の勉強から始まりましたね。 韓国語で、人でない無生物に敬語を使うのはちょっとどうですかね? 「ピザが出てこられました。トイレは右側におられます」などなど。 ああ、それよりお年寄りたちの記憶と認知に問題が生じると「痴呆」と言いませんか? 日本も20年前にはそうだったのですが、今はその症状に対する偏見を助長するとして使いません。 当然のことながら、このようなことは韓国の方が判断されるものですが。

 「치매(痴呆)」は韓国ではよく使われます。 漢字で書くと差別語であることが丸わかりですが、ハングルではそういう差別性が分からなくなるのかも知れません。 韓国人に「인지증(認知症)」と言っても通じません。 (終わり)

【拙稿参照】

道上尚史事務局長のインタビュー―『月刊中央』(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/10/03/9428968

道上尚史事務局長のインタビュー―『月刊中央』(2)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/10/10/9430861

韓国語のできない嫌韓派   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/28/9052386

韓国語が出来ずに韓国を論じる人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/16/9047781

嫌韓派と韓流派         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/17/7540292

水野俊平『笑日韓論』 (続)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/09/20/7439097

漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(12) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/09/7240684

これは旭日では? ―韓国カルメ焼き看板2021/10/21

週刊朝鮮 2678号

 韓国では旭日模様が日本軍国主義を表わすものだとして、糾弾の対象となっています。 特に誠信女子大学のソ・キョンドク教授が世界中にアピールしていて、しょっちゅうマスコミに出てきます。 何しろ放射状の図柄があれば、旭日旗だ!軍国主義だ!と抗議のメールを送っています。

 ところで『週刊朝鮮』2678号(2021年10月11日~)を読んでいたら、68・69頁に韓国の달고나 뽑기(カルメ焼き)露店の写真記事があって、その露店の看板に旭日模様があるのを見つけました。↑

 「달고나 달인」は、「カルメ焼きの達人」。 一個2000ウォンです。 絵柄は練炭の火で材料を加熱する様子ですが、その練炭の背後から光あるいは熱が放射状に広がり、旭日模様となっています。

 豚か熊のお尻から矢印が出ているのは、何でしょうかねえ? 売値はこれだ!という意味のようですが、私は初めて見ました。

 ところでソ・キョンドク教授様は、韓国庶民のお店に飾られている旭日の看板に抗議しないのですかねえ。

【拙稿参照】

韓国の新聞に旭日模様       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/08/7339314

旭日は軍国主義のマークか?    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/06/6566528

「部落民宣言」と「本名を呼び名乗る」運動2021/10/28

 「部落民宣言」を知っている人は、かつての解放運動関係者もしくは同和教育担当だった教師くらいでしょう。 「部落民宣言」を検索しても、わずかしかヒットしません。    1970年代~80年代に、同推校(同和教育推進校)で盛んに行われていた、いわゆる解放教育の一環でした。 同和地区の生徒が学級会や全校生徒集会などで自分が部落民であることを明らかにして、これから部落解放のために闘いますと宣言するのが「部落民宣言」です。

 それまで同推校では全校生徒に、“部落差別が近世から政治的意図によって始まり、部落民は差別に苦しみながら生きてきて、水平社以降に差別反対のためにどのように闘ってきたのか、そして今でも部落差別は解消されず、部落民は厳しい差別に苦しんでいる”という教育を施していました。

 ですから「部落」というのは何百年もの間、周囲から差別を受けて暗くて鬱々たる暮らしを送らざるを得なかった人たちが集まっている所、つまり「部落」というのは周囲から隔絶された特異な地域だというイメージでした。

 同和教育では、そんなイメージの部落出身の生徒に「私は部落民です」と宣言させたのでした。 当の生徒は、上記のように部落民は社会から厳しい差別を受けるのだと教育されていたのですから、泣いて宣言する子が多かったといいます。 そして、差別されるのだから差別を闘う解放運動へ誘導されることになります。

 宣言した生徒は「部落解放」「狭山差別裁判糾弾!」「石川青年を返せ!」とかの黄色いゼッケンをつけて登校し、時には学校を休んで狭山闘争の集会に参加することもありました。 同和教育ではそうするのが当然とされた時代であり、他の一般生徒たちもそれが当然なことと受け入れるように教えられていましたから、黙って見るだけでした。

 この「部落民宣言」と同時に推進されたのが、在日韓国・朝鮮人生徒の「本名を呼び名乗る」運動でした。 部落民宣言が差別されることの自覚によって闘いに目覚めよ!というものであるのに対して、「本名を呼び名乗る」運動は韓国・朝鮮人であることをみんなに宣言することによって民族を自覚して闘おう!というものでした。

 どちらも、自分たちが被差別者であることを宣言して闘うことでした。 これがある程度進んで行くと、学校内で具体的に何をどのように闘うのかというと、その一つが周囲の一般生徒に自分自身が差別者であることを自覚させ、被差別者側にひざまずかせることでした。 こうなると、自分が部落民であるとか在日であるとかを明らかにすることによって周囲より有利な立場に立つことを意味し、それを確認させることが「闘い」の成果となります。

 これを同推校では教師たちが推進していきました。 こうなると、自分が被差別であることを言えば有利になるのですから、生徒たちは次々に自分の被差別を見つけ出し、宣言するようになりました。 ある子は、自分は健常者のように見えるが実は障害者だと言い、またある子は自分の親は精神障害者で自分はキチガイの子だと言い‥‥。

 “涙で語る差別の自慢大会”の様相を帯びていき、そのような被差別性を持たない一般生徒たちはただひたすら黙って聞くだけになるか、なかには自分は差別者で悪い人間でしたと涙ながらに懺悔する者も現れます。 これはH県の某同推校で実際にあったことで、その全校集会を見学した人が余りの異常さにビックリしたと言っておられたことを記憶しています。

 以上記憶のままに、具体名を記さないで非常に抽象的に書きましたが、当時の同和教育の実態を知っている方には「ああ、そういうことがあったなあ」という感想を抱かれることと思います。

 今は昔の話でした。

【拙稿参照】

大阪の民族学級―本名とは何か  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/31/9403271

在日誌『抗路』への違和感(1)―趙博「本名を奪還する」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682

第21題「本名を呼び名乗る運動」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai

第85題(続)「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai

第84題 「通名と本名」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuyondai

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

「左」が担った「通名禁止」運動(3)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710

熱海土石流災害に強制捜査―同和の闇に迫れるか2021/10/30

 去る10月28日に、杜撰な盛土工事を施工して熱海土石流災害の原因を作った会社を静岡県警が家宅捜索し、強制捜査に着手したことが報道されました。  https://www.jiji.com/jc/article?k=2021102800604&g=soc

 報道を読む限り、この会社の社長が自由同和会の神奈川県本部の会長であったことが報道されていません。 これは事件を解くのに非常に重要な事柄だと思うのですが、なぜかマスコミは報道しませんねえ。

 記事では、この会社が行政からの指導に全く従わなかったことが書かれています。

小田原市の不動産管理会社は2006年、土石流の起点部分の土地を取得。熱海市から、県土採取等規制条例に基づいてたびたび工事や土砂搬入の中止要請が行われたが、10年6月ごろまで盛り土造成を続けた。同社は市に対し、盛り土の高さを15メートルと届けながら、実際は3倍余りの約50メートルにまで上ったという。土地は11年2月に現所有者に売却された。

市は危険性を認識し、11年に安全対策を強制的に行わせる措置命令の発出を検討したが、防災工事が始められたため、発出を見送った。

 行政はたびたび中止要請などの指導を行なったのに、会社はそれに従わないで工事を強行したということです。 そして行政はそれに対処せず、結局は黙認したのでした。

 何故このようなことになったのか、そこに「同和の闇」があると私は見ています。 同和業者が行政とどういう関係にあるのか、特に同和団体(解放運動)と結びついた同和業者が行政に対してどのような態度を取ってきたのか、行政は指導を無視する強引な同和業者に何もできないという状況がなぜ生まれたのか。

 熱海の土砂崩れ災害解明のカギは、そこにあると考えています。 警察は熱海市や静岡県にまで強制捜査を延ばして、同和の闇を明らかにしてほしいと考えています。

 私がそう考えるに至った経緯については、下記の拙稿をご参照ください。

熱海土石流―「同和」の体質と恐怖 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/26/9401762

同和企業の思い出 ―熱海土石流災害を見て http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/11/9396847