『朝鮮日報』記事に出てくる若宮啓文のコラムとは ― 2012/11/18
「朝鮮日報」に次のようなコラム記事が出ました。
いわゆる「親韓派」を自認する日本の政治家や学者・メディア関係者は、 韓日関係上欠かせない重要な存在だが、これらの人々と対話をしていても、到底越えられない「壁」のようなものを感じることがたびたびある。 親韓派メディア関係者の代表格といえる朝日新聞主筆の若宮啓文氏が、 少し前に韓国紙に寄稿したコラムを読んだときも「空回りしているな」と感じざるを得なかった。 そのコラムで若宮氏は、天皇が韓国の大統領に対し「遺憾」を表明するためどれだけ苦心したかについて記し「(天皇には)謝罪の自由がない」と主張した。さらには 「天皇は、自らの発言を批判されても、反論する自由がない。日本で天皇批判がタブー視されているのは、天皇が神聖な存在だからというよりは、批判に対して反論できない存在だから」とも記した。 天皇に謝罪の自由はもちろん、反論の自由がないとは、なんとおかしな主張だろうか。天皇という神聖不可侵な存在を侵犯した出版物・メディアに対するテロの歴史を振り返ってみると、若宮氏の主張は認識の差どころか、事実をごまかしているに近い主張だといえる。‥‥‥
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/11/18/2012111800039.html
この若宮さんのコラムを探してみました。「チャンネル」というところに、その記事がありました。2012年10月18日付です。日本語訳がないようですので、訳してみました。 http://news.ichannela.com/inter/3/02/20121018/50192952/3
[若宮の東京小考] 天皇ができる話とできない話 古い話であるが、1984年9月、全斗煥大統領の訪日の時、昭和天皇の会見を思い出してみた。 韓国大統領の初めての公式訪問、しかも国賓としての訪日であった。昭和天皇は過去の植民地支配の頂点であっただけに、どのような言葉で大統領を迎えるかが関心の焦点であった。どんな形であれ、謝罪が必要だという韓国の希望はよく分かるが、戦後日本国憲法で天皇は政治的発言を控えねばならない。その間の接点を探して、中曽根康弘内閣は頭を絞った。 当時外交j取材を担当していた私は、どんな発言が出てくるのか同僚たちとその内容を追跡していて、「遺憾」という単語が含まれるといおう確実な情報を手に入れた。今考えると大した言葉ではないが、当時の状況でしかも天皇の発言なら重みが違った。朝日新聞は大統領の訪日前日、果敢に「天皇が遺憾表明することに」と報道した。 ひやひやするなかで、ついに当日の晩餐会歓迎の辞で、天皇は次のように語った。「今世紀のある時期において、両国間に不幸な過去があったことを心より遺憾とし、二度と繰り返してはならないと考えます。」これで特ダネは確認された。
韓国大統領を迎えるたびに「過去」言及 当時日本としては最大限の発言であったが、韓国としてはどこか不足していたということは間違いない。全大統領は答礼の辞で、「我が国民とともに厳粛な心で傾聴しました」と答えたが、韓国の言論では「不足だ」「曖昧模糊だ」などの不満の評価が多かった。 それから6年後、今の明仁天皇は盧泰愚大統領を晩餐会で語った。‘昭和天皇の発言より一歩進展した表現を’という韓国側の強い要望もあって、日本側は熟考の末、発言を準備した。「我が国によって招来されたこの不幸な時期に、貴国国民が受けた辛さを思い、私は痛惜の念を禁じることができません。」 よく見れば分かるように、昭和天皇が語った遺憾の意より心が相当にこもっており、キーワードは「痛惜の念」であった。 事実、初案では「不幸な過去に胸痛む思い」という、ちょっと違った表現が入っていた。しかし、大統領訪日のちょっと前にこの内容が日本から報道されるや、韓国のある新聞が、天皇が「カスマプゲ」という歌謡を練習しているろいう時事満評を掲載した。日本のカラオケでもよく歌われた有名な歌であったが、これは困るとして日本政府が再検討して、最終的に「痛惜の念」に帰着したのである。 今夏李明博大統領が不満な事例として取り上げた天皇の発言は、この「痛惜の念」であった。しかし以前に天皇が迎えた盧大統領は記者会見で所感を聞かれて「私も国民も韓日の不幸な歴史についてこれでひとまず結末を見たと考えるものと確信する」と答えた。それだけに、李大統領の発言には私も非常に驚いた。 天皇はその後も韓国大統領を迎えるたびに過去に言及してきた。1994年には金泳三大統領に「深い悲しみの心」を表し、1998年の金大中大統領には「深い悲しみをいつも私の記憶の中に留めています」と語った。 韓国人はちょっと理解が難しいかも知れないが、発言としてはこの程度が限界であるのだ。明確な謝罪の言葉は総理がその責任下でしている。 もともと天皇には自由がない。国会召集と総理大臣任命という大きな職務があるが、このようなことは形式上の権限だ。一般国民に与えられた職業選択の自由もなく、居住移転の自由も、宗教の自由もない。平和を強力に望む心で、時々日本の過誤を口にするが、安保政策は語ることができない。 今天皇は自分の根本が朝鮮半島にあると明確に明らかにすることもし、韓国を思う心が誰よりも強いと考える。しかし、謝罪の自由がなく、自分の発言を批判されても反論する自由がない。日本で天皇批判がタブー視されているのは、天皇が神聖な存在であるよりは、批判に対して反論できない存在であるためだと言ってもよい。
「反論の自由」のない表現に限界 それでも多くの日本人は天皇と皇后を敬愛している。多くの不自由と重圧感を甘受しながらも、例えば災害被害地を訪問し、膝を屈して慰労の言葉をかけたり、外国との友好を望みつつ賓客を心より歓待しているわけである。 今天皇が韓国の土地を踏めば、言葉で伝わる以上の心を韓国の皆さんに感じることができるのである。しかしまもなく79歳になる老躯に果たしてそのような日が来ることができるのか。 若宮啓文 朝日新聞 主筆
コメント
_ 辻本 ― 2012/11/18 11:46
_ 河太郎 ― 2012/11/19 12:00
韓国人は竹島は韓国の物と思っているので、韓国人からすればもともと韓国のものを日本が譲るなどとはバカにするな、日本が竹島について日本のものだなどと妄言を言わねばいいだけである、と逆ネジを食らうことに気付かない論理的思考力です。
さらに、領土問題の解決策として全面降伏しか思いつかないとは恐れ入りました。幼児性そのものです。
このような幼稚な大人が朝日新聞の論説主幹とは、朝日新聞の実態をよく示しています。
_ 辻本 ― 2012/11/19 20:29
左翼系活動家のなかに、朝日新聞は左のような顔をしているが本当は右だ、という主張する人が少なくありません。何故かというと、朝日は天皇制や日の丸・君が代を肯定しているから、ということです。
朝日が天皇制を肯定しているのは、この若宮さんのコラムでも明らかです。また朝日は、自分が主催する高校野球やスポーツ大会の開会式で、君が代とともに日の丸を掲げています。
こういう事実が左翼活動家の一部の不信を買い、‘朝日は本当は右なんだ’という主張になります。
今回は朝鮮日報が日本の天皇について否定的なコラムを相次いで書き、朝日新聞に異議を唱えました。それに対し、朝日は若宮コラムで反論したという経過です。
その議論の経過において、朝鮮日報の考え方が日本の左翼活動家諸君の主張を彷彿とさせるもので、私には興味深かったというわけです。
つまり朝鮮日報の反天皇論は、日本の左翼思想と繋がっているのでないか、と感じられたのです。
【参考】 『朝鮮日報』李河遠記者の天皇戦犯論
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/24/6553068
_ 河太郎 ― 2012/11/20 09:42
朝日新聞が天皇や日の丸を肯定していると見るのはどうですかね。
朝日は南京大虐殺の捏造、従軍慰安婦強制連行説のでっちあげの張本人であり、尖閣問題で中国寄り、竹島問題で明確に韓国寄りです。
朝日の天皇制、日の丸君が代の扱いはあくまで商業的理由、カネ儲けのためと思っています。
>それに対し、朝日は若宮コラムで反論したという経過です。
「今天皇が韓国の土地を踏めば、言葉で伝わる以上の心を韓国の皆さんに感じることができるのである。」
韓国通の若宮氏がこのようなことを言うのは驚きですね。韓国人は天皇に、ナチスのホロコーストに膝をついて或る意味土下座したウィリーブラントと同じように、韓国で跪かねば来る意味がないと言っているのを知らないのでしょうか。そして道徳的に永久に韓国の風下につくことを要求していることを。
そして、それは日本としては絶対に受け入れることは不可能なことです。
天皇訪韓で韓国に対する反論とすれば、(1)日王という言い方を止めない限り、実現しないこと、(2)日本の朝鮮統治は善政であったのであり、謝罪するいわれは全くないこと、の2点を外しては有り得ないでしょう。
若宮氏は天皇の反論不可能性を理由としていますが、むしろ元首であること、つまり天皇の謝罪は日本国と国民全体の謝罪となることを言わないと反論にはなってはいません。日本統治を事実に基づいて検証すれば謝罪するいわれはないことは明らかです。
>つまり朝鮮日報の反天皇論は、日本の左翼思想と繋がっているのでないか、と感じられたのです
反日と東京裁判史観で合致しています。ソ連崩壊以前は反共の韓国とは日本の左翼は対立するしかなかったのでしょうが、ソ連崩壊以降は反日と反天皇、東京裁判史観で両者は合致しましたね。日本の左翼が反日に生きる場所を見つけたから尚更そうです。
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>しかし日本では、皇室の存在について是非を問うこと自体、タブー視されている。 日本はまだ近代国家ではなく「前近代国家=神の国」だからだ。
しかしNHKの世論調査によれば、「4、皇室に今後求めること」で
>天皇制についてどのように考えるかを尋ねたところ,「天皇は現在と同じく象徴でよい」が82%,「天皇制は廃止する」が8%,「天皇に政治的権限を与える」が6%となった。
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2010_02/100202.pdf
とあります。 天皇制廃止の意見もちゃんと入っていますから、「日本では、皇室の存在について是非を問うこと自体、タブー視されている」という朝鮮日報の記事は間違いですね。