『朝鮮日報』李河遠記者の天皇戦犯論2012/08/24

 『朝鮮日報』の李河遠という記者が、日本の天皇戦犯論を論じました。(2012年8月20日付け) http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/08/20/2012082000968.html

【記者手帳】天皇への謝罪要求、何が間違っているのか

日本の野田佳彦首相が李明博(イ・ミョンバク)大統領に送った「抗議の書簡」(親書)が、両国の対立をさらにあおっている。野田首相が李大統領に書簡を送った表面的な理由は、李大統領による独島(日本名:竹島)訪問だが、本当の理由は李大統領が天皇を批判したことだ。日本について詳しいQ氏は「韓国による日王(天皇)批判に対応しなければ、これ以上首相の座を維持できないからだろう」と述べた。  李大統領は今月10日、韓国の大統領として初めて独島を訪問したが、この時点で日本の対応は比較的落ち着いていた。李大統領による独島訪問を、自分たちが望む「独島の紛争地域化」に利用できると考えていたからだ。  ところが日本の雰囲気が急変するきっかけとなったのは、14日に李大統領が行った天皇批判だ。李大統領はこの日、韓国教員大学で開催された、校内暴力をめぐる教師たちのワークショップで、ある教師が独島訪問の感想を尋ねた際「(日王が)『痛惜の念』などの単語を持ってくるだけなら、来る必要はない」と発言した。  日本の政治家たちはこの発言が報じられると同時に「礼儀知らずだ」「無礼だ」などと先を争って批判した。野田内閣が追加の「報復措置」に着手したのも、この天皇王批判が大きく作用している。しかし韓国の立場からすると、天皇批判に日本の政界がこれほどまでに敏感に反応する理由が理解できない。  韓国史から見ると、今上天皇の父親、昭和天皇は1926年の即位後、日本が朝鮮半島を統治した時代に民族全体を迫害し、弾圧した人物で、太平洋戦争では韓国の若い男性を銃の盾とし、若い女性を日本軍の性的奴隷とした、まさに「特別A級戦犯」だ。今なお韓国民族を苦しめる南北分断も、昭和天皇が統治していた日帝時代の統治が原因になっている。その日本の王室に対し「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と求めたわけだが、これはある意味当然の要求だ。李大統領による発言は、時期的には問題があったかもしれないが、決して言ってはならない言葉というわけではない。  これまで韓国の大統領や政治家は、天皇を神聖視する日本の特殊な状況を意識し、可能な限り天皇に関する発言を公の席では控えてきた。今考えれば、こちらの方がおかしなことだ。  米国も同じだ。天皇が日本で占める立場を考慮し、戦犯の天皇には戦争の責任を問わず、日本の王室の存続を認めたのだ。  このような背景から、昭和-今上天皇は国際社会の要求があるたびに、歴史に対する遺憾の意を少しずつ表明することで、責任を回避することができた。1989年に即位した今上天皇は「平成」を年号として使用している。『史記』の「内平外成」と『書経』の「地平天成」から引用した平成という言葉は「世の中と日本内外の平和を願う」という意味だ。  このように日本の王室が訴える平和を実現するには、まずは心から過ちを認め、これに対する批判を受け入れる勇気から持たなければならない。西ドイツのブラント首相(当時)は1970年12月、ポーランドのワルシャワにあるユダヤ人犠牲者慰霊碑前で膝をついて謝罪した。日本もこの事実を思い起こすべきだ。天皇は決して神聖不可侵ではない。  今上天皇は手遅れになる前に、ブラント首相のように膝をついて謝罪する写真を歴史に残すべきだ。 李河遠(イ・ハウォン)政治部記者

 この記事は 韓国語の原文とは語尾等で若干の違いがありますが、おおむね原文通りに訳されています。

 それはともかく、この記事は私にはかつて読んだこのとのある日本の左翼・革新系の反天皇論を、久しぶりに読んだ気分になりました。

 日本では1970・80年代、天皇の戦争j責任を問う本や論文が多数発表されていた時代があったのです。そこで展開された論理と、この李河遠記者の論理は瓜二つとしか言いようがないものです。

 この記者、おそらく日本の左翼・革新系の本を読んで影響を受けた人なのだろうなあ、と感じました。

コメント

_ 在特会 ― 2012/08/24 21:19

>この記者、おそらく日本の左翼・革新系の本を読んで影響を受けた人なのだろうなあ、と感じました。

日本の左翼が韓国を煽ったというわけですな。

当時彼らは北朝鮮を礼賛し、韓国は独裁政権だと批判してました。

ところが金正日が日本人拉致を認めてから、大急ぎで、韓国の擁護派に転向し、北朝鮮と距離を置くようになりましたとさ。

_ 辻本 ― 2012/08/24 23:18

>当時彼らは北朝鮮を礼賛し、韓国は独裁政権だと批判してました。
>ところが金正日が日本人拉致を認めてから、大急ぎで、韓国の擁護派に転向し、北朝鮮と距離を置くようになりましたとさ。

 日本の左翼系が韓国擁護派になったのは、2002年の拉致問題の時ではなく、1988年の盧泰愚政権発足およびソウルオリンピックの時でしょう。それまでは、韓国は米日の傀儡軍事独裁だとして括弧書きの「韓国」を使っていたのが、その頃から括弧が無くなるようになりました。

 北朝鮮と距離を置くようになったのは、日本共産党は1973年の「赤旗」平壌特派員追放からですねえ。1994年の金日成の死に伴う金正日への世襲では、社会主義に権力世襲はあり得ないとかなりの左翼人士が距離を置くようになりました。

_ 朝日新聞 ― 2012/09/06 22:05

一昔前の朝日新聞の社説みたいな記事ですね。
それ以外も今の韓国はどこか80年代の日本に似ていると思います。
李明博の竹島上陸も日本が国際圧力にも関わらず、湾岸戦争に自衛隊を派遣しなかった件に似ている気がします。

_ 辻本 ― 2012/09/07 20:53

湾岸戦争の始まりは、1991年1月17日です。
80年代ではありません。

_ かん ― 2012/10/26 08:48

 天皇戦犯論、慰安婦、ドイツに学べ論、みんな日本の左翼が発祥らしいですね。特に、ドイツに学べ、は、最近、NYの広場に大々的に広告されました。

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