韓国語のできない嫌韓派2019/03/28

 4年ほど前に、嫌韓派の人たちは韓国語ができないことについて、次のように論じました。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/17/7540292

今の日本では「嫌韓派」が大きな勢いを得ています。 嫌いなら無視すればいいのにと思うのですが、そうではなく韓国に関する本やネット記事を熱心に読むなど、非常に関心の高い人たちです。 しかし彼らのほとんどが韓国語を知らないし勉強しようともしないという特徴があります。 ネットで嫌韓のコメント・投稿する人は韓国語ができないと見て間違いありません。 韓国に関心がありながら韓国語ができないという‘嫌韓派’の姿は、興味深いものです。

‘嫌韓派’は体験に基づくものが余りなくてネットや本、雑誌などでの偏った情報ばかりを追求しています。 だから特定の政治的社会的テーマではこと細かく知っていながら、初歩的・基礎的知識に欠ける場合が多くなっています。 嫌韓派は拙ブログでも投稿・コメントをよくしてくれますが、私にはヘエー!?こんなことも知らないで韓国を批判しているのか!とビックリして参考にならないのが多いものです。 またレイシズムとしか言い様のない非常識なものも多いです。 けれど本人が自分のことをレイシズムや非常識とは自覚していないのは困ったものです。

 その後の‘嫌韓派’の人たちは、やはり今なお韓国語を知ろうとしないですねえ。 昔なら韓国語を勉強する場所自体がありませんでしたが、今は韓国語教室が日本全国にたくさんあるし、NHKハングル講座もあります。 韓国語の教材も昔は使い難いものばかりでしたが、今は洗練されて非常に勉強しやすいです。

 このように韓国語を勉強する環境ははるかに良くなっているのですが、それでも嫌韓派の人たちは、韓国に関心があっても韓国語を勉強しようとしません。 かつては、これはこれで興味深い現象と考えていましたが、今はもう、そう考えることがなくなりました。 

 彼らは日本国内で日本人に向かって日本語で吠えているだけです。 しかも偉そうに‥‥、 繰り返し何度も。 私には何も得るところがありません。 別に言えば、彼らは飲み屋でわけの分からないことをグダグダと管を巻いているようなものです。 本人はそれでストレス解消となるでしょうが、ただそれだけのことですね。 老人ボケ(差別語ですが)防止に役立っているのかも知れませんねえ。 ただ、それを聞かされる周囲はウンザリするだけです。 

 「‘嫌韓派’はネットや本、雑誌などでの偏った情報ばかりを追求している。 だから韓国の政治的社会的テーマではこと細かく知っていながら、初歩的・基礎的知識に欠ける」という私の評価は、今も変わりません。

 保守論客が嫌韓雑誌に所論をたくさん書き、本も出版しています。 彼らには嫌韓派はいいお客様ですから大事にしているし、嫌韓派に喜ばれるような論考を書き連ねておられます。

 私には一銭の金銭的利益もありませんから、韓国語を知ろうともしない嫌韓投稿者には冷たくあしらうだけです。 それが陰湿・狭量だと言われるなら、陰湿・狭量で何故悪い!?と居直ります。

【拙稿参照】

韓国語が出来ずに韓国を論じる人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/16/9047781

嫌韓派と韓流派         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/17/7540292

水野俊平『笑日韓論』 (続)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/09/20/7439097

漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(12) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/09/7240684

コメント

_ 粛 ― 2019/04/02 03:38

私見ですが、朝鮮語が流暢に喋れるほど基礎文化に触れてる=良質な批判が可能というのはわかるのですが
そこからそのまま反転して朝鮮語を学ばない批判への全否定、(特に向こうから関わってくる以上)嫌いなら無視すればいいとの論拠にはなっておらず、そこまでは言えないと思います。

ただ、橋本元知事の慰安婦発言がsex slaveとアメリカで訳されたとき、嫌韓派のほぼ全員が「これは誤訳だと向こうに伝えてくれ」と英語が出来ず、せめてネットで訳そうともせず全て他人任せだったのには唖然愕然としました
少なくとも向こうは英語が喋れる日本批判のプロを用意してるのを幾つかの事例で知っているのにです。
その頃から私は『韓国語を学ばない』特徴の連中というより、もちろん朝鮮語を含む『外国語(それに類する文化)を学ばない』特徴を持ち、日本だけで完結し日本だけで叫びあう連中が嫌韓派には多いとは考えてました。
そういう違和感を持たない人の批判や持ち上げる書には低質なものが多い…かなり多いとは感じます。
おそらくこの※を韓国語ではなく朝鮮語と表現した嫌韓のニュアンスを知らない人の方が多いでしょうし、そういう方々をあしらうのは当然の事だと思います。

長文失礼しました。

_ 辻本 ― 2019/04/03 06:22

>朝鮮語を学ばない批判への全否定、(特に向こうから関わってくる以上)嫌いなら無視すればいいとの論拠にはなっておらず、そこまでは言えないと思います

 これはその通りですね。 ただ朝鮮語が出来なければ、自分の考えや主張が不十分であるという自覚が必要と思います。

 韓国には目にものをいわせてやる、なんて言う人がいましたが、この方は韓国語を全く知らない嫌韓派でしたから、お笑い草ですね。

_ hamayou ― 2019/06/05 12:25

私も韓国語を知らない嫌韓人間です。そういう人間を、辻本先生の基準(「>それが陰湿・狭量だと言われるなら、陰湿・狭量で何故悪い!? 」)で批判されておられますが、韓国語を知らなくても嫌韓の自由はあると思います。その理由は、日韓問題を「日本で知り得た情報に基づいて反応しているだけ」ということになります。確かに「敵を知り己を知る」ことが攻略の基本でしょうが、現実には韓国語を知らない嫌韓派だらけです。そういう嫌韓派の思いが、日本の反韓世論になっているのだと思います。世論なんて、明確な思想じゃないんだから、これはこれで何の問題もないと思います。これをどう扱うかは、政治(あるいは学問)の問題でしょう。

_ 辻本 ― 2019/06/05 19:28

 韓国語を知らずして韓国を論ずることは、それだけでは不十分であることを自覚して下さい。
 英語を知らない人が国際政治を論じても、誰も信じないでしょう。それと同じことです。
 韓国語をちゃんと勉強しましょうね。少なくとも韓国の新聞ぐらいは原文で読めるようになって下さい。

_ G19 ― 2019/07/12 02:15

言語学習どころか、行った事もない、話したこともないのに「韓国は~○○だ」という手合いが多いのは事実。
逆の立場になって、日本語わからない、行った事も話したこともない外国人が「日本は~○○だ」と言ったら何と思うかを
考えればわかること。 要は思慮不足ということです。

_ K ― 2021/05/18 22:50

嫌韓と称される人たちの大半は、そもそもある対象を知的に理解しようとする誠実さを持ち合わせていないタイプの人間なのだと思います。まず韓国嫌いという原始的な感情が先立ち、その溜飲を下げてくれる手ごろな情報に接してカタルシスを得たい。そもそもの立脚点が知的誠実さからかけ離れているのです。

ただこういった手合いは実はそれほど珍しいものではなく、割合から言えば大半の人間はそんなものなのだと思います。ある対象を多角的に調べて熟考するという態度は、多くの人にとっては時間的にも能力的にもできないのが現実でしょう。それが大衆というものでしょうね。

ただ絵に描いたような嫌韓の人たちは、あまりに度が過ぎるのでしょう。こういう連中は他のことでも短絡的に、感情的に判断するのだと思います。

そもそも、嫌いな国の言語をあえて学ぶという発想がないでしょうね。なんで嫌いな国の言葉なんて勉強しなきゃならないのか、そんなことに時間と労力を費やしたくないと思っているでしょう。理解できないあの嫌いな国の言葉を勉強し、奴らがどういう論理でものを考えているのか調べてやろうなんて発想は出てこない。そう思える人は知的誠実さを持っている人であり、そういう人はもはや「嫌韓」などという軽薄な表現をするのはふさわしくない。一緒にされたくないでしょうね。

私は韓国がハングルのみ使用する政策について反対的な立場をとっており、この点において辻本さんとは意見が合いませんが、韓国語を少し勉強し始めた身としてひとつハングルの表記の擁護点を挙げてみます。

よく、ハングル表記は日本の平仮名のようだから、例えば

「わたしはかんこくがはんぐるのみしようするせいさくについてはんたいてきなたちばをとっており…」

と表記しているのと同じだと言う人がいます。これは少し違いますね。なぜなら現代の韓国語表記には分かち書きが採用されているからです。この分かち書きを忘れている人が多い(それすら知らない人も少なくなさそうですが)。だからむしろ

「わたしは かんこくが はんぐるのみ しようする せいさくについて はんたいてきな たちばを とっており…」

とでも表記すべきでしょう。分かち書きをしているかいないかで読みやすさはだいぶ違います。このことを考慮しなければフェアではない。翻って日本語表記は分かち書きを採用していません。漢字と平仮名の組み合わせ、句点の上手な使い方によって読みやすさ、意味がきちんと通る文章を書く必要があります。ただし、これはセンスが要求されます。句点の打ち方で(句点を打たないということも含めて)文意が伝わるかどうかが問われるのです。文意が複数採れてしまい、どういう意味で行ったのかよくわからない文章も出てくるのです。いわゆる悪文というやつですね。その意味で日本語の表記には欠点があると思います。

私は別記事のコメントでハングル表記の欠点を強く指摘しましたが、だからといって日本語表記が完璧というわけでは全くなく、ハングルとは別の意味で問題を抱えていると思います。おそらく各外国語にはその特有の欠点、問題点があるのでしょう。英語ならばスペリングと発音の不規則性の問題があります。自然言語はいくつもの時代を経て現代のかたちに仕上がったものなので、非合理的な部分がどうしても出てきてしまうのでしょうね。

また日本語は美しい、韓国語、ハングルは美しくないということを何の気なしに言う人がいますね。別にどういう美的感覚を持っていようが勝手なのですが、その人の感覚が絶対では、当たり前ですがないわけです。私などは、韓国語の音自体は実はあまり美しい音だとは思わないのですが、ハングル表記に関しては均整の取れた美しさがあると思います。例えばTシャツのロゴに韓国語(つまりハングル)と日本語のどちらが書いてあるとカッコいいと思うかと聞かれたら、見た目ではハングルを選びます。日本語は漢字と平仮名とカタカナの3種類の文字が使われているので、ごちゃごちゃしていて見た目としてはあまり美しさを感じません。漢字だけ、平仮名だけとかならいいですけど。日本語の音も、韓国語に比べたら綺麗に聞こえるとは思いますが、取り立てて美しいとは感じません。それを言うなら中国語の方が美しい音だと思います。

しかし、そもそも言語を評価するのに「美しさ」が指標になっていいのかという問題があります。言語は意思疎通のためにあるので、過不足なくコミュニケーションが取れるのかということの方がより重要でしょう。その観点から見れば日本語の漢字かな混じり文は便利ですね。しかしそうは言いながらも、私は別の観点から日本語の不完全さを意識せざるを得ません。日本語はしばしば主語を省略します。それを許す言語となっています。これがコミュニケーション阻害の一因になっているのではないかと思ったりします。あるいは主語をあいまいにするため、責任の所在をはっきりさせなくて済むようになっているのではないか。英語は主語を入れるからこういう問題はあまり起こりにくいのではないか。あるいは体系的な敬語システムがコミュニケーションの円滑さを阻害してはいないかとか、いろいろ思いつくのです。


ところで余談ですが、私は趣味でK-POPを聴くのですが、K-POPはオリジナルの韓国語曲だけでなく日本語バージョンの曲も作るんですね。同じ曲の韓国語バージョンと日本語バージョンがあると。チョー・ヨンピルの曲『釜山港へ帰れ』のようなものですね。それで両バージョンを聴き比べるんですが、明らかに韓国語版の方が情報量が多いんです。というか日本語版は情報が少ない。おわかりでしょうが、日本語は一音一音にほぼ母音が付いています。だから一拍が一文字になる。韓国語は終声があって子音で終わるケースが多いので一拍が一単語になったりする。英語に似ているわけです。そうすると歌詞をメロディに乗せる場合、日本語よりも文字数が使えます。韓国語の歌は情報量を多く詰め込むことができるのです。日本語だと一拍で一文字なので余計な言葉を入れる余裕がない。だから主語は省き(韓国語詞では「ウリ」とか「ナ」をよく使いますが、日本語詞では「わたしたち」「わたし」をあまり使わない)、余計な言葉をそぎ落とし厳選します。その結果、思わせぶりな抽象的な詞の表現に良くも悪くもなります。韓国語版と全然歌詞の意味が違うじゃないかと批判されることが少なくないのです。言語の特性の違いを考えれば仕方ない現象なのですが…

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