漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(12) ― 2014/03/09
本ブログで「漢字を廃止した韓国で『知的荒廃』?」と題する論考を発表しました。 漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(1)~(11) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/01/10/7183064 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/10/7218555
これに対して批判的投稿がありましたので、ここでお答えします。
呉善花さんが指摘するとおり、これによって日本理解が曲げられるのであれば、やはり日本人が憂慮すべき問題です。
呉善花さんの『漢字廃止で韓国に何が起きたか』では、漢字の廃止が日本理解を曲げているという指摘はありません。 他に呉さんのいくつかの本に当たってみましたが、そういう指摘はありませんでした。呉さんの考えを勝手に憶測した上で「日本人が憂慮すべき問題」とまで論じるのは、いかがなものでしょうか。
ハングル、英語いずれも「表音文字を使いながら」とありますが、ハングルに相当するのは、英語では発音記号ではないですか。 カナは英語の発音記号に相当(同じとは申しませんが)する
日本で発行されている主要な韓国語辞典では、ハングルで表記された見出し語の後に発音記号が付されています。 従ってハングルと発音記号とは別物です。 これは韓国語の初歩ですねえ。
なお呉善花さんは「ハングルは表音文字ということで西洋語と同じ」(28頁)と明記しておられます。
ハングルにも英語の綴りのようなものが、あるのでしょうか?
こんな程度のことを調べる手間を惜しんではいけません。 まずは韓国語辞典か韓国語教科書かを取り出して、철자をご自分でお調べください。こんな初歩のことすら、しないとはねえ。
ハングル一覧表を見る限り、その意味ではハングルも同じ
ハングルは40個の字母からなる文字で、理論的に1万1千字、実際には5千字足らず、日常生活で使用するのは2千数百字ほどになります。 30年以上前のワープロがなかった時代には、活字を拾う関係上このような数千文字のハングル一覧表があったようですが、今はないでしょう。
身近にあるとしたら日本語話者用の五十音対応ハングル表ぐらいです。これはたった50文字です。 こんなことでハングルを分かったつもりになるのは、いかがなものですかねえ。 いくら無知とはいえ、ちょっとねえ。
仮名交じり文体を作り上げた、私たち日本人の祖先の知恵に驚嘆すると同時に、過謝しております。 韓国の人も、中国から多くを学んだことを尊重して、漢字とハングルが融合した、朝鮮言葉に固有の美しい文体を作り上げてはどうでしょうか。 韓国も日本に倣って、美しい韓国語の表現を開発されてはいかがですか
我が日本語は「美しい」から韓国はこれに「倣って」言葉を変えよという主張は、今の韓国語が「美しくない」ということです。 このような他国・他民族を見下すような言い方は、果たしていかがなものでしょうか。 韓国語の知識がなくて韓国語を蔑むというのは、到底理解できるものではありません。
私は韓国語がわかりませんので ご指摘の通り、韓国語は存じておりません 言葉について素人なので 私は言語に精通したものではありまあせんが 英語のように、もともと音標文字では 「love」という英語の単語を「ラヴ」と読むのが音読み、「あい(愛)」と読むのが訓読みに相当する
韓国語が分からないと言いながら韓国語を論じること自体がどうかと思えるのに、さらに全く関係のない英語の例を持ち出してくるのは、いかがなものですかねえ。 これを機会に韓国語を勉強した上で、改めて論じてもらいたいものです。 無知であるなら、まずは勉強すべし、です。
無知な人が自分の無知を恥じずに意見を言うというのは、厚顔無恥という言葉が当てはまります。リアリティのない憶測が繰り返されると、空想・妄想となります。
韓国語知らない者を論破されるのが王道
無知に基づく空想をする人を相手に、「論破」「王道」はあり得ません。
コメント
_ 健介 ― 2014/03/10 20:39
_ (未記入) ― 2014/03/14 13:41
「諺文」は朝鮮語。これがこのまま日本に、朝鮮語の発音も同時に伝えられた。だから日本では「諺文」と書いて朝鮮風に「オンモン」と読む。これは福沢諭吉の時代以前から始まった話。
>ハングルは漢字があって、初めて機能するように、肇から作られているから
平凡社新書に『ハングルの誕生』という本がある。「漢字があって、初めて機能する」なんて、これぽっちもない。
_ 健介 ― 2014/03/14 15:36
紹介されている本は未見だが、肇に漢字があって、それからハングルができた。その経緯を見ると漢字無しでは無理だと思う。
それは我々が使う日本語を見ると、漢字無しでは無理だし、第一古文書が読めない。
漢字についての音と訓を知らないと読めないからで、それは事実の問題でしょう。
これについてさらに議論を進めると、認識論が出てくる。
耳で聞いた音を文字として把握していなかったのが我国の古代で、まったく別系統の漢字が音ともに入ってきた。
それからは実際にあった歴史ですから、それにそって考察するしか道は無い。
朝鮮語にリトウという我国の万葉かなのようなものがあるが、知らない。いろいろ見ると、ソレデかかれたものは郷歌とかいて,ヒャンガというそうだが、それも少ししか残っておらず、どのように読むかは不明だとその昔読んだ。
我国の万葉かなは終わりにちかずくにつれて、一音一字となって、それがかなに発展した。
その前は漢字を複雑な方法で読んでいたようです。
いずれにしても音を聞いて、それから文字へ行くのか、意味へと直接行くのかは二つの経路があると思う。そのとき漢字が役目を負っているから、漢字無しでは、我々日本人は思考ができない。
漢字かな混じり文で、情操、思考其の他を保持しているからです。
朝鮮人はその頭の仕組みをどのように認識しているかワカラナイガ、ハングルだけにしたことは既にすすんでいることだから、漢字無しがどのような結果をもたらすかは議論の段階ではなく、既にすすんでいることで、徐々に結果が出てきているはずです。
これは朝鮮文化(いろいろ調べると、ナニガ朝鮮文化といえるかわからない。食べ物は毒薬文化だとは思うけれども)に一つの時代を築くことは確かで、それがいい方向へと行くか、悪い方向へと行くかは、私は悪い方向へ行くと思っている。
それは日本語で、漢字無しを想像すると困ることが続出するからです。
_ (未記入) ― 2014/06/28 01:28
しかし仮名とハングルは別物として捉えるべきです。表音文字で一括りにするのは危険です。
_ K ― 2021/05/18 01:51
↑これは(2)の記事のコメントですね。これに対し辻本さんは「日本で発行されている主要な韓国語辞典では、ハングルで表記された見出し語の後に発音記号が付されています。 従ってハングルと発音記号とは別物です。 これは韓国語の初歩ですねえ。」と返信しています。
これは、こういうことだ思います。英語は表音文字という認識をされているが実は表音文字とは言えないのではいか。例えば英単語のスペルは他のヨーロッパ言語と比べて素直に読めない。例えばtakeという単語。「テイク」と読みますね。なぜ「タケ」ではないのでしょう。それはフォニックスのルールというものがあって、例えば二文字目に来る母音のスペルはアルファベットで読み、語尾のeは発音しないという法則があるのです。だからtakeはテイク、makeはメイク、shakeはシェイクと読むのです。しかし例外もあって例えばスポーツメーカーのナイキはnikeと表記しますが、アメリカではナイキと発音します。ところがイギリスではナイクと言うそうです。フォニックスの法則的にはナイクの方が自然なのですが。
あるいはcatはキャット。しかしcutはカット。cが「キャ」ではなく「カ」です。pencilはペンソル。cがカ行ではなくサ行で発音しています。どうやって使い分けているのか。これも細かく調べればルールめいたものがあるんですが、要するに文字と発音が一致していないということです。これで表音文字と言えるのか、という疑問は出てくるのも無理はないのです。eightがなぜ「エイグヒト」ではなく「エイト」なのか。knowがなぜ「クノウ」じゃないのか。スペルが不規則なんです。漢字を訓読みと音読みのどっちで読むかといった問題に少し似ているんです。
そこで思い浮かぶのが発音記号です。結局スペルからは発音が完全に導き出せないので、その単語の発音記号を見る。そうすることでその単語の発音が判明する。発音記号は発音を表す文字のような役割を果たすからです。これが「ハングルは発音記号に相当するのではないか」という発言の真意だと思います。「発音記号」を辞書的な意味だけで考えると見誤ります。
呉善花の「ハングルは表音文字ということで西洋語と同じ」という発言は、英語は表音文字であるという表層的な見方によるものだと私は考えます。従ってこの考え方は正確ではないと思います。
「ハングルにも英語の綴りのようなものが、あるのでしょうか?」というのは、英語のような不規則な発音になってしまうという不便な事態がハングル表記でもよく発生するのか?いうことでしょう。これに対する返答は少し意地悪に感じます。相手が無知であると決めつけて嘲るような返答をすべきではありません。せっかく他のサイトにはないすばらしい記事を書いていらっしゃるのですから。
_ 海苔訓六 ― 2022/11/30 10:05
以下のPIAAC調査が参考になるかもしれません。
http://honkawa2.sakura.ne.jp/3936.html
全体平均値で見ると日本人がいちばん成人スキルが高く(頭が良い)、韓国はOECD平均値もしくはそれ以下ですが、
若い人だけに限定すると韓国と日本の成人スキルは同レベルで殆んど差がありません。
日本は中高年の成人スキルも若者と同程度なので平均値もかわらないのですが、韓国は漢字の使える中高年層の成人スキルが著しく低いために成人スキル全体の平均値を下げてしまっているようです。
この結果だけで見れば漢字を使わなくなった若い世代は知的荒廃どころかむしろ頭がよくて優秀であり、漢字の使える朝鮮人中高年層が優秀な朝鮮人若者の足を引っ張っているということが言えると思います。
いわゆる老害問題は日本よりも韓国の方が深刻なのかもしれません。
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では諺文とはなにか?それは日本語のひらがなカタカナのようなものだとは聞いた覚えがある。その後いろいろ調べて、諺文を作ったわけがひらがなカタカナを作ったわけとは大きく異なることを知った。それ以降、それ以上はすすまなかった。
今回辻元氏のブログを見て、ネットでハングルを調べた。まだ詳しくは無いがその仕組みを見ると、その作った肇の目的に沿って、構成されている。
あくまで、音が主で、意味は従のようなきがする。
ハングルは漢字があって、初めて機能するように、肇から作られているから、それだけにすることは、まったくあたらしい機能をもたせることになるが、果たしてそれが可能か?
多くの日本人が勉強することは、読み書き算盤で、そこには話し聞くはない。従って話すこと、つまり音には鈍感というより肇から音についての関心はない。このことは日本語は視覚優先言語であることを示している。そもそも親から、たとえば日本語で<さくら>と話して、その<さ>は違う、舌をもうすこし長く上の歯につけて、言ってごらん>などといわれた人はいないでしょう。英語ではそれは当たり前でしょう。私がそれをされたのは<さ>音で、どうしても<チャ>になることが多かった。歯と歯の間に舌を挟んで言う事ができなかったからですが、今では別にそれでなくても<さ>音はできる。
わが国で音を矯正されるのは芸能界の人々くらいでしょう。矯正されるのは言い方では在っても、音を矯正される人はまず無い。
ソコデハングルの構成方法を見ると、作られた当時の朝鮮語音を表示するために、合理的に作られているが、それを文字として認識するには、私は疑問に思うが、肇からそれを文字として認識すればがまた別の世界があるかも知れないが、生い立ちは生い立ちで、その制約は大きいと思う。
仕組みは簡単で、当時あった母音を表示する記号を作る。次に子音を表示する記号をつくる。その上朝鮮語の特徴といわれる、ノウ音、ばち音の記号を作り、それによって、耳で音として認識されている音を表示するために、上記の記号を組み合わせて、一つの文字(?)をつくる。
現在の理解は上記ですがおよそひらがなカタカナとは大違いです。
個人的にひらがなは視覚を優先するから文字を主とし、カタカナは聴覚を優先するから、音を主とするが、それらはあくまで文字で、発音記号ではない。
何故ハングルと同じような構成方法をしなかったのか?これは年来の大きな疑問です。平安時代中ごろに作られた50音図は発音という視点で見れば、きちんと知っていたとしかおもわれないが、何故発音記号までかんがえなかったか?
それは分からない。タダ藤原定家の言語観。及び文字観は私は正しいと思っている。その昔、一時定家かなずかいをしていたときがあったが、難しいものではなく、音と文字に対するある種の敏感さが養われる。その後やめてしまった。この頃もう一度と思い始めている。それほど藤原定家の主張は力を持っている。
中学で英語のとき、二重母音を習ったが、ナニガなんだか分からず先生のまねをした。そもそも母音と子音の区別すらできない日本人が大半だから、音の豊富さがある、朝鮮語は我々には英語とは異なった難しさがあると思う。
ハングルだけにした事は既に起きていることだから、その結果は具体的に出てくる。
一番は歴史文書が読めなくなることです。