古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3)2014/03/21

(朱子学によると)聖人・君子・小人・禽獣・草木の差別があり、より優れたものがより劣ったものを統治する。 この階梯を昇るために儒教の古典を読み、心安らかに徳を鍛え、中国の礼教に則って冠婚葬祭の礼法を実践し、磨くのである。そうすると濁った気が晴れて次第に澄んでくる、とした。 三年間の喪に服さなかったり、再婚した女性を棍棒でうちすえる行為を「民の濁気を払う」としていた。(69~70頁)

 古田さんによると、朝鮮朱子学ではこの世にある存在には「聖人・君子・小人・禽獣・草木」の五つの階級があるそうです。 ここでは五つですが、朝鮮中世史の長森美信さんによれば少し違います。 まずこの世は「人間・禽獣・草木・器物」の四種類であり、さらに人間は「聖人・賢者・君子・小人・夷狄」の五種類に分かれて、この順番で階級差別を成します。 これをもう少し、私なりの説明をします。

 「聖人」とは孔子や孟子、朱子のような儒教の大家で、人類史上数人しかいません。

 「賢者」は儒教を極めた偉い学者さんのことで、これは数十人ぐらいになるそうです。 韓国では以上の「聖人」と「賢人」の位牌を祀る廟が今もあります。 ここまでは言わば儒教のノーベル賞級の人たちですから、普通の人間がなれるものではありません。

 次が「君子」。これは儒教の学問と徳を備え、礼法を十分に守っている人です。 これは中世の朝鮮では、いわゆる支配階級あるいは知識人と同じ意味で、「両班(やんぱん)」階級とも言ったりします。 この両班階級の実態については、尹学準さんの『オンドル夜話』(中公新書)や『歴史まみれの韓国』(亜紀書房)などに分かりやすく書かれています。

 その次が「小人」。儒教を知らず、徳というものから程遠く、礼法をわきまえない人たちです。 下層階級あるいは庶民、民衆に当たるもので、朝鮮史上では「常民」「常奴」(サンノム)という用語になります。これは沢山います。 小人は君子から支配されており、服従して当然の人たちです。 しかし小人でも儒教を修めて礼法を守っていけば、君子になることができます。

 以上の「君子」と「小人」という階級差別思想は、今の韓国にも色濃く残っていると考えられます。 古田さんは 「民族の行動パターンは李朝と同じ。財閥企業のエリートが両班であり、一般人は常民だ」(118頁)と喝破しておられます。

 その次が「夷狄」です。これは未開・野蛮の世界の人々のことで、「化外の民」とも言い、人間では最低のランクです。 ここになると文化・文明とは縁のない世界になります。 夷狄であっても一応人間ですから、話は通じるとされます。もし夷狄に文化というものがあったとしたら、それは文明人である我が韓国人が教えてやったものだというような考えになります。 韓国人が日本人を夷狄扱いするのは、現在も続いていると見ていいでしょう。

 以上までが人間の階級秩序です。 ところが19世紀になると欧米の勢力が朝鮮半島にも押し寄せてきました。 このとき朝鮮の「君子」たちは、西洋人を夷狄どころか「禽獣」扱いしました。 人間ではなく、犬馬と同様の動物としたのです。 言葉すら通じない獣だったのです。しかし今では韓国人にとって欧米の文化は憧れの対象となっていますから、西洋人は禽獣から脱し、夷狄・小人を飛び越して、君子の扱いをされていると言っていいでしょう。

 しかしアジア・アフリカは今なお禽獣のようです。東南アジアから韓国に嫁に来た女性が、夫だけでなく家族すべてから「猿」と呼ばれて人間扱いされなかったと涙ながらに訴える韓国語ニュースがありました。 猿は日本では可愛い動物ですが、韓国では嫌われる獣です。

 以上のような差別意識を「華夷思想」と言います。問題は韓国がこの華夷思想を引き継ぎ、そして今なお根強いことです。

 朝鮮史の山内弘一さんは次のように言っています。

自国中心の独特な文明意識は、歴史の研究者も無意識にもっている‥‥ある高名な国史(韓国史)の研究者は、日本人に向けて書いた文章のなかで、日本の植民地支配にかんする「当時は帝国主義の時代であり、ほかの西欧列強も同じことをやったのだから、日本だけが問題にされるのはおかしい」というある日本人の見解について、韓国をアフリカや東南アジアの諸国と同列におくという事実にたいして、韓国人は強い不快感を感じていると述べている。 ここにはアフリカや東南アジアの諸国の人びとが、これをみてどう思うかという発想はなさそうである。 (山内弘一『朝鮮からみた華夷思想』山川出版社 2003年8月 4頁)

 現在の韓国内では自分たちが有しているこの華夷思想について、分析・究明そして自省しようとする社会的な動きがなかなか出て来ません。 日本人には華夷思想の不条理さに気付き指摘する人が多いのですが、韓国人がこの批判に耳を傾けることはないです。

 華夷思想はレイシズムそのものなのですが、韓国人から離れられないのです。 華夷思想は韓国人にとって余りに当然と考えられていて、自分たちではその問題の深刻さに気付かないのではないかと思われます。