漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(1) ― 2014/01/10
ちょっと前に出た雑誌の嫌韓・反韓記事のなかに、‘韓国は漢字を廃止したから知的荒廃が進んでいる’というものがありました。こういう雑誌は立ち読みしかしないので、どの雑誌だったか忘れましたが、手元にある本では1年前の『いよいよ、韓国経済が崩壊するこれだけの理由』という本の「ハングル文字が韓国の成長を阻害している」章のなかにありました。
‥現在、韓国国民のほとんどが漢字を読めません。 これによって韓国の知的荒廃が進んでしまいました。‥‥(三橋貴明『いよいよ、韓国経済が崩壊するこれだけの理由』ワック 2013年1月 96頁)
「知的荒廃」なんて何を根拠に書くのかと思っていたら、それは呉善花さんの『漢字廃止で韓国は何が起きたか』(PHP 2008年10月)がネタ元のようです。三橋さんは呉さんが書いた内容だけでなく、表現まで含めてそっくりの文を書いています。つまり三橋さんの96頁の部分は自分で調べたのではなく、5年前の呉さんの文章を検証もせずになぞっただけの文章なのです。学生が宿題レポートでこんなものを出したら、赤点=不合格で返されることは間違いないレベルです。文筆を業とする人がこれではねえ‥‥。
ところで呉さんのこの本、その小節の小見出しに「漢字廃止が戦後韓国の知的荒廃を推し進めた」「漢字廃止が国民の思考水準を低下させた」「言葉の概念の広がりと深さを失った韓国人」というものが並んでいます。この本の中身をちょっと検討してみます。
韓国では漢字が廃止されていますから、漢字語は全てハングルで表記されます。例えば「精神」は「정신」、「運動」は「운동」となります。では韓国語のどの程度が漢字語かというと、呉さんによると
韓国語の語彙は、日本語以上に漢字語の影響が強く、一般の文書で使われている語彙の約70%が漢字語で、公文書となると90%以上が漢字語だといわれる。(呉善花『漢字廃止で韓国は何が起きたか』PHP 2008年10月 25頁)
70%、90%という数字が出てきます。これが正しいかどうかは分かりませんが、書き言葉に漢字語が多いのは事実です。呉さんは更に次のように論じます。
漢字語を教えなければ韓国語のほとんどはわからなくなるから、音だけでたくさんの漢字語を教えることになる。しかしそれでは、表意文字としての漢字が歴史的に生み出している意味空間をとらえきることができない。つまり正確な概念規定をすることができないのである。‥‥‥高度な精神性と抽象的な事物に関する語彙、倫理、道徳、哲学、芸術、科学――いってみれば文明語彙のほとんどが、韓国の一般の人々にはもちろんのこと、かなりのインテリにも正確に理解されないまま、しだいに遠く無縁なものとなっていかざるを得ないのである。 いまの韓国語では深遠な哲学や思想の議論はまず成り立たない。いかに朱子学の伝統を誇っても、あの気学の概念展開をハングルだけで理解することはできない。ハングルだけで世界的な水準をもった哲学論文を書くこともほとんど不可能である。日本語か西洋語でやるしかない。(『漢字廃止で韓国は何が起きたか』41~42頁)
韓国では漢字語もほぼすべてがハングルで表記されています。日本人なら漢字を見て大体の意味を取りますが、韓国人はそれができませんので、その単語自体の意味を覚えて解釈することになります。例えば「雨傘(あまがさ)」は日本では「雨(あめ)」と「傘(かさ)」二つに分けて、それぞれの漢字から言葉の意味を捉えます。一方の韓国人はハングルの「우산」とこの二文字で「雨の時に差す傘」の意味と捉えます。「우」と「산」とに分けることはありません。
関連して「傘下(산하)」という言葉を例にすると、日本人は「傘の下」だから何か一つの下に寄り集まっている状態を思い浮かべることができますが、韓国人はハングルの「산하」の二文字が「ある勢力・組織体の管轄のもと」という意味だと覚えており、これが元々は「傘の下」のことだという発想はありません。だから「우산(雨傘)」の「산」と「산하(傘下)」の「산」が同じ漢字であり且つ同じ意味だということがなかなか分かりません。
日本人から見れば漢字を覚えておけば分かり易いのに‥‥となりますが、韓国人はこれで慣れているので、言葉の中身をいちいち分解して意味を考えることをしません。どちらがいいのかと問われれば、日本人は日本風に慣れているのだからそれがいいし、韓国人は韓国風に慣れているのであるからそれがいい、としか言いようがありません。
しかし呉善花さんは「いまの韓国語では深遠な哲学や思想の議論はまず成り立たない」と言います。その具体例を提示してくれていないので何とも言えませんが、韓国にはそれなりの哲学や思想の本がありますし、哲学辞典なんかもあります。果たして「哲学や思想の議論は成り立たない」と言えるのでしょうかねえ。
コメント
_ ヒデ ― 2014/01/10 15:07
_ 古代史好き ― 2014/01/11 16:59
さて、標題の内容とは関係はないのですが、辻本様が日本古代史や日中古代史に興味をお持ちなら、次の故中小路駿逸元追手門学院大学教授が執筆した「日本(王権)は冊封を受けず - 日中共通の認識、および日本文学史・日本王権史の枠組みの提示、ならびに論者の古代探求の回顧と展望 - 」(追手門学院大学文学部紀要 36号 2000年12月30日 149頁~166頁)を御覧ください。
日本の古代史学会は、虚偽の事実をいつまでも述べていますが、辻本様は日本の古代史について覚醒されることは間違いないと思います。
_ かい ― 2014/01/12 15:53
戦後の日本語改良論争で、カナ文字派や、ローマ字派に対して反対した人達は、たとえば、古典はおろか、鴎外、漱石まで読めなくなるんではないか、と反対しました。
もちろん、全部ひらかな、またはかたかなにしてしまうことは不可能ではないが、漢字が喚起するイメージは失われてしまいますね。
英語も、文字は表音文字だが、語彙はフランス語から来ているものが多い、それは目で見ればわかるんですね。たとえば、renew とか replace の re は、語源はラテン語で、ラテン語の派生語であるフランス語からきてるんですね。
イングランドは、フランスのノルマンディーを所領としていたノルマン人に征服されたので、フランス語の語彙が
入ったんですね。
表音文字とはいっても、語根とか接頭、接尾辞に歴史があるんですね。
それがなんだといわれればそれまでのことで、そんな歴史は捨ててしまってもいいということなら、それでいいのかも知れませんが、わたしは賛成できませんね。
朝鮮には、漢字で読むべき古典がないということなのですかね。
_ 仮分数 ― 2014/02/07 10:11
それでは音標文字ではどうなるかと言いますと、「私」を意味する英語の「アイ」と、「目」を意味する「アイ」では綴りが違いますので、同じ音でも固有の意味を表すことができます。
ここにあげた例はきわめて簡単で、あまり大きな差異をお感じにならないかもしれませんが、言語表現の基本的な原理です。これが専門書といわないまでも、毎日膨大な情報を届けてくる新聞となると、もはやお手上げとなることは想像にかたくありません。
実際、日本ではカナガキの試みは成功しませんでした、また、コンピュータもわざわざ難しい日本語変換ソフトと搭載しなければならないのが実情です。しかし、それだからこそパソコンの上で、各種各様の文章が作れるのです。もっとも、それ故に、外国語が下手なかもしれませんが・・・
漢字の国中国から多くを学び、それによって多くの漢字言葉を日本語の中に取り入れ、それでもなお大和言葉を捨てず、仮名交じり文体を作り上げた、私たち日本人の祖先の知恵に驚嘆すると同時に、過謝しております。
韓国の人も、中国から多くを学んだことを尊重して、漢字とハングルが融合した、朝鮮言葉に固有の美しい文体を作り上げてはどうでしょうか。
_ 仮分数 ― 2014/02/08 21:57
言葉について素人なので、正確ではありませんが、昔「漢文」を習った経験を踏まえて申しますと、日本語の「カナマジリ」文体は、漢文から端を発しているように思われます。中国語の文章に、「レ」とか「一、二、三」とかいう印を付け加えることで、アラフシギ、中国語の文章がそのまま日本語で読めるのです。また、これに助詞や送り仮名を付け加えて書き直すと、たちまち立派な森鴎外的な(?)日本文になります。
このようにして日本人は中国文化を内容的にも、表現方法の上でも、単語もそのままで取り入れて、美しい日本文体を創り上げたのだと思います。その過程で音読みと訓読みといったややっこしい問題や、漢字の時代による音読みの違いまで受け入れることになり、日本語の漢字の読みは難しくなってしまいました。しかし、これは外国語を受け入れるときの宿命でしょう。
たとえば、英語の「Have」を考えてみましょう。日本語に訳せば「持つ」だけではなく「食べる、所有する、受け取る・・・」など、多様な単語を用意しなければなりません。また「Right」のごときは「右、権利」といった、日本語ではまっく関連がつけがたい意味を持っています。これは、文字が持つ歴史的な背景や、生活感覚が民族ごとに違うからでしょう。中国と日本もその意味では、違った文化的背景を持っているのです。
さて、話はだいぶ脇道へそれてしましたが、朝鮮語もまた中国の漢字文化の影響下で育ったのだとすれば、日本語の「カナ」の相当する文字だけでは十分に表現しきれないのではないだろうか。これが呉善花さんが指摘するところではないかと思う次第です。
_ 王琳 ― 2014/02/15 13:22
_ 仮分数 ― 2014/02/23 21:39
_ Kazu Tsurumi ― 2014/05/03 16:57
_ (未記入) ― 2014/05/04 08:36
韓国にはハングル書道塾がある。
>ハングルだから知的水準が下がるというのに
公用語すべてが漢字であった李朝時代は、知的水準が高かったということになる。
_ K ― 2021/05/17 22:44
コミュニケーションをコミニュケーションと勘違いして覚えてしまう。これはコミュニティ(community)を名詞化したものだと知っていれば間違えないんです。表面的な暗記をしてしまうからコミュニなのかコミニュなのかがわからなくなってしまうんですね。こういった例は他にもたくさんあるでしょう。ちなみにシミュレーションはシュミレーションとよく間違えます。「趣味」という音に慣れ親しんでいることもありますね。
私が驚いたのは、ルーマニアという国が英語だとRomania(ロゥメイニア)というのを知ったことです。ああ、ローマと関係しているからローマニアなんだなと。「ルーマニア」からは「ローマ」を想起できなかったです。
あとはアビリティ(ability)がableから来ているんだというのは英語を勉強して初めて配管するんですね。カタカナではそういう類推が働きにくい。
もっといえば韓国語の「カムサハムニダ」の「カムサ」なんて「感謝」ですよね。ただ字面でカムサと覚えるのと、カムサは感謝のことだと知っているのでは理解や記憶の定着度がずいぶん違うと思います。
ひとつ具体例をお知らせします。
ある韓国人のYoutube動画で、大阪城の展示にある文禄・弘安の役に関する韓国語の説明書きを読むシーンがありました。文面の日本語訳は以下のとおりです。
「秀吉の朝鮮侵略は非戦闘員を含む大量の殺害、捕虜の日本への強制連行など、朝鮮民衆に大きな傷を残した」
その韓国人Youtuberさんは日本語が堪能で、この文章もその人自身が日本語に訳して話していたのですが、「非戦闘員」という箇所がわからないと発言していました。ハングルでは「비전투원」と表記します。これがわからないのかとびっくりしました。日本人ならば中学生でも「非戦闘員」と書いてあれば意味がわかるでしょう。例えばこれが「非正規従業員」でも「非破壊検査員」でも、何となくナントカする人じゃない人なんだなというニュアンスはわかりますよね。ハングルだけだと類推すらできないのかと驚愕でした。たしかに平仮名やカタカナで「ひせんとういん」「ヒセントウイン」と書かれたら、えっ?となりますよね。
こういうことが思考の深度に関わってくるのではないかという気がしないでもないんですよね。
※コメントの受付件数を超えているため、この記事にコメントすることができません。